第19話 涙

「どういうこと、休暇って」


 夜の会合が解散となり、かい百合香ゆりかを捕まえる。

 広大こうだい優実ゆみも心配そうな顔で二人に寄り添う。


「午前中にね、実家から連絡があったの。母さんが入院することになって、少しだけ父さんの世話をすることになったんだ」

「入院って、何があったんだ」

「大したことじゃないよ。検査入院なんだけど一週間くらいかかるから、その間だけでも戻れないかって。うちの父さん、家具屋を経営してるんだけど、放っておくとご飯も食べずに仕事する人で」


 百合香ゆりかかいの問いに恥ずかしそうに答える。


「じゃあ、一週間したら」

「もちろん、戻って来るよ。私の居場所はここだから。今回のことだってホントは断ろうとしたんだよ? 新入りの身分でまだ三か月も経ってないのに長期休暇なんて取れないよって。でも夕食の前、隊長に相談したら明日にも帰れって、休暇届をその場で書かされたよ」


 百合香ゆりかは微妙な顔をして続ける。


「私、そんなに役立たずですか? って隊長に聞いたの。そしたら、いつ何があるか分からないところに勤めてる自覚を持てって、こういう機会は大事にしろって、怒られちゃった」


 苦笑する百合香ゆりかを見つめながら、かいも自分のことを思い出す。

 初めて山核で戦った双子山での試練の後、メディカルチェックを済ませたかいは、半ば強引に休暇を取らされたのだ。

 ただ、三日も休ませてもらえたおかげで、父親を早く復帰させることができた。


「じゃあ、嫌になって休むんじゃないのね?」


 優実ゆみが真剣な顔で百合香ゆりかの顔を覗き込む。


「そんな訳ないでしょ。丸山まるやまさんも片山かたやまくんも、ちゃんと訓練して新しい力を使いこなしてね。八月の護衛任務まで日がないんだから」


 百合香ゆりかはそう言って四人の会合を終わらせた。


 部屋に戻った百合香ゆりかはあらためて現状を考えていた。

 彼女にしてみれば“山の幸”がなくても、卓磨たくま真理まりが創る装備で十分対応ができているため、それ以上の力を得ても持て余すだろうと考えていた。

 それでも、前回の青い熊、今回の白い鹿などに対し、百合香ゆりかに対抗できる術はない。

 広大こうだい優実ゆみが立ち向かったのは、恐怖に駆られた蛮勇だ。それはとても褒められることではなかったが、結果的にその二人が鹿を仕留めることになった。


(私は、かいの隣に立つこともできない)


