015.暗闇の脱出劇

「んん…………」


 水が跳ねる音がした。

 ぽちゃりと上空から降り注ぐように落下する水滴が地面にぶつかり消えていく。


 何の力もないたった一滴の水。しかし力がなくとも、沈んでいた意識を浮上させるには十分だった。

 水が頬で跳ね、目や口に入り込んだのを感じた俺は小さくうめきながらゆっくりと目を開ける。



「なんだ……ここ……」


 目を開いて見えた光景に、小さく小さく言葉を漏らす。


 そこは明らかにこれまで訪れた場所とは違う、陰湿にまみれた空間だった。

 どうやら自分が寝転がっているということに気づくにはさほど時間がかからなかった。

 横になっている地面は固くコンクリートのよう。辺りは暗く、かろうじて把握できる景色からはボロボロの椅子や机、巨大なコンテナらしき物が見える。

 雨が降っているのだろうか。再び落ちて頬で弾けた水滴に思わず眉間にシワをよせる。


 広い部屋……ひょっとしたら倉庫かもしれない。

 少なくともわかるのは、こんな場所は知らないということだ。

 今まで何をしているのか直前の記憶を叩き起こす。朧気ながら浮かんできたのはマティナールと一緒に街中を散策していたところまで。お城のすぐ近くまで行ってお土産を買いに行こうとしたあたりで記憶が途切れている。


「そう、マティナール……マティナールは……?」


 直前まで一緒にいたはずの少女の姿を探すように一度薄暗い空間を見渡すと、少し離れた位置に水色のドレスが目に入り、ホッと心に一つの安寧を得た。

 俺と同じように横になっているようで背を向け横になっているようだが、その髪の色と長さは間違いない。


「よかった。 今そっちに―――――」

 

 全く知らない場所で知り合いに会えたことへの安心感からため息をつき、いざそちらに向かおうと怠い身体を起こそうとするも、床に手がつけず再び床に倒れ込んでしまった。


「――――あれ?」


 何故倒れ込んだのか。何故手がつけなかったのか。その疑問を胸に手元へ顔を向けると、原因はすぐに理解することができた。

 どうして目覚めてすぐ気づかなかったのだろう。目に入ったのは視線を下に下げた先にある手元。腰のあたりに両腕がピッタリをくっついてその手首周りにはロープでくくりつけられていたのだ。それはまるで犯人が逮捕されたときにつけられる手錠のようだった。


