第2話 『静かな時間』

 朝四時を過ぎる頃、とある民家の玄関扉が開き一人の少年が姿を現す。

 まだ月が宙に浮かび朝焼けがようやく街を照らし出したばかりという時間帯にも関わらず少年は足を踏み出す。街はまだ寝静まっており静寂が辺りを支配していた。

 肌寒い夜風が肌を撫でるが、ランニングを始めた少年の体を冷やすに至る事は無かった。

 そうしてどれほど足ったのだろうか。少年は街に掛かる大きな橋近くにあるベンチに腰掛けて自動販売機で買ったジュースで喉を潤していた。

 ただ、その顔は不快そうに歪んでおり苛立ちを一切隠していなかった。そして、少年は深くため息を吐くと面倒くさそうに呟く。


「何見てんだよ。こんな朝っぱらからストーカー行為とか暇人なのか?」

「・・・・・・気付いてたんだ。それにしてはずっと放置していたみたいだけど」


 暗闇に溶け込んでいた孤乃葉がそう言いながら姿を現す。

 その服装は学生服ではなく初めて出会った時の忍び装束であり、顔には狐の面を被っていた。


「あんたこそこんな朝っぱらから何してんのさ」


 孤乃葉はそう言いながら少年の座っているベンチの反対側にドサッと座る。


「あ? トレーニングだよ。ランニングで体力作り」

「随分と地味な事をしてるんだね」

「当たり前だろう。筋力も体力も知力も含めて全て持続的な積み重ねによって生まれる。お前だってトレーニングぐらいやってるだろ?」

「確かにやっているけど・・・。それで? 普段からどれだけやってるのさ?」


 この質問は少年の力の秘密を知りたい孤乃葉がずっと聞こうと思っていた確信そのモノである。

 面で隠れているがその顔はわくわくを一切抑える事ができておらず、傍から見れば新しいおもちゃを前にした子供に見えたかもしれない。


「腕立て伏せ一〇〇回、上体起こし一〇〇回、スクワット一〇〇回。そしてランニング一〇km」

「どっかのハゲマント?」

「ランニング以外を行って体を解してから本トレーニングに入る」

「あのハゲよりも多くやっているのかい!」


 少年の発言に孤乃葉はついツッコミを入れてしまう。

 朝早いが故に人気が無くこのような会話をしているが、あと少し時間が経過し夜が明けて行けば孤乃葉の見た目は異常でしかなく悪目立ちしてしまうだろう。ちなみに、少年はその事に気が付いているが一切指摘するつもりはない。

