第32話 切り札の確保

 長閑のどかな農村だったのだろう。

 荒れ果てているとはいえ、多くの田畑と農家が点在する中を、かい真鍋まなべは走る。

 山核に入って約二時間、小休憩を挟みながらではあったが、体力の減少と脚の疲れが目立つようになってきた。

 特に真鍋まなべの疲労が激しく、かいの中で急ぎたくても急げないジレンマが増える。


「ごめんね、普段の恩恵に甘え過ぎていたみたい」


 何度目かの休憩時、真鍋まなべかいに頭を下げる。


「いえ、気にしないでください。それに、副長のおかげで時間が稼げているんですから」


 山核に入ったはいいが、かいはすぐに途方に暮れた。

 百合香ゆりかを探す手段を、何も持っていないことに改めて気づいたからだ。

 山核に入りさえすればなんとかなると思っていたが、それは規模の小さいハルナの山々しか知らなかったから。そのツケが回ってきたのだ。


 ハルナの双子山、ソウマ山には、そもそも人家や人工構造物が存在しない。

 だが、アカギはどうだ。多くの家、店舗、工場など、人々の生活圏がそのまま残っている。

 ただ、生活感、生き物の気配は無い。朽ち果てた車や道路沿いに、ぼろきれのように残る衣服が、そこに生きた人を想像させるだけだ。

 この広大なエリアのどこに百合香ゆりかがいるのか、尋ねる相手などいない。手掛かり一つ見つけられなかった。


 ただ、真鍋まなべは休憩の度に、瞑想のような行為をして、歩き出す方角を決めていた。

 それが、彼女の持つ技能“天大観測”だった。

 基本的な能力は索敵。

 害意のある存在の方向と距離を的確に知る力。

 その説明を受けたかいは、腕の痣に隠された武具が教えてくれる危機察知の強化版のようなものと理解した。

 ついでに、捜索対象の大体の方角を知ることができるのだそうだ。

 ただ、集中する必要がある。

 息を整え、落ち着くために、休憩する頻度は増えた。


 それでも闇雲に探すよりは圧倒的に早いだろう。

 移動してきた軌跡に迷走はなかった。


「かなり近いところまで来てるのよ」


 ヘッドライトを着用し真鍋まなべが立ち上がり、山の上を見上げる。


「無事、ですかね」


 百合香ゆりかがなぜ山核に入ったのか、カードで緊急下山しないのか分からないままだったが、守られるだけの自分の価値を証明するために、彼女は山核に入っているのではないかと、かいは嫌な想像を浮かべる。


「反応は感じるから、山核の中にいて、無事なのは確かよ。本格的に暗くなる前に見つけられればいいんだけどね」


 真鍋まなべは地図を広げ、現在位置の共有と進路を示す。


「ここまで県道16号線を北上して、国道353線を西に移動してきたの。ここからまた北に登るわ」

「だんだん民家も少なくなってきましたね」

「それでも反応はこの方向で間違いないわ。しばらくずっと動いていないの」


 自由を奪われた状況なのだろうか、アカギの南面の斜面を見上げる。

 そこには、ナベワリの山頂が見えている。


「ここからナベワリまでは……」

「直線で五、六キロってとこね。ただ、この先のゴルフ場から上は急斜面で、普通に登るのも苦労するわよ」


 なんとなく、百合香ゆりかはナベワリの山頂を目指している気がしていた。

 過去の大氾濫を生き延びた百合香ゆりかが、双子隊の装備を手に、クラスメイトの恨みを晴らす、復讐のために動いている、そんな予感も浮かぶ。


 勾配もきつくなる中、かいはここまで一体の魔獣にも出会っていないことに違和感を抱く。

 山核内独特の雰囲気はある。

 入山許可証にはパーティ登録した真鍋まなべの情報も確かに載っている。

 ここがナベワリの山核内であることは明白だ。


 なのに、一体の魔獣もいない。


「これが、大氾濫前の山核なんですか?」

「私も大氾濫は初めてだし、ナベワリも初めてだから、なんとも言えないけど、少なくとも私の技能に……」


 少しだけ苦しそうに歩いていた真鍋まなべが、会話と脚を止める。


「副長?」

「……かいくん、氾濫が始まる」


 かいのヘッドライトに照らされる真鍋まなべの顔は蒼白だった。

 かいの耳に、腕に、その兆候は捉えられない。

 それだけ、真鍋まなべの技能が索敵に優れている証明なのだろうか。


「耐火コート、窒素ガンを装備。ポールもあった方がいいけど、これは一度、降りた方がいいかもしれない……」

「そんな……」

「自分の命は、誰かの命と天秤に載せちゃダメよ。ダメだと思ったら、まず何よりも自分自身を守りなさい」

「……駄目だと思えば、そうします」


 かいはリュックから装備と武装を取出し、憮然と答える。

 降りて、氾濫が落ち着いて、もう一度この距離を、時間を費やして登る?

