第6話 『兆し』

 翌日。少年はいつものようにランニングをしていた。

 空は青くなり始めてはいるモノのやはり風は冷たく、それが少年の体を包むように吹く。

 ただ、毎朝の様に走っている少年からすればその冷たい風は逆に心地いい物であり、気分が晴れていく感覚が広がっていく。――――のだが、それはあくまでも先日までの話である。

 少年はランニングのペースが崩れる事を理解しながら深くため息を吐く。


「何で今日もいるの?」

「アナタに追いつくなら同じような事をしてまずは調子を掴んでいく、それだけ」

「同じ道を通っても周回遅れになるだけの様に思うんだけどなァ・・・」


 どこか呆れたようにそう呟きつつもそれ以上に興味を失ったのかさっさと視線を外してランニングの意識を向ける。

 自分から意識を逸らされて無視された事に気が付いた孤乃葉はムスッとした表情で走る。


「今日こそは普通に授業を受けるのよね?」

「・・・・・・」

「授業急にノリノリで曲を奏でたりしないのよね?」

「・・・・・・」

「何無視をしてるのよ」

「・・・・・・」


 孤乃葉はジッと少年を睨むが、それを丸っと無視して足を動かす。

 少年からすればランニングの時間は一人で自由に居る事が良いのであって、誰かが絡んできているだけで気分はダダ下がりする。

 出来るなら全力で走って振り切ってしまいたいが、残念な事に足の速さだけで語るなら孤乃葉の方が上である。

 瞬発力なら少年の方が高いが、その速さを長くは維持できず、結果的に持久力が高くある程度の足の速さを持つ孤乃葉を振り切る事はまず無理と言って良いだろう。

 少年は足を止めると近くの自動販売機へと向かう。


「? どうしたの?」

「・・・・・・メントスコーラって知ってるか?」

「???」


 少年からの問いに孤乃葉は首を傾げる。

 突然の問いの意味も、その内容も、突然された質問の意図も理解できなかった。

 そんな姿を横目に少年は自動販売機にお金を入れるとコーラを購入してすぐにキャップを開けた。

 プシュッという炭酸が少し抜ける音に少年は少し顔を顰めるがすぐに何事もなかったかのようにそれを近くのベンチに置く。

 そうして、ポケットから棒状の紙包みを取り出して孤乃葉に差し出す。


「これがメントスだ。ちょっとコレをコーラの中に入れてみな。ついでに顔も近づけろ」

「あ、うん・・・」


 少し困惑しながらも言われた通りにペットボトルに顔を近づけながらメントスを投入した。

 瞬間、ペットボトルの口から大量の泡が噴き出し孤乃葉の顔面を直撃する。


「ぶぺっぷっっっ!!!」


 情けない声を上げてのけ反る。視界が塞がれ反射的に手で顔を拭い、最低限の視野を確保して気付く。

 孤乃葉がコーラを浴びる原因を作った少年ロクデナシが居ないのだ。

 慌てて周りを確認するが視界に映る範囲には影も形もなく、忍び装束でコーラまみれの少女以外にはいなかった。

 無知な所を利用されてさっさと逃げられたことに気付いた瞬間、孤乃葉の頭の中でブチッと何かが切れる音がした。







 前田はいつも通りの早い時間に校門を潜る。

 周りには部活動に励む生徒の姿はあるモノの、それ以外で登校している者はほとんどいない。

 この学校は別に校則が厳しい訳ではなく、時間になれば校門を閉められてしまうが逆に言えばそれ以外に厳しい所は見受けられない。

 体育教師が厳しく目を光らせているが、それでもなんやかんや甘い所もあり、ある程度なら個性として許してくれる。それもあり、髪を染める者、制服を改造する者から着崩す者、チャラチャラとしたアクセサリーを付ける者まで多様に存在する。