 そんな義理も無ければ義務も無く、与えてやる優しさもない。


「プロレスラーなら一〇〇〇~三〇〇回のスクワットとかは当然らしいぞ。それに比べたら少ないだろ」

「言っておくとそれは仕事だからであってあんたは一般人」

「よく分かっているじゃないか。俺はただの一般人だからこそ鍛えないといけないんだよ」


 少年の言葉に孤乃葉は軽くため息を吐き呆れたような視線を向ける。

 もちろん少年がただの素人で一般人であることは十分に理解している。理解しているからこそ平気でそんな事を言う彼にプロの視線としての呆れが出てきているのだ。


「・・・所で、何飲んでるの?」

「モン〇ターエ〇ジー」

「もん・・・? それって美味しいの?」

「カフェイン接種の為に口にしているだけだから美味い不味いは考えてねェなァ」


 少年はそう言って空に視線を向けて、そして気怠そうに、それでいて疑問を解消する目的で呟く。


「ってか、お前モ〇スター〇ナジーの事知らないのかよ」

「まあねぇ。普段は・・・・・・っと私の事は話さないよ。私にだって守秘義務があるんだ」

「守秘義務、ねぇ。まぁ話したくねぇなら追及する気はねぇさ」


 疑問は残るが、下手に首を突っ込もうとは思わない。

 そもそも何か聞き出したとしてそれに利点があるとは思わない。実際少し気になっただけなので数時間後には完全に忘却しているだろう。

 少年はゆっくり立ち上がると近くにある自販機まで歩き、金を投入してボタンを押す。ガコンという音と共に出て来た缶を掴んでまたベンチに座る。

 そして、その缶を孤乃葉の方へと向ける。


「ほれ、飲んでみな。口に合わなければ捨てればいい」

「何も返さないよ」

「いいさ、別に恩を売ろうと思ったわけでもない。気にしなくてもいいしさっさと忘れろ」

「ふん。そうさせてもらうよ」


 孤乃葉は缶を開けてそれを喉に流し込む。

 ただただ甘くパチパチと弾ける炭酸が口内に刺激を与えてきている。美味しさなんて無い、甘さだけが脳へ伝わっている。


「甘いだけだね、ホント」

「ああ、そうだよ。だから美味しさなんて求めてない。口に合えばそれでいい」


 少年はベンチ隣にあるゴミ箱に自身が持っていた缶を投げ捨てた。

 それは休息の終わりを表しておりこれ以上会話をするつもりはない事の表れだった。


「そんじゃ、俺はまた少し走るからまた学校でな」


 それだけを呟くと返事を聞くことなく朝日が照らし始めた街へ駆け出す。

 数時間すれば学校が始まる。それまでにランニングと最低限の筋トレを終えて制服に着替えて登校する。

 それが少年の平凡な一日の始まりである。




 ▼




 大きなあくびをしながら少年はいつも通り学校を出る。

 今日も一日何もない学校生活を終わらせて眠気眼を擦りながら帰路を歩く。

 背後からなんやかんやと声を掛けられているがそれをまるっきり無視して向かう先は市立の図書館。家に帰る気は無く、外でするべき事を終わらせるのだ。


「だーかーらー!! 無視をするな!!」

「うるさい」


 少年は孤乃葉の声をその一言で切り捨てる。

 ホームルームが終わってからずっと絡んできているのだが、特に話す意味も話す事柄もない少年からすればそれに反応する理由は一切存在しない。むしろ反応するだけ無駄である。

 ぐちぐちくだぐだと小言を言われるがそれも全て無視している内に図書館へ着く。


「ホントさぁ、その図太い神経は色々な意味で惚れ惚れするよ」

「誉め言葉として受け取っておこう」

「皮肉だよ」

「ひき肉?」

「耳腐ってるみたいだし斬り落としちゃえば?」

「残念な事に俺には耳なし芳一になる趣味は無いんだなァ」


 少年が言葉を返してくた事に孤乃葉は内心どこか喜びながら何気ない会話をする。

 ただ、どこか楽しそうな孤乃葉に対して少年は限りなく面倒くさそうな態度をモロに出している。実際面倒くさい。

 なんで自分に関わって来るのかも絡んで切るのかも全く理解していなければその事に意識を向けようなんていう気もない。一切、一ミリ、一ミクロンもない。


 図書館二階で幾つかの本を掴むと、近くに設置されている机にそれを置いて腰を掛ける。このスペースは学生や浪人生が受験に向けて勉強をする為に設けられており、辺りを見回せば同じように参考書類を積んでペンを動かしている者が多々いる。