 なんと言われようと、その選択肢だけは存在しない。


 ふと、ポケットのお守りが手に触れた。

 空だったそれを取り出し中身を見ると、そこには直径10センチほどの金色の輪が二つあった。

 触れると“魔素増槽”という名が浮かび、用途を理解した。


かいくん! 百合ゆりちゃんの気配!」

「え、どこですか!?」


 真鍋まなべは北に向かう上り傾斜の県道の先を見据え続けている。


「ああ、もう! 魔獣の気配が多くて分からない。でも、この上よ、急ぎましょう」


 二人で走り出しながら、かいは両手首に神具を嵌める。

 それはすぐにフィットし、自動的に起動した。


CPコアポイントの代わりに魔素を使うのか!)


 武具を具現化させるだけなら、山核内であれば可能だった。

 だが、武具に秘められた拡張機能を使うにはCPが必要だ。

 そしてこの神具“魔素増槽”は、CPの代わりに山核内に膨大に存在する魔素を取り込み、武具の糧にする。

 それがどれだけの能力を有しているかは分からないが、少なくとも切り札を手に入れることができたのは間違いなさそうだ。


百合香ゆりか! 待ってろ!)


 かいは移動する速度を上げる。



 カミヤマとヨーコを追い、ブーツを履き直して百合香ゆりかは建物の外に出る。

 そこには確かに「公民館」を表す表札が掲げてあった。

 立地は、アカギの斜面の中腹。夕闇に覆われ始めた前端まえはし市の街並みが見え、ナベワリの山頂が思いのほか近くに見えていた。


裾野すそのさん、戦闘経験は?」

「ハルナで三か月実戦訓練してます」

「対応できる等級は?」

「三級……程度です」


 カミヤマに問われ、百合香ゆりかはあらためて自身の無力さを痛感する。


「よし。俺の側を離れるな。ヨーコ、頼む」

「あい!」


 カミヤマの声に、不器用な敬礼で答えたヨーコが服を脱ぎだす。


「え? ちょっと、なにを!」


 そもそも、この少女はなんなのだろう。

 可愛らしい雰囲気の中にどことなく神秘性を感じる容姿は、無骨さを感じるカミヤマと血縁関係にあるとは思えない。自分と同様、どこかで助けられた民間人なのかと思ったが、なぜ服を脱ぐ?


「お気に入りの服なんでな」


 少女が脱ぎ捨てた衣類を、肩に掛けたバッグに仕舞いながらカミヤマは苦笑する。

 百合香ゆりかはそこでも違和感に気付く。

 カミヤマが持っているのは、拡張バッグだ。


「あなたたちは、何者なんですか?」


 全裸で仁王立ちする少女とカミヤマを見て、百合香ゆりかは構える。


「大氾濫に乗じて、ナベワリを手に入れようとしてるだけだ。生き延びたいなら、悪いが俺たちと同行してもらう」

「手に入れる……同行?」


 百合香ゆりかの問いかけは、音と振動によってかき消される。

 山頂方向から強烈な気配が、数えきれないほどの存在感として大気を伝う。


 不死鳥のような燃える鳥が空を舞っている。

 公民館前の舗装路を遠方から多数の魔獣が駆け降りてくる。


 百合香ゆりかは、訓練や経験が何も役に立たない状況と悟った。

 これは、どんな武具や技能を持っていても抗えない数の暴力だ。

 何十、何百という、管理されていない魔獣。

 そこには悪意ですらない、すがすがしいまでの純粋な意志。

 破壊の為にだけ存在する意志に当てられ、抵抗する気力すら浮かばなかった。


 呆けた百合香ゆりかの目の前に膨れ上がる気配。

 少女の体が異形に変わりつつあった。

 変化が止まったとき、大きさは競走馬ぐらいか、白い体に赤い線が模様となったケモノがいた。


「ま、じゅう?」


 少女だったケモノは、尻にある幾本もの太い尾がたなびかせ、迫り来る魔獣の群れに跳躍する。


「使い魔みたいなものだ」


 飛来する燃え盛る大型の鳥を、いつの間にか持っていた青く輝く大剣で両断したカミヤマがニヤリと笑う。



=========


 山核内で真鍋の技能を駆使しながら百合香を捜索する開。氾濫が始まり装備を用意する中で、お守りの中身が具現化する。そこにあったのは開の武具を活かすための装備だった。

 百合香はカミヤマとヨーコと共に氾濫に立ち向かう。絶望的な状況の中、ヨーコが魔獣に変化する。

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