010.疑いと恐怖
「アンタと会うのは半年ぶりくらいかしら?久しぶりね、元気そうでなによりだわ」
早朝。
まだ日も昇り始めてほど早い時間。
突然何の前兆もなく現れて、テーブルを挟んだ向かい側に腰を下ろした少女はこちらに笑いかける。
水色のフォーマルなドレスに身を包んだ彼女。背丈は子供でもその服や足元に見える黒いハイヒール姿。
緊張の欠片も見えないその凛とした姿と余裕の微笑みは大人顔負けで、幼いながらも正しく貴族を体現したような姿をしていた。
「半年ぶり。そちらも変わらず元気そうで何よりだよ」
どうやら彼女とは半年ぶりの再会らしい。
会話を合わせるように肩をすくめ彼女の言葉を復唱する。
「あら、あたしはこの期間で随分変わったわよ。なんてったって身長が3センチも伸びたんだしね!」
背筋を伸ばして胸を張る彼女だが、以前の彼女を知らないゆえに苦笑のみで返事をする。
目算身長は俺と同じ……もしくは若干上くらいか。
「それで、今日来るの昼過ぎって聞いてたんだけど?」
「あぁそれ? あたしはそのつもりだったんだけどパパが早いほうがいいって聞かなくってね。しょうがないから早くに出たのよ。……あたしはどうでも良かったんだけどね!!」
随分と”どうでも良い”と強調する言い方だ。
腕を組んで眉を上げ、チラチラとこちらの様子を伺ってくる少女。その姿を見てどうしたのだとこちらも疑問符を浮かべ声をかける。
「マティナール?」
「アンタ……大丈夫なの?」
「大丈夫って何が?」
声をかけた途端おもむろに繰り出されたのは脈絡のない問いかけ。
大丈夫とは何のことだろうか。そう思って問いを返すと、彼女は「あぁもう!」と苛立つように声を荒らげる。
「もうっ!聞いたわよ!アンタ先週事故に遭ったっていうじゃない!!」
「…………あぁ」
「心配で早く出たっていうのに……。もうっ!結局どうだったのよ!?」
まるで怒られてるかのような問いかけに一瞬目を丸くしたが、言葉の意味を理解しスッと肩の力が抜けるのを感じた。
彼女は言葉こそ口調なものの心配してくれているようだ。もしかしたら早くしたのもそれが理由かもしれない。
「全然平気だよ。ちょっと頭打って切ったけどもう治ったし」
「え、嘘!? どのへん!?」
「このあたりらしいよ。何度か診てもらったけど傷も完全に消えたみたい」
ガタッ!と勢いよく立ち上がった彼女はテーブルを回って俺の前まで駆け寄り、前のめりになりながら患部を診てくる。
俺もそれに応えるよう髪をかきあげながら見せつけるも、傷跡は見つけられなかったようでふぅと息を吐いて戻っていく。
「そう……。とりあえず外傷は残ってなくてよかったわ。 全く、誰よ事故を引き起こしたのは……近くにあたしが居たら引っ叩いてやったのに!!」
ビクゥッ!!
と、マティナールが拳を手のひらで受けとめるのに合わせて、未だかつて無い勢いで身体を跳ねさせるシエル。
原因といえばシエルだもんな……故意ではなかったのだから俺としては罰について勘弁して欲しいところ。
シエルの突然の震えに正面に向かうマティナールも気がついたのだろう。
そんな様子の変化をつぶさに捉えた彼女は俺の横に立つ黒髪の少女をジッと見つめる。
「ねぇスタン、前来た時はそんな子居たかしら? あなた、ここのメイドよね?名前は?」
「ぁ……えっと、シエルと申します。先日からこのお屋敷に厄介になっております」
「ふぅん……随分小さいけど、年齢は?」
小さいって、マティナールも変わらないくらいだろうに。
「今年7つになります。この度スタン様の専属メイドとなりました」
「7つって……同い年じゃない!なに!?ついにアンタ奴隷商から子供を買ったの!?」
「買ってない!!」
奴隷とかいう思いもよらぬ入手経路に思わず声を荒らげる。
メイドって奴隷商から買うものなのこの世界!?