 少年は本を開いて中身をじっくりと読んでいく。暗記する気はない。記憶の片隅にでも入れておけばそれで十分だ。

 ペラペラと頁を捲り視線を左右に動かす。

 そうしていると少年の正面の席に誰かが座る気配がしてゆっくりと視線を上げた。


「ごめんね遅くなっちゃって」

「大丈夫だ。適当に本読んで時間潰してたから。委員長としての仕事が多かったのか?」

「うん、主に君関連で」

「おっと、それはすまないと謝っておこう」


 少年は本を閉じて横に置くと軽く頭を下げた。前田は軽くため息を吐くと少年の隣に視線を向ける。

 そこには今まで無視されて完全に不機嫌になっている孤乃葉がいる。


「風見さんも来てたんだ」

「ん・・・」


 ご機嫌斜めであることは確実だった為、前田はこれ以上なにも追及しない事を決める。どうせ何を言っても変わらないだろうし。

 前田は学校指定のバッグからノートを取り出すと少年の方に向き直る。


「それじゃあ、今日の午前の授業でやった範囲は・・・」


 少年はノートと教科書を開きながら前田に勉強を教わる。午前中は基本寝ている為にこのように授業内容を教わっているのだ。

 これがあるからこそ寝ていても授業に付いて行けている訳でこれが無ければ成績は確実に落ちていただろう。

 そうして一時間と十数分が経過し、勉強を終えて少年はグッと背伸びをする。


「大体わかった」

「本当? まぁ、君がそう言うならいいけど」


 前田も凝りを解すために体を伸ばす。


「君は私が見た感じだと自頭は良いんだからもっとしっかりと勉強した方が良いと思うよ」

「眠いんだよ」

「ちゃんと夜寝てるの? いつもいつも眠そうにしているけど・・・」


 教室内で最も少年と関わっている者とすれば毎日に用に眠そうにしていて、毎日のように午前中に寝ている姿は心配の対象になっている。

 寝不足は集中力と記憶力の低下に繋がる大きな原因になる。学生と言えば学業が本分だ。それを疎かにして不真面目に生活しているその姿は教師からも良く思われていない。

 内申点が低ければ進学の際にも不利になる。彼自身にその事を気にする素振りはないが、現代社会では何かしら専門的な技術がない限りは少なくとも高校卒業をしておかないと就職の際にも不利になる。

 他人の将来の事なんて無視すればいい話だと思われるだろう。でも、前田は命の恩人である少年について自分の将来の事並みに意識を向けている。

 だからこそこのような事を言っているのだ。その姿を見て孤乃葉は詰まらなそうに呟いた。


「コイツ、朝四時からマラソンしてたわよ」

「おいおい、何をさらっとテメェのストーカー行為を暴露してるんだよ」

「ストーカーじゃない!」

「「図書館では静かに」」


 孤乃葉の声に周りの視線が一気に向く。その視線の中にはギラギラした獣の様なモノもいくつか存在しており、殺意の様なモノすらも感じ取られた。

 おそらく浪人生だろう者たちが一番殺気立っており中には持っていたペンを握りつぶして怒りマックス超サ〇ヤ人みたいになっている者すらもいる。


「・・・・・・しゃーない。もう出るか。誰かさんのせいで居づらくなっちまったからな」

「うぐっ・・・」


 ジト目で皮肉を言う少年の言葉に孤乃葉は何も返せなかった。

 三人は荷物を纏めるとそそくさと図書館を後にする。もう日は落ちて夜闇が街を包んでいた。まだ少し肌寒い風を浴びながら少年は二人にクルリと向き直る。


「そうだ。これからカラオケに行かねぇか?」

「あー、ごめん。私、塾あるからまた今度誘って」

「わかったわかった、また誘うわ。・・・そんで、テンプレはどうする?」

「それは私の事かキサマ」


 まさかの呼び方に孤乃葉はツッコミを入れた。ただ、名前を一切覚えていない少年からすればそう呼ぶ他方法がないのだ。

 少年は人の名前を覚えるのが苦手なのである。正確に言えば覚える気が全くない事も大きな要因となっているのだが。


「じゃあ琴之h」

「その名前で呼ぶな」

「呼べと言ったり呼ぶなと言ったりどっちなんだ」


 論点が完全にズレている。

 孤乃葉は本名で呼ぶように語っているのに対して、『名前』と言うモノに対して執着も特別視もしていない為に呼べれば何でもいいと思っている。何なら名刺を受け取ったとしてもさっさとポケットにねじ込む自信がある。

 その為、プロが使っている通名と実際の本名がどうだろうが一切気にしていないのだ。例を挙げるならパチカスの金髪の男がそうだろう。少年は彼の事を『パツキン』としか呼んでいないのは名前を憶えていないからである。

 それ故に論点が完全にズレてしまっているのだ。


「孤乃葉。覚えときなさい」

「分かった分かった。そんで、風見はカラオケ行くか?」

「覚えてるじゃないっ!!」


 覚えていなかったわけではない。下の名前を言われて昨日言っていたフルネームを思い出しただけだ。そして仲良くもない人物に対して親しげに下の名前で呼ぼうと思う程少年はフレンドリーではない。

 誰と関わる上でも苗字呼びなら間違えはほとんどない。下手に近すぎず遠すぎず絶妙な距離感を持てると少年は思っている。


「それで、どうする?」

「行く。今まで行った事無いから気になるし」

「そうか」


 少年は短くそう言うと前田の方へと向き直る。


「そんじゃ、また」

「しっかりと学校来るんだよ。あと、不純性行為だけは駄目だからね」

「生憎とンな事に興味はない」

「そっか、それじゃあまた明日ね!」


 前田はそう言うと大きく手を振って去って行った。それを見送ってから少年は駅前へと足を向ける。

 何の声掛けもなく行こうとした少年の後を孤乃葉は慌てて追いかけた。

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