第4話 再生と結婚と

 梅之介さんとしずさんが夫婦になったのって、そういう経緯があったんだね。私はおばあちゃんの話を聞きながら、複雑な気持ちになっていた。恋愛期間もなくすぐ結婚し、新婚一日で永遠に会えなくなってしまうなんて、どんなにつらかっただろう。でも、兄弟に嫁ぐってのも、周りの目はどうだったのかと思っていた。けれど、戦後は兄弟に嫁いだりする人も稀ではなかったようだし、中には夫の戦死の知らせがきて悲しみを抱えながらも、一人では暮らせないので別の人に嫁いだ後に、夫が帰ってきてしまったということもあったらしい。


 食べ物も配給制か、今は物で溢れていて食べ物に困ること、私は感じないなぁ。そしておばあちゃん達は、その後の話の続きをしてくれた。



 日本が戦争に負けたあと、戦時下に日本が統治していた朝鮮半島の解放がされたのですが、北朝鮮側と南朝鮮側との間の北緯三十八度線で、朝鮮戦争が勃発してしまいました。そしてその時に、詳しくはわかりませんが、土嚢の麻袋や軍服やテントなどを作るよう日本に依頼があったようです。


 父の工場もそういったことで沢山の生地を織っておりました。機織りの機械がガチャというたびに万のお金が儲かると言われるガチャ万景気で、暮らしも良くなって行きました。


 私は中学を卒業し、父の工場で働き始めました。そして入れ替わりにしずさんが家に入りました。しずさんのお腹に、新しい命が宿っておりました。私は兄や先輩の女工さん達に教えてもらい一所懸命仕事を覚えていきました。また休みの日には、先輩の女工さん達に連れられて、町に出かけたりもしていました。母や亀には休みの日に遊んでばかりいないで、家のことも手伝うように言われましたが、出かけることが楽しくて、あまり家のことはしなくなっていました。


 それから二年後には亀が中学を卒業し、父の工場で働き始めました。亀は私と違い、家のことも朝早く起きて家事を手伝ってから、工場へ行っていました。


 景気は朝鮮戦争停戦とともに、少し下火にはなっていました。私は相変わらず休みの日には女工さん達に連れられ町へ行きました。亀も一緒に町へ行きましたが、亀は足が悪く歩くのも遅いので、亀はしだいに遠慮し家にいることが多くなりました。私は姉妹なので亀の歩幅に合わせて一緒に歩かなければならず、それも億劫になっていたので、亀が行かなくなってどこかほっとしていました。


 梅之介の兄としずさんの間には、男の子が産まれていました。それが裕二くんです。父と母はこの孫を大変可愛がっていました。


 工場は景気が下火になってきたこともあり、新製品の開発や生産性の改善をしたり、海外へ目を向けたりしていました。ですので良い時も悪い時もありました。


 昭和二十七年に、日本は連合国から独立した年、私達の住んでいる町が西脇市となり、町は栄えていきました。



「おばあちゃん、亀さんに酷くない?」

「そうだね、酷いと思ってるよ。」

「香織ちゃん、まだねこの時は…。ねぇ、姉さん。」

「そうね。」そしてまたその続きの話をしてくれました。


 昭和三十年に梅之介の兄としずさんの間にには、裕二くんの妹の多恵ちゃんが産まれました。裕二くんも歩き始めていて、全く目を離せなくなっておりました。私や亀は仕事の合間には家に戻ることもありました。

 

 そんな中、同業の田中さんの息子さんで私より二歳上の健さんが、亀を嫁にもらいたいと縁談の話がきました。父と母は姉の鶴ではなく、妹の亀に話が先にきたので驚いていました。健さんは、亀がいつも笑顔で一所懸命仕事をしたり、家で洗濯をしたり、甥の面倒をみたりしている姿を、遠目に見ていたようでした。そしてその姿に惚れたようでした。

 

 私は複雑な気持ちになりました。そして、心無い言葉を言ってしまいました。

「田中さんは、亀の足のことはご承知なの?」

するとその言葉を聞いた父に私は頬をぶたれました。

「お前は…。誰の…。」そう言った時亀が止めに入りました。そして母も私に言い聞かせるようにして言葉を発しました。

「見てる人は見てるんやで。あれほど家のこと手伝いなさいって言ってたやろ。」

私は耐えられなくなり、家を飛び出してしまいました。その後を亀は追ってこようとしましたが、両親に止められていました。


 私はしばらく町を彷徨いました。悔しいと思う気持ちと、亀に心無い言葉を言ってしまったという気持ちが交錯し、どうしていいのかわからなかったのです。

 

