第5話 物部設計事務所

 目的地に辿り着き、ワクワクしたような笑顔を浮かべた百合香ゆりかの顔は、18歳という年齢より子供っぽく見えて、かいは少しだけ戸惑う。

 百合香ゆりかはドア横のインターフォンを押し反応を待つ。


『はい。どちらさま?』


 数秒後、落ち着いた女性の声が聞こえる。


「あ、あの、私、ハルナ山核救助隊の者です」


 百合香ゆりかが先ほどまでとトーンが少し違う、少し上ずったような緊張した声で答える。

 かいは自分の出番はないと判断し応対を百合香ゆりかに任せておく。


『……あー、なるほど。ちょっと待ってね』


 女性の声に柔らかさが宿る。

 すぐにドアからカチンと金属音が鳴り、外開きのドアがゆっくりと開く。

 ドア越しに、長い黒髪のメガネをかけた女性。年の頃は二十代中盤くらいだろうか、少女と大人っぽさが混じったような雰囲気とかいは思った。


百合ゆりちゃん!」

真理まりちゃん!」


 大人の女性に見とれていたかいは、その女性と同行者が抱き合う姿に困惑する。


(え? なにごと?)


「いやー、セイバーかぁー、うんうん良い選択だ。お姉ちゃんもちっとも教えてくれなくてさ、百合ゆりちゃんどうしたんだろってずっと心配してたんだよ」

「えへへ、驚かそうと思って。でもまさかこんな形で会えるとは思ってなかったよ」

「ああそうか、第五隊なのか。郷原ごうはらさんが気を利かせたのかな」

真理まりちゃん、ハルナのセイバーと仕事してるって言ってたからもしかしてって思ってた。ねえ真理まりちゃん、私ちゃんとセイバーになったよ!」

「はいはい。約束ね、分かってるよ。おっと、こちらの少年は?」


 呆気にとられて傍観していたかい真理まりが目を向ける。


「あー、山際やまぎわくんゴメン。こちら私と同じ新人の山際やまぎわ かいくんです」


 百合香ゆりかかいに向かって謝罪したあと、真理まりに向かって紹介する。


「えっと、ハルナ山核救助隊第五隊、山際やまぎわ かいです」と頭を下げる。

「初めまして。物部真理もののべまりと言います。裾野百合香すそのゆりかの叔母です。といってもまだ26歳ですけど」


 膝下まで伸びるデニムのワンピースに暗めのスキニージーンズと白いスニーカー。身長は165センチほどでかいよりわずかに低い頭を下げて会釈する。

 肩下まで伸びた黒い髪がサラサラと流れる。


(綺麗な人だな……)


 これまでの人生で、同級生以外の女性に接する機会がほとんどなかったかいにとって、今日一日だけで四人の女性と出会っていた。そのことで脳が少し驚いている。


「あら、山際やまぎわくんは綺麗な女性に弱いのかな? 私と話してるときは全然普通だったのに」


 知己ちきと再会した気安さからか百合香ゆりかがいたずらっぽくからかう。

 そんなからかいも、百合香ゆりか真理まりに対して無意識に感じている敗北感からくるものだったが、当の百合香ゆりかは気付いていない。


「おーい、とりあえず中に入ってもらったらどうだ?」


 家の中から張りのある男性の声が聞こえる。


「そうね、二人とも中にどうぞ」


 真理まりがドアを広く開け、中にいざなう。

 室内は12畳ほどの無機質な部屋だった。

 家の外観は洋風の、ペンションと言っても通用するような温かみを感じさせたが、この部屋はコンクリートの壁がむき出しのまま、窓も一か所のみ。奥に通じるドアと部屋の中央に置かれた大きな木製テーブルだけが暖色で目立つ。

