070.密会


「じゃあ、ボクも行ってきます」

「はい。スタン様もごゆっくりしてきてください」


 シエルの見送りを受けて部屋を出る。

 手には着替えとタオルの入ったカゴを持ち、廊下に誰もいないことを確認して道なりに進んでいく。


 最後の授業にて遅刻しかけた日の夜。俺は一人お風呂セットを持って大浴場へと向かうことにした。

 郷に入らば郷に従え。大浴場でのルールは冊子にて確認したし、なんなら昨日行ったシエルにも聞いたからなんら問題なしだ。

 石鹸系は向こうにあるし、なんならドライヤーだって脱衣所にある。だから部屋から持っていくのは着替えとタオルのみた。

 だったら何故昨日シエルは濡れ髪のまま戻ってきたという疑問にたどり着くが、そういう気分だったのだろう。


 もちろんシエルと一緒に入るわけもなく、今日行くのは俺一人。彼女はマティとエクレールの部屋にお邪魔する予定だ。

 そんなわけで慣れかけてきた道を歩いていく。2階から1階に降り、談話室をすぎて更に廊下を進んだ先にあるのが目当ての施設、大浴場。

 建物の対向側にあるから若干遠いものの、そこまで苦になるような距離でもない。



 …………それに、俺の目的は単に大浴場でゆっくりするだけじゃない。もう一つの理由のために足を進める。



「……おまたせしました」


 階段を降りてすぐ。

 タイミングの問題なのか、この時間の談話室には人が全然いない。だからすぐに、目当ての人物はソファーに座っていることに気がついた。

 彼女に話しかけるとその者はゆっくりと振り返る。


「あら。 よく来てくださいましたスタン君」


 振り返った彼女は俺だと認識するやいなや、にっこりと柔和な微笑みを向けてくれる。

 銀の髪の、優しそうな穏やかな雰囲気を纏った少女。シーフェール先輩は優しい目で座るように促した――――





『今晩、談話室でゆっくりお話しましょう?』



 それが昼間、彼女との別れ際に告げられた言葉だった。

 今晩なんて漠然な指定にいつ行けばいいかわからなかったが、居てくれてよかった。


「どうぞどうぞ。そちらにお座りください」

「失礼します。 ……おまたせしましたか?」

「いえいえ。お風呂に入ってゆっくりしてきたところですから。丁度よかったですよ」


 彼女に促されてテーブル挟んだ向かいに座ると、ほんのり髪が濡れていることに気が付いた。

 格好も制服ではなくチェック柄の袖付きワンピース。ゆったりとして今にも寝れそうな格好。


「よかったです。エステル先輩は……いらっしゃらないのですか?」

「エステルは課題中です。誘ったのですが明日が期限のもをずっとやり残してたみたいでして……」

「そうでしたか……」


 あぁ、それは大変だ。

 きっとエステル先輩は夏休みの宿題を最後にやるタイプだろう。以前のマティみたいに今頑張っているんだろうな。


 彼女はそう言ってテーブルに置かれた飲み物を一息に飲んだ。

 一息に……と言ってもその中身はほんの少し。コップの周りに付いていたであろう結露は全て下に落ちてコースターが水浸しになっており、氷は小さな一粒だけが取り残されてしまっている。

