第5部

ー八月十日午前三時 内閣危機管理センター

俺が目を覚ました時にはもうすでに、それは騒ぎになっていた。

北朝鮮が弾道弾を発射、海自の「みょうこう」が迎撃に対応するも失敗。何よりも重大なのが、弾道弾の中身は極超音速滑空弾ではないか、という話だ。

「超音速滑空弾とはマッハ5以上の速度で飛翔し、海面および地面の付近を迎撃網を回避して攻撃する兵器です。おそらく、現在のイージスシステムで迎撃が困難なのはこの兵器ぐらいだと」

淡々と分析を述べる市川の言葉を聞くのは総理だけだ。

「では、何を使っても防衛できないということか?」

「いえ、米軍の持っているTHAADの発展型、THAAD-ERが唯一の対抗策です」

THAADミサイルはイージスシステムと同じく、弾道ミサイル防衛の一角を担うシステムだ。

イージスシステムと違うのは配備箇所が地上である点と、迎撃距離が短いことだ。

THAAD-ERは射程距離を伸ばしたタイプになる。これにより、高精度での弾道ミサイル追跡が可能なAN/TPY-2レーダーと組み合わせて、超音速滑空弾の迎撃が可能になる。

「今、『みょうこう』の砲雷長が目撃者として市ヶ谷に向かっています。詳しい報告はその後になるかと」

「わかった」

見ている限りの率直な感想だがどうにも総理自身は物分かりの早い方らしい。人の話も官僚閣僚の分け隔てなく聞くようだ。

「市川君、もし、大使館経由で米軍にTHAAD-ERの配備を要請したとして応じると思うか?」

「それはほぼないでしょう。米国議会でTHAAD-ERの開発予算が計上された際に超音速滑空弾の迎撃能力について一切言及がありません。これは迎撃能力がないわけではなく、米国が他の諸国との緊張関係を高めないようにというものです。今、我が国に配備を行えば中国、ロシアとの対立が深まるのは明確です」

その回答を聞いて総理はうねりを上げた。

「わかった。また情報が入ったら教えてくれ」

そう言って席を立ったまま総理は一人で部屋を出た。

起きてから改めて部屋を見渡すと、部署関係なく人員が入り混じっている。

「松尾二佐」

俺が声をかけたのは情報本部統合情報部の松尾二等陸佐だ。

振り返ったその顔には少し無精髭が伸びている。

「着弾位置はどこですか?」

「まだ明確にはわかっていない。他のレーダーサイトの記録から、北海道の芦別岳の山頂付近だと思われる。」

松尾二佐がテーブルに地図を広げる。北海道の中央より少し左寄りの辺りに赤丸を描く。

「弾頭の回収は?」

おそらく、弾頭は着弾時、マッシュルーム状に広がり地面にクレーターを作る可能性が高い。つまり、回収しても原型をとどめていない可能性が高い。それでも情報としての価値はある。マッシュルームの開き方などから、着弾直前の速度までわかるはずだ。

「今、道警の公安課が回収に向かってる。」

答えたのは桜木警部補だ

「回収後、うちの防衛装備庁で解析する」

「了解です。分析が終わり次第、結果を伝えてもらえませんか?」

「制圧課の方にも欲しいわ」

「そっちは門外漢のやつばっかじゃないのか?」

「失礼な。多少は詳しい人もいるわ」

「わかった。情報作戦群と制圧課の両方に回す」

そういうと松尾二佐はテーブルに戻って作業を再開させた。


ー八月十日午前四時

その日の日の出は午前四時二十四分だ。それに合わせて、北部方面航空隊のUH-1Jが離陸して現場に向かっている。

官邸にでも動きがあった。

午前五時からだった国家安全保障会議が時間を早めて四時三十分からになった。各大臣は今頃飛び起きて官邸に向かっているところだろう。

俺はPCといくつかの書類を脇に抱えた。気づけば昨日の朝から服を変えていない。もしかしたら官邸に着替えが届いているかもしれない。だが、そんなことを確認している暇はない。

俺はもう一方の手で缶コーヒーをつかみ取った。普段はとらないカフェインを今日は取らざるを得なかった。

国家安全保障会議がおこなわるる閣議室は四階にある。

俺たちは、エレベーターで四階まで上がることにした。エレベーターには俺以外に栗崎統幕長、松尾二佐、そして、内山一佐が乗っていた。あんたが来るなら、俺が行く必要はないだろうに。

