第31話 双子山雄岳山頂

「よ、お疲れ」


 山頂標の隣で朝日の逆光を浴びた切磋卓磨せっさ たくまは、軽装の登山ウェアに身を包み、中型リュックを背負い、サングラスの顔を綻ばせる。

 その光景は、四年前まで、どの山でも見られたごく普通の登山者の姿だった。


卓磨たくまさん……どうしてここに」

「登山日和だからな」


 卓磨たくまはリュックを降ろし、中からステンレスのマグカップを三つと保温式の水筒を取り出す。


「……やっぱり、ハルナエリアが安全な理由って、そういうことなんですよね」


 かいは想像していた人物の存在に、これまでの推測が間違っていないと確信する。


「まあとりあえず、これでも飲め」


 卓磨たくまは水筒から中身を注いだマグカップを二人に渡す。

 立ち昇る湯気は、甘いココアの香りを伴い、疲れ果てていた二人はごくりと喉を鳴らし、ゆっくりと口をつける。


「うまい……」「美味しい……」

「俺はさ、どんなに疲れていても、山頂から眺める景色を見て、あったかいココアを飲むと、また登ろうっていつも思うんだよ。まだ下山してもいないのにな」


 かいがこれまで見てきた彼の印象からは想像出来ない笑顔で、自分もココアを飲みながら卓磨たくまは続ける。


「そして、現在、そんなささやかな楽しみを味わえる人は限りなく少ない」

「ここは、あなたが攻略したんですね」

「……でも、なんでまだ山核化してるの?」


 卓磨たくまの言葉にかいが反応し、百合香ゆりかが疑問を投げかける。


「管理者……山核を利用して、山核に対抗できる人を育成するためですか?」


 かい百合香ゆりかの問いに答えず、まっすぐ卓磨たくまを見ながら聞く。


「いいや、素材集め」

「……素材って、だって解放すれば山は元に戻るんでしょ? 真理まりちゃんはそのために道具作りをしてるって、世界中の人がまた山を取り戻せるようにって」


 ここまでの疲れ、恐怖や緊張によって麻痺していた感情が甘いココアで蘇り、百合香ゆりか卓磨たくまの答えに非難の感情を浮かべる。


百合香ゆりか、落ち着いて。世界中の山を元に戻すため、このエリアが必要なんだ。俺たちみたいな新人を育成して、装備を創って、少しずつ山を解放するために。そうですよね」

「仮にそうだとして、俺はなんでそれを公表してないんだろう?」


 卓磨たくまはそれまでの、会話を楽しんでいるような気配から、笑みの消えた顔で二人を凝視する。

 絶対的強者に捕獲されたような感覚は、周囲の気体すらも重量を増したように思えた。


「そして、キミの洞察を後押しするかのように、俺がここに現れた理由はなんだと思う?」


 その通りだ。とかいは思った。

 卓磨たくまがハルナエリア全体を掌握していて、それが誰にも周知されていないならば、それには理由があるはずなのだ。

 彼はなんでここにいるんだろう。


 無意識に助けてもらえたと思った。

 でもそうじゃなければ?


「……口封じ、ですか?」


 ココアで潤っていたはずの喉からは少し掠れた声が出る。

 その言葉を聞き、卓磨たくまは口角を上げる。


「はいはいそこまで。卓磨たくまさん、おふざけも大概にね」


 声と気配はかいたちの横から現れた。

 緑色の、ポンチョのような服装、そのフードを上げ、物部真理もののべまりの長い髪がはらりと零れる。


「……真理まりちゃん、どこから来たの?」

「まさか、転移とかですか?」


 思えば入山許可証には強制下山機能があり、それはまさしく転移なのだ。山核の管理者ならばそんなことも自由にできるのかもしれないとかいは思った。


「んー、実はずっとここにいたのよ」真理まりはいたずらっ子のように笑う。

「ここに? だって、そんな」

「隠蔽、ですか?」

「気配遮断コートって呼んでるよ。山核内ならほとんどばれない」

「暗殺し放題?」

「まさか。じっとしてないと効果が薄いのよ」


 百合香ゆりかの突拍子もない質問に思わず吹き出しながら真理まりは答える。


「これも、試験ってことですか?」

「試験?」百合香ゆりかかいの言葉にキョトンとした顔を向ける。

「うん。たぶんだけど、これ隊長たちも知ってますよね」

「なかなか察しがいいな」


 卓磨たくまは腰に手を当てて嬉しそうに笑う。


「え、隊長たちもって、今までのこれって全部、仕組まれたものってこと?」

「セイバーとしての心得を諭して自己犠牲なんかじゃだめだって伝え、入山許可証をちらつかせてそれを渡さず、決して山核に入るなと指導される。その上で目の前に要救助者を餌にして俺たちを山核に飛び込ませる」

