017.ぷにぷにの感触
夢を見た―――――
とうに過ぎ去った古い記憶。
神山 慶一郎が幼かった頃の懐かしい夢。
小学校へ入るか入らないかといった時期で、妹はまだ幼稚園。
まだ世の中のことなんて右も左もわからないほど幼くて古い記憶であり、夢。
俺と妹、2人して原っぱを駆け回る姿はどちらも笑顔だった。
俺が逃げて、妹が追いかける。たまに捕まって地面へと倒れ込むが両者は心底楽しそうな顔を浮かべていた。
これが夢だと確信したのは遠くに見える兄の姿が目に入ったからだ。
大きな木の下に座りながら俺たちを見守ってくれている2人の男性。
1人はシャツとパンツのラフな格好をし、もう一人は新品のスーツを着用している。
大好き
かつてを思い出す楽しい時間。身体は自由に動かないが”楽しい”という感情はヒシヒシと伝わってきた。
永遠に続いてほしい4人の時間を堪能するように遊んでいると、突然景色が夕焼けの道へと切り替わった。
眼の前を歩く兄の背中。そして俺の背中にはスゥ……スゥ……と穏やかな寝息が聞こえてくる。
勝手に動く視線が背中を見れば、遊び疲れた妹がグッスリと眠っている。
そんな妹の姿を見て微笑んでいると、ふと『慶一郎』と俺を呼ぶ声が聞こえてきた。どうやら兄と距離が空いてしまったようで、慌てて歩調を速めながら、夢を見ている自分の意識は当時のことを思い出す。
これはかつての記憶。疲れきった俺達を背負うと兄2人が提案してくれたけど、俺が妹を背負うって譲らなかったんだ。
首元にはまだ幼い自分を頼って寄りかかってくれる妹の顔が。
懐かしい顔を見て当時の記憶が鮮明に蘇ってくる。まだ幼い妹背負って帰りながら、あの時の俺は誓ったんだ。彼女が成人して代わりに守ってくれる大切な人が現れるまで俺が守り続けるって。
以来、妹と二人で支え合ってきた神山での日々。
つらいことは沢山あった。父の厳しさに折れかけたこともあった。けど折れなかったのは妹がいたから。
だからこれからも二人で歩んでいけると思っていたのに…………その誓いは果たされることはなかった。妹どころが俺が成人する前に死んでしまって守ることができなくなってしまった。
生前最後に見た妹の姿を思い出す。玄関で見送ってくれる姿。寂しい思いをしていないだろうか。
誓いも道半ばで終わり、誇れるものなんて何も無い人生。突然終わってしまった日本での日々。
――――でも、今生では俺だって1人女の子を守ったと誇れるようになった。
妹と正反対のような見た目だけれど、元気のよさは妹を彷彿とさせる女の子を。
原っぱで遊んだ日みたいに雨の中を背負って家まで送り届けることができた。
夢の中の小さな俺は自らの意思に従って動いてくれて、眠っていて聞こえないであろう妹にそっと耳打ちする。
もうキミを守る事はできないけど、遠くからずっと応援してるから。だから寂しい顔をしないで。
もし何かの奇跡で再び会うことができた日には、胸を張って会えるように頑張るから――――
―――――――――――――――――
―――――――――――
―――――――
「ここは……」
目が覚めたら知らない天井……ではなく、最近見慣れてきた天井だった。
白い天井に窓から差し込む光。目の端に捉える棚やフカフカで柔らかなベッド。
上半身を起こして身体や髪を確認すると、その肉体は間違いなく俺、もしくはスタンの肉体だった。
「生きてる…………」
どうやらまだ俺は”スタン”として生を与えられているみたいだ。
直前の記憶はしっかりと覚えている。
2人で行った城下町。イザコザの末に雨の中家まで歩いて帰った記憶。
「よかった――――」
自然と心からの叫びがため息とともに漏れ出ていく。
豪雨の中で味わった感覚の消えていく恐怖と薄れていく意識。屋敷の直前で倒れた瞬間は死を覚悟したけど、なんとか生きているようだ。
身体を確認すると細かな傷がそこかしこにできていることに気づく。特に足回りは大量だ。触れるだけで痛みが走るがそれだけで、深刻な怪我が無いことを確認してもう一度息を吐く。
1度本当に死んだ身。この世界でも死んでしまったら俺という魂はどうなるのだろう。
日本で死にこちらの世界に来た。ならばこちらで死んだら今度こそあの世?それとも日本に逆戻り?
出来ることなら日本の慶一郎に戻りたいが、きっと骨さえも焼き尽くされてるから――――そこまで考えたところで数日前にも同じことを考えたと思考を中断する。
「……起きるか」
思考を止めた俺は二度寝せずに起き上がることを選択した。
カーテンの隙間から漏れる光は明らかに太陽のもの。時間はわからないが確実に日中であることを示していた。
普段はシエルが早々にカーテンを開けて俺を起こしにかかるが今日ばかりは締めたまま。気を遣ってくれたのかもしれない。
そう思ってベッドから降りるため方向転換しようと手に力を込めた、その時だった。
「――――ん?」
プニッと。
ベッドに手を付けると、なにやら柔らかな物に触れた感触がした。
なんだろう。基本ベッドはシーツや枕以外何も置くことはない。もしかしたらベッドまで運んだ誰かが治療道具的なものを置いたままにしたのだろうか。
幾つかの可能性を浮かべながらふと視線を向けると、盛り上がったシーツがそこにあった。
大きさは俺の身体と同じくらい。つまり子どもサイズ。
よくよく見れば俺が触れた枕側より少し下は、若干ながらも規則的に上下している。
「なるほど、シエルか」
子供サイズ、そして上下する動きとまで認識してすぐに彼女が眠っているのだと理解する。
きっと今は朝。それも早朝。おそらく俺は普段シエルが起きるより早く起きたのだろう。
だから今もカーテンは閉まってるし、いつも俺より早く起きてる彼女がまだ横で眠っている。
普段シエルより起きることなんて今までになくて触れた感触に驚いてしまったが、そう考えれば全て説明がつく。
と、くれば俺の取る手段は決まっていた。
もちろん隣で眠る彼女を起こして驚かすこと。普段散々起こされ着替えの攻防をしている意趣返しだ。
そうニヤリと口を歪めた俺は、シーツの端を握りしめ思い切り引っ剥がす。
「さぁシエル!もう朝だ――――なぁっ…………!?」
彼女を起こす決め台詞とともに引っ剥がした俺だったが、その言葉は最後まで続くことはなく驚愕で目を丸くしてしまった。
そこに広がっていた光景――――引っ剥がした先の、シエルがすやすやと眠っているはず姿は俺の予想と全く違うものとなっていたのだ。
プニプニと触れていたのは頬。それは予想通りで問題ない。しかし問題なのは横になっている人物だ。
俺の真横で気持ちよさそうに寝息を立てていたのは、赤みがかった茶色の髪を持つ少女。マティナールだった。
彼女は随分と深い眠りに入っているのか先程の呼び声に未だ起きる気配を示さず、夢の世界で笑みを浮かべている。
「なん……で……!?」
疑問。驚き。混乱。
様々な感情が一気に溢れていき、最終的も最も心の内を占めたのは”やばい”という感情ただ一つ。
何故彼女がここで寝てるか知らないが、絶対マズイ状況だ。
街でも俺を疑ってかかっていた彼女。彼女は俺に警戒心こそあれど信頼なんて小指の先程度しかないだろう。
そんな彼女が隣で寝てるなんて。望んで眠っている筈もない。きっとトイレ行って間違えてここに来たとかだ。
「逃げなきゃ」
脳内で警鐘を鳴らし続ける俺が取ったのは逃げの一手だった。
きっと今起きられたら叫ばれる。あること無いこと言って、また『魔物だから討伐を!』なんて言われかねない。
そうでなくとも変態認定を受ける前に早いとこ逃げてしまおうと踵を返してベッドから逃げ出すために動き出す。
「どこ……行くのぉ…………」
「っ…………! うわっ!?」
――――今日ほどこの貴族特有の大きなベッドを恨んだことはなかった。
逃げ出そうと真っ先に動き出した俺だったが、早々にその計画は失敗に終わった。
自分の体の何倍も大きなベッドから出るには四つん這いで何歩か進まなければならない。
いつもの道はマティナールが寝てる、ということで狙いを定めたのは反対側。踵を返して逆側から降りようと背を向けた瞬間、ガシッと腕を掴まれて引っ張られてしまった。
「まだ朝早いよぉママ……。もうちょっと、一緒に寝てよ……?」