 町は賑わっていましたので、私のこのような気持ちを飲み込んで行きました。どれくらい歩いたのかわかりませんが、あたりは段々と暗くなっていきました。そうした時、一人の男性に声をかけられました。


「お嬢さん、こんな時間にどうしたんだい。」私は顔をあげその人をみると、学生服をきている学生さんでした。私が固まってしまいましたが、その人は続けました。

「お嬢さん、何があったのかはわからないが、もう暗いから帰った方がいい。僕が家まで送るから、家まで案内しなさい。」私は戸惑いましたが、このまま町にいるわけにもいかず、その言葉に従いました。家までの道すがら、安心させるように話かけてくれていました。


 家に到着した時、家から父が出てきました。その学生さんは前田と名乗り、町に一人いた私を送り届けたと言いました。そして、何か事情があるのかも知れませんが、今日はもう叱らないであげてくださいと言ってくれました。父は前田さんに礼を言い、私に家に入るように言いました。前田さんはしばらく父と話をしていましたが、そのあと帰っていかれました。


 私はその後家に入り、食事をし部屋にいきました。部屋は亀と一緒なので、顔合わせたくないなと思いましたが、亀はそこにはいませんでした。しずさんが亀を離れに呼んでくれたようでした。その晩私は一人で眠りにつきました。


 亀は迷っているようでした。私の言った通り足が悪いし、迷惑にならないだろうかと。けれどそれを察した田中さんが、度々亀を誘い出掛けるようになりました。逆に私は家に居ることが多くなりました。家で家事をするようになり、そして甥と姪が私の荒んだ心を癒やしてくれました。


 翌年の春、亀は田中さんのもとに嫁ぐことになりました。私は複雑でしたが、亀の結婚を祝えるようにはなっていました。私は亀と今まで通りに接することができていましたし、亀もそうだと思います。


 しばらくしたある日、父に頼まれて町に修理に出していた時計をとりにいきました。その時に以前に私を家まで送り届けてくれた人がその店にいました。思わず声がでました。あちらも私のことを覚えていてくださったようで、ご挨拶させて頂きました。その方の時計も故障したようで修理を依頼する為に仕事の合間に訪れていたようでした。

「あれからは、あの時間に出かけてないですか?」

「はい。」

「それはよかった。今日はお使いですか?」

「はい。父の時計の修理があがったので取りに伺いました。」

「そうですか。よかったらこの後コーヒーでもどうですか?」

「はい。」

そして私はその方と喫茶店に入りました。そして改めて自己紹介をし、以前のお礼を改めてお伝えしました。その方は銀行にお勤めのようで、今は休憩時間だそうです。あまり時間はとれなかったのですが、再会できたことはとても嬉しく思いました。


 それからしばらく経った日曜日、仲のいい女工の絹さんと二人、町に遊びに行きました。絹さんは私が工場で働き出したときに一緒に入った人で、何でもいいあえる仲でした。亀のことで気持ちの起伏があった時も、寄り添ってくれました。絹さんと町の喫茶店に入り楽しくお話しをしていた時、入口から人が入ってきて隣の席に着きました。そして声を掛けられたのです。振り向くと前田さんでした。私は挨拶をし、絹さんを紹介しました。そして前田さんも一緒に来ていたご友人の方を紹介してくださいました。そしてご友人の方がよかったらご一緒しませんかと言ってこられましたが、私がお断りしようと思っていると、絹さんがはいと返事をしてしまいました。私は戸惑いましたが、今更断るわけにもいかず、ご一緒することになりました。


 前田さんのご友人は山口さんと言われる方で、とても面白い方でした。絹さんはずっと山口さんとお話しをしていて、前田さんと私は二人の話を静かに聞いていました。不意に山口さんから話が振られるのですが、私がわからないことだったりすると、前田さんが助け舟を出してくださいました。


 しばらくお話しをしていましたが、そろそろ帰ろうということになり、お店を後にしました。お店を出たところで山口さんが、僕は絹さんを送っていくので、君は彼女を送ってあげてくれたまえと前田さんに言われました。けれど絹さんと私は、少し笑って私達家近くですよと答えました。すると山口さんは残念な顔をしていました。けれど前田さんが、山口さんの肩をたたき行くぞと言って、家の方向に進んで行きました。

 

 父の工場近くで絹さんたちと別れ、私は前田さんに家まで送って頂きました。丁度父が家の外に出てくるところに鉢合わせしてしまい父は驚いていましたが、前田さんが事情を説明してくださり、事なきを得ました。


