第21話 思い出の地
「久しぶりね、元気だった?」
渋沢駅から電車で約30分。
「なんでお母さんが? お父さんが来ると思ってたのに」
「入院は明日からよ。別に悪いところなんて何もないのに、
すぐに少し前の記憶が思い起こされ、羞恥に顔が熱くなる。
過ぎてしまえば、なんであの程度のことにあんなに感情を剥き出しにしてしまったのか自分でも分からない。そもそも、大声を上げたり涙を流したという過去の記憶を思い出せないほど、自分にとって稀有な経験だったと自覚していた。
「どうしたのよそんな赤い顔して」
「別に、なんでもない」
「……なんだかさ、そんな表情も久しぶりだね」
「三か月ぶりくらいで、大げさだよ」
「そうじゃないよ。あなたってずっと気持ちを抑えているような……まあしょうがないんだけどさ。そんな顔だったのに、今のあなた、なんだかとっても年相応の女の子みたい」
「なにそれ……」
「ひょっとして、恋?」
「へっ? こ、恋?」
「なんだっけ、同期の、やまなんとか君」
「
「へー、かい、ねー、へー」
それきり黙りこむ娘の顔は、先ほど以上に赤くなり、
それは三か月前には想像すらしなかった表情で、それがいいことなのか悪いことなのか、彼女には判断できない。
それをできるのは、
あの大氾濫の際、
もっとも被害者の親として大きな騒動の渦中にいて、娘の心のケアを
大氾濫で犠牲になった
20××年九月二十日
山核発生の年、それまで不気味なほど穏やかだったアカギは、唐突に牙を剥いた。
前端市の端、アカギの裾野に位置する
異常事態であっても人は慣れてしまうもので、様々な情報網が断ち切られ思うような情報が入手できない事もそんな危機感を麻痺させてしまっていた。
多くの山で氾濫は起きていたのに、アカギは起きていない。
ハルナやミョウギでも氾濫していないのだから、ここで暮らしていても大丈夫。
そんな正常性バイアスを感じる人々を責めることはできない。
物流や交通網は滞っていたが、住居があり生活圏が存在するのに、なぜ積極的に都市部へ避難する必要があるのか? と多くの人は以前と変わらぬ土地での生活を望んだ。
あの時逃げていれば。
少なくとも子供たちを別の学校に転校させていれば。
そんな仮定は過ぎてみれば後悔や生存者に対する怨嗟の声にすり替わった。
当時、校庭で体育の授業を受けていた三年二組三十五人の内、三十四名が大氾濫による魔獣の侵攻で犠牲になった。奇跡的に助かったのは
校内で授業を受けていた生徒たちは全員無事だったが、彼らのほとんどがPTSDを発症するほど、校庭は凄惨な地獄絵図と化した。
当時、山核発生に伴い、
救出されてしばらくの間、まるで心の傷が癒えるのを待つように、彼女はほとんど感情を無くし、ただ反射や習慣によって療養生活を続けていた。
事情聴取の中で、氾濫の一部始終を詳細に語ることもできたが、そこに本来あるはずの感情がまるで失われていて、そんな
自分以外みんな死んだのになんで平気でいられるのだ。
お前が魔獣を操ったのではないか。
犠牲者の一人である彼女は、たった一人生き残ってしまったが故に、喜ばれるよりも、恨まれ、憤りの対象にすり替わってしまった。
それからずっと、彼女は静かな生き方を貫いた。
受け答えもしっかりと、大きくはないにせよ喜怒哀楽も表現できていた娘を、ただ腫物を触るように静かに見守るしかできなかった。
そんな
正確にはハルナ山核隊の救助隊。
娘の行動に納得できる理由を見いだせなかったからだ。
それまで多くの時間を
それからは、娘の決意に積極的な応援をした。調べられる情報の多さが彼女の助けになるとばかりに力を尽くした。
そんな助力に効果があったのかは分からないが、彼女は無事に救助隊に合格した。
ただ、その配属先、第五隊の評判は芳しくなく、そんな不安を感じつつも
そして三か月ぶりに再開した娘は、それまでの静物のような印象が陰を潜め、少し大人しい、普通の少女の佇まいに思えるほど変化していた。
(でも、それでもいい)
少なくとも悪い変化じゃないのだ。
これからも
「お母さん、ここで降ろして」
「大丈夫?」
「うん。ちょっと見てから歩いて帰るよ」
「お昼、用意しておくからね」
重さを感じないリュックを背負い車を降りた
氾濫の直後に廃校になり、管理する人もいなければこうなるだろう、という見本のような荒廃した空間に足を踏み入れる。
氾濫の後、一度も立ち入れなかった場所だったが、足はあっさりと境界線を越えることができた。
そこから北を見ると、四階建ての古びた校舎が
初夏の淀んだ空気にぼんやりと霞むアカギは、幼少の頃から見慣れている輪郭を維持し、山核に支配されているにも関わらず、何故だか郷愁を感じていた。
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百合香が地元である前端駅に着くと、そこには入院予定の母、茉莉が待っていた。車内での会話で、茉莉は百合香の変化と、かつての事件を思い出していた。その事件の現場、大古中学で百合香は車を降り、一人で過去に向き合う。
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