四階に着くと、ガラス張りの廊下からの景色が目に飛び込んだ。まだ夜明け前だが少し空が色づいている。チラつく航空障害灯や、時折通る自動車のライトはおととい見たあのときと同じだった。また、日常が始まろうとしている。

一昨日の夜、俺は彼女に日常を思い出さされた気がする。ずっと、自分から切り離してきたもの、いや、感じたくなかったものなのかもしれない。ただ、事態の傍観者として、責任や犠牲を誰かに押し付けたくないとそのことだけを考えていた。自らが犠牲となるのが必然であり、それが俺の唯一の贖罪だと信じてきた。

だけど、本当にそれだけかと、彼女に問いかけられた気がした。彼女は、「自分を責めないでほしい」と言っていた。ただその言葉だけが胸につっかえる。俺は自分を責めてなんかいないはずだ。嘘じゃない。だけど、その言葉が胸から剥がれない。

閣議室に入ると他の官僚たちも忙しなく準備を始めている。

土壁の閣議室の中央には円形のテーブルが置かれている。官僚たちはそれとは対照的に、壁側に追いやられる。白い壁に並べられたデスクチェアの狭いスペースで作業を進める。


しばらくして、閣僚が揃い始めた。

円卓の椅子が全て埋まると、会議は始まった。

最初は栗崎統幕長が昨日の市川本部長の説明に加えて、現在の情報を報告した。

続いて、始まったのは内閣の対応についてだ。

「内閣の対応としては調査中とするのが賢明かと」

そう述べたのは安藤財務大臣だった。過去には総理経験もある。

「しかし、それでは国民の不安が募るのではないか?」

反論を示したのは総務大臣の笹川だった。今、SNSを中心に札幌市内で目撃された巨大な火球についてトレンドになっている。もちろん、俺たちは把握しており、火球の正体は例の極超音速滑空弾であることと分析している。ただ、自身の選挙活動にもSNSを使う笹川から見れば、このまま不安が高まるのではないかという不安があるのだ。

「防衛大臣としての見解はどうだ?」

議長である幸田に総理が野田防衛大臣を名指しする。

「私も、調査中として政府対応を取るべきかと、何より、明確な被害が出ているわけではありませんから」

ふと閣議室の端がざわつく。円卓から離れた位置にいる司会者の鳥栖官房長官に一人官僚が詰め寄り、耳打ちをする。

「たった今、自衛隊ヘリからの映像がつながりました。」

北部方面航空隊のUH-1Jが現場に到達したらしい。UH-1Jには映像伝送装置がついている。

「正面モニターに映像出ます」

職員の言葉に朝せて右側の壁に埋め込まれたモニターに映像が映し出された。


山の西側にあるせいでまだ少し映像が暗い。

しばらくして着弾地点が映し出された。そこにあったのは凄惨な現場だった。

本来木々の茂っている斜面が大きく抉られている。抉られた斜面からは地層を顔を覗かせている。その大きさは人が作ったものとは思えない。おそらく直径にして1kmはあるだろう。クレーターの縁に押し出された土砂が崩れかけている。よく見ると土砂の塊に地層が残っている。あたかも、ミルフィーユを一層剥がしたような格好だ。

画面の隅から黒い影が這い出る。北海道警のヘリコプターだ。クレーターの真上でホバリングを始めた。ゆっくりとロープが降りる。目立つ『POLICE』の文字を背にクレーターの中心部に捜査員が降りる。その背の高さから、クレーターの大きさが如実にわかる。深さだけでも建物がいくつ入るだろうか。クレーターの中の捜査員が蟻のように見える。

捜査員の近づいた先に黒いマッシュルームが地面に抉り込んでいる。黒く焦げつき、原型をとどめていない。その様はまるで毒キノコだ。

さらに日が昇る。クレーターに筋が浮かび上がる。筋を掘り描いたのは毒キノコの胞子だった。液状化した弾体の一部がクレーターの内部に飛び散ったのだ。ヘリコプターから降りていく捜査員たちはあたかも餌に群がる蟻たちだ。蟻がキノコを担いで運んでいく。


その場にいる全員がその映像に釘付けになった。あまりにも大きすぎる被害だ。幸いにも現場は富良野芦別道立自然公園の一部で公用地だ。だが、明らかに目立たないはずがない。

