第24話 双子隊、アカギへ

 石板に名前が載った。

 それは、山核へ侵入した者が入山許可証を所持することを意味し、アカギ、厳密に言えばナベワリの登山口に常駐しているアカギの山核隊は『YURIKA・S』という表示をデータベースで照合する。

 山核に入山する隊員は全て計画されているが、表示された11:07という入山時間に入山する同名の人物は予定表に無い。

 ほどなくして該当する人名が、ハルナ山核救助隊第五隊に所属する隊員と一致することが判明する。


 ナベワリの登山口がある“アカギ大鳥居”の南に建つアカギ山核隊の本部、救助隊の隊長室で報告を受けたアカギ山核救助隊の遠山とおやま隊長は、ハルナ救助隊第五隊という文字を懐かしく感じながら、その一員が何故アカギの山核に無届けで侵入するのかいぶかしむ。


郷原ごうはらはいったい何を考えてるんだ? それに、ミミはちゃんとやってんのか?」


 かつて同じ釜の飯を食った元同僚と、そいつをフォローする立場である、懐かしい女性の顔を思い浮かべる。

 データベースの情報は裾野百合香すそのゆりかという名前と顔写真、記載されている簡単なパーソナルデータを眺め、出身地の欄、前端まえはし大古おおこ町という文字が目に留まる。


大古おおこって、大氾濫の……おい、裾野すそのの侵入経路は分からんのか?」


 報告に訪れた若い隊員に聞くが、隊員は恐縮して答える。


「自衛隊、警察共にまだ目撃情報は上がってきてません」


 アカギ、ナベワリ山核の範囲は広すぎて、境界線の全てを監視することが簡単でないことは遠山とおやまもよく知っていた。

 ただでさえ、入山許可証を持たない違法入山者は後を絶たず、鉄条網や土嚢と言った物理的な壁も、その多くが壊され、組織的な違法入山者も多い。

 それに拍車をかけているのが氾濫の予兆。

 週に一、二回発生していた氾濫がぴたりと止まって一か月が経つ。

 氾濫に対処する自衛隊や警察は、大氾濫に備え、下界ではなく山ばかり警戒するようになっていた。

 入山許可証を持たない違法入山者は石板に名前が載らない。

 いつ、誰が、どんな末路を迎えても、山核の中で息絶えれば、三日で死体は消失し、その記録はどこにも残らない。

 どの組織も割けるリソースは限られているため、山核へ侵入する危機意識の低い人たちに構っていられないというのが正直な話だった。


 だが、入山許可証を持つ場合は別だ。

 たとえ届け出の無い入山であっても入山が禁止されている訳ではない。

 その結果として石板に表示されるだけで、それが意図したものか、何らかの事故なのかは分からない。


 同業とはいえ、年若い女性が一名。

 救助隊とすればすぐにでも出動すべきなのだろうが、アカギの救助隊は20名足らず。いつ氾濫が発生するか分からないこの状況で安易な出動はできないと遠山とおやまは判断を迷う。

 それに、大氾濫の兆候がある状況下だからこそ、アカギの山核本部を通じてハルナに応援要請を出しているのだ。


「ハルナに連絡してくれ。応援してくれるのはいいが勇み足じゃないのか? ってな」


 もちろん本気での物言いではないが、遠山とおやまにとってハルナは古巣、その程度の冗談や皮肉を言えるくらいの信頼関係は残っていると思っていた。


「了解です。裾野すそのの捜索はどうしましょう?」

「本気で先発隊かもしれんからな。向こうの隊長の回答待ちにしよう。ウチは各ポイントに待機、変わらずだ」


 隊員は敬礼の後走り去る。

 その後ろ姿を見ながら遠山とおやまは呟く。


「それにな、裾野百合香すそのゆりかってのがの隊員なら、要救助者にはならんだろうさ」と。



「フル装備ってどこまでだ?」

「手当り次第に持っていけばいいんじゃない?」


 宿舎の中で、広大こうだい優実ゆみが右往左往する中、かいはまず自室で卓磨たくまにメールを送った。


百合香ゆりかがアカギの山核に入ったそうです。石板に表示があると連絡がありました。第五隊はこれからアカギへ向かいます』


 かいは不思議と、この現実を許容していた。

 こういった事態を予測したつもりはなかったが、何かが起こるという予感は当たってしまったのだ。

 それならば、次は自分がどうやって解決するか、それだけだ。


 なんらかの理由でアカギに入った百合香ゆりかを連れ戻す、そして。


(俺は百合香ゆりかに謝りたい)


 決意してみればなんとも身勝手な願望で、ひょっとすれば、もうすっかり嫌われているかもしれない。それでもかいは、彼女に嫌われるより、悲しませてしまったことが何よりも辛かった。