「じゃあ、かいの同級生達って……」

「おいおい人聞きの悪い。あいつらは正真正銘の違法入山者だ。おかげでいろんなことが前倒しになった。ま、利用したのは事実で、結果オーライだったがな」

「結果オーライ? 人が傷ついて、あんなに怖い思いをさせて!?」


 体は疲弊しきっていたが、かいの中に消えかけた炎が息を吹き返す。


「言っておくがな、この計画に利用しなかった場合、あいつらは人知れずに死んでいたぞ? 前日にたまたまハンターのバカが入山騒ぎを起こして、こっちが警戒を続けてたから見つけられたんだ」


 だが、卓磨たくまのどこまでも冷静な言葉に、かいの熱は冷まされる。


「それでも、もっとやり方はあったんじゃないですか?」

「そうかもな。でもな、山核や要救助者はキミらの成長を待ってはくれないぞ?」


 百合香ゆりかのやるせないような声に、卓磨たくまは優しく答える。


「二人の気持ちも分かるんだけどね、私たちの気持ちも理解してほしいんだ」

真理まりちゃんの気持ち?」

「可愛い姪っ子がセイバーになりました。がんばってほしいけど、大丈夫かな? 怪我とかしないかな? 今のままで山核に対応できるかな? できればずっと見守っていたいよー、って気持ち」

「もう、子どもじゃないよ」

「そうよ。あなたは一人前。でも、あなただって郷原ごうはらさんだって、いつ死んじゃうか分からない。だからできるだけ死なないようにフォローする。それはね、道具や装備を渡すだけじゃダメなの。そんなものがなくても、生き残れるようにする気持ちを養わせないと」


 かい百合香ゆりかも何も言えなかった。

 実際に、二人でここまで登る途中、相手のために死ぬわけにはいかないと思い続けていた。

 何よりも生きる意志、生き残る意志を持つことでここまで来れたと気付く。

 守るとは、生きているからこそ果たせる手段であり、自己犠牲の果てに誰かを助けたとしても、もう二度と、その人も他の誰かも守ることはできないのだ。


「キミたちは未熟かもしれない。でも、生き残る意志を忘れなければ、後は俺たちに任せろ。俺たちの創る装備は決してキミたちを死なせない」

「でも、未熟でもね、誰かと一緒なら意外と乗り越えられるものよ」


 卓磨たくま真理まりの声に、なんとなくお互いの顔を見つめ合うかい百合香ゆりか


「俺が百合香ゆりかを守るよ」

「私がかいを守る」


 二人同時に発した言葉に、なんだか可笑しくなって二人で笑った。


「さて、登頂記念を渡しておかないとな」


 卓磨たくまはそう言い、胸ポケットから二枚のカードを取出しかい百合香ゆりかに差し出す。


「これは、入山許可証?」


 KAI YAMAGIWA、YURIKA SUSONOとそれぞれの名前が入ったカードを受け取り凝視する。


「なんで、卓磨たくまさんがこれを?」

「カード発行装置も、お二人が創ってるんですね」


 百合香ゆりかの問いに、かいが推測を重ねる。


「さてな。使い方は郷原ごうはらに聞いてくれ。せっかくだ、試しに帰還機能を試してみたらどうだ? それとも魔獣と戯れながら下山するかい?」


 顔を見合わせた二人は


「使わせてもらいます」と声を揃えた。

「そうだ、キミにはこれも」


 卓磨たくまかいに小瓶を渡す。


「これは?」

「これからもセイバーに集中できるためのパスポートさ。親父さんに飲ませてやりな、山際 開やまぎわ かい

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