「これをマスコミのヘリが見つけたろどうする!? やはり、公表すべきだ! 」

笹川は立ち上がって画面を指差しながら怒鳴り散らす。

「笹川君、落ち着きなさい」

隣にいた香川経済産業大臣が笹川を諫める。

「総理、私も笹川君と同意見です。調査中として政府対応を発表しても、いつまでもそれで隠し通せるとは思えません」

香川も公表派に回ったか。

「少なくとも米軍にTHAAD配備の交渉を進めながら公表しないと、国民の不満をただ煽っただけになる」

「だが、その米軍は手を貸してくれないんじゃないか! そもそも、安保条約を結んでいながら協力しないのはどういうことなんだ!」

安藤の意見にまたも笹川が憤慨する。

俺は心の中で毒づいた。

そもそも安保条約は合衆国軍隊の日本における相互防衛義務を規定したものであり、武器の供与を規定したものではない。

「恐れながら、笹川大臣。おそらく米軍は-」

栗崎統幕長が立ち上がると今朝総理にしたのと同じ説明を始めた。

画面の中では捜査員が潰れた弾頭を回収している。

現場と最高意思決定の場で乖離が始まっている。

『前線が遠のくと楽観主義が現実に取って代わる』

ある映画の台詞を心の中で反芻する。前線が遠のいた今、本質ではない議論に終始する様はまるで楽観主義の産物だ。

『そして最高意思決定の段階では現実というものはしばしば存在しない』

それが今目の前の場で起こっている。最高意思決定の場で。

「では、お前はこの国がどうなってもいいのか!?この売国奴が!」

笹川がまたも憤慨する。

馬鹿らしい。右翼政治家の言いそうな台詞だ。うんざりする。

「私はこの国のために精一杯やっているつもりです!」

「じゃあ少しぐらい国民に寄り添う結論を出せないのか!これじゃあ国民に不安を与え続けるだけになるぞ!」

「今は情報も武器になる時代です!公表することが裏目に出る可能性があります」

「裏目にとはどういうことだ!?」

「公表することでパニックを引き起こし暴動を発生させ、その混乱に乗じて侵攻する。ロシアが2014年にクリミアでとった行動です。」

「なら自衛隊の治安出動で鎮圧すればいいだろ」

口にしたのは香川だ。

「香川大臣、現在の治安出動は暴徒鎮圧よりもテロやゲリラに対するものとして訓練を行なっています。」

「どっかの国のゲリラに対応できるなら暴徒にだって対応できるはずじゃないのか!?」

笹川が責め立てる

「では笹川大臣、もしあなたが総理なら、今ここで日本人に日本人を殺せと命令できますか?」

議場が静まり返った。

「もういいだろう」

口を開いたのは幸谷総理だ。

「会見では私から調査中として発表する。一度会議は中断し、状況が変わり次第再度招集する」


ー同日午後零時 首相官邸

俺は会議を抜け出して、エレベーターホールに向かった。

会議中に市ヶ谷の東山から連絡があったのだ。

「みょうこう」砲雷長がヘリで市ヶ谷に向かっているとの報告だった。また、各分析機関からの解析結果も出揃ったらしい。

裏口から出ると俺は運転席に着いた。内山一佐からは「普段はなるべく乗るな」と言われているが、今はそれどころじゃない。

俺は車を外堀通りに向けた。

会議は結局、平行線を辿ったままとなった。

事態の公表に関する議題から、テロリストへの対処へと移ったが情報不足でただ会議が迷走するだけだった。終いには、笹川が劇場型捜査を言い出す始末となった。

もちろん劇場型捜査にはメリットがあるが。今の状況ではパニックを招きかねない。

外堀通りから新宿通りに入り都道319号線を経由して靖国通りに入る。防衛省庁舎B棟の鉄塔が見えてくる。空気を響かせる羽根の音が車の中にも伝わってくる。

俺はハンドルを握りながら、気持ちを落ち着かせた。

俺たちが今必要なこと、それは情報だ。何も決められない政策決定者への愚痴じゃない。

明らかに情報が少ないことは明確だ。それ以外のことに執着する必要はないのだ。

正門ゲートをくぐろうと、一度車を止める。誰かが右手の窓をノックした。

窓を覗くと、そこには東山が立っていた。

「準備はできてるよ」

俺が窓を開けると、彼は笑顔でそう言った。


ー同日午後零時三十分 防衛省市ヶ谷地区庁舎A棟5階省議室

ガラス張りの省議室に入ると、そこには陸海空の制服が一堂に介していた。陸上自衛隊からは俺を含めて4人、海自からは3人、空自からも3人、あと一人スーツ姿の男も立っている。

