3. 幻影虫 ~🐜1匹

 折小野おりおのじょうは港を歩いていた。


 先程船が通るために橋が二分割され、直立して、また戻った。その橋をおっかなびっくりで歩いた。


 次の瞬間にまた橋が開いて落ちたらどーしよ。波が荒いし、そのまま……いやいや。警報鳴るし、多分、大丈夫……もし警報鳴らし忘れたら落ちてそのまま凍え死に……はしないな夏だし、うん。大丈夫。


 もう二度と来ない場所だろうし、目に焼き付けよう。






 橋を渡り終えた先でバザーをしていた。ヘンテコなものが売られている。


「わーい、ヘンテコだー!」


 高校生らしからぬ歓声を上げ駆け出したところで、肩に衝撃。


 同い年くらいの少女と肩同士がぶつかったのだ。


「ごめんなさいっ」


 突撃したのは丈のほうなのに、相手が逸早く謝罪した。


 丈も少女の誠実さに応え、「え、あ、ん、ども」と返した。


 ……少女が走り去った後に猛烈に後悔した。


 元気をなくした丈がバザーを見て回ってしばらく。

 あの少女が商品と商品の間にできた通路に佇んで少々きまり悪そうにこちらを見つめていた。


 今度こそ丈は彼女に駆け寄った。


「あのぉ~、あ、え、さっきは……ども」


 進歩がなかった。


 それでも少女は笑みを湛えた。あっけらかんと、


「迷子になってしまったのです。でも、ここで待ってたらお姉様が見つけてくださると思うので」


 何だか育ちが良さそうな言い回しだった。


 丈は尻込みした。だが、ここが男の正念場だと勘が告げていた。


「あ、と、俺も迷子!」


 それだけ捻り出した。


 意識しすぎだよっ! 可愛い子だからってさ! と自分で自分にツッコめる冷静さだけしか残っていなかった。そんな冷静さ不要だ!


 少女は自身を「ねむ」と名乗った。片貝かたかい寧夢ねむというらしい。


 丈も慌てて名乗った。


 少女がのんびり歩きながら、何故かぐんぐん人混みを抜けていく。


 親しげに丈に「あなたは何かを買われたのですか?」と尋ねた。


「何も……」


「お腹すいてらっしゃる?」


「や、別に……」


 そう言った後で、ぐっと腹に力を入れた。


「ねむ、さんは、何か欲しいもんとかあんの? 俺っ……俺小遣いがあるし、まあ買えるけど?」


 寧夢は「んー」と桃色の唇を尖らせて、視線だけで微笑んだ。

 商品から丈に移動する視線。完璧すぎる流し目。


「わたし、甘えちゃって、いいのかしら?」


 その、少し眠そうな甘やかな視線が、丈の心臓を射抜いた。






 まもなくそれぞれの兄と姉が迎えに来た。


 丈の兄は着古したチェック柄のシャツをジーパンにインしている。


 寧夢の姉は西洋人らしい容姿。ほんのり桃色の光沢があるシャツに、すらりと長い脚を引き締める黒ズボン。


 それぞれ社交辞令の挨拶をして、それぞれの弟妹を引きずるように連れ帰ろうとした。


 引き摺られて行き、丈と寧夢、互いの姿が活気づくバザーのテントの影に消えるその一歩手前、砂嵐が四人を包んだ。


 砂粒が合体し、土の塊になり団子になり、視界の全てが土の壁になった。


 そして、光が遮られ、真っ暗になった。






 狭いポリポット世界。華やかさはほんの僅か、地表にしかない。


 丈は地中の幻影虫の一匹になっていた。蟻のように黒光りする体表。


 見回すと、側に兄がいた。兄のからだには暗い青の混じる光沢があった。


 顔を合わせて、互いが互いに”仕事”を理解していると悟った。


 真上を見上げれば、土を透過して虹色の美しい翅が見えた。


 自分の”仕事”はあの翅に光の粒を運ぶ事だ。


 兄は一度、幻影虫特有の節のついた細い手脚で丈を抱き締めた。


 一言も言葉を交わすことなく、兄は”仕事”のため、地下に向かった。


 丈は明るく光る土の中のトンネル世界を眺めた。


「少年。混乱の時間を、上手く楽しめているかい……?」


 申し訳なさそうな男の声が降ってきた。


 丈が億劫おっくうに見上げると、翅が喋りかけたのだと分かった。


 その事に何の奇怪おかしさも感じないのが奇怪しかった。





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