 そして、もう二度とペアを組んでもらえなくても、側で見守りたいと思った。

 そのためにも、もう一度彼女をここに連れ戻すのだ。


 かいは、個人管理されている数日分の消耗品を根こそぎリュックに詰める。

 装備室や事務所でも、非常食や水のペットボトルを大量に入手する。

 特に、医薬品は手当り次第に用意する。


 広大こうだい優実ゆみは、淡々と無表情なまま準備を続けるかいを見て、彼が誰よりも百合香ゆりかを想っていることを理解する。

 叫んでも、喚いても何も始まらない。

 彼は自分のできることを黙々と行っていた。


「準備できました」

「オッケイです」

丸山まるやま、行けます」

「お、俺も大丈夫です」


 紺色の隊服とブーツ、そしてリュックを背負った宗太そうた祥子しょうこ優実ゆみ広大こうだいが並ぶ横にかいが無言で並び、正面の真鍋まなべ副長に頷く。


「七人だからミニバン一台で行くわ。運転は望月もちづきくん、助手席に湯狩ゆがりさん、隊長と私が中列、後ろに新人三人ね」

「細かい情報伝達と指示は車の中で行う。アカギの山核隊本部まで約60分だ。行くぞ」


 副長の指示に隊長が出動を促し歩きはじめる。

 詳細を知らされていない事務員たちが不安な顔で見送る中、七人は宿舎を出てミニバンに向かう。

 乗り込む前、駐車場に赤いスポーツカーがブレーキ音を響かせながら入ってくる。


「ちょっと待て!」


 かいがメールを送ってから10分も経っていない。切迫感を露わにした切磋琢磨せっさたくまが赤い車から降りて叫ぶ。


卓磨たくま……」

郷原ごうはら山際 開やまぎわ かいもメールの返信くらい待て! 送りっぱなしにするな」


 卓磨たくまはエンジンも切らず、車内からトートバッグを取出し郷原ごうはらに向かう。


「向こうで合流しようって送ったろ」

「俺がアカギの連中と会う訳ないだろうが」

「この期に及んで……」


 郷原ごうはら卓磨たくまの間で少しだけ不穏な雰囲気が高まる。


「隊長も、卓磨たくまさんもいい加減にしてくださいね」


 副長が冷たい視線を今度は二人に向ける。

 さすがに状況を理解した卓磨たくまはバッグから、コートとでっぷりとした銃のような物を取り出す。


「アカギ用の装備だ。耐火コートと窒素ガン。八人分入れてあるが双子隊の使用権限付きだからな」

「窒素ガン?」

「NEAシステム(Nitrogen Enriched Air System)を応用したものでな、まあ酸素を除去し火を消せる消火用の銃と思ってくれ」

「……火属性対応装備か……こりゃまた遠山とおやまと揉めそうだな」

「だから俺は行かない。が、よろしく言ってくれ」

「嫌だね、自分で言えよ」


 会話の最後だけお互いに柔らかく笑い合い、隊長は踵を返し「行くぞ」と皆を促しミニバンに向かう。

 隊長と卓磨たくまのやりとりを無言で眺めていた優実ゆみ広大こうだいは、ちらちらと卓磨たくまを眺めながら車に乗り込む。


山際 開やまぎわ かい。お前に渡すものがある」


 最後に会釈して歩き出したかい卓磨たくまは呼び止め、振り返ったかいに小さな袋を渡す。


「お守りだ。困ったら開けろ」


 かいはその場でお守り袋を開ける。


「おいおい……」

「今、困っているので!」


 言いながら確かめた袋の中は、以前と同じように空っぽだった。


を使う時、を使え」卓磨たくまは真剣な顔でそう言った。


 武具を山核で使う時、お守り袋の中身を使え。


 卓磨の言葉をそう読み解いたかいは深く頭を下げたあとに問う。


「あなたはアカギに行かないのですか?」

「事情があってな、だから百合香ゆりかはお前らに託す。頼んだぞ」


 百合香ゆりかより大事な事情なんか俺にはないけどな。


 かいは心の中で呟き、会釈し走ってミニバンに乗り込んだ。

 隊長と副長の間を通り、後席の空いている真ん中の席に座る。

 小さなため息を吐いたかいの左右から小さな声がかかる。


「なんで山核庁の人がここに?」

「あの人山核庁の人だよね?」


 広大こうだい優実ゆみの質問は同じ内容だった。 



=========


 アカギの救助隊隊長の遠山は、入山者の所属が双子隊と知り、正式な救助手配を保留にした。当の双子隊が宿舎を出る直前、切磋琢磨が現れ、郷原に新装備を渡し、開にもお守りを手渡す。

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