2. 作家 ~🦋2頭
東北生まれ東北育ち売れっ子アラサー作家――
だが、編集者は許さない。そこで、最低最悪の作品を一筆書いて失望させてやろうと思う。
手抜きだと思われると書き直しを命じられる。だからコツは「こいつ落ちぶれたな」と思わせる事だ。
その絶妙なラインを突いて、背中に冷笑を浴びながら
今は九州まで取材旅行中。
梅雨明けを見計らい、福岡の小倉の港を観光したわけだが、担当編集者と丸一日歩いたところで、あ、ここは確かに良いところだがここから魅力的な小説を生み出す技量が己にはないなと悟った。
……担当編集者にはそう悟った事にしてホテルでぐーたらしている。
だいたい自分はただぐーたらしながら文章を生み出してきた人間だ。
それが突然、取材だー旅行だーなんて言ったところで普段通りの環境にならなきゃ文字なんて書けん。他人様は知らん。自分はそうだ。
そんな五百旗頭の思考の前にひょいと頭を出したのは
彼女がこの旅行を取り仕切る女性だ。若干二十歳。新人ながら女狐である。
いたいけな物ぐさ作家をあれよあれよと誘い出し、あれよあれよと車に乗せ、新幹線に乗せ、幾度か乗り換えし、海の中を突っ走り、最後にタクシーに乗せた。
移動に十時間。もう疲れた。もう死ぬ。
隣にいくら美人秘書の如く可憐な居ずまいで寒天草が乗っていようとも。これはインドア派にして良い所業ではない。
彼女は冷酷非道な人なのだ。
作家がダウンしかかった時には決まって悪魔の甘い囁きを垂らす。
耳元で「この原稿を仕上げたら、ぉっパイ揉ませてあげる」と。
いざ作家が猛烈な勢いで書き上げると、パイ生地を用意し、それを「
意味を悟って泣きながらパイを捏ねた。力一杯揉んだ。
そして、出来上がったアップルパイ。彼女は作家に一口も与えることなくアップルパイを完食した。
彼女は「セクハラで訴えられなかった事を感謝して欲しいくらいです」としれっと開き直った。誘ったのはそちらだろうが。
だったはずが早々に寒天草に見つかった。
彼女が、作家の辛気臭そうな顔を覗き込んだところである。
「駄目ですよ先生。あと三日はあるんですから、さあさあたっぷり取材してください。そして私にたっぷり楽させてください」
地味目のワイシャツにカーディガン。そんな恰好なのに、そのしなを作った感じが色っぽいのだから困る。言う事を聞きたくなっちゃうじゃない!
五百旗頭は慌てて「わかった。わかったよぅ」とロビーを飛び出した。
その瞬間。
蝶の羽が五百旗頭を包んだ。虹色の帯が、視界を埋め尽くした。
手垢のついた眼鏡のレンズが迫ってきたように感じたあたり、五百旗頭の品性が伺える。
背後の寒天草がよろめいて、咄嗟にその肩を支える。
折り重なったオーロラの光が二人の意識を連れ去った。
次に目を開けた時、ポリポット世界に居た。
五百旗頭は蝶の翅の片側だった。寒天草はもう片方にいる。
さながら二枚の花弁のように、ポリポットの上に咲いている。
目がないのに視力はある。
五百旗頭は地面を見ている。――ポリポットになみなみと注がれている土の中を透視している。
反対に、寒天草は空を見ている。彼女は朝日が昇る空を見つめ、沈黙する。
彼女に人間としての意識が残っているのか、五百旗頭からは伺えない。
作家は、小さな幻影虫が――蝶の子供たちが自分たちに光の粒を運び、着飾ってくれることを自然と理解した。
光の粒は装飾品であり、栄養ではないから、自分たちは枯れゆく命だ。
正確には、七日。
小さな働き者の幻影虫たちが多く生き延びれば生き延びるほど光の粒が集まり、美しくなる。
限りなく美しく、死ぬ。
それが蝶の翅としての”仕事”だと、何故か頭に情報が流れ込んだ。
五百旗頭はここに来て、やっと思った。
もっとたくさん、小説書けばよかったなあ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます