016.命のお届け物
雨粒が降りしきる暗い夜道を二人で駆け抜ける。
肩で息をし足が痛くなるのもいとわない。一歩でも前へ進むように。
「ハァ……ハァ……マティナール……居る……!?」
「もちろん……。まだまだ余裕……よ!」
2人でどれほど走っただろう。
囚われた二人。命からがら抜け出してただひたすら思いつくままの方向へ。
どんな道を走ったかわからない。人とすれ違ったどうかも知らない。
ただ文字通り必死で、距離や時間の感覚が無くなるほど走った。少なくとも足は痛く震えている。
世界はどっぷり闇に浸かっていて足元も見えづらい。それでも止まったら死ぬと言い聞かせて突き進む。
「あれは……光?」
「……! あの光は見覚えがあるわ!急いで!!」
建物から漏れ出る僅かながらの光を頼りに進んでいる中で突然見えてきたひときわ明るい建物。
走りながらも一瞬罠かとさえ身構えたが、彼女の言葉を受けてペースを上げ、狭い路地を全速力で駆け抜ける。
「ここは……『バース』?」
「そうみたいね……。いつの間にかこんなところまで走ってたみたい」
まるで飛び込むように路地から抜け出して目前に見えたそれは、この街に来て一番に訪れたレストラン『バース』の看板だった。
見覚えのある光景。横を向けば大通りが視界に入り、フッと肩の力が抜けていく。
「っ……!追手は!?」
見覚えのある場所とともに力が抜けそうになったところで無理矢理力を入れ直し、弾けるように後ろを振り返る。
後ろに立つは俺と同じく走って息も絶え絶えのマティナール。意識を向けるのは更に向こう側。
幸か不幸か今は雨が降っている夜。辺りがシンとしている分、誰かが近づいてきたら水の跳ねる音ですぐに分かるはずだ。
「………………」
ジッと耳を澄まして音を確認する。
数秒、数十秒待っても誰かが迫ってくる音はしない。それはつまり…………
「たすかっ……た……?」
「そう、みたいね……」
どうやら追手は迫ってきていないみたいだ。
二人して安全を確かめると、同時に疲れがどっと湧き上がってきて思わず道のど真ん中で尻もちをついてしまう。
助かった……。怖かった……。
いくら訓練をしているといえども、彼女の2倍の年齢だとしても怖いものは怖い。命の危機でもあったのだから。
もはや疲労と精神力でいっぱいいっぱいなのが身体に表れている。崩れた膝は今更ながらに笑っていた。
あの犯人は今頃血眼になって探していることだろう。
追いつかれる可能性が排除できない上、本当に近くにいないとも言い切れない。消音の魔道具なんて反則アイテムを使われてないとも限らない。少なくともここに長く留まるのも得策ではないだろう。俺は笑う膝をグッと抑えてなんとか立ち上がる。
「まだ走れる?ここにずっと居るのもマズイだろうし」
「そう、ね……。こんなところで見つかっても逃げ場なんてないし……ね……」
「っ――――! マティ!?」
バシャアッ!!
と、俺の言葉に笑って立ち上がろうとした彼女だったが、突然盛大な音を立てて地面に倒れ込む姿を見て慌てて駆け寄っていく。
うつ伏せになるよう倒れ込んだ彼女。その息は荒く、肩で息をしていて苦悶の表情を浮かべていた。
「マティ!?大丈夫!?」
「あ、あしが……」
「足……!?」
顔を歪めながらも呟く彼女に従って足へ視線を向けると、その表情の意味が理解できた。
彼女の左足……その太もも部分にはパックリと傷口が開いていた。一体どこで……少なくとも拘束を解いた時はこんな傷なかったのに。
「これって……」
「悪いわね。ちょっと抜け出す時に失敗しちゃったわ……」
心配掛けさせまいとしているのか、軽口を叩く彼女を見て傷の心当たりに行き着いた。
そうだ。あの時脱出した窓だ。あの時、彼女は降りた瞬間大きくよろけていた。おそらく窓に残っていたガラスの切っ先が彼女の足を裂いたのだろう。
「どこか病院に……!いや、でも…………」
大慌てで助けを呼ぶために辺りを見渡すもその選択肢は絶望的だと同時に理解する。
陽の光の欠片もない真っ暗な夜。そして嵐にも匹敵するほどの豪雨。風が無いのは幸いだが相当な悪天候だ。
あれだけ人にまみれていたこの通りもまるで泡沫のように人っ子一人居なくなっていて、まるで世界は俺と彼女の二人きりのよう。
お城なら人がいるかもだが遠い。ここは正反対のお昼を食べたバースの目の前。それに病院なんて俺にわかりっこない。
ならどうする……
放って行くのは論外だ。しかし彼女は傷に加えて顔も赤く、息も荒い。この雨の中走って風邪を引いたのかもしれない。
この傷、下手すれば破傷風の可能性だってある。ワクチンなんてこの世界にあるとは思えない。
「だい……じょうぶよ……」
「っ……!」
答えの出ない疑問に思考を取られ永遠ループしていると、彼女の手が俺の膝に置かれて下方向へ体重がかかった。
グッと体重をかけ動き出す彼女の身体。どうも俺を支えにして立ち上がろうとしているようだ。当然そんな無謀な試みは失敗して俺に抱きつく形になってしまう。
「大丈夫……だから……。だから家に、帰るわよ」
「でも、その怪我は……!」
「たいしたことないわ……。あたしのパパはお医者様だから、帰ればどうにでもなるもの……」
笑ってみせる彼女だが息は荒く目もおぼつかない。
絶対に無茶だと否定しようとするも、彼女の視線は真っ直ぐ住宅街の方を向いていて譲る気配がない。
ゆっくりと突き出すように伸びていくその小さな手。きっと彼女は這ってでも帰ろうとするだろう。
「せめて、大人を頼るとかは?ほら、『バース』の知り合いとか」
「残念ながらライトは光ってても店は閉まってるわ。家なんて知らないもの」
「住宅街の……誰か大人を頼ったほうが確実だよ?」
「大人は……あんなことがあった以上知らない大人に頼りたくないわ」
「お城の人も?」
「お城は…………。しつこいわね。家に帰るの。行きたいなら勝手に行けばいいじゃない」
何度かの問答。
最後の城に関してはしばらくの逡巡が見えたがそれでも回答は否定的だった。
俺の言葉を拒絶して家に帰ろうとする彼女は今にも倒れそうだ。
自らの両足で立ち上がったはいいものの、膝に手を付き前のめりになりながら進む姿は満身創痍。
積んで来てもらった馬車は帰ってもらっている。この豪雨の中走らせるのは難しいだろう。
「……わかった」
様々な方法を考えた末、彼女の言葉を肯定するように俺も頷いて立ち上がった。
彼女同様こちらも体力の限界だった。それ以上の言葉は不要というように気合で立ち上がり、先を歩くマティナールより速いペースで進み追い抜いていく。
「えぇ、それでいいのよ。それで」
諦めか安堵か。追い抜いた瞬間ふぅと息を吐く音が後ろから聞こえた。
それでも決して振り返ることはしない。彼女の前に立った俺はゆっくりと膝を曲げてみせる。
「……何してるのよ。邪魔よ」
冷たい声が後ろから聞こえてくる。
俺は彼女の前に立ちふさがるようにしゃがみ込んだ。
きっと立ちふさがっているように思われたのだろう。冷たい眼差しを受けながら俺は自らの手を背中に向ける。
「乗って?」
「…………は?」
「おんぶして家まで乗せてくから。ほら、早く乗って」
今にも倒れそうな彼女。そんな姿に提案したのはおんぶだった。
「それ、は……でも……」
目の前で背を向けながらしゃがむ俺に戸惑うマティナール。
当然だろう。さっきまで別ルートの提案をしていたのだから。
しかし彼女自身、今の状態だと家に帰るのはままならないと理解していたようで何度も逡巡していたものの、最終的には俺の肩にそっと手を触れゆっくりとだが確実に身体を預けてくれた。
「…………乗り心地が悪かったら承知しないから」
「了解。頑張るよ」
それだけの軽口が叩けるならまだ余裕だろう。
小さなマティナールを背負った小さな俺は、震える足を叩きつけて水に塗れた地面を強く蹴り出す。
決して早いとはいえない足取りだが1人よりもマシ。俺たち2人の帰投はカメのように遅い速度だが確実に突き進むのであった。
―――――――――――――――――
―――――――――――
―――――――
「はぁ……はぁ……」
天から降り注ぐ雫が辺りを強く打ち付ける。
雫が地面に届く度弾け、広がり、辺りを濡らしていく。
それはまさに天の涙。遠くから聞こえる雷鳴は、まるで何者かの心を映す慟哭のよう。
辺りは暗く、魔道具で照らした室内灯が部屋内を明るくし、漏れた光がわずかに道を照らしてく。
そんな薄暗い街道を、一歩、また一歩と力強く歩いてく。
けれどその足取りは重く、遠い。まだまだ形すら見えない家が果てしなく感じてしまう。
「ようやく……ここまで来たか……」
もはや何時間歩いたかわからない。
10分?1時間?5時間?それ以上?
時計も太陽も無いこの世界に時刻を知る手段などあるはずもなく、俺はようやくたどり着いた1つの節目に小さな呟きを発する。
目の前には鬱蒼と茂った森。
ウチの敷地にある森だ。ようやくここまでたどり着いた。しかしまだ先もある。
肺が破れそうなほど痛い。腕も感覚が無く、力が籠もっているかどうかすらわからない状態。
しかし首元にはしんどそうな息遣いが聞こえ、それだけが彼女の安否を知らせるものであった。
「マティ……大丈夫……?」
「なん……とかね……」
辛そうではあるがなんとか返って来てくれる返事。
もうちょっと……もうちょっとだ……。ただその思考だけが頭の中で占め、一歩森へ踏み出すと、バシャリと水の跳ねる音と同時に泥までもが飛び散っていく。
雨に打たれて下着までもが濡れた現状、今更泥にまみれようが気にすることなんて何もない。一刻も早く屋敷へ辿り着こうとぬかるんだ地面を構うこと無く足を踏み出す。
「ね……ぇ……」
「……ん」
一歩一歩確実に歩んでいると、蚊の鳴くような小さな声が聞こえてきた。
けれどあまり体力を使ってはいられない。俺も最小限の返事に留める。
「ごめん、ね……。こんな事に……なって」
「今更だよ。気にしてないよ」
「でも……」
「それに、遠いとは言え親せ――――家族なんでしょ?こういう時は『ごめん』より『ありがとう』だよ」
「っ――――!!」
ごめんよりありがとうなんて日本ではどれだけ使い古された言葉だろうか。15の俺でもまたかと辟易するくらいには聞いてきた。
しかし自然と出てしまったその言葉は彼女の耳に届き、キュッと肩を掴んでいた手が首元に回って抱きつくような形になってくる。
少しは気休めにはなっただろうか。
(………………ありがと)
風に揺れる木々のざわめきの中聞こえてきたその声は、発せられたものか定かではないが首元に回る腕が強くなったことは小さな変化だろう。
「……あの子にも、悪いことしちゃったわね」
「あの子?」
「メイドの子よ。朝一緒にいたでしょう?」
静かな森の中、ふと思い出すかのような彼女の言葉に俺はチラリと彼女を見る。
見えたのはほんの少しだけ申し訳無さそうな目。最初は何の話かと思ったが、すぐにシエルのことに言及しているのだと理解する。
「シエルのこと?」
「えぇ。朝、突然あたしが乗り込んで”余計なこと”言っちゃったし、ほっぽりだした上あの子のご主人さまと街に来たじゃない。怒ってないかしら……」
彼女の言う”余計なこと”とは俺の正体を疑っていたことだろう。ほっぽりだしたのも確かに成り行きとはいえロクに挨拶も出来なかった。
ただ街に出たのは父親たちの策略だ。そこら辺のフォローはしっかりしてくれているだろう。
しかし朝の出来事がもう随分と過去のことのように思える。突然出ていった上こんなに帰りも遅くなって、心配しているだろうか。
「シエルは優しいからきっと大丈夫だよ」
「それは主人だからでしょう?あたしはきっと嫌われてるわ……」
「そんなことないよ。怖いならボクも間に立つからさ」
「…………いい」
しばらくの静寂を以て彼女の出した言葉は否定の言葉だった。
強く俺に抱きつきながらも突っぱねるような言葉に少し驚いたが、彼女はそのまま言葉を続ける。
「あたしが蒔いた種だもの。あたしだけで決着つけるわ」
「……そっか」
シエルは優しい。そして強い。メイド長の教育にも耐えているんだ。根性だってあるだろう。
だから俺が間に立てばきっとどうにかなる。そう思って提案したが彼女の意思は固かった。