「まず私から」

先手を切ったのはスーツ姿の男だった。

「防衛装備庁次世代装備研究所の福山です。まず、前提知識として超高速で侵徹する弾体は流体力学的振る舞いを……」

「そこは飛ばしてもらって結構です」

「わかりました。簡潔に申し上げますと、分析の結果から地面との衝突時の弾体の速度は約18000km/h、つまりマッハ15ほどです。」

指摘された福山は簡潔に答えた。

「それは、極超音速誘導弾と考えていいと?」

「誘導弾かどうかはわかりませんが、飛翔距離と速度を考えるにウェーブライダー技術を擁した極超音速兵器であることは間違い無いでしょう。」

俺の質問に彼は一定の分析を返した。

ウェーブライダー技術とは滑空時に翼面下の圧縮空気を利用することで揚力を得る機体形状とそれに関連する諸技術のことだ。

「すみません、中空SOCの黒部ですが、私はこれが誘導弾と断定できると考えます。」

「その理由は?」

尋ねたのは海自の制服を着た男だった。

「これが当該時刻の佐渡のレーダーサイトで捉えられだ映像ですが……」

そう言って彼はタブレットを中央の机に置いた。画面には円の中を高速で俊敏に移動する輝点が映し出されている。全員が食い入るように覗き込んでいる。

「これはレーダーの情報を水平面上に投影したものです。このように連続で軌道を変えるのは滑空弾では難しいかと。」

「いや、それはレーダーの誤認じゃないのか?」

「誤認?」

異論を示した男のネームプレートには「航空幕僚監部・運用支援・情報部」の文字が入っていた。

「ウェーブライダーが可能だとすると、弾体は上下に、それこそ波に乗るように揺れるはずだ。だとすればその上下の揺れが左右の揺れに変換され、それをレーダーが捉えただけなんじゃないのかと思う。正直、僕も実際の軌道を見たことがないからなんとも言えないが。」

そうだった。大事にことを忘れていた。

この場にいる、いや、日本国内にいるほぼ全ての人間は極超音速誘導弾の軌道なんて見たことがない。つまり、ないデータをもとに判断するしかないのだ。

「現場の人間としても発言させていただいてもよろしいいですか?」

そう手を上げたのは海自の制服を着た男だった。紺色の帽子には「MYOKO」の文字が入っている。

「私はこれが誘導弾と判断するのは早計だと」

「なぜ?」

東山が尋ねる。この場では考察に対する理由を重要視する。

「滑空開始時の速度が速すぎるかと。もし誘導弾ならあの速度で急激な軌道変形は厳しいんじゃないかと。これも憶測ですが……」

またも情報不足という壁にぶち当たる。このまま誘導弾か滑空弾かを議論しても埒が開かないだろう。次の議題に移るのが得策だ。

「最悪の事態を考慮したい。一度ここでは誘導弾だと仮定しよう。もし誘導弾だった場合、北朝鮮が生産できないにも関わらず、誘導に必要になるような部品として、福山さん、何があげられますか?」

俺が尋ねると福山は顎に手を当てて熟考しながらもしかし素早く部品をあげた。

「そうですねえ……。まずGPS受信機でしょう。北朝鮮は自前で測地システムを使っていませんから民生のGPS受信機が必要になります。次に地理データを参照できるシステムです。これは民生では入手がしずらいです。なんせ、リアルタイムで繊細な地理情報を送信可能なシステムが必要ですから。あとは小型軽量でかつ高感度のレーダーでしょうか。トマホーク・ミサイルのように光学的に地形照合を行うことは不可能ですから。最後に、これらを高速で処理できるマシンが必要になりますね」