「でもこんな小さい子をメイドにって……ならスラムで拾ったとか?」
「……当たらずとも遠からず……かな?」
「どういうことよ?」
「シエルとは偶然会って、寝床に困ってたものだからウチにどうって誘ったくらいだよ」
「……ふぅん」
さっき引っ叩くとか言っていた以上決して事故の加害側などとは口が裂けても言えず。
彼女の興味は事故から移ったのか椅子から立ち上がってシエルのもとまで。
近くでマジマジと上からしたまでの舐めるような視線に、ビクビクと身体を震わせながら耐えている。
「ねぇ、寝床がどうとか言ってたけど親はどうしたの?」
「親は……えっと……」
「…………」
気まずい空気が流れる。
ジッと何かを見定まるような目。
俺もシエルの家族について詳しいことを聞いたわけではない。けれど事故の状況や今の様子から、簡単に話せる事情ではないだろう。
「ちょっとマティナ――――」
「――――なるほどね」
「……えっ?」
シエルをかばうように俺も席を立ちその間に立ち塞がろうとしたその時、マティナールはなにか納得するかのような口ぶりで一歩身を引いた。
誰も何も話していない。なのに独りでに納得したかのような反応に俺達は揃って疑問の声を上げる。
「ごめんなさい、不躾なこと聞いてしまったわ。色々あったのね」
「それは、その……」
「マティナール、なにかわかったの?」
「いいえ。でもシエル……だったわね。この子があんまり話したくないってことはわかったわ。そういうのに無闇矢鱈と突っ込むのは美しくないじゃない」
どうやら彼女が引いたのはシエルの様子から踏み込むべきではないと理解したからのようだ。
一つ謝罪してそっと優しくシエルの頭を撫でるマティナールの表情は笑顔。
俺の精神の半分程度の年齢だというのにその理解力と物腰の柔らかさはまさしく貴族の姿だった。
応えるようにシエルも笑みを向けたのを確認した彼女は一つ息を吐いて今度はこちらに目を向ける。
「とりあえずその子については良いとして、次はアンタね」
「……ボク?」
とりあえずイヤな気まずい空気は霧散した。
そう安堵したのもつかの間。今度は彼女の蘇芳を思わせるような朱色の瞳がジッと俺を見定めるように見つめ、思わず背筋が伸びる。
「――――ねぇ」
「っ…………!!」
不意に。
彼女の見定めるような目が、キッと恨めしいものを見るような睨みに変化したことで思わず俺の呼吸が一瞬止まる。
「……ねぇ」
「な、なに……?」
ただ睨まれたと思ったのも一瞬のものだった。呼吸が戻る頃には彼女の目はまたも見定めるようなものに戻っている。
なんださっきの圧は。
不審?見定め?怒り?……わからない。
けれどさっきの意識の隙を突いた一瞬は、まるで父を思い起こさせるような視線だった。
それは神山の父に報告する時のような、今にも襲いかからんとする不安を伴う視線。
「マティナール……?」
「……ねぇスタン、そういえば前会った時は楽しかったわね。ウチの家族とアンタの家族、みんなお庭でピクニックをして」
「えっ? あぁ、うん。そうだね」
しばらく黙っていた彼女の口から飛び出したのは、前回会った時とかいう昔話だった。
突然どうしたのかと思いつつ、話を合わせるため高鳴る心臓を抑え平静を装いながら応えていく。
「その時アンタが言ったこと覚えてる?『次会った時は花いっぱいになった庭を2人で駆け回りたい』って」
「そんな事
何故か猛烈に脳内で警鐘が鳴っていた。
下手なことは言ってはいけない。そんな疑ってかかる視線にどうとも取れるような曖昧な返事で誤魔化していく。
「――――嘘ね」
「……えっ?」
苦笑いをしながら誤魔化した言葉は、彼女によって即座に否定された。
それはまさしく応対が『失敗』したと突きつけているかのよう。
一体何が失敗だったのか。震える俺の声に彼女ははぁ……とため息を吐く。
「な……なにが……嘘だって?」
「何って、むしろ何でアンタが否定しないのよ。言ったことは覚えてなくても何があったかくらいは覚えてるでしょう?あの日、ピクニックの予定が雨で中止になってたことさえ忘れたっていうの?」
「ぁっ…………」
俺は彼女の思わぬセリフに口元を手で抑え目を見開く。
そっか……彼女が試したのはその日の出来事から。つまりピクニックしたこと自体――。
「半年前のことも覚えてない。それに会ったときからずっと口調も態度もぜんぜん違う。呼び方だって……。アイツは水切りの回数とか身長の一センチ差とかそんな馬鹿な自慢しかしてこないまさしくバカだったわ」
「………………」
彼女はまさに詰みだというように、一つ一つ逃げ場を無くしてく。
なんとかなったかと思ったが、大間違いだったようだ。彼女は最初から俺を疑ってかかっていたということか。
「ねぇ、教えて。 アンタは一体…………誰なの?」
ガタンと崩れ落ちるように座る俺を彼女は黙って見下ろしていく。
その色鮮やかな目の奥には、寂しさと悲しさ、そして不安の色が燻っているようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます