009.赤、そして茶色

 天から降り注ぐ雫が辺りを強く打ち付ける。

 雫が地面に届くたび弾け、広がり、辺りを濡らしていく。

 それはまさに天の涙。遠くから聞こえる雷鳴は、まるで何者かの心を映す慟哭どうこくのよう。


 辺りは漆黒のように暗く、辺りの家から漏れ出た光のみがわずかに照らしている道。

 そんな薄暗い街道を、一歩、また一歩と力強く歩いていく。

 足取りは重く、遠い。まだまだ形すら見えない家が果てしなく感じてしまう。


 パシャ―― パシャ――

 一歩踏み出すたび足が水たまりを弾く。

 弾かれた水が靴や裾に入り込んでも俺は構わず進んでいく。


「はぁ……はぁ……」


 足を動かすごとに浅く吸い込んだ息がロクに酸素を取り込めず吐き出される。

 いっそこの場に倒れ込んだら楽なのに。

 そんな逃げ出したい思いが頭の中をよぎるが、背中にかかる重みが自分だけを頼りにしていることを実感して決して倒れてたまるかと内なる心に火をつける。


「もぅ……もういいよ……スタン……」


 背後から諦めをも含んだ身を案じる声が聞こえるものの、『そんな事知るか』と返事をすることもなくただひたすら前へと突き進む。


「スタン……」

「もうちょっとだから……もうちょっとだから頑張って、マティナール……」


 息も絶え絶えになった声は、掠れた音となって周りの音にかき消されてく。

 しかしその言葉を耳にした彼女は、俺の背中に身体を預けることで返答をするのだった――――



 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――




 ――――時は遡って、朝。

 俺はこの日、昼過ぎにやってくる来訪者を控え、いつも通りの朝食を摂っていた。


「ご主人さま、今日のご予定ですが……」

「うん、わかってる。昼過ぎに来るんだよね?」


 食事も終わりに近づいたところで声をかけてくるのは俺専属のメイドであるシエル。

 子供用の給仕服に身を包んだ可愛らしい少女だ。

 少しフリフリの服を着た黒髪の美少女。子供特有のまんまるの瞳と幼い顔つき。

 特にその蒼い瞳はまるで大空のようで見ているだけで吸い込まれそうな感覚に陥るほど。


 そんな専属メイドの彼女は俺が食べ終わった皿を取り下げつつ、フルーツとジュースを新たに置いてくる。


「マティナールさん……でしたっけ? どのような方なのです?」

「いやぁ、それがボクもよく覚えてなくって……」


 投げかけられる疑問にとぼける俺。

 そう、今日は幼なじみらしいマティナールがこの家に来る日である。


 シエルからの問いに忘れたと答えてみせるが、当然のことながら覚えてるわけない。

 会ったのは本来のスタンだ。1週間前この世界に来た俺にとってはまさしく初対面である。


 父もメイド長も俺の言うことを信じて深掘りしないでいてくれているが、マティナールに関してはわからない。

 人格が変わったことも直近の記憶が無いことも事故の影響だということで言い訳はできるだろう。しかしどこに地雷が仕掛けられているかわからない。

 もしボロが出て別人だと言い当てられたらどうしようもない。


 フォローをしてもらうためシエルには本当の事を伝えてもいいのだが彼女はまだ子供だ。真実を告げるには幼すぎる。どこで口を滑らせるかわからない。


「――――さま? ご主人さま?」

「ぇっ……あ、あぁ、ゴメン。ボーッとしてた。どうかした?」


 どうもまた思考の渦に囚われていたようだ。

 何度目かの呼びかけに意識を取り戻すと、彼女は不安そうにしゃがみ込んでこちらを見上げてくる。


「大丈夫ですか? ここしばらくボーッとしてますけど……体調に問題でも?」

「ううん、そんなことないよ。 寝起きで頭が働いてなかっただけだから」

「ならいいのですが……体調が悪いのであればお伝えしてくださいね?

「もちろん」


 彼女は少し後ろ髪引かれるように心配そうな表情を浮かべながらも笑顔を浮かべる俺から視線を外す。

 思考に囚われがちなのは悪い癖だ。心配性なのは性分なのかもしれない。


 ようやく思考を振り払って目の前におかれたデザートに目を移す。

 どうやら今日はフルーツ尽くしのようだ。オレンジにも似たジュースと果実に舌鼓を打っていると、ふと扉の向こうからなにかガヤガヤと声が聞こえることに気づく。


「…………? シエル、今表でなにかしてる?いつもより騒がしいけど」

「いえ、そのような知らせは……。ちょっと見てきますね」

「あ、部屋から顔出すだけでいいよ」

「はい!」


 ざわめきは彼女の耳にも届いていたようで、俺に変わって外の様子を伺ってくれる。

 しかし近くに原因となるものが見つけられなかったのかすぐに扉を閉じて困ったように首を横に振ってきた。


「だめです。エントランスの方から聞こえるようで、ここからはわかりませんでした」

「そっか……。宅急便が荷物でも持ってきたのかな?」

「宅急便?郵便のことですか?」

「そうそう、郵便だったね」


 そういえばこの世界に郵便はあっても宅急便なんてものは存在しなかった。

 ふと思い出す懐かしい日本の記憶。神山の家では父が勝手に買った美術品がシレッと宅配で届いて、事情を知らない使用人たちが騒ぎになってたこともあった。今回も似たケースだろうか。


「ところでご主人さま、マティナール様は午後に来られるようですが、午前中のご予定はありますか?」

「うん、せっかくだしアルバムとか漁ろうかなって。なにかマティナールについて思い出すことを――――」


 ――――バァン!! と。

 言葉を終える前に、爆発にも似た衝撃音がすぐ近くから響き渡った。


 デザートも食し終えたところでノンビリと背もたれに身体を預けつつグラスを傾けようとした瞬間、突然轟音を鳴らしながら開かれる扉に俺もシエルも大きく肩を震わせる。

 危うくジュースを零しそうになるところ、すんでのところでせき止めつつ音の発生源に目を向けると、扉には一人の少女が仁王立ちで立っていた。


 赤……茶色……。

 赤みがかった茶色の髪を携えた少女だった。

 髪と同じ色の瞳を持ち、自信満々といった表情を浮かべている同い年くらいの女の子。

 目も眉も若干釣り上がり、テーブルを挟んで向かい側に移動した彼女は再び仁王立ちでフンと鼻を鳴らしつつ俺を真っ直ぐ見つめてくる。


「ひさしぶりね!スタン!」


 自信満々の第一声。

 その声の主はまさしく俺を呼んでいた。


 しかし少女については間違いなく初対面。見覚えなんてあるわけがない。

 だが向こうはこちらを知っている。そして今日の予定。まさかとは思いつつ心当たりのある名前を口にする。


「え~っと……もしかして、マティナール?」

「えぇ! よく覚えてたわね!」


 そのまさかだった。

 今日の昼からやってくる予定の少女。それがまさか朝一からやってきたのだ。


 誇らしげに鼻を鳴らす女の子。

 彼女はその腰まで届くストレートの髪をかき分け自信満々の笑みをこちらに見せつける。

 見るだけでわかる、シルクのような美しい髪。その髪は隅々まで手入れが行き渡り、堂々とした立ち振舞いから溢れ出る気品オーラが、只者ではないと予感させた。


「ちょっと早いけど来てあげたわよ!泣いて喜びなさい!!」


 ぐんと胸を張って自信満々に告げる少女、マティナール。

 彼女は突然のことで驚く俺とシエルを圧倒し、満足気に笑いかけるのであった。

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