「これは…………」


 気づいたら見知らぬ陰湿な空間、そして縛られた手首。これだけで何が起こったのか理解できる。

 冷たくて暗い空間に縛られた手足……どうやら俺たちは誘拐されてしまったようだ。


 自分の身に降り掛かっている現状を認識してようやく思い出す。

 お土産買いに行く直前、突然身体の力が抜けたことを。その時に見たロザリオの光。あれはきっと魔道具の効果だろう。


「……にしても、反則すぎるだろ」


 異世界に来たこの身体も貴族の身分。一瞬暴走しかけたが変な輩という存在も考慮していた。貴族という身なのだからいつ誘拐されるかわからない。

 しかし魔道具に関しては全く想像していなかった。あんな魔法はまさにズルとしか言いようがない。

 もしかしたらロザリオを落としたと見られる人物。記憶が曖昧だがアレもグルだったのかも知れない。


「――――!――――!」

「ん…………?」


 こんな状況でも冷静に働いてくれる脳で現状を把握しつついると、ふとコンテナの向こう側から何者かの声が聞こえてきた。

 もしかしたら犯人か?そう思って聞き耳を立てると話の内容が入ってくる。


『――――じゃあ、あの2人は王族でもなんでもないっていうのか!?』

『そうみたいだな……』

『でも、このネックレスは確かにオウジョサマに渡したんだろう!?』

『そのはずだ。もしかしたらヤツがしくじったか、影武者だったのかもしれない……』


 聞こえるのは感情のまま話す者と冷静な者の2名。どちらも男性のよう。

 その口ぶりから察するに、誘拐したものの俺達は人違いという線が濃厚だ。

 狙われていなかったことに少しだけ安心するも、この場は何も安心できないと首を振る。


『でも、あの2人。身なりはどう考えても貴族のものだ。だったら計画は進めてもいいかもしれない』

『じゃ、じゃあ! 身代金は……!?』

『あぁ、なんせ相手はお貴族様だ。たんまり請求できるだろうよ』


 ――――どうやら人違いでもそのまま釈放……とはいかないらしい。

 犯人の要求は身代金の請求。犯人の善意に頼ることが出来ないとなれば取られる選択肢は2つだった。


「…………ふっ!!」


 相手の声の大きさから遠い位置にいることは理解できた。

 俺は声が届かないほど小さな声で掛け声を出し、振り上げた拘束された腕を思い切り自らの腹部へと叩きつける。

 4回……5回……。何回か振り下ろす作業を続けているとようやくブチィとロープが切れる音とともに腕が解放される。


 腕が自由になったのなら後は簡単だ。

 幸いにも使い古されていた脚のロープもちぎって自らの身体に以上がないことを確認する。


「あとは……」


 自由になった身で次の行動を考える。


 目が覚めたら誘拐の当事者。本来ならとっくにパニックで泣き叫んでいたことだろう。

 しかし実際には状況も把握しているし頭はいたって冷静だ。だからこうやってロープを引きちぎる手段だって思いつく。


 これも全ては昔の……神山家で習った護身術のおかげ。

 国の要人にはならないものの巨大企業の跡取り息子。最悪のことも想定して訓練は受けてきた。


 向こうではボディーガードで固められているのもあって役立つ機会がなかったが、まさか異世界に来てようやく日の目を見るだなんて。

 異質な訓練だということは理解していた。しかしこのときばかりは無駄に詰め込まれた神山家の方針に感謝しかない。

 しかし1ヶ月も経たない内に二度も気絶するとは。スタンという名は伊達ではないらしい。


「マティナール。ねぇ、起きて」

「ぅうん…………」


 自由の身になって次に選んだ行動はそばで横になっているマティナールを起こすことだった。

 人の気配はあっても見張りは居ないという杜撰さに感謝しつつ、彼女に近づいて肩を揺すると同じようにうめき声を上げながら目を開く。


「なに……ここ…………? ちょっとアン――、~~!!」


 しばらく現状を把握していないのかボーッとした目で辺りを見渡していたものの、段々とおかしさを把握し、声が大きくなっていく彼女。

 だが数時間の経験から彼女が大声を上げるのは予想済み。即座に口を塞いで難を逃れる。

 

「静かに。大声出すとマズイ」

「~~~~!!」


 俺の真剣な目が伝わったのか、彼女も理解したようで首をブンブンと縦に振って理解を示してくれた。

 手を離した直後顔真っ赤で息切れしながら「覚えてなさいよ……」と言われたことはきっと気のせいだろう。


「手を上げて。 今ロープ切るから」

「ん…………ありがと」


 近場に転がっていたガラス片を拾い上げてギコギコとノコギリのように動かし拘束を解いてみせる。

 遠くから聞こえる話し声は金が手に入った後の雑談に夢中でこちらに気づいていなさそうだ。


「さて、これからどうやって逃げるかな……」

「ねぇ、何が起こったの? あたしたちどこにいるの?」

「とりあえず、誘拐されたみたい。 さっき身代金がどうのって奥で話してるのが聞こえてきた」

「ゆっ――――!?」


 彼女にとってはその言葉は驚愕に値するものだったのだろう。再び叫び出しそうになったところを寸前のところで止めてみせる。

 ここまでパーフェクトな動きだったのにバレて再拘束になるのは勘弁したい。


 音を立てないよう薄暗がりの空間をもう一度冷静に把握する。


 ここは……倉庫だろうか。どこか建物の中にあるコンテナの裏側。壁とコンテナの間にあるほんの数メートルの死角。

 コンテナを回り込んだ向こう側にはきっと出口があるだろうが、同時に犯人もいるだろう。

 つまりバカ正直に出口に向かうことは得策ではない。他の方法を考えるべきだ。 


「……アンタ、ちっとも怖がってないのね」

「いいや、怖いよ。でもそう見えるのは訓練のおかげかな」

「訓練……?」

「なんでもない」


 神山家の教育、もとい訓練は中々にハードなものだった。

 コッソリ拘束を解いたり、音を立てないよう逃げたり。バレようものなら父親から鉄拳に加えて夕食抜きだから必死にもなろう。

 そんな経験があったからこそ今本番で力を発揮しているのかもしれない。


 それに加えてマティナールが居るのも大きい。

 彼女は数ヶ月だけ年上と言い張っていたが実際には俺のほうが倍ほど年上。なのに彼女を心配させるなんて、年上としても神山家としてもカミング家としても、3つのプライドが許さない。


