第5話 『闘争』

 目的のビルまで辿り着き少年は一息つく。

 いくら何でも人一人を抱えてビルとビルを飛び越えるなんて行為は極端に体力を消費する。心臓はバクバクと鼓動を強めており息が荒くなっていた。

 少年は大きく息を吸って、静かに吐き出す。細かい酸素供給ではなく一度に大量の酸素を得る事で半ば強制的に体力を回復させているのだ。

 そうして、ある程度疲れが取れた所で非常階段を封鎖している簡易的な扉のノブを掴もうとして、


「チッ」


 小さく舌打ちをした。

 そうして、抱えていた優歌をソッと降ろす。


「大宮、さん・・・?」

「不味った。追跡を諦めたんじゃない。―――誘い込まれた」


 少年はそう呟くと同時に後方から飛んで来た飛来物を正確に蹴り落とす。


「随分と、手の込んだ事をするもんだな」


 キッと鋭い瞳で棒手裏剣が飛んで来た方へと視線を向ける。そこにはスラリとした体形で狐の面で顔を隠した少女がいた。

 狐面の少女は少し感心したような声で口を開く。


「今のを防ぐって事は、そのスニーカーには何かしら仕込んであるのかねぇ」

「話すと思うか?」

「いいや。思わないしある程度は理解した。それじゃぁ動き辛いだろう」

「慣れればこれ以上に快適な靴は意外と見つからないぞ」


 狐面の少女に軽くそう返しながらも少年は退路を確認する。

 少年にとって別にここで確実に戦わなければいけない理由はないし、逃げる事に対しての抵抗は一切ない。そもそも面の男たちを撃退したのも追跡されて邪魔だったからでしかない。

 だからこそ今すべきことは逃げの一手である。だが、


(逃がしちゃくれないんだろうなァ)


 狐面の少女に隙のようなものは見られず背を向けたら即座に殺される自身がある。

 少年はあくまでも一般人の中学生でしかない。幼少期から武道家の祖父に大自然の中で鍛えられ祖父の師匠の下で鍛錬し悪の大魔王を打倒した野菜の人でもなかれば、落ちこぼれ扱いだったが実は幼少期に狐の大妖怪をその身に封じ込まれていた忍びの者でもない。どこまで行っても一般人なのだ。

 逆に狐面の少女は幼少期から鍛えられ鍛錬を受けたプロフェッショナルである。


 この世には一万時間の法則と呼ばれる理論が存在する。

 一万時間―――これはジャンルを問わず一流と呼ばれるプロフェッショナルが積み重ねた鍛錬の時間が最低でも累計で一万時間だったというモノだ。大雑把に計算しても一日に三時間と少しの鍛錬を毎日繰り返して約一〇年もの月日を必要とする、そんな理論である。

 もちろん、これに対して否定的な意見も存在しており鍛錬時間イコール実力でなく、人それぞれの才能やセンスに依存して行く所もあるだろう。

 だが、少年はあくまでも一般人だ。鍛錬を積んだプロフェッショナルと正面から戦えば確実に敗北すると少年は考えている。―――それは少年の基準、、、、、で考えて出た結論なのだが。

 大きく息を吸って再度全身に酸素を届ける。

 戦闘をするにしても逃走をするにしても酸素を取り込むことに不都合な理由はない。


 そうして、少年は月明かりに照らされた狐面の少女の前進を観察する。

 ポニーテールでまとめられた月のように金色の髪と、まるでテンプレートのように太ももを出した白いミニスカートの着物にぴっちりとした網タイツ、それと同じ素材で作られているであろう二の腕まである網手袋と前腕にだけ甲冑を付けた姿。

 それを認識した少年は大きなため息を吐いて折角取り込んだ酸素を無駄にしてまで苦言を呟く。


「テンプレ過ぎる。帰れ!」

「テンプレ過ぎます。やり直し」


 少年と優歌は狐面の少女に辛辣な評価を付けた。

 ただし、テンプレを詰め込んだような見た目のくノ一少女に対しての評価とすればこれ以上のモノは存在しないだろう。というよりもあまりにもテンプレ&安易な姿なので「テンプレ」以外の評価のやり方がないとも言える。

 二人の辛辣な言葉に狐面の少女は頭に青筋を浮かべる。


「・・・調子に乗るのも大概にしろ」


 狐面の少女はそう呟くとギッと少年を睨む。そして、


「私の眼を見ろ」

「あ?」


 少年が反射的にその言葉通り狐面の少女の眼を見る。

 瞬間、少女の眼が怪しく光る。

 まるで渦のように吸い込まれるような光を見た少年の動きが止まる。


「そう、そのまま動くな。・・・・・・運が悪かったね。私は”魔眼”持ちなんだ。どうせ君は裏の”上澄み”の人間なのだろうね。だとしたら”深部”の私にはどうやっても勝てない」


 狐面の少女はそう言いながら一歩一歩正確に足を出して距離を詰めていく。

 少年は腕をだらんと脱力させて一切動かない。

 そうして、夜風が吹き付ける中、二人の距離が一メートルを切った時、狐面の少女はニタリと笑いながら言った。


「相手が悪かったね」

「何言ってんだオマエ」


 ドスッと少年の拳が狐面の少女の鳩尾を正確に撃った。


「カハッ・・・!!?」

「おいおい。何の対策もなく距離を詰めたのかよ、バカか?」

「うぐぅ・・・」


 腹を抑えて口から唾液を漏らしながら狐面の少女は何とか後ろに跳び距離を取る。

 その思考は痛みと疑問で上手く定まらずただ疑問を浮かべては消していた。

 “魔眼”はこの世界で最も珍しいと言っても過言ではない先天的な力であり、持っているだけで強者の証と言える代物であった。その眼は強力な魔力を持ち使いこなせば人を超える力を得る事だって可能だ。

 しかも、狐面の少女の”魔眼”はその中でもさらに珍しい精神干渉系の能力持ちであり、それは一切鍛えていなくても発動させるだけで『退魔師』と呼ばれる者たちすらも対策をしなければ簡単に縛られてしまう程強力なモノなのだ。

 狐面の少女はこの才能のうりょくを持ち一族の筆頭に立ったのだ。

 だというのに、目の前の少年に効いた様子はない。


「ケホッ・・・。まさか、”深部”の人間だったのか」

「? さっきから何言ってるのか分からねえが、俺はただの中学生だよ」

「嘘を言うモノじゃないよ。ここまで到達して、“魔眼”を防いだ時点でこっち側の人間なのは確実だ」

「だから、その“魔眼”ってなんだ? 中二病の極致にでも至ったのか?」


 少年は眉を顰めて困惑の色を一切隠すことなく前面に押し出した。

 その姿が嘘を言っていない事を暗に示しており、それがこの場に雰囲気に大きなズレを生み出している。

 狐面の少女はプロだ。まだ年齢的には若いがそれでも腕は一流でありそれなりに場数も踏んでいる。

 だからこそ相手の声色から事実なのか虚偽なのかがある程度分かる。

 だからこそ少年の言葉に嘘偽りが無い事が容易に掴むことができた。


「ッ・・・!!」


 ドッと汗が噴き出す。

 目の前の少年はあまりにも普通で平凡な見た目をしている。裏では自身の正体を隠すためにそういった格好をする者は多いが、それとは色が違う。

 あまりにも自然にそれを纏っているのだ。

 狐面の少女は荒く息をしながらそれでも平静を装い、口を動かした。


「お前、何者だ・・・?」

「大宮さとし。偶然、誘拐事件についての話を聞いたただの中学生だよ」


 少年はそう呟くと一歩、足を踏み出す。

 その迫力に押されて狐面の少女の足が一歩下がった。


(っ・・・。ビビっている!? 私が? こんなヤツを相手にっ・・・!?)


 焦りが思考の中を支配し始める。

 少年の名前に聞き覚えは無かった。裏で名乗る名前は基本的に偽名又は通名であることが多い。そもそも名前を持たない者すらもいるぐらいなのだ。だからこそ聞き覚えが無くても不思議ではない。