 それ以外には、部屋の左右の壁際に二人掛けの黒いベンチが二つずつあるだけの部屋だった。


 大きなテーブルの向こうに、三十代くらいの、長身でメガネの男性が立っている。


百合ゆりちゃん、いらっしゃい」

卓磨たくまさん、ご無沙汰してます」


 男は、黒いシャツに襟なしのジャケットを羽織り、柔らかそうな笑顔で百合香ゆりかに声をかけ、百合香ゆりかも腰を折って返事を返す。

 タクマと呼ばれた男は、かいに向かって続ける。


切磋卓磨せっさたくまだ」

「や、山際やまぎわ かいです。こんどセイバーになりました。隊長に指示されお使いに参りました」


 かいを見る男の目は鋭かった。

 猛獣のような得体のしれない迫力を感じたかいは気圧されたように答える。


「うちは基本的に打ち合わせなんかも立ってやるの。疲れたらベンチに座ってもいいけど、お茶を飲むのもこのテーブル上なのよ」


 テーブルの高さは一メートルほどで、上にはポットや四人分の茶器が置かれていて、真理まりが人数分のお茶を淹れながら話す。

 緑茶の銘柄なんて分からない若い二人だったが、漂う茶葉の香りは心からリラックスできる、そんな穏やかな香りに思えた。

 長方形のテーブルの奥側に卓磨たくまが、入口から向かって右側に真理まりが立ち、百合香ゆりかかい真理まりの対面に立つ。

 かいは男の視界に入らない様、百合香ゆりかの陰に立ち位置を調整する。


「どうぞ」と真理まりがお茶を配る。

「いただきます」


 二人とも疲れていたほどではなかったが、特にかいは友達同士の会合に紛れ込んだ異物であるかのように感じ、居心地が悪く喉が渇いていた。


「美味しい!」二人同時に感嘆の言葉を漏らす。

「でしょ? いい茶葉が手に入ってね。今じゃお茶っ葉だって貴重だもんね」


 真理まりはテーブルに肘を着いてやれやれといった顔でため息をつく。

 日本茶だけでなく、コーヒーや紅茶といった嗜好品の類は生産の優先度が低かった。

 ただでさえ居住可能地が限られ、多くの人が高層住宅や公共施設、いわゆる箱物で共同生活を続けているのも、作物の作付面積を増やそうとする政府の意向があった。

 土地は厳格に管理され、生産する作物も気象風土に合わせた適切な管理が行われ、主食や主要栄養素以外の生産は自由に行えなくなる一方だった。

 未だ政府の管理下に置かれていない土地や、家庭菜園程度に細々と作られる嗜好的農産物は市場には出回らず、個人間の取引を通じ高値で販売されていた。

 かい百合香ゆりかも機能性に特化したペットボトル飲料ばかり飲んでいるので、こういった楽しむためのお茶というものは本当に久しぶりだった。


「それにしても、百合ゆりちゃんがセイバーか。狭き門をよく合格できたな」

「それはだって、卓磨たくまさんと真理まりちゃんが焚き付けるから。まんまと誘導された感がありますけど」


 卓磨たくま百合香ゆりかに向ける視線と声色が優しくて、さきほど感じた警戒心のようなものは単純に俺に向けたものか、とかいはさらに居心地を悪くする。


「いくら私たちが勧めたところで、実際にセイバーになれたのは百合ゆりちゃんの努力だよ。そこは素直にすごいと思う」

「だな。今期のハルナで言うとセイバーの新人は20人もいないんだろ?」

「はい。他の隊は4人ずつ、ウチは私と山際やまぎわくんだけですね」

「あー、郷原ごうはらのとこだもんな」


 卓磨たくまはそう言って小さく笑う。


「そういえばウチの隊長って知り合いなんですか?」

「ああ、俺の友人。大方、百合ゆりちゃんの個人情報から俺たちの関係者ってアタリをつけて、感動の再会を演出したってことだろ」

「でも良かったんですか? これまでだってどこに住んでるのかって教えてもらってなかったのに」

「イカオに設計事務所を構えてるってのは言ってたでしょ? そもそもここに昔から住んでる人以外は、今じゃここまで来るのも大変なんだし」


 かいは三人の話を聞きながら関係性などを把握する。とはいえ手持無沙汰で他にやることもなかったからだが。


「ところでキミ。キミはなんでセイバーになったんだ?」


 そんな卓磨たくまの声はそれまでの柔らかさを潜め、かいは一瞬誰か違う人が声を発しているのかと思った。



=========


・隊長に指示された目的地は「物部設計事務所」そこには百合香の叔母、真理と切磋卓磨という男がいた。

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