 ただ、朝早いこともあってそう言った個性の強い生徒たちもまだ登校してはいない。彼ら彼女らの様な人種は時間ギリギリにならないと姿を現さないのだ。

 前田は運動着を着て汗を流す生徒たちを横目に下駄箱で靴を履き替えると教室へと向かう。

 体育館や校庭と違い廊下に人影はなく外と比べて静まり返っている。

 そんな中、前田は「おはよう」と言いながら教室の扉を潜る。基本的にこの時間なら少年はとっくに登校しているので、その癖でこのように挨拶をしているのだ。

 しかし、今日は少年からすぐに返事は帰って来なかった。なぜなら―――――


「ぐぎぎぎぎぎっっ」

「あ、前田さん。おはよう」


 つい数日前に転入してきた孤乃葉が少年の首を絞めていたのだ。

 少年は自身の首に絡みつく腕の間に手を入れて何とか抵抗しているが、あまり意味を成していないらしくどんどん顔が赤くなって行っている。


「あ、あのさ、学校を殺人事件の現場にしようとしないで」

「ごぐぐぐぐぐっっ」

「今制裁中だから待って」

「制裁?」

「朝、ちょっと騙されてジュースでベトベトにされたから」


 孤乃葉はそれだけ言うと締め付けをより強くしていく。


「~~~~~~~~ッッッ!!!」


 少年は足をバタバタとさせた後にぐったりとして動かなくなった。

 ビクビクと痙攣しているが、孤乃葉はそんな少年を気にせずそのまま放して地面に倒した。

 地に伏せても少年はしばらく痙攣し、数秒後には逆にピクリとも動かなくなった。


「お、大宮くん・・・?」

「はっ!? 黒いローブにガイコツ顔で大鎌を持った連中がっっ!!」

「花畑ですらないのっ!?」


 少年の狂言に前田は見事なツッコミを返す。

 ただ、そんな冗談を言えるぐらいには余裕である事にホッと胸をなでおろす。


「ね、ねえ、風見さんに何したの・・・?」

「メントスコーラを知らないみたいだったから、メントスコーラをやらせてコーラまみれにした」

「それは・・・うん、怒られても仕方ないと思うよ」


 流石に首を絞める程の事では無いと思ってはいるが、それでも少年のやらかした事を踏まえれば何かしらの反撃を受けるのも仕方が無いだろう。それでも首を絞めるのはやり過ぎだが。

 少年は首に手を当てて左右にコキコキと調子を確かめてからスッと立ち上がる。

 そんな姿を横目に孤乃葉は思案する。


 今現在、街は平穏に見えて裏では二つの組織とそれに影響された集団が牽制を重ねており、何かしらの切っ掛け―――それこそ水中に存在する気泡が破裂した程度の僅かな事でも街は戦場と化すだろう。

 孤乃葉にとって街に居る不特定多数の人間がどうなろうと関係ない事だが、関係ないと切り捨てる事の出来ない人間はいる。

 少し視線を動かすと、件の少年と楽しそうに会話する前田が映る。

 クラス委員長という立場とはいえ、孤乃葉に気を懸けて様々な事を教えてくれる所謂善人に含まれる人間。前までなら無視していただろうが、情という物が湧き始めている今、それをどこかで失いたくないと思ってきている。

 不要としたい感情ではあるが、それを切り捨てる事ができない辺り孤乃葉はまだ幼いのだろう。

 そして、その感情を覚えたからこそ断言できる事がある。


(きっと、アイツもそうなんだろうな)