 だが、先ほどと同じように少年の声に嘘の色はない。つまり、本名をそのまま語ったという事だ。

 それ故に異質・異様・異物。この世界には一切似合わないその存在に対して狐面の少女は本能的に恐怖を覚えた。

 思考が定まらない間にも少年は一歩一歩足を踏み出している。


「あ、ああ・・・・・・っ!!!」


 少年との距離が手を伸ばせば届くほど詰まった時、狐面の少女は懐から取り出した短刀を振るう。

 避ける事の出来るはずの無い距離。電光石火とも評されるその斬撃速度。


 それを、少年は重心を少し後ろに傾ける事で簡単に回避した。


 あまりにも、あっさり。

 あまりにも、簡単に。


「なッッ!?」

「フッ!!」


 それを前に一瞬思考が止まる。

 隙としては、あまりにも大きく致命的な時間。この世界で生きている人間にとっては攻撃を仕掛けるのに十分な瞬間を狙ったように少年は拳を振るう。

 狐面の少女は腰を落としてそれを避けると下から短剣を振り上げる。その軌道は確実に首を捉えていた。

 避けられるタイミングではなく、確実に動脈を斬り裂ける攻撃だった。それを、少年はグルンと体を捻り態勢を反転させる事でそれを避けると同時に振り下げていた拳が降り上がり狐面の少女の顎を殴り飛ばした。


「いッ!!」


 無茶苦茶だ。あまりにも無茶苦茶な動きだ。

 素人の動きではない事は確かだしそもそもプロでもできるかどうか怪しい。

 体勢的に力の乗るはずが無い攻撃は狐面の少女に大きなダメージを与えなかったが、その狐の面を弾き飛ばした。

 少年は体の回転の勢いをそのままにグルンと体勢を整えると後方にステップをして一定の距離を取った。

 そして、眉を顰める。


「あ? 日本語ペラペラ喋ってるから普通に日本人だと思ってたが、異国の人間だったか?」

「・・・・・・ハーフだ」

「ハーフ、・・・そうか。すまないな変な事を聞いて」


 少年は少女の透き通るような青い瞳を真っ直ぐ見ながら謝罪をする。その謝罪すらも少女からすれば感覚をずらされる行為なのだが少年にそれを意図した様子はない。

 狐面の―――ハーフの少女は小さく舌打ちをした。

 目の前の少年には裏はあれど基本的には素直だ。戦いにおいて絡み手を使ったりはしているモノのそれは基礎中の基礎でありやって当然・やれて当然と言った技術だ。

 だが、彼から嗅ぎ取れる匂いは裏で生きる者とは違う。どちらかと言えば表で生活をしている―――日向で生きている存在と同一なのだ。

 そんな存在が幼少期から鍛錬を積んでいる自分と戦えている。それは少年の技術・技量的には自分と大差ないという事だろう。・・・・・・多少荒っぽい所はあれどかなり洗練された動きである。


 そして、その事実は少女の心を震わせた。


 表で生きている者が、裏の知識をほとんど持っていないような者がなぜそこまで強くなれたのか。なぜ魔眼が効かないのか。疑問が興味に変化して行く。

 本来なら目標ターゲットを回収すれば少年と戦い必要はどこにも無い。だけど、興味心がそれを許そうとしてくれない。

 ゴクリと生唾を飲んだ。

 気になる、その力の源が。気になる、その技術の付け方が。欲しい、その全てが。

 だから、ハーフの少女はニヤリと笑って言う。


「行くよ。私の本気、見せてあげる」

「そうかそうか。俺は弱いから手加減してくれた方が嬉しいんだけどなァ」


 弱い、か。それは嘘だろう。

 油断をしていたわけではない。だが、今思えば彼の腕前は先ほどまでの行動から全て裏付けられていた。

 下人たちだってプロでありしかも複数人で襲わせたのにその全てを捌いた。その時点で弱くない事は確定されているし、催涙弾を受けても戦えた五感の鋭さは一朝一夕で身に付くほど簡単なものではない。

 ハーフの少女は自分の視野の狭さを反省する。素人だと思い油断をし舐めていた。

 だからこそ、全てを出す。侮り蔑んでいた事への詫びを込めて。


 大きく息を吸う。酸素を取り込むと意識を集中させる。

 そして、フッと思い至り口を開いた。


琴之刃ことのは。私の通名」

「そう呼べって事で良いか? まあ、多分すぐに忘れるだろうけどな」


 少年はそう答えると左手の甲を右手で撫で、臍辺りに当てると横に伸ばす。

 その動きが何を意味しているのかなんて琴之刃は知らない、だけど、少年の雰囲気が大きく変化した事だけは分かった。ああ、きっとあれが少年のルーティンで、ここからが彼の本気なのだろう。そう思うと同時に先ほどまで全力ではなかったという事に冷や汗を流す。

 ヒリヒリと緊張が高まる中、最初に踏み出したのは少年だった。

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