023.ガルフィオン王国

「先日ぶりですね、スタン様!壮健そうで何よりです!!」

「おっ……?おぉ…………?」


 高い、ソプラノ声が部屋の中に響き渡る。

 いつの間にかお母さんはいなくなり、子供4人のみとなったこの部屋。


 一杯のカフェオレが置かれたテーブルを挟んだ人物は、深く被ったフードの奥から旧知の間柄のように会釈する。

 しかし当然ながら今の俺には交友関係なんて無いに等しい。従者を除けばマティただ1人。当然こんな麻布を被った人物など知るわけがない。

 以前地下に囚われていたシエルを思い出すような格好ではあるものの自信満々で凛とした雰囲気はどことなく高貴な気すら感じられ、少なくともスラムの住民ではないと予感させた。


「"あれ"から囚われていたとお聞きしました! 重症ではなさそうですがお怪我などはしておりませんか!?トラウマなどは抱えられておりませんか!?」

「えっ!? えっっ!?」


 ズイッとテーブルに手を付きながら前のめりに聞いてくる人物に俺の脳は混乱する。

 口元しか見えない人物。背丈は俺やシエル、マティとそう変わらないほどで、テーブルについた手も小さなもの。同い年付近であろう人物は明らかに俺を知っている口ぶりで詰め寄ってくる。


「ご主人さま……どなたかわかりませんが、お知り合いですか?」

「いや……多分、知らない。マティ?」

「…………………」


 チラリと隣のマティを見るも、彼女は腕を組んだまま真っ直ぐ謎の少女を見ているだけで応えようとしない。

 しかし見つめるその瞳からはどことなく怒りの色が感じられた。

 母さんが通した以上悪意のある人物ではない。しかしだからといってこんな不審者相手に警戒を解くことはできない。俺はチラリとこの場で最も信頼する従者に目配せをする。


「すみませんお客様。申し訳ございませんが主人に代わって私が対応させていただきます」

「あら?あなたは…………見覚えがありませんね。新しく入ったメイドさん?」


 俺の目配せを理解したシエルは、俺と謎の人物と間に立つように立ちふさがる。

 対して返ってきた言葉はまるでこの家を知り尽くしているかのような言いよう。シエルは平静を崩すことなくスカートの端をつまみ、美しい所作で頭を下げる。


「私はスタン様の専属メイド、シエルと申します」

「――――シエル、さん?」

「……?えぇ、シエルと申します」


 ふと、今まで笑顔だった謎の人物の表情が初めて崩れた。

 それは驚きのような、信じられないような見たような様子。口しか見えないが故に判断し辛いが、少なくとも俺にはそう見えた。


「……お客様?」

「いえ、申し訳ございません。シエル様ですね、今度ともよろしくお願いいたしますわ」

「え、えぇ……。それで、あなたは何者ですか?カミング家を狙った狼藉者なら直ちにお引取りを願います」


 驚いたような表情をみせた人物はシエルの呼びかけにより我を取り戻したようで、再び笑顔を作り会釈を交わした。

 一方でシエルは警戒心を高めていき何があっても動けるように距離を見定める。


 沈黙を貫きながらも怒っているマティと警戒のシエル。

 二人のただならぬ視線を受けながらも少女は全く意に介していないようで、「まぁ」と声に出すだけで戸惑う気配すらない。むしろ逆にシエルが戸惑っている感じさえする。


 一体何者なんだろう。そして何故先日の出来事を知っているのだろう。

 二人に合わせて段々と俺も警戒の色を強めていくと、ようやく現状の雰囲気に気がついたのか謎の人物は疑問の声を上げる。


「何をそんなに警戒してらっしゃいますの?スタン様からも何か言ってくださりません?」

「いえ、さすがにフード被って不審者ムーヴかましてる人に警戒するなと言われても……」

「―――――あら、そういえば『コレ』を被ったままでしたね」


 ……もしかしてこの人は不審者以前に天然ではないだろうか。

 どうやら今までフードを被って正体を隠しながら喋っていた自覚がなかったらしい。


「話が噛み合わないのも当然です。すぐ外しますね」

「っ………!あなたは――――!!」


 ようやく自らの格好に自覚をえた人物は深く被ったフードに手をかける。

 