 隊長に溢した『役立たず』という言葉は現状から逆算してもただの事実でしかない。それは他でもない百合香ゆりかが一番よく分かっていた。


 だからだろうか、かいが夜警のパートナーに優実ゆみを選んだ理由は、役立たずの自分に責任があるのではないか、などと捻くれて考えてしまう。

 と同時に、この三か月、かいと過ごした時間が多すぎて、何をするにもかいの存在を前提とした考え方をしているのも事実だった。

 共依存状態であるとまでは考えていなかったが、一度距離を置いて、彼の存在を俯瞰した視点で見つめ直してみるいい機会だと思った。



「それじゃ、駅まで送ってきます」

「それではしばらく留守にします、行ってきます」


 ハルナレイクタウンからも山核隊専用の定期バスは運行しているが、朝食の席で隊長が、百合香ゆりかを送るようにかいに命令を下した。


「ウチはいろいろと有名だからな。ヘタに勘ぐられても嫌だし」


 公共交通機関を使わないことに隊長はそんな理由を付けていたが、たぶんかい百合香ゆりかに対する配慮なのだろうと、なんとなく誰もが想像していた。

 たまには二人っきりでゆっくり話でもしておけ、と。


 ジーンズにパーカー姿の百合香ゆりかと、隊服のかいが出かける挨拶をして宿舎を出る前、隊長がもう一度声をかける。


裾野すその、荷物はちゃんと持ったか?」

「はい。リュックを使わせてもらってます」


 救助隊員たるもの、いつどこで要救助者が現れても対応できるようにと、隊服や装備一式を必ず持ち歩くようにと指示を受けていた。

 拡張リュックに着替えなどの私物も入れることができた百合香ゆりかは、重い荷物から解放され軽々とした気分で笑顔を見せる。


「そうだ、山際やまぎわ、帰りにまた卓磨たくまのとこ寄ってくれ」


 隊長は軽い口調でかいにトートバッグを渡す。


「……また?」


 百合香ゆりかがそのやり取りをいぶかしむ。


「え、お前、まさか裾野すそのに言ってないのか?」


 青褪めるかいが視線で隊長に訴えるが、郷原ごうはら隊長は惚けた顔で追い打ちをかける。

 他の隊員は、なにやら不穏な雰囲気に押し黙り、百合香ゆりかはそんな雰囲気の中、双子隊の宿舎を出ることになった。



「説明、してもらっていいかな?」


 シートベルトを固定し、窓の外を眺めながら百合香ゆりかかいに問う。


「……前に、物部もののべさんのアドレス教えてもらったろ? 連絡したら、その日の夜に来いって返信がきて……」


 かいは冷や汗をかきながら車を発進させる。


「私、言ったよね、隠し事、なしにしようって」

「そうなんだけど、百合香ゆりかには内緒で来てくれって言われたからさ……ごめん」

「……真理まりちゃんが内緒でって言ったの?」

「ああ、でも別に大したことはなかったんだ。その時も隊長に相談して、卓磨たくまさんのところに魔核を持って行って、武具の使い方とか聞いたりしただけだよ」


 かいは、そっぽを向いたままの不機嫌な百合香ゆりかを刺激しないように深夜の会合の顛末を伝えたが、金の魔核や、職能、百合香ゆりかを守りたいといった話は伏せておく。


「そんな内容の話で、なんで黙ってたの?」

「なんで……って、内緒でって言われたから……」


 かいにしてみれば、救助隊での活動理由が、当初の『父親を助けたい』から『百合香ゆりかを守りたい』に変化している訳で、それをあからさまに本人に伝えることは、単純に恥ずかしさが勝り、言いよどみ、結果的に真理まりに言われた内緒という言葉を言い訳に使う。


 ただ、百合香ゆりかの心の中では、先日の一泊訓練で感じた様々な不安が、今回の一件で倍加されていた。

 聞いた限りの話の中に、自分に聞かれてまずいことなんかない。

 にも関わらず、内緒の会合は行われ、ここに至るまで、実はこんなことがあったんだというかいからの報告もなかった。

 

「別に深夜に、かいがどこに出かけて誰と会っていたって構わないけど、真理まりちゃんは私の親戚。なんでそんなコソコソするの?」

「コソコソって、そんなつもりじゃ……」

「じゃあ、どんなつもりなのよ! 三人で私のダメなところとか話したんでしょ? 新人の他の三人と違ってなんの力もない私が役に立たないとか……そっか、丸山まるやまさんと片山かたやまくんがウチに来てすぐに二人の装備を与えられたのも、どうせ私が弱っちいから、見てられないからなんでしょ!」


 久しぶりの二人きりの時間なのに、いや、二人きりの時間だからこそ、百合香ゆりかかいに本音を爆発させていた。

 感情はコントロールから外れ、運転中のかいを見つめる瞳からは涙が零れ続けていた。


「……そんなんじゃない! 俺も、卓磨たくまさんも物部もののべさんも! みんな百合香ゆりかを守りたいんだ!」


 恥ずかしいなんて言っていられない。

 ただ真実を伝えたいとかいは大きな声を出す。


「そうやって……私を……ずっと、籠の中に仕舞うんだ……」

「……籠? なんのことだよ」

「じゃあ私は、どうすればかいの隣にいられるの? なんの力もなくて、ただ守られるだけで、そんなんじゃ私の居場所はどこにもないじゃない! そんなに守りたいなら、箱にでも入れて、金庫の中にでも仕舞っておけばいいじゃない……」


 百合香ゆりかの語尾は小さく、感情に支配された自らを嘆くように、両手で顔を隠したまま、静かに泣き続けた。

 車内はずっと沈黙のまま、何も考えられないかいは、彼女の目的地である渋沢駅まで運転することしかできなかった。


「ごめんなさい」


 駅で車を降りる百合香ゆりかは、そんな一言を残し、駅の中に消えて行った。

 かいは、そんな彼女の後姿を、ただ見つめる事しかできなかった。



=========


 新人たちは百合香から一週間という休暇の理由を聞いた。出発前、隊長の不用意な一言で、開が一人で物部家を赴いたことを百合香が知る。駅までの車中、百合香は訓練などで抱えていた不安と共に、秘密にされていた事実に対し感情を爆発させる。

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