俺は隣にいる濃緑色の男に尋ねる。

「別班がマークしている対象でこれらの技術を横流しできる人物はいますか?」

陸上幕僚監部に所属する別班は国内における工作員のマークを主任務としている。

「いるにはいるが、ここ数ヶ月目ぼしい動きはない。かといって妙に動きを控える人物も見見当たらない。」

「ではこれに関する諸技術は我が国からではなく、他の第三国から渡されたと?」

「そう考えるのが妥当です」

あたりを見渡すとこの場にいる全員がそのことに同意していた。

「では、日本海海上で行われた瀬取り行為との関係は?」

「おそらく、これらの諸技術の受け渡しだろう」

「変なことを言うかもしれませんが……」

そういって会話に割り込んだのは海幕の男だった。

「あれほど大型のものを瀬取りすることは過去に事例がありません。おそらくですが、あれがミサイル本体ではないでしょうか?」

この意見はこの場にいる誰もが可能性として考えつつあったことだ。だがその可能性は極めて低いと考えていた。

「では、ロシアはミサイルそのものを供与した?可能性は低い。わざわざ機密情報の塊を国外に持ち出すとは考えにくい」

ロシアは極超音速兵器の分野では世界でもトップを走っている。その技術を流出する可能性のある国外に持ち出すことは考えられるのだろうか?

「これは推察ですが、ロシアは北朝鮮を使ってハイブリッド戦を行うつもりでは?」

ハイブリッド戦は早くは1990年台から概念が築かれ、2014年のクリミア侵攻で初めて効果を示した軍事・非軍事手段の両用に主軸を置いた軍事戦略だ。そしてこのことを論文として発表したのは当時ロシア軍参謀総長だったゲラシモフだった。2022年のウクライナ戦争ではロシアは大敗を喫したが、2014年当時のクリミアのように不安定な情勢下では十分か効力を発揮するとみられている。

正直、俺にはこの考えはなかった。理由はロシアがウクライナ戦線で後退を続けているからだ。

わざわざ一部の戦力を引き抜いて対日戦線をつくり投入するとは考えられない。だが、政治的不安定な状況を作り出したとしたら?ハイブリッド戦の有利な点は低戦力でも状況を有利にできると言うことだ。そう考えればロシアがハイブリッド戦を仕掛ける理由も合理的に説明がつく。

俺はもう一度自分の考えを立て直してみた。

「では今後、ロシア側が取りうる行動としてはメディアを通じた世論工作か?」

「ええ、そう言うことになります」

「ではそれをどのような形で行う?」

「正直それがわかりません。現政権の批判などいくらでもありますが、クリミアのような内乱を起こすほどのものは見当たりません」

行き詰った。最悪の状況を想定し、半分妄想の域にも足を突っ込みかけている。だが、これ以上想定される最悪の状況はないだろう。

隣で甲高い音が鳴り響いいた。

「一度別の問題について話題を変えましょう。もし、これをもう一度使用するとして、弾頭は何になるのでしょう?」

手を叩いた東山が話題を変えた。

極超音速弾はそれ自体でも大きなエネルギーを持つが重要なのはその弾頭だ。

「今回のはおそらく脅しでしょう.。近くに人口密集地帯や重要防護施設がないことからして。

そう考えれば先の声明文ともつながります。ただ、……」

「みょうこう」砲雷長の考えは全く同じだった。だが問題は、

「大量破壊兵器が何を指すのかですね」

俺はあえてそれを口に出した。大量破壊兵器という言葉は古くは第一次世界大戦の頃から使われている。現代では主にNBC兵器、核、生物、化学兵器を指すことが多い。

「大量破壊兵器の使用場所や目的にもよりますね。例えば都市部で使うなら化学兵器や生物兵器が効果を発揮します。」

答えたのは福山だった。専門分野以外にも詳しいのか

「一方、核兵器は荒野部での敵殲滅に効果を発揮します。しかし、都市の壊滅もしく大規模な軍事基地の壊滅なら核兵器は十分な効力を発揮します。」

「もし、誘導弾だったとして、使用の目的は防空網の突破です。だたとすれば太平洋側の施設もしくは都市が目標では?」

その意見は空自の黒部から出された。だがそれだけでは不十分だ。

「太平洋側の都市や施設はどれも重要なものが多い。それだけだと何とも言えませんね」

答えたのは海幕からの男だった。事実海上自衛隊も太平洋側に横須賀や呉といった施設を抱えている。民間のことを考えても太平洋ベルトと呼ばれる工業地帯群があるのは太平洋側だ。

