069.王、そして箱

『私とよく遊んでくれているからと、お父様がご挨拶したいそうですよ!』


 朝一番の食堂でエクレールがにこやかに話す姿が今更ながらに思い出される。

 ごく一般的な礼儀の一つ。日本でも幼い頃にままあったこと。


 その言葉は彼女にとっての真実だったのだろう。

 悪意無しでそんな言葉を口にして食堂中を騒然とさせたことは目を瞑るとして、俺も近いうちにご挨拶に伺わねばと考えていたから渡りに船だった。

 しかし緊張するものは緊張する。なにせ相手は一国の王なのだ。一人の父親よりそちらが勝ってしまって道中どれだけ回れ右をしたくなったかだなんて数え切れない。


 それでもなおここまで足を運べたのは彼女の言う呼ばれた理由がライトなものだったからだろう。

 互いに挨拶し、『これからもよろしく』でにこやかに帰る。それだけのつもりだった。そうであってほしいと願っていた。


 俺は謁見の間でやってきた王様に跪いている。

 膝をついて頭を下げ、跪きながら彼の言葉に耳を傾けていた。


「おうそれで?お前は愛娘とどういう関係だって?」


 ――――耳を…………傾けていた。


 彼がこの部屋に現れてから十数分。簡単な自己紹介から始まった王との対面は、すぐに"挨拶ではない何か"に変貌していた。


 この世界に来て初めて対面する王。

 その姿は確かにエクレールの父だと一目でわかるような風貌をしていた。

 金の髪に青い目。スラリと通った鼻立ちは彼女そっくりだがキッとつり上がった目元は似ていない。

 顎からもみあげまで届くヒゲをたくわえ、上下とも麻でできた深い黄色の服。極めつけは派手な装飾が施された赤いマントが彼の荘厳さを現している。

 50……いや40代だろうか。威圧感すら感じられる風貌。そんな風貌とは裏腹にフランクな感じで挨拶をされた時は俺もホッとしたものだが、見通しが甘かった。


 王は話を重ねているとどんどんエクレールの近況に触れていき、いつの間にか俺との関係を問いただしていた。

 玉座から降りて俺の前にしゃがみ、跪く俺の肩を叩きながら問いかける姿はまさに圧迫面接。もはや問いかけがループしている。何度目のやり取りになるかわからない問いの答えは変わりようがなかった。


「ですので……私とエクレール殿下は話したりお茶を囲む友人関係だと……」

「いいや、ちがうなぁ。それだけの関係ではないだろう?うぅん?」


 きっと肩に手を乗せながら俺を見下ろす彼は、めいいっぱいの笑顔を浮かべているのだろう。

 しかしそれにしては異様なまでの圧だった。笑顔から発せられる圧。幼い子供に向けるものではない。きっと俺じゃなければ大泣きされていたことだろう。


 その姿は王ではなくどこかの不良。マフィアかどこかの若頭のような問いかけにジッと耐えていると、彼はにこやかに、笑顔を崩さず言葉を連ねていく。


「違うよなぁ。んん?婚約、したんだってなぁ?」

「っ……!それは……!!」

「ちがうのかぁ?」


 思わず彼の言葉に反応して顔を上げると、笑顔を浮かべる王の姿がそこにはあった。

 笑顔。笑顔だ。ただピキピキと青筋を立てて片手は強く握りこぶしを作って小刻みに震えている。


 ヤバい――――。

 明らかに地雷を踏んでいることは理解できた。

 その理由についてもおそらくだが察している。だがわからない。ここまで怒るものなのだろうか。


「違わなくなわないです!ですが婚約というのも嘘の関係でして……」

「なんだとっ!貴様ぁ……愛娘に嘘をついていたっていうのかぁ!!」

「ちっ、ちがっ……!」

「レイコ!剣もってこい!今すぐコイツを三枚おろしにしてやる!」


 回答を間違ったのだろうか。

 彼の姿はまさしく怒髪天だった。

 勢いよく立ち上がり剣を求める姿は怒れる国の王。

 もはや乱心したのではないかと思うほどの怒りように驚きで溢れていると、俺の前に小さな影が突然割り込んでくる。


「落ち着いてくださいお父様!」

「エクレール……」


 割り込んできた影。それはエクレールだった。

 隣でハラハラしながら話を聞いていた彼女もマズイと判断したのだろう。自ら盾になるように俺と王の間に立ってみせる。


「だがコイツはお前に嘘をついて……!」

「いえっ!確かに婚約は嘘の関係でしたが、彼はとても素晴らしいお方です!いくらお父様でも切って捨てることなど許しません!」

「エクレール……お前……優しい子に育って……」


 自らの子の言葉には聞く耳を持っていたのだろう。

 どこからか剣を持ち出した彼は振り上げた腕の力を抜いて剣を下ろしていく。


「お父様……分かってくれたのですね……」

「あぁ……。わかった、わかったよエクレール……。お前に免じて――――コイツは二枚おろしで勘弁してやる」

「なにもわかってない!?」


 感動的な親子の対面。

 愛しい娘の言う事を聞いて剣を下ろしかけた王だったが、次の瞬間には切っ先を俺に向けていて思わずツッコんでしまった。

 人間2枚も3枚もおろされたら関係ない。どちらの未来も死だ。


「さぁ小僧、大人しく五枚おろしにされることだな……」

「せめて分割数くらいは統一してくれませんか!?」


 俺はヒラメか!?