耳元でボケボケの声が聞こえてくる。
勢いよく引っ張ったお陰で倒れ込むこととなった俺の目と鼻の先にはマティナールの顔が。
どうやら今は実家で寝ていると思い込んでいるのだろう。俺のことを母親だと勘違いして放たれるは随分な猫なで声。
「マ……マティナール……!?」
なんとか脱出しようと試みるも、想像以上に握る力が強く抜け出すことができない。
俺の抵抗をものともしない彼女は更に腕を引っ張りおよそ10センチの距離で顔を突き合わせる。
完全に勘違いしているその様相。目が開いているのに開いていない。ボーっとしながらも向けられるは小学1年相当とは思えぬ妖艶な表情だ。
「ふふっ……マ~マッ!」
「っ――――!?」
何をされるのか身構えていると、不意に眼の前の彼女が微笑んだかと思いきや鼻にチュッとキスを落としてきた。
まさに不意を突く一撃だった。俺は年甲斐も無く顔を真っ赤に燃やしてしまう。
「それじゃあ、おやすみなさい……」
突然の鼻キスに顔を真っ赤にする俺。しかして彼女の反応は対照的だった。
さっきのキスを全く気にしていないのか、再び目をつむった彼女はあっという間に寝息に戻ってしまう。
寝ぼけて起きてただ爆弾を落としただけ。普通の人間ならここで脳がフリーズを起こして何もできなくなるだろう。
しかし神山の人間はそう簡単には終わらない。すぐに平静を取り戻した俺はこの状況こそがチャンスだとニヤリと口を歪ませた。
再び眠ったということは抜け出すチャンスがまたできたということ。さっきの行動は起きてしまったものは仕方ないと、彼女の記憶が都合よく消えていることを願いながら赤くなった頬を時間に任せ、再び抜け出すため手を伸ばす。
「っ……!っ……! ……あれ、固くない?」
しかし伸ばした手は俺の思い通りに事を運ぶことができなかった。
目下問題は彼女に掴まれた手首。完全に拘束状態のこれをどうにかしないとベッドから降りることすら叶わない。
だからこそなんとか離してもらおうとあの手この手を試してみるも、思いの外固くて解くことが出来ない。
まだ幼い身体のスタン。15の俺なら余裕だが今は彼女の力には敵いそうもない。
再び起こすことも考えたが、次は何をされるかわからない。万が一さっきのキスを思い出されてしまえば説明前に右ストレート待ったなしだ。
もはや”詰み”という言葉が脳裏を過ぎりかけたその時、コンコンと扉をノックする音が聞こえてくる。
「ご主人さま……。まだ……起きていらっしゃらないですよね…………?」
「っ―――!」
扉向こうから聞こえてきたのは聞き慣れた、そして最も信頼する従者の声だった。
若干届く声色に影が差しているのが気になったものの、今はそれどころではないと俺も声を上げる。
「シエル!」
「っ……!? ご主人さま!?」
俺の返事に驚いたのだろう。息を呑む声と数秒の静止の後に勢いよく扉が開かれ姿を現したのはいつもの給仕服に身を包んだシエルだった。
驚きの表情で飛び込んできた彼女。彼女がいるなら百人力だ。きっとこの拘束もマティナールが起きる前に解くことができるだろう。
「ご主人さま……起きたのですか……!?起きたのですね……!本当に……!」
「おはようシエル。早速お願いなんだけど、この拘束を――――」
「だっ……旦那様!ご主人さまが……!ご主人さまが起きましたぁ!!」
「――――解いて…………って、あれ?」
即興で立てた俺の完璧な計画。しかしその計画が遂行されることは叶わなかった。
マティナールから解放してもらおうとやってきたシエルに頼むも、俺の言葉は全く耳に届いておらず父さんを呼ぶ声とともに踵を返して部屋の外へ。
身動きとれない状況に、助けてくれる仲間もいない。もはや孤立無援となった俺がなすすべなく呆然としていると、飛び込んできた父さんのハリのある声によってマティナールが目を覚ましてしまうのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます