こんなの鼻血無くして見れんやろがい

「……なあ水瀬」

「なあに?」


 優しく彼女は俺の問いかけに答えたのだが……俺は恐る恐るこう聞いた。


「マジで俺、キモくない? 迷惑だったら本当に言ってくれよ?」

「大丈夫よ。本当に大丈夫、むしろ可愛いというかそんな感じだから」

「可愛いって……まあなら良いか」

「良いのよ♪」


 今のやり取りは何なのか、その原因は水瀬と藍沢の思い出が包まれたアルバムを俺が見ているからに他ならない。

 二人が作ってくれたカレーを美味しさに感動を覚えた後、良かったらアルバムでも見るかと提案されたので、俺はそれに頷いた。

 家族との間に確執があることは伝えられていたので、その家族と一緒に写っている写真はなかったが、二人の仲の良さがこれでもかと伝わる写真が多いので……まああれだ、俺は終始ニヤニヤしながら眺めていた。


「……本当に仲が良いんだな。今の二人を見ても思うけど」


 俺が見つめるのは水瀬と、その水瀬に膝枕をされて寝ている藍沢だ。

 昼食を済ませてすぐに眠くなったらしく、藍沢は水瀬に甘える形で膝枕を強請って眠りに就いた。


「ゆかぁ……ふへ」

「……やれやれね。一体どんな夢を見ているのかしら」


 藍沢の寝言を聞いて水瀬は微笑みながら頭を撫でた。

 その姿は正に女神のようにも、天女のようにも見え、俺はこのてぇてぇ空間で一緒に空気を吸えることに幸せを感じる。


「あ、そうだわ伊表君」

「うん? どうした?」

「由香って呼んでくれないかしら」

「……え?」


 突然の提案に俺はポカンと彼女を見返した。

 水瀬は相変わらず綺麗な微笑みを浮かべており、別に冗談を口にしたわけでもなさそうで……えっと、つまりどういうことだ?


「それは名前でってこと?」

「えぇ」

「……なんで?」

「だって友人でしょう? 私も伊表君のことを名前で呼びたいわ」

「……………」


 なるほど、確かに友人ならば名前で呼ぶことは普通か……そっか。

 それならと俺は自信を持って、となるわけがなくボソッと呟くように彼女の名前を呼んだ。


「由香……さん」

「呼び捨てで良いわ」

「……由香?」

「っ……えぇ♪ それじゃあ私も……咲夜君」

「……おう」


 なあ……なんで俺たちは互いに名前を呼び合って顔を赤くしてるんだい?

 なんで俺と水瀬……由香の間に甘酸っぱい空間が構築されているんだい?


「その……男の子の名前を呼んだのは初めてなのよ。ちょっと恥ずかしいわね」

「そ、そうなんだ」

「うん。でも……嫌な気はしないわ。むしろ心が温かくなって……ふふっ、咲夜君。咲夜君♪」

「……………」


 あかん、名前を呼ばれるだけで背中が痒くなってしまう。

 俺は一旦自分を落ち着かせるためにトイレに行かせてもらい、大きく息を吐きながら気持ちを落ち着かせる。


「百合の園の守護者たる俺がこの様とは……情けないぜ」


 それだけ由香の笑顔というか、名前を呼ばれることの破壊力が凄まじかった。

 初めて名前を呼ばれたということにドキッとしたのはもちろんだが、それよりもそれだけ彼女が……いや、彼女たちが異性に対して距離を置いていたことの証でもあるんだろう。


「そう思うと……何だろうな。良く分かんねえわ」


 現状に喜べばいいのか、それとも彼女たちの境遇を複雑に思えば良いのか、まあ俺がそれを気にしたところで何かが変わるわけでもないしな。


「ふぅ、落ち着いたぜ」


 しっかし……こうしてトイレを借りたわけだけど、ここだけでも本当に綺麗にされているなという印象だ。

 女性二人だけとなるとこんな感じなのかなと思いつつ俺はリビングに戻った。


「おかえりなさい咲夜君」

「……おう」

「ふふ、顔がまた赤くなったわね。私は慣れたけどまだそっちは無理かしら?」

「むっ……」


 その言い方にちょっとムッとしたが、俺が照れているのは本当なので言い返す言葉もない。


「そりゃ照れるに決まってんだろ。クラスでも有名な美人の片割れだぞ?」

「っ……美人ね。あまり嬉しい称号ではなかったけど、咲夜君に言われると心なしか嬉しいわね♪」


 なあ……なあなあなあ!

 この子なんか全然今までと違わないか!? なんか凄いドキドキさせられて調子がこれでもかって狂うんだけど!!


「……あのさぁ、何寝てる人の前でイチャイチャしてんの?」

「あら?」

「っ!?」


 そんな俺たちの間に聞こえたのはちょっとばかり不機嫌そうな藍沢の声だ。

 由香の膝枕から起き上がった藍沢は俺を……ではなく、由香に不満そうな表情を向けて呟いた。


「実は名前を呼び合う辺りから起きてたんだけど……ねえ由香? 随分と楽しそうじゃないの」

「ふふ、怒ったの?」


 これは……ええい、謝る他なかろう!!


「ごめんなさあああああああいっ!!」


 俺は見事のジャンピング土下座を決めるのだった。

 きっと藍沢は今の空間が気に入らなくて怒っているんだと思うし、それは確実に俺が間に割り込む形だったので悪いのはこちらだ。

 だからこその謝罪だったのだが、どうも違ったようだ。


「あ、違うよ伊表君! そうじゃなくてね? なんであたしを置いてけぼりにして伊表君と名前呼びをしてるのかってこと!」

「……え? そっち?」

「そうだよ! ねえ伊表君! あたしのことも舞って呼んでよ! あたしも伊表君の名前を呼びたい!」

「……それはまあ……別に構わないけど」


 ということで、どうやら藍沢の名前も呼ぶことになったらしい。


「えっと……舞?」

「っ……うん! 咲夜君♪」


 取り敢えず……またさっきの再来というか背中がまた痒くなってきたんだけど。

 それから微妙な空気になってしまったのだが、どうにか互いに気を遣わないようにと心掛けたおかげもあるのか、気付けば普通に戻れていた。


「ねえ舞、今日は楽しいわね」

「うん。咲夜君が来てくれて本当に楽しいよ♪」

「それは……ありがたい限りで」


 しかし、学校と違って本当に良く笑う子たちだなというのが新たな発見だ。

 こうして彼女たちの住む場所に来たのも奇跡的だけど、下心とか抜きにしてもやっぱりプライベートの二人を眺められるのは幸せな光景だねぇ。


「ねえねえ、簡単にだけどあたしたちのことを話したけどさ。良かったら咲夜君のご家族の話とかも聞きたいかなぁ」

「あ、良いわねそれ。ねえ咲夜君、良かったら教えてくれない?」

「まあ別に良いけどさ」


 特に話すこともないけど俺は彼女たちに話した。

 俺のことを慕ってくれる可愛い妹と、そんな妹と俺を愛してくれる両親のこと、そして妹繋がりで俺が百合の沼に沈めた珊瑚の彼氏のことも。


「百合の沼に沈めるって中々パワーワードね」

「どういう感じで沈めたの?」

「まあ……あれ、最初はどうだったかな。まあ良いか、取り敢えずちょっとあいつが興味を持ったみたいだから作品を色々見せたんだよ。そしたら女の子同士の恋愛に鼻の下を伸ばす男が出来上がったわけだな」


 正直なことを言うと、一つの罪を犯した気がしないでもない。

 でも珊瑚と一緒に居る時くらいに興奮してるし、何より彼女の珊瑚自身がそんな彼氏のことを受け入れていて……最近では珊瑚も割と百合作品を見だしてるし、良い傾向ではあるな。


「本当に咲夜君は女の子同士の恋愛に肯定的なのね」

「うむ。百合とは至高、素晴らしい価値観だと思うぜ」

「そんなになんだ。それじゃあさ、またリアルで見せてあげるよ」

「……ほへ?」


 目の前で舞がクスッと笑って由香の頬に手を当て、そのまま顔を近づけて触れるだけのキスをした。

 由香は突然のことに驚きはしたものの、一度離れた舞の顔に自ら近づきまたキスを交わし……え?


「由香……ぅん……」

「っ……舞……っ♪」


 触れるだけのキスは濃厚なキスに変化した。

 舌と舌を絡ませ合うそれは、びちゃびちゃと卑猥な音で音楽を奏で、たった一人の観客である俺に届けられる。

 俺は目の前の出来事に呆気に取られたが、それでも目を離すことが出来なかった。


「ふふっ、どうか……な!?」

「咲夜君……って咲夜君!?」

「……?」


 キスを終えた二人が慌てて俺に近づき、優しくティッシュを鼻に当てられた。

 どうやら俺氏、二人の絡みを見て感動の鼻血を出してしまったようだ……というかあれだね、本気じゃないけど今の光景を見て死んでも良いとちょっと思ったよ。


 その後、俺はティッシュを鼻に詰めたまま二人の部屋を後にするのだった。

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