思わず振り返ると再び見えたその瞳はまっすぐ前を見据えた意思のある目。その目はきっと俺がいなくても大丈夫だろうと確信させて、小さな返事とともに歩む力を強めていく。
ザッザッザ…………。
雨と風の他にそんな音だけが俺達の世界を占める。
もう足を上げる力もそんなに残っていない。きっと下を見れば靴は泥だらけで、振り返れば足裏を擦ってできた二本の線ができていることだろう。
しかしそれを見ることは決してしない。見てしまえば己が現状を再認識し、嫌になって体力の限界を自覚して足を止めてしまうのが目に見えているから。
空っぽの体力のまま気合だけで亀が如き歩みのまま着実にゴールに突き進む。
一歩でも近づけるよう。そうすればもし俺が倒れても彼女がゴールにたどり着ける確率が上がるから。
もう視界も朧気で両脇に見える森の輪郭しか目に入ってこない。それでも倒れるわけにはいかないと、足を前に突き動かしているとふと背中から声が聞こえた。
「見て!あれ……!!」
それは希望をも感じさせるマティナールの声だった。
身を乗り出すように腕を真っ直ぐ伸ばした先に薄っすらと感じる暖かな光。
ポツポツとした見覚えのある光の色を見て、気づけば残り僅かに温存していた体力を視界に割り振っていた。
「着いた…………」
サァ……と体力の消費とともに目の前の視界一気に広がった。眼前に広がるは見慣れた屋敷と手前の庭だった。
よくよく見れば屋敷の窓はどれも光が漏れており、誰もが起きていることを証明している。
「えぇ……!着いた!着いたのよ!!」
喚起に打ち震える彼女の声が聞こえてくる。
さぁ、あともう少しだ。もう少し歩けば、ゴールにたどり着く。
「ハァ……ハァ……」
もうちょっと。帰ったら何しよう。
まず泥だらけになった身体を洗いたい。そして夕食を食べそこねたからいっぱい食べるんだ。
そして柔らかなベッドでゆっくり寝て……。
一歩進むごとにやりたいことを浮かべていく。
そうだ。シエルにお土産話を聞かせるんだ。ドキドキワクワクの冒険譚。きっとハラハラして聞いてくれるはずだ。
お土産は残念ながら買えなかったけど、きっと父さんなら許してくれるだろう。
後は、それから、それから…………
「あれ――――?」
フッと――――。
庭中央の噴水を越え、屋敷まであと10数歩といったところで俺の視界は突然揺れ動き、足はガクンと曲がってその場にうつ伏せに倒れ込んでしまった。
背中の彼女を巻き込まないよううつ伏せに慣れたのは褒められるべき点だろう。しかし立ち上がろうと思ってもこの身体は言うことを聞いてくれない。
「ねぇ……? ねぇちょっと!?」
背中からマティナールの声が聞こえてくる。
どうやらゴール手前で限界が来たみたいだ。
いや、とっくに限界が来ていた。もとより気力で足を動かしていて、庭に着いた段階で温存していた全てを放出していたからだ。
もう指先のひとつさえ動かす事ができない。感覚も曖昧になり暑さ寒さも感じない。
ゴメンよ。屋敷まで運ぶことができなかった。直前でドロップアウトだ。
「ねぇ!スタン! お願いだから起きてよ! もうちょっとだから……!!」
あぁ……マティナールの声がどんどん遠くなっていく。
これは俺、死ぬのかな?そうしたら向こうの世界に……日本に戻れるのかな……?
俺は動かない身体に力を込めるのを止め、その流れに身を任せる。
そして本日2度目。今月3度目の闇に意識を沈めていくのであった――――。
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