 それから絹さんは、山口さんとお会いするために、私を誘うようになりました。もちろん前田さんも付き合わされていました。次第に前田さんとよく話すようになり、少しずつですが前田さんの実直さに惹かれていきました。けれどそんな時、父に縁談の話をもってこられました。私は迷っていました。凄く悩み、少し待ってくださいと父に言っていました。縁談を受けるにしても、心の整理が必要だと思ったからです。


 また四人で出かけた折、前田さんに暗い顔してるけどどうしたのと言われました。そうですか?とごまかしたのですが、悩んでることあるなら言った方が楽になることもあるよと言われ、父から縁談を受けるように言われていることを伝えました。それを聞いた前田さんは、よかったら、君のお父様に挨拶させてくれないかと唐突に言われました。私が驚いていると、君とのお付き合いをお許し頂く為にねと付け加えるように言われ、私は体中から熱くなるのを感じました。これまで前田さんは、ただ山口さんと絹さんに付き合わされているだけと思っていたので、前田さんも私に心を寄せていてくれていたことに嬉しく思いました。


 早速父にご挨拶したいという方がいらっしゃるので、会ってほしいと伝えました。父には何処の馬の骨とも分からんのに会う必要はないと言われました。そして、この話をしようとすると怒りだすので困っていました。そうすると見かねた兄としずさんが父に言ってくれたようで、渋々といった感じでしたが、会ってくれることになりました。


 次の日曜日、前田さんは我が家に挨拶に来られました。父は以前私を家まで届けてくれたことがあった方なので、驚いていました。そして、前田さんと話すうちに彼の人となりがわかり、お付き合いを許してもらえることになりました。ただ、結婚となると働き始めたところですので、猶予をいただきたいとも言っていました。そしてその後に前田さんのご両親にも挨拶に伺いました。とても緊張しましたが笑顔で迎えて頂きました。


 そして田中さんに嫁いだ亀も、この話を聞いて喜んでくれているようでした。亀は嫁いでから、田中さんのご家族に大切にされているようでした。そして最近は何故か酸っぱいものが欲しくなるようで、梅干しや、酢の物を良く食べていると言っていたようです。


 私はあれから順調にお付き合いが続き、昭和三十三年に晴れて夫婦になりました。そしてそのタイミングで主人が転勤となり、明石で新婚生活を始めることになりました。明石は海に近く、海産物がよく手に入りましたので食卓に並ぶことも多くありました。そうそう亀ですが、酸っぱいものが食べたいと言っていたのは、お腹に新しい命がいたからでした。今は一児の母となりました。


 父の工場は高度経済成長の波に乗り、工場も戦前の二倍の大きさになり生産数も増え、機織りの機械もそれとともに新しくなったりしていました。女工さんもこの頃は多くいました。


 女工さんといえば、仲のよかった絹さんも、私と時を同じくして山口さんと夫婦になっていました。山口さんも転勤になり、神戸の方に行ってしまわれたので中々会うことはできなくなっていました。


 夫婦となり生活が落ちついた時、私のお腹にも新しい命がありました。私はつわりが酷く、寝ていることが続いた為、母がしばらく手伝いに来てくれました。主人がもう一人の体ではないのだから、無理してはいけないよと言ってくれ、この時代では珍しいですが、家事を母と一緒にしてくれたり、できない部分は母に教わったりしていました。母は主婦の仕事だからと最初は言っていましたが、主人が一緒にやると譲らず母が根負けしてしまいました。しばらくしてつわりも落ちつき母は帰っていきましたが、主人は私のお腹が大きくなってからも家事を手伝ってくれました。


 翌年無事に元気な男の子が産まれてくれました。名前は織耶と名付けました。主人の名前の紘耶さんから一字をとりました。織は私が機織りをしていましたので、そこからとりました。


 主人はおむつ替えもしようとしましたが、私のすることがなくなるからと言って私が譲りませんでした。この時代は布おむつを使っていました。洗濯機はまだこの時我が家にはなく、洗濯板を使っていました。ですので我が子が寝ている間にどれだけ早く家事を終わらせて一緒に体を休められるかと、この時に家事能力があがったように思います。


 

 おばあちゃんもおじいちゃんに出会えて良かったと思うけど、亀さんとのことがどうしてもひっかかるなぁと感じていました。けどこの時はまだ、お互い結婚し離れて生活をしていたこともあり、私が感じたわだかまりのようなものは残ったままのようでした。

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