「――――お。 もしかしたら、あそこから出られるかも知れない。マティナール、いける?」

「あそこ……?」


 俺が指さしたのは壁の下側。ちょうど建物の角に設置された小さな窓。おそらく換気用かなにかで取り付けられたものだろう。窓が割れて雨が室内に入り込んでいる。

 人一人でさえ出入りするのは無理なレベルで小さいが、それはあくまで大人の話。俺たちくらいの体格ならなんとか出ることはできそうだ。

 しかしその上で問題は2点。まずここは建物の2階以上あること。ここから出るには窓から飛び降りるほかない。

 そして、そこにたどり着くまでにガラスが散乱していることだ。割って音を鳴らしたら大変だろう。


「助けを待つことは出来ないの?」

「待てなくはないけど外は真っ暗で今はきっと夜だ。数時間経ってこの状況じゃ望みは薄いと思う」

「そう……」


 今この状況で取りうる2つの選択肢。

 一つは助けを待つこと。もう一つは自らの力で脱出すること。

 俺の言葉を受けて少し逡巡した彼女だったが次に顔を上げたときにはその目に決意の炎が宿っていた。


「そこしかないのよね?なら行くしかないわ」

「うん。ゆっくり、ね」


 思った以上に聞き分けがいいことに心底感謝する。

 彼女も貴族の身、こういう可能性は常日頃考えていたのかも知れない。

 揃って窓に目を向けた俺達はゆっくり目的地へと足を動かす。


 そぉっと……そぉっと……。

 ガラスを踏まないように。物を蹴ったりして音を立てないように。

 一歩、また一歩とさながら忍者のように忍び足で歩を進めていき、後ろのマティナールも俺が歩いたところを辿っていく。

 少し遠回りになりつつも確実に安全なルートを通って窓にたどり着き、身をかがめて窓から身体を抜いていく。


 どうやら俺達がいた空間はちょうど2階。高さ的には4メートルも無い程だろうか。思ったより近くに地面があることにホッと息を吐く。

 しかしここで油断を見せて頭から落ちなんてしたら本末転倒。俺は『なんとかなりそう』という思いを捨てて地面を睨み、窓からピョンと飛び降りる。


「よし……。 マティナール、いける?」

「え、えぇ。これくらい余裕よ……」


 体感ジャングルジムかた飛び降りるような感覚。着地の衝撃で足が痛くなったが耐えてみせ、振り返ると少しだけ恐怖の色を見せるマティナールが。


「大丈夫だから。何があっても受け止める」

「…………信じるわよ」


 高さ自体は大した事ないものの暗い夜空に底なしかと思うほど黒い地面。おまけに雨が降って視界も悪い。

 体感はよっぽど高く怖がるのも無理はないだろう。そんな彼女に手を広げて笑顔を向けると、決心するように眉を吊り上げた彼女は思い切り地面を蹴り上げてピョンと上空に飛び上がる。


「きゃっ!」

「おっと!」


 着地の瞬間よろめいて転けそうになったが、なんとかその肩を掴んで受け止める。

 恐る恐る見上げる彼女と目を合わせると、「ありがと……」と大人しく、そして素直にお礼を言ってくれた。


「大丈夫?怪我はしてない?」

「……えぇ、平気よ」

「さっきの声……。バレては……なさそうだね。大通りまで走れる?」

「走らなきゃ捕まるんでしょ?なら行くしかないじゃない」


 マティナールの発した小さな叫び声。

 その声で気づかれたかと思ったが最悪の事態は避けられたようだ。

 彼女は少しでも走りやすいようにドレスのスカートを捲って前を見据える。


「ここを抜けたら最後だ。急ごう」


 俺たちは雨の降り注ぐ道を、水たまりを踏み抜いて走り出す。

 こうして突如行われることとなった脱出ミッションは、奇跡的に誰にも知られることなく完遂するのであった。

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