第4話 『逃走』

 薄暗い部屋で少年と少女の視線が交差する。

 令嬢の姿を知らない少年はその姿を上から下まで眺める。

 ボブショートヘアーの蒼い髪にエメラルドの様な瞳、その体は年相応の幼さを持っており――――端的に言えばツルペタロリボディそのものであった。

 少年は大きく息を吸って意識を落ち着けるとベッドの上に座る少女に話しかけた。


「なあ、幼女。お前が『早川財閥』のお嬢様か?」

「あら? もしかしてあの話、、、を聞いて全力を出してしまった方かしら? それなら残念でしたね。それは、」

知ってる、、、、。そんなのは関係ないさ」


 少女の言葉を遮り少年はそう断言する。

 一切の躊躇も迷いもない言葉に少女はキョトンとした表情を浮かべてからクスクスと笑った。


「知っていて来たのだとしたら相当のお馬鹿さんですね。・・・どうです? その勇気に敬意を称して私のココ、、を使わせてあげましょうか?」

「残念。生憎と興味がないしそんな時間もない」


 自分の腹―――より正確に言うなら臍より上を撫でてとろんとした表情をする少女を無視して少年は室内に設置されているタンスを開く。

 適当にタンスをひっくり返してそこに入っている服を放り投げる。


「さっさと着ろ」

「本当に興味が無いんですね。男の人って少し誘惑すればすぐに飛びついて腰を振るお猿さんになるモノばかりかと」

「もう一度言う。さっさと着ろ。M字開脚して秘筋を見やすいように指で広げるな。こちとら時間がねえんだよ」


 少年はため息交じりにそう言う。時間を確認すれば設定したタイムリミットは残り一時間を切っていた。

 脱出路は幾つか用意してあるが、それでもここで止まっている余裕はそこまでない。

 深部から浮かんでくる不安を押し殺して少年が今後の動きを考えていると少女は少し俯きぽつりと呟く。


「・・・・・・無理、ですよ。ここには用心棒がいるんですよ。それも普通の用心棒ではなく、」


 少年は少女の言葉を最後まで聞くことなく地から足を話して重力加速に逆らう事無く伏せた。

 そうして、すぐさま前転する事でその場から離れると下半身丸出しで倒れていた男の懐に仕舞い込んであった警棒を掴み先端を前方に突き出すような形で構える。

 その視線の先には少し大柄で翁の面で素顔を隠した男がいた。


「・・・ったく。少しは殺気を隠せよ」


 面の男は何も言わずに懐からメリケンサックを取り出してそれを右手に付ける。ただのメリケンサックではなくギラギラとした棘の付いた物だ。

 睨み合う二人が駆け出すのは同時だった。

 振るわれる大振りの拳を少年は態勢を低くすることで潜りその手―――正確に言えばその手首を左手で掴んで引き寄せる事で面の男のバランスを崩す。だが、男はその流れの逆らう事無く前方に跳んで受け身を取ると素早く姿勢を立て直した。

 その巨体に反した身軽な動きに対応が遅れた少年に隙が出来ていた。一秒にも満たない僅かな物ではあるがその隙に狙い撃つように面の男の拳が少年に叩き込まれた。

 だが、


「ッ!?」

「生憎とこれでもある程度の場数は踏んでるんでな。恨むなら俺の事をシロウトだと思って油断していた自分を恨みな」


 ドサッと面の男は倒れた。

 少年は自身の胸部を手で押さえて息を整える。面の男から受けた攻撃は確かに少年の胸部に当たりメリケンサックの棘が刺さっていた。

 避ける事ができれば良かったが、そもそも体勢的に避けられる攻撃ではなかった。だからこそ少年は避ける事を諦めてカウンターとして面の男の喉目掛けて警棒を突き出したのだ。

 攻撃は喰らう事になったがそれでも痛み分けで面の男を突破できたのはラッキーだった。

 男の意識が完全にない事を確認すると少年は放り出していた学生カバンから救急箱を取り出して応急的に止血する。


「っ・・・。痛ェなァ。ハァ、ほら着替えたか? えっと、名前は何だっけ?」

「え? あえ・・・?」

「お~い、大丈夫か? 『早川財閥』のお嬢さん」

「は、はい! えっと、私は”早川優歌”です」

「そうか。俺は大宮さとしだ。・・・それじゃさっさとここから出るぞ。ここはあまり良い気配を感じない」


 少年はそう言うと優歌を抱き上げとそのまま部屋を抜け出して階段を下りる。

 一段一段を正確に踏んでいる余裕なんてなく、二段三段を平然と飛ばして足を動かす。だが、八階まで下りた所で少年は身を翻して階段を駆け上がった。


「やっぱり、そう簡単には脱出できないよなァ・・・」

「大宮さん! 後ろから先ほどの人と同じようにお面を被った人たちがっ!」

「分かってる。しっかり掴まって舌噛まないようにしてな。安全策で行きたかったが危険な脱出路を使うからよ」


 少年はそう言いながら一〇階の廊下を駆け抜けると突き当りの大窓のガラスを蹴飛ばした。

 ガゴオッという音と共に窓が枠から外れて落下する。大きく口を開いたそこを確認すると少年は一旦外れた窓枠から距離を取る。少し振り向けば面を付けた者たちが物凄い速度で追いかけて来ていた。