「そもそも、声明文を出した側の目的は何だ?」

「差出人は吉良川だ。なら戦争による秩序のリセットでは?」

別班と海幕の間でやりとりが交わされた。確かに吉良川の目的が見えない。その原因はその声明文のある一文にあった。

「では橘香織という人物のピースはどこに入る?」

別班の人間の頭から出たその一言は会議に一石を投じた。そしてその波紋を俺は過敏に感じ取った。

「陸上自衛隊の方で保護していたはずだろう?担当者は確か…、お前だろ、神威一等陸曹。」

空幕の男が俺の名前を挙げた。その場にいる全員の視線が俺にはいる。

「神威一等陸曹、橘香織とは何者だ?」

そう等たのは隣にいた別班の人間だった。

俺は答えたくないと思った。正直、引っかかることはある。なぜ彼女だけが襲撃を受けなければならなかったのかがいまだに謎だ。だが、それを言いたくはなかった。言えばそこに私情を挟んでしまう気がした。それはどこか自分の中で負けな気がした

「何って、別に普通に一人の少女です。何もありません」

「ではなぜ、吉良川が彼女を追う?」

別班の目つきや語気が激しくなっている。

「わかりません……。自分は吉良川がどんな人物なのか、知りませんから」

「それを限られた情報から推測するのが我々だろう。……もういいい」

そういうと、その男がすぐそばを通ってこの場を去ろうとした。

俺は思わずその腕を掴んだ。胸に「笠松」の文字が見えた。腕の階級章は三等陸尉を示していた。

「何をするつもりですか?」

「橘香織を尋問する」

「それはやめてください」

別班は超法規的な組織だ。古くから文民統制を離れ独断で世界各国での情報収集をおこなってきた。奴らに尋問などさせれば何をするかはわからない。下手をすればアイヒマンテストでもしかねない。

「お前の情報分析が節穴だらけだからだろ」

笠松三尉が見下すように言い捨てる。

「自分は情報の収集と分析のためにここにいます!それはひとえに国民の生命を守ることのためにあります。だから、たとえ、現場から「悪魔」と罵られようと、自分は任務に命をかける所存です!」

反抗して俺は声を荒げた。俺は何も間違ってはいないはずだ。そう思っていた。

次の瞬間、握っていた腕が、自分の胸に押しつけられた。姿勢を崩した隙に省議室の壁に押しつけられ、胸ぐらを掴まれた。

その場にいる全員が止めに入る。テーブルの上の資料が散る。

「簡単に命をとせるなどというな!いいか、三年前、俺は特戦群として現場に出向いた。吉良川を射殺したのも、陸上自衛隊で初めて射殺したのも俺だ。現場を知らない人間が、人を撃つ痛み、撃たれる痛みを知らない人間が命を賭すなどと、ましてや、情報の世界でなど、そんなことをまともな神経でほざくな!」

「それでも、自分は自衛官です!国民のために命をとせるのなら本望です!」

俺の精一杯の反抗だった。俺はたとえ国の、大勢の国民のためといえど、一人の少女を尋問することなど許せなかった。だけど、確かに俺は間違っているのかもしれない。自分は甘かったのだ。現代において情報戦は熾烈さを極めている。その中で自分の理想のために命をかけようなど無謀なのかもしれない。

「わかった。」

不意に胸ぐらを掴んでいた手が緩む。

「そこまでいうなら自分でやれ。彼女の身辺調査。交友関係から生い立ち、金の流れまで全てを徹底的に洗え。今日はこれまでだ。解散」

その言葉とともに、外の空気が入り込む。俺は腰を抜かして座り込んだ。

俺を振り返るものなど誰もいなかった。


ー同日午後四時 防衛省ヶ谷地区庁舎A棟1階正面玄関

外に出ると雨が降っていた。この時期だ。夕立だろう。

生憎、傘を持っていなかった。駐車場まで距離がある。

「神威」

後ろで俺を呼ぶ声がする。振り返るとそこにいたのは東山だった。

いつもと変わらぬ笑顔でこちらに歩み寄ってくる。

「傘、ある?」

「いや、ない?」

「入る?」

「ん」

東山が傘を開く。俺がその中に入ると歩調を合わせて歩き出した。

「寄らないと濡れるよ?」

「いや、いい」

俺はただそう答えた。

「なあ、東山」

「ん?」

俺は少し、東山にもたれかけながら尋ねた。

「俺は間違っていたかな」

「いや、神威はいつだって正しいよ」

「いや、そうじゃなくてさ……」

俺はそう言いつつも、東山のその言葉にどこかほっとしていた。だけど

「俺は、間違った道を進んできたのかな」

「それを決めるのはこれからだろ。それに、僕が施設に入ったあの日から神威は正しかったよ」

東山は虐待が原因で施設に入ってきた子だった。その時最初に声をかけたのが俺だった。

俺とてあまり話す方ではなかったけれど、どこかで声をかけなければこの子は孤立すると思ったから声をかけた。確かにそれは間違っていなかった。その後も東山は上級生たちにいびりの対象になっていた。