 フードを外した瞬間、驚くようなシエルの声が聞こえてきた。

 ようやく正体を現した人物、その姿は幼さ満載の小さな女の子だった。

 背丈や顔つきからして俺たちと同じ年くらいだろう。そこまでは俺の予想通り。


 予想と違うのは、彼女は肩甲骨ほどの長さの綺麗な髪とこれまた美しい透き通るような瞳を持った、一目で高貴だとわかる人物であった。

 白色……いや、練色か。織れば練絹そのものになる。

 そう思えるほどの美しい髪を持ち、青空を思わせる空色で優しげな瞳は俺たちに微笑みを向けてくる。

 その落ち着きようとペコリと会釈する優雅さはまさに理想の貴族令嬢というもの。


 ――――そして、更に俺を驚かせたのは次のシエルの行動だった。


「しっ………失礼しましたっ!!」

「シエル!?」


 つい数瞬前まで臨戦態勢で威嚇していた彼女だったが、目の前の人物がフードを外すやいなや彼女はその場にしゃがみ込んで頭を下げ始めた。

 その姿はさながら時代劇で紋所を見た瞬間頭を下げ始めるお役人たちのよう。

 俺からしたら警戒心マックスだったのに突然豹変したシエル。あまりの変わりように思わず洗脳を受けたのではないかと疑ってしまう。


「いえいえ、何の力のないわたくしに頭を下げなくて構いませんよ。頭を上げてくださいシエル様」

「い、いえ!まさかわからなかったとはいえ貴方様に敵意を向けるなんて……!」

「…………?」


 その行動は明らかに彼女が只者ではない事を示していた。

 あまりのシエルの変化を見て、そっと未だ腕を組み続けたままのマティに耳打ちする。


「マティ、この人って何者?」

「……そういえばアンタ、お城で開かれたパーティーの記憶もなかったわね」


 パーティー……そしてお城。

 そういえばマティが以前城下町で言っていた。持ち回りでお城のパーティに招待されていると。

 当然俺も招待されたのだがそれは"スタン"の時の話。"慶一郎"である今の俺にはその時の記憶がない。


 あのパーティーに関係する者、そしてシエルが頭を下げるほどの人物。

 何故か神山で培ってきた無駄に回る思考が嫌な警鐘を鳴らしてる。もしかして……この明らかに高貴っぽいお嬢さんは――――


「もしかして……キミは……あなたは……」

「……あの時はスタン様とも一瞬しかお目通しできませんでしたから忘れるのも仕方ありません。それに一部を除いてパーティー以外で顔の公開をしてませんからね」


 震えるような俺の声に反応した彼女はにっこり笑ってお辞儀を見せる。

 麻布のコートをスカートに見立てチョコンと両手でつまみ、片足を後方にクロスさせてお辞儀をする様はまるでお姫様のよう。


 お姫様の”よう”というよりも、"まさに"――――。


「はい。わたくしはこの国の第一王女、エクレール・ミア・ガルフィオンと申します。改めてよろしくお願いしますね?」


 ニッコリと俺たちに笑みを浮かべる少女に俺は圧倒される。


 ガルフィオン――――

 それはこの国の名前。


 ガルフィオン王国。500年続くこの世界最古の王国の名前だ。

 もちろん俺も一般常識としてこの世界に来た最初の一週間で把握していた。

 そして同時に国の名は人の名ともなる。代々直系の王族にだけ受け継がれる由緒正しい冠名語。

 つまり、本当に彼女は……


「王女さま!?」

「はい!王女さまです! 年も近いことですし、気楽にエクレールと読んで下さいね?」

「!?」


 それは思いもよらぬ来訪者だった。

 まさか普段通りの一日を過ごそうとしたら王女様がやってくるなんて想像さえしないだろう。

 この国は君主制だ。日本のような複雑に絡み合った制度ではなく絶対的な王がトップに据えられている。そして彼女は王女様。自分が誰と相対しているかを理解して慌てて片膝ついて頭を下げる。