 丁度よかったと言っていたが、おそらくずいぶんと待たせてしまったのだろう。しかしそれを指摘するなんて野暮なことはしない。


「それで、今日はなんのご用向でしょう?」


 彼女は王位継承権が無いにしても、王家の人間。そして何より先輩である。

 正直上下関係なんて結構希薄だが、ここは改まった聞き方のほうがいいだろう。


「そんなちゃんとした言葉遣いでなくとも。ここは私達2人だけなのですからリラックスしていただいて構いませんよ。何なら敬語なんてなくっても」

「い、いえっ! それはさすがに……!」

「そうですか? ふふっ」


 穏やかに笑うシーフェール先輩。

 その姿は穏やかさと頼りがいを兼ね備えていて……これが先輩というものか!いや、俺のほうが一応上ではあるけれど。

 しかし彼女はそう思わせるだけのオーラというものがある気がした。先輩だけでなく、これが王家の特徴なのだろうか。


「それで、スタン君を呼んだ理由でしたね。それは単にあの子の友達であるあなたと、ゆっくりお話をしたかっただけなんです」

「あの子っていいますと……エクレール……さんですか?」

「はい。普段の呼び方で構いませんよ。 あの子、昨日は騎士様って言ってましたけど、本当のところは、お友達として寮などのフォローを頼まれたのですよね?」


 すごい。そこまでわかっていたのか。

 そんな俺の表情を読み取ったのか小さく笑い、1つの紙のようなものをスライドさせてきた。


「これを見てください」

「これは……エクレー……ル?」

「はい。あの子が2歳の頃の写真です。カワイイですよね」


 そこに写っていたのは髪を2つおさげのようにして、カメラ目線になっている幼児の姿だった。

 彼女によると2歳の頃のエクレールだという。確かに髪色は今に近いし、面影があるような気がしないでもない。

 けれどその表情は笑顔とは程遠いものだった。なにやら不満を持った顔。なにかの動物を模した人形らしきものが強く強く抱きしめられていて形が変わるほど。絶対に渡さないという強い意思を感じる。


「あの子はこの頃からしっかりもので利発的でした。……利発的すぎたのかもしれません」

「…………」


 写真を引っ込めたシーフェール先輩はそこに写るエクレールに目を落とし、静かに暗い影を落とす。


「いずれ国を背負うことを決められた子。それがわかっていたのかあの子は何一つ文句も言わず、黙って教育を受け入れて頑張っていました。王様でさえ舌を巻くほどに」


 王様……エクレールの父親か。

 そんな時から王家の自覚を持っていたと……?


「私も聞いた話ですが、この時のエクレールちゃん、教育の反動かすっごくドライでして。もはや大人かと思うくらい物静かで冷静だったんですよ」

「えっ……?でも、今のエクレールはあんなに元気に……」


 思わぬ言葉につい言葉を挟んでしまう。

 物静かで冷静?そんなの今の彼女と違いすぎる。

 むしろ今は逆だ。俺がボマーガールと名付けるくらいにはかなりはっちゃけた子じゃないか。


「5歳くらい……だったと思います。あの子がああなったのは隣のラシェル王女と出会ってからですね。初めてできたお友達……」


 ラシェル王女。

 隣の国の王女様。エクレールと同じくらい天真爛漫で、度々コーヒー豆を送ってくれる少女。


「ラシェル王女のお陰で明るさは出てきたのですが、それでもどこか暗さは残ってました……。それで、噂を聞いて昨日見た時は驚いたんですよ。あの子の表情がすっごく明るくなってて」

「明るく……ですか」


 俺が会った時は……会ってしばらくした時にはもうすっかり今のエクレールだからそんなの想像がつかない。

 確かに大人びているなとは何度も思ったが、それはシエルも同じだったから、貴族では普通だと認識していた。むしろマティが異端側かと。


「はい。きっとその理由はあなたと、話していたお友達にあると思っています。 だからこれからも、あの子と仲良くしてあげてくださいね」

「それは……はい。もちろんです」


 そんなの、イエスに決まっている。

 彼女の目を見てまっすぐ頷いてみせると、シーフェール先輩も大きく頷いて笑ってくれた。

 そしてテーブルの上にあった俺の手を取り、両手でギュッと握ってみせる。


「ありがとうございます。 代わりと言ってはなんですが、困った時は私達がお助けしますよ。勉強でも、何でも」

「なんでも……ですか?」


 なんでも!?それって……権力的な!?


「はい。イジメられ……はないでしょうけど、困ったことがあればお呼びください。私達、これでもそこそこ人望はある方でして。役に立つと思いますよ?」


 何でも……それで変な考えを過ったのは俺の心が汚れていたせいだった。

 彼女は純粋に俺のことをサポートしてくれると言っているのだ。そうだよ。まだ小学生相当だというのに何を考えてるんだ俺は。


「で、では。その時が来たら頼らせていただきます……」

「はい! ごめんなさいねしんみりさせちゃって。あの子、赤ちゃんの頃から知ってるから、ちょっとだけ知ってほしくて」

「いえ……」


 そんな、彼女が謝ることではない。

 むしろぽっと出の友人なんて警戒して当たり前なのにこんなにフレンドリーにさせてもらって嬉しい限りだ。

 話ってそれだけかな?気づけば背中が緊張の汗で張り付いてるし、早いところお風呂に行きたいところだけど……


「ここらへんで私の話はおしまいです。 では続いて、スタン君のこともお教え願えますか?」

「……え? ボクもですか?」

「もちろんです。 そちらのほうがメインなのですから!どうやってあの子と仲良くなったのですか?普段は何して遊んでるのですか?」

「っ…………!」


 まさかアレが本題じゃなかったというのか!


 ズイッ!突然前のめりになってくる彼女に思わずたじろぐ。

 彼女の目はキラキラと輝いているもの。俺はそんな先輩の期待を裏切ることなぞできず、この春の出来事を話し始めるのであった。

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