 前田と駄弁っている少年の顔は、あの日の様な鋭い眼ではなく、引き締まった口ではない。何よりも楽しそうで、何よりも幸福そうで・・・・・・。

 その瞳の奥には何か決意したような色が伺える。

 それが何なのか、孤乃葉はすぐにわかる事になるだろう。そして、それと同時に少年の自分を支える性という物がどれだけ狂気じみているのかを理解するだろう。







 少年はビルの屋上の端に腰掛けて街の様子を観察する。

 人々が行き交う雑踏のような光の届く場所は平穏のように見られるが、逆に光の届かない場所は不穏な空気が蔓延している。

 ジッとそれを見ながらまるで何かを待つかのように無言を貫いている。

 そんな少年の背後に現れた孤乃葉はその姿を見ながら静かに呟く。


「何、やっているの?」

「人間観察」

「・・・・・・何かを待っている様に見えるんだけど?」

「何も待ってねぇよ。・・・・・・何も起こらない事が一番なんだからよ」


 少年は街から視線を外すことなく受け答えをする。その声からは普段の様な軽い色が消えている。

 真剣な顔のまましばらくそのままでいたが、フと街から視線を逸らして立ち上がった。


「帰る」

「あら、もういいの?」

「暇は潰せた。明日も学校なんだ、遅くまで起きていれないんだよ」

「サボリ魔として有名な人間の言うセリフとは思えないわね」

「言っておくが、サボりたくてサボってるわけじゃねぇよ」


 ため息混じりにそう返しながら非常口の方へ足を向けると、さっさとその場を立ち去る。

 それを見送り、一人残された孤乃葉は少年が今まで見下ろしていた街に視線を向けた。

 何でもないような雑踏の中に居る人は街に蔓延っている不穏な空気に気付いておらず、今後もこの平和がずっと続くと思っている。

平和ソレ』が今すぐにでも壊されてしまうかもしれないというのに。

 そんな街の雑踏を駆け抜けていく一つの影は、誰もが思う『平和』という形無き物をどのようにして守るのか、それは今の孤乃葉には分からない。

 だって、今まさに人とぶつかってしまいペコペコと頭を下げている姿に希望を見出せとか選択するであろう未来の運命を想像しろとか無理な話だから。うん、無理。

 孤乃葉は少し拍子抜けした気分でビルの屋上を去った。




 ▼




 少女は全力で夜の道を駆ける。

 後ろからはガラの悪い男たちが数名追いかけてきており、逃げる先が袋小路である事は理解しているが大通りへと向かおうとするたびに先回りされてしまい思うように逃げる事が出来ない。

 武器なんて携帯しておらず細い体では男数名に対して抵抗できる策なんてものはない。

 その白く一部分だけ異様に伸ばした髪を尻尾の様に揺らして走っていたが、ついには挟まれてしなう。


「っ!」

「なんだよ、嬢ちゃん。逃げるこったぁないだろ?」

「そうそう。別に痛い事をしようって訳じゃないんだからよ」


 少女の背後から近づいて来ている男はニヤニヤと笑いながらまるで見下したような口調で言う。


「アンタ、『不将協会』の過重負債者だろ? だったらよ、こっちの話を聞いてくれたっていいだろ?」

「・・・・・・」

「だんまり、か。こっちのいう事を聞いてくれれば幾らでも金を出してやるぜ。借金返済したいだろ? 別に難しい事じゃない。『不将協会』の事務所にこの盗聴器を設置して来るだけだ」

「・・・・・・」

「おいおい、さすがにだんまりし過ぎだろ」


 男は呆れたように呟く。


「別に悪い話じゃないだろう? 俺たちは情報が得る事ができて覇権を握れる。お前は今の奴隷生活から解放される。互いに利しかない、なんでそんなに警戒するんだ?」

「・・・・・・」


 少女は答えない。その態度に男は苛立ちを隠すことなく、少女の行く手を阻んでいた男に視線を向ける。


「犯せ。こういうヤツには立場を分からせてやるのがいちば、


 男がそこまで言ったところで、突然、行く手を阻んでいた男の体がグラリと揺らぎそのまま地面に倒れ伏す。

 突然の事に驚き思考に僅かな隙間が空き、次の瞬間には視界を靴裏が覆った。


「邪魔!!!!」


 少年の蹴りが男の顔面を正確に捉えてその体を少し浮かす。さらに、ぐらりとバランスを崩した所に正確に腹部へ掌底を喰らわせてその頭を強制的に下げさせるとカチ上げアッパーを撃ち込みその意識を完全に奪った。


「ったく、人が街の様子を観察するついでにランニングしてた所で妙なことしてよォ。ランニングの邪魔するなボケ」


 そんな無茶な事を言いながらも少年は男のベルトを外してその腕を拘束する。


「大丈夫か、ってこの前ぶつかってきたヤツじゃん。どした? ナンパでもされてたのか?」

「・・・本当にそう思ってる?」

「いいや、まったく」


 自分で言い出しておいてなんだと少女は思う一方で少年の介入に安堵する。

 武器らしいものを持たない今の状況で襲われたらどうなっていたかは想像に難くない。


「えっと、アンタは『不将協会』の下っ端なんだっけ? 大丈夫か?」

「え、ええ。大丈夫よ」

「ならいいや。・・・・・・どうする? 家まで送って行ってやろうか?」

「・・・・・・『不将協会』の事務所まで行ければいいわ。届けなきゃいけない資料があるから」

「ほ~ん。まあ、いいや。それじゃ行くか」


 少年はそう言うとスタスタと歩き出す。少女はそんな少年の後を少し警戒しながらついて行くのだった。

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