 それから視線を外した少年は前方に体重を向けて足を動かす。


「え、あの、大宮さ、」

「うぉぉおおおおおおおおおおっっ!!!」


 叫ぶ、吠える、走る。少年は一切勢いを止めることなくダンッッと窓から外へと飛び出した。

 飛ぶ先にあるのは道路を挟んだ先にある雑居ビルの屋上。

 少年は優歌を包むように体を丸めて屋上に着地すると同時に転がる事でその衝撃を受け流す。


「うっごぉぉおおおっっ・・・・・・」


 いや、完全に受け流す事は出来なかった。

 痛みで潰れたような声が口から洩れる。だが、少年はすぐに立ち上がると優歌に声を掛ける。


「怪我は、無いか・・・?」


 その言葉に優歌は涙目で何度も頷く。

 少年はそれを確認するとその場から離れる為に走り出す。その場から離れる、と言ってもここは雑居ビルの屋上でしかない。

 つまり、取れる手はさらに隣にあるビルに飛び移っては助走を付けてまた飛び移る事だけだ。階段の扉は防犯の関係上鍵が締まっており開くことはできない。ただ、ここから少し離れた場所に非常階段が設置されているビルがあるのだ。

 しかも無防備な事に常に鍵が開いており侵入し放題の穴場として。

 五棟ほど飛び越えた所で少年は舌打ちをして鬱陶しそうに叫ぶ。


「あ~! しつこいなァ!!」


 少年は屋上に設置されていた物干し竿を掴んで後方に向けて振るう。

 ガガガッと言う音と共に少年が振るった物干し竿に平型の金属武器―――手裏剣が突き刺さっていた。それだけでなく後方を見た少年の眼には先ほどの面の者たちの姿が映る。

 少年は額から汗を流しながら呟く。


「やるしか、ねェか」


 少年は今までのように加速してビルを飛び越えるかのような体勢に入り。――――柵を蹴飛ばして自身の態勢を反転させるように跳んで学生カバンからテーザー銃を取り出しトリガーを引いた。

 突然の行動に回避ではなく防御に入った面の男の一人に命中し、電撃がその体を襲う。ガクガクと激しく体を震わせてから倒れた男から視線を外すと、もう片方の面の男に向けて突進する。

 面の男は懐から手裏剣を取り出して投げて来たが少年は体を少し傾ける事で回避し、男に向けて学生カバンを投げた。―――まるでドッジボールで味方にパスするかのように優しく。

 そんな威力の無い学生カバンに脅威なんてなく面の男は軽く手で弾いた。そして、失敗に気付く。

 グチュッと嫌な音が鳴り面の男は口から泡を吹いて倒れた。

 面の男の股間を蹴り上げた少年は軽く息を吐く。


 別に、少年は特別何かをしたわけではない。学生カバンを投げて面の男の視界を塞いだだけである。

 人間は顔に向けて何かが飛んで来たら無意識的にそこに視点を向けてしまう。つまり相手の意識から少年を一瞬だけ無くす事ができる。その隙を突いて股間を蹴り上げたのだ。

 股間を抑えてピクピクと痙攣をしている面の男の顔面を蹴飛ばして完全に意識を奪ってから、その場から離れようとして―――即座にポケットから出したハンカチで優歌の顔を抑えた。