「すみません王女様!まさか王女様が来るとは夢にも思わず!」

「いいえ、いいのです。お二人とも立ってください。第一このローブが悪いのですから。認識阻害の魔道具のため、外では絶対つけなければならないのです……」


 恨めしくローブをつまむ彼女。

 だからずっとそんな場違いの格好をしていたのかとようやく理解する。


「それで、王女様が何用でしょう?何故か囚われていたことも知っているようですし、怪我の様子を見に来られたのですか?」

「確かにそれもあるのですが、その前に言わなければならないことが――――」

「――――ちょっといいかしら?」


 ――――王女様が本題を切り出そうとしたその時、これまでずっと口を閉ざしていたマティが声を上げた。


 冷静に、淡々と。

 正体を表した今も変わらず怒気を含んだ瞳は真っ直ぐ王女様を見つめている。


「えぇ。マティナール様、どうぞ」

「本題の前に悪いわねスタン、先に私の用を済ませてもらうわよ」

「う、うん……」


 用、とはなんだろうか。

 マティはチラリとこちらを見るだけに留め真っ直ぐ王女様の前まで。

 1メートルも離れていない対面した二人。手を伸ばせば互いに届きうる距離に顔を合わせる二人の表情は対称的だ。


「ちょうどよかったわ。あたしも会いに行こうと思ってたの」

「えぇ、私も同じ思いでした。スタン様の用が終われば伺おうかと」

「…………」

「…………」


 怒り、対称的に笑顔。 

 二人の相反する表情が交差する。


 怒りの表情を浮かべるマティは未知数だ。何に怒っているかわからないし何をするかもわからない。

 一方で笑顔を浮かべる王女様も、先程の快活な笑顔ではなく柔和な、慈愛とも取れる笑顔を浮かべている。それは全てを受け入れてしまうようなそんな笑顔。


 二人が黙りこんで部屋に緊張が走る。

 マティの用事とは何か。一体何を言うつもりなのか。そんな中、受け入れるように両手を広げた姿を見て"彼女"は動き出した。


「――――どうぞ」

「―――えぇ。歯、食いしばりなさい」


 パァン――――


 一体何が起こったのか。

 気づけば何かが弾けるような音が部屋の中に響き渡っていた。

 ただ二人が短く言葉を交わしたその一瞬。僅かな時間の間に"それ"は起こった。


 突然の破裂音。次に現状を認識した時には王女様は顔を右に背け、マティは振り抜いた後のように手のひらを大にして身体を大きく捻っていた。


「っ……!?マティ!?」

「マティナール様っ!?」


 ――――平手打ちだった。


 そんな二人の様子からマティが王女様を平手打ちしたのだと認識するにはさほど時間を要さなかった。

 ようやく現状を理解した俺とシエルは慌てて二人に駆け寄っていき俺は王女様を、シエルはマティについて互いの距離を離していく。


「マティ!?何をっ!?」

「マティナール様!王女様に平手打ちだなんて死罪になりたいのですか!?」


 珍しくシエルが声を荒らげるがそれも仕方のないことだろう。

 この国にとって王は絶対。善政を敷いているらしいが気を損ねれば簡単に死罪にだってできる。

 それは王女だって同じこと。理論上王女に権限は無いとはいえ、王の娘と考えれば同様の権力と持っているとも捉えれれる。

 つまり気を損ねれば死。なのにマティはいとも簡単に平手打ちをしてみせたのだ。俺達の言葉に彼女は知ったことかと鼻を鳴らす。


「フンッ!死罪にしたければしたければいいわ。でもねスタン、覚えておいて。先週の王都での事件、全ての大元はこの王女様にあるのよ」

「…………王女様が?」

「えぇ、あの時アンタが死にかけたのは全部この子が原因なのよ」

「……………」


 信じられなかった。そんな事ありえない。どうやったら彼女が関係するようになる。

 ありえないと思いつつ肩を持っていた王女様を見下ろすと、そっと俺の腕に彼女の手が添えてくる。それは「大丈夫」だと伝えているように。


「庇ってくださりありがとうございますスタン様。ですが私は大丈夫です」

「でも……」

「大丈夫です。平手打ちを受け入れたのも私の判断、そしてマティナール様の言っていることに嘘偽りはありませんから」


 そう見上げてくる彼女は笑みを崩していなかった。

 打たれたであろう頬は赤くなり、目の縁に涙を浮かべているものの決して笑顔は崩さない。俺もそんな彼女を見て思わず掴んでいた肩を離す。


「ありがとうございます」


 そんな彼女の姿を見てマティが暴挙に出る直前の様子を思い出す。

 静寂のさなか、王女様はマティに身を委ねるよう手を広げて合図をしていた。まさか王女様はマティの平手打ちを最初から受け入れて……?


「気づかれましたか?スタン様」

「え、えぇ……にわかには信じられませんが……」

「では、これからは私がここに来た本題とマティナール様の行動の補足をに入らせていただきます」


 少し離れた位置から「ふんっ」と鼻を鳴らす音が聞こえてくる。

 その音に気を取られた一瞬のうちに王女様は膝をつき、俺へ自らの頭を下げてみせる。

 突然の行動。何故王女様がそんな姿勢を取るのかと頭の中には『何故』の一言で埋め尽くされていく。


「王女様……?」

「私がお伺いしたのはまずお二人へ謝罪を」

「謝罪……」


 顔を上げた彼女は大空のような瞳をこちらへ向ける。

 真剣で、真っ直ぐな瞳。頬の痛みも気にすることなく彼女の小さな口はあの日の出来事を口にする。


「あの日、スタン様とマティナール様が攫われたあの事件。あれは全て、私のせいで行われてしまったのです――――」

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