「それはずっと前の話だろ」

「ついたよ」

俺を無視するように東山は告げた。彼は俺を車の助手席へと誘導する。

「いいのか?」

「時にはこれくらい」

そういって助手席のドアを閉め。回り込んで運転席に乗り込んできた。

「それに、神威はさ」

「ん?」

「正しいって肯定しないと前に進めないでしょ?」

俺はふっと笑いをこぼした。少し気分が軽くなった気がする。

「それもそうかもな」

東山がアクセルを踏んで車を発進させる。

疲れたせいか強い眠気に襲われる。俺はそのまま車の中で寝てしまった。


ー翌日八月十一日午前四時 首相官邸危機管理センター宿泊室

あれからどれほど経っただろうか。ふと目の前のパソコンから目線を上げ、壁掛けの時計を睨む。針は四時を過ぎていた。

あのあと、官邸に戻り宿泊室を覗くと、橘は二段ベッドの上段で寝静まっていた。俺は、彼女が寝ている間に改めて調べ直すことにした。対象は彼女の交友、人間関係だ。

俺は、ミスを犯していた。彼女が自分の心の闇を照らしてくれたからとて、彼女が関係していないと言えるだけの根拠はない。なのに俺は彼女を信用していた。それは今後、現場で仲間を犬死させるような重大なミスだ。その分は取り返さなければならない。

現代において、人が全くの足跡を残さずに生きるのは難しい。SNSは普及し、プライバシーの保護はあるとはいえあらゆる場所に監視カメラはついている。これらの世に溢れたデータは一般的にビッグデータと呼ばれる。これらを取集、分析することで個人を洗い直す。

作業を始めてから6時間以上が経過している。結果は出揃い始めていた。橘香織は限りなくシロに近い。これは俺にとってどこか安心材料だった。だが、見落としは禁物だ。前の二の舞を踏むことになる。彼女の人間関係について不可解なことがある。戸籍に登録されている父親と母親の二人の情報を追うことができない。正確にいうなら、橘香織の戸籍上の両親は存在しないことになる。

確かに両親の一方が消えることは多い。それはいわゆる闇金からの取り立てを避けるためなどさまざまなものがある。だがその場合でも両親二人ともが消えることはほぼない上に、親自身の出生届は残るはずだ。だが、今回のケースは全く違う。戸籍情報そのものが存在しない。出生届もなければ納税記録もない。ただ記載されているのは橘香織の両親としての名前のみ。

だが人が完全に痕跡を消すことはできない。

俺は卓上の受話器を取って、番号を打ち込んだ。かける相手は戸籍情報を所管する総務省だ。

「すみません。陸上自衛隊の者なんですが-」

朝早くなのに電話にはすんなりと出た。だが、その後の要望にはとても気だるそうな声を出された。それでも今は必要なことだ。無理矢理にでもやってもらうしかない。


ー日本時間八月十一日午前六時 チェコ共和国プラハ・マーネス橋

空が少し明るくなるかならないかの頃だった。一人の女性が橋を渡る。まだ街が動き出す前だった。街灯が歩く女性を照らす。

身なりはバックパッカーのそれだが、バックパックはない。肌は日本人のそれだった。顔は疲れ切り、だが焦燥感に少し駆られている。服には黒い煤がついている。

橋からはプラハ城が見える。だがその女性は目を向けなかった。ただひたすらに道を歩いていた。

しばらくして、酔っ払いとすれ違う。女性の服からは微かに石炭の匂いがした。酔っ払いがふらついて肩がぶつかる。酔っ払いが姿勢を崩し、後ろから罵声を浴びせる。

しかし、酔っ払いはすぐに黙り込んだ。振り返った女性の眼光はまるで獲物をかる猛禽類のようだった。

さらに歩くと、小道に入った。女性の顔がふと上に向く。目の前には赤のストライプと青の背景に白抜きの星をあしらった旗が飛び込んできた。女性は安堵と確信を持って坂道を降り出した。

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