 立ち上がってジリジリと後ろに下がると王もまた俺に迫ってくる。

 スッと王によって脇に避けられたエクレール。次第に背中に壁が当たって逃げ場さえも失ってしまう。

 眼の前にはキッとこちらを睨み続ける王の姿が。もはや万事休すか…………そう思ったその時、不意に一陣の風が俺の脇を通り抜けた。


「そろそろ落ち着いてくれませんかね?」


 バシャァッ!!!


 風ののちに勢いのいい音が眼の前から聞こえてきた。

 目を閉じて暗闇になった世界。ふと冷淡な声の後に頬に触れたのは冷たい水滴。

 何があったのかとゆっくり目を開けてみれば、服さえも巻き込んでずぶ濡れになっている王の姿がそこにあった。


「王っ!?」

「お父様!?」


 頭から水を被ったのだろう。髪はもとより豪華なマントも麻の服も全てが水浸しになっていた。

 更に彼の隣には大人の肩幅ほどもある大きなバケツを持ったレイコさんが。その中の水を一気に彼へぶちまけたということを一瞬のうちに理解する。


「レイコ!だがコイツはエクレールを……我が愛娘をたぶらかして!!」

「それでも子供にオモチャとはいえ剣を向けるのは如何なものかと。更にどちらかと言えばたぶらかしているのはエクレール様のほうですよ」

「なにっ!?」


 驚きに満ちた顔で彼女に顔を向ければ、顔を赤くして逸らしてしまうエクレール。

 まさにレイコさんの言う事が真実だと表しているようだった。その事実を目の当たりにした王は剣を床に落としワナワナと自らの拳を強く握りしめる。


「だがコイツは許せん!私でさえ最近エクレールにそっぽ向かれ始めてるのに!」

「そうやって子供は親離れしていくものなのですよ。ただでさえ溺愛しすぎて鬱陶しがられているというのに」


 そうレイコさんと言い争いをする姿には、もはや王としての威厳は何一つとして残されていなかった。


 そんな二人の姿を俺はただ呆然と見ていた。

 初めて見る権力者の親とその子の関係性。明らかに愛されているとわかるその姿に目を離さずにはいられなかった。


 子を愛し、愛しすぎるが故に怒る姿は俺にとって初めての光景だった。

 子は親の意向に従って然るべきもの。権力をもつなら、後にその家を背負って立つならなおさらだ。

 しかし眼の前の彼はこの国の王。そんな彼が唯一人の娘を大事に愛している。最初は信じられなかったその関係性をジッと見ていた。


「そろそろうるさいです、王。あんまりうるさいと、おねしょを克服できた年齢を国中に公開しますよ」

「んなっ……!それは……!」

「スタン様も申し訳ございません。我らが王は王としての責務は重畳なのですが、一旦親になるとあまりに馬鹿親すぎて……」

「い、いえ……」


 "親バカ"ではなく"馬鹿親"。なんとなく意味を察しながら困惑の内に頷く。


「スタン様、私は彼が幼い頃より知る教育係ですので後はお任せください」

「あぁ、だからおねしょが云々って……」

「お父様!私が大好きなのは理解しますが先程のは――――」


 そういえばレイコさんは"不老"だった。

 教育係なら弱みの一つや二つくらいは知っていて当然だろう。

 続いてやってきたエクレールの二者により責められているびしょ濡れの王の姿を見て型無しだなとこれまでの緊張が抜けていく。


 権力者の家庭。

 それは神山家が普通なのではなく様々な形があることをカミング家を通して知ることができた。

 これもまた、一つの形なのだろう。親が子を溺愛し、鬱陶しがられる。そんな姿が羨ましくも微笑ましく思いながら眺めていると、不意に足元に転がった"なにか"が足にぶつかる感触がして思わず目を向ける。


「……なにこれ?」


 足元に転がっていたそれは黒色のなにかだった。

 大きさはルービックキューブ程度。先ほどまでは何もなかった場所に転がっていたもの。真っ黒で柄も文字も何も描かれていないそれを思わず拾い上げる。


「レイコさん、何か転がってましたけど落としましたか?」

「王はそろそろ子離れというものを覚え―――――いえ、そういったものは特に落としておりませんが……」


 彼女の言葉によりこの場の全員の目が謎の物体に注がれる。 

 重さも大きさもルービックキューブ。しかし継ぎ目もなにもない。そんな謎の箱を揃って見ていると、不意に箱の角から漏れるように、白い光が輝き出した。


「っ……!いかん!離れろっ!!」

「――――スタン様!手を離してください!!」


 その変化にいの一番に気づいて端を発したのは王だった。

 切迫するような叫び声。広い謁見の間に響き渡る声で発した彼に続いてレイコさんも声を上げる。


「――――っ!!」


 俺も同時にその手を返して落下させるように落とそうと試みるも、事態はそれより一瞬だけ早かった。

 箱を落下させる直前。手から離れきるその寸前に、光は表面の黒を飲み込むほどまばゆく輝き、あまりの眩さに耐えきれなくなって思わず目をつむる。



 誰しもが耐えきれなくなったのだろう。

 その眩さに目を閉じた全員だったがすぐに輝きは収まっていき、順々にその目を開けていく。


 広い広い応接室。

 そこに立つのは三人の人間。

 この国の王、そしてエクレール、続いてレイコ。

 三人が眩さから開放されて目を開ける頃には謎の箱は既にここにはなく、同時にもう一人の姿もいなくなっていた。


「―――――スタン、様?」


 まだ幼い少女の声が呼びかけるように響く。

 しかしその呼びかけに応答する者は、ここにはもういなくなっていた――――。

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