 ドンッと何かが炸裂する音と共に少年の視界・鼻腔を強い刺激が襲った。


「カハッガァァアッッ!!」


 足元で爆発した催涙弾の煙から少しでも離れようと足を動かす。

 目が痛み瞼を開く事ができない。開いたとしても涙が溢れ出して視界は不良である。


「お、大宮さんっ・・・!」

「黙っていろ」


 少年は冷たい声でそう呟く。

 先ほどまでのように柔らかさのある声ではなくまるで冷水のように冷たくどこか恐ろしく思える声。

 それを聞いた優歌は口を押えて僅かな息の音すらも漏れないようにする。


 風が吹く。まだ肌寒さの残る風を肌で感じ、少年はジッと動かなくなる。

 完全に意識を向けるのは耳。目が使えるようになるまではまだもう少しかかるだろう。

 少年の息が深く長くなる。その意識が何よりも敏感になる。

 そして、少年は体を屈めて振るわれた攻撃を避けると背後から襲い掛かってきた者の足を払い、見えない視界の中でも正確に喉仏を掴んで捻った。

 襲い掛かってきた者の唸り声を頼りに足を振り上げるとその脳天に踵落としを喰らわせた。


「あ~、くっそ。目がしょばしょばする」

「大丈夫ですか?」

「一応な。・・・・・・とりあえず離れるぞ」


 少年はそう言って再度駆け出す。

 目的地まではまだ距離があり、そこまでたどり着く事を最優先にする。

 足を動かし続ける中、ずっと抱き抱えられていた優歌はその体に腕を回して体を支えながら疑問に思っていた事を口にする。


「あの、大宮さん。なんで私を助けようと動いてくれたんですか? 情報は無かったでしょうに、どうして辿りつけたんですか?」

「あ? 助けようとした理由なんて特にねえよ」


 まあ、と少年は言葉を続ける。


「情報を知っていて何もしないで胸糞悪い事になったらさ、明日食う飯が不味くなるだろ」

「それだけ、ですか?」

「ああ、それだけだよ。それに、道さえわかれば辿り着くのは意外にも楽だった」


 少年は面倒くさそうに話し始めた。


「街のチンピラたちに対して『早川財閥』の爺さんが何億も出すなんて話がそもそも怪しかった。金さえ出せば『ナナシ』や『暗闇の使者』を雇う事なら簡単だろう。なのにチンピラを使って得たモノは現場の混乱。・・・あまりにも怪しすぎないか?」


 そう、あまりにも怪しいのだ。

 技量のある者に頼らず信頼性の低い者たちに大金を出す理由が理解できない。

 それこそロシアンルーレット六発中五発に弾を入れて引き金を引くような程低い確率に賭けるようなものだというのに。

『早川財閥』の権力者がそんな分の悪い事をするだろうか?

 財閥を率いて政界とも繋がっているという事は表では兎も角、裏ではそう言った組織と繋がっていても不思議ではない。


「俺はお前の爺さんの人間性は知らないが、財閥のトップであることを考えればそんな事はしないだろう。となるとその偽情報を流したのは現場が混乱して得をする存在―――つまりは犯人だな。そこまで考えられれば後は楽だったよ。んで、その次はお前が誘拐された瞬間を捉えた防犯カメラの映像。犯人の手際があまりにもシロウトだった。しかも落とし物をそのままにしていたのが本当に不手際も良い所だ。おかげで多少時間はかかったが辿り着けた」

「落とし物、ですか?」

「そう、このロゴの入ったピンバッジ。調べてみたらこのロゴはあの企業が出来た最当初、まだ従業員が一〇人にも満たない頃のロゴだ。情報が正しければ使われていた期間は二ヶ月以下。ピンバッチの持ち主は極端に限られてくる。しかも、この企業は今現在窮地に立っている」


 少年はニヤリと笑う。


「そこで狙ったのが大財閥の令嬢って事だ。金を引き出しつつ財閥に対して優位を取ろうとしているんだろうな。ったく、シロウトが考える事はぶっ飛んでるぜ。あまりにも机上の空論で理想論で空想論でしかない。それを実行に移せる金を持っているってのは厄介だなぁ。ま、馬鹿と金は使いようってな」


 柵に足を掛けてビルとビルとを飛び越えて再度駆ける。

 もはや手慣れたモノであった。


「実行犯は最初期メンバーの中でも一番社長と繋がりの近いヤツだろうな。誰かを雇うのではなく自分の手で行った当たりを考えればこの事実を知っているのはごく少数。優歌が監禁されていた部屋で倒れていた男共を含めても二〇人いればいい方だと思う」


 そう断言しながら少年がまたビルを飛び越える。


「凄い、ですね・・・。そこまで推理しているなんて」

「他にも推測している事はあるけど言わないでおく。優歌からしても聞かれたくないだろ?」

「あら? 気を使ってくれるのですか。それはまたお優しい事で。・・・・・・でも、大丈夫ですよ。きっと想像通りですから」


 優歌の言葉に少年は少し無言になる。

 元来、人との関わりが得意ではない少年なりに言葉を選んでいるのだ。らしくないと言えばそうなのだが、一応彼なりに気を使う事はある。

 それがあまりにも不作法で相手の神経を逆なでするような言葉だとしても少年なりに考えてはいるのだ。


「まあ、なんだ。心に傷を負っていないのならいいが・・・」

「傷、ですか・・・。きっと下手な傷よりも深いでしょう」

「・・・・・・そっか」


 少年はそれだけを言うとその後に何も続けず視線を正面に向けた。

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