005.不安と励まし


 異世界――――

 それは空想の産物であった。


 偶にクラスメイトたちが話しているのを耳にする程度の興味がないもの。

 そんな無意味なものに時間を浪費するくらいならほんの少しでも勉強や習い事を行い、知識や経験を重ねた方がいい。そう思っていた。


 しかしまさか、ロクに会話にも参加しなかった自分が転生してしまうなど、夢にも思うものか。

 高校入試の途中に事故に遭い、気づいたら知らない世界。右も左も知らない人だらけで別人になってしまっていた。

 まさかあの日に車が突っ込んでくるなんて考えもしなかったが、それ以上に異世界に飛ばされることなんて今でも信じられない。


「はぁ…………」


 今日まで調べた結果を思い出して、たまらずため息が出てしまう。

 知り合いもいなければ帰る方法すら無い。しかも幼くなっているという現実に。

 もし帰れたとしても、車が突っ込んできたのだ。今頃とっくに身体は灰になっていることだろう。

 時間を戻れる事ができるのならどうにかなるが、そんなものが汎用的に広まっているなら今頃この世界はディストピアになっている。


 つまりは帰るという点では詰んでいるというわけだ。

 ここに留まるにしても元いた人格はどうなったという懸念点もあるし、考えることが多くてため息が出てくるのも仕方ない。


 もう暗くなった窓から何も見えない闇を眺めていると、ふと正面から声がかかる。


「どうしたスタン。食欲無いのか?」

「ゴメン、お父さん。 ちょっとボーッとしてただけ」


 どうも食欲が無いように思われていたようだ。

 彼になんでもないと告げながらテーブルに並べられた食事に手を付けていく。



 お父さん――――名はセルジュ・カミング。

 この身体の実の父であり、代々伝わる貴族カミング家の現当主。

 スタンと同じく翠の瞳を持ち、金色の髪をミディアムヘアにして前髪を上げた男性。


「本当か?もし頭が痛かったり辛いようならすぐ言ってくれよ。お医者様のところへ連れて行くから」

「全然辛くもないよ。 ありがと」


 1週間経っても事故の後遺症を心配してくれる父親。

 その性格は基本温厚。そしてこのスタンにはダダ甘である。

 この1週間接してきたが、殴られるどころか怒られた記憶すらない。

 むしろアレがほしいコレが欲しいといった要望にかなり答えてくれて、この一週間の情報収集にかなり寄与してくれた。


 だからかも知れない。

 あの日、この世界にやってきた日にシエルに対して命を奪う選択まで出してきたのは、殺伐とした世界というのもあれど、それ以上にスタンへの愛情の深さもあってのことかもしれない。

 彼にとっては大事な息子が大変な目に遭った元凶が許せなかったのだろう。


 ちなみに、性格が変わったことについて随分と心配されたが、事故の影響ということで納得してくれた。

 こんな優しい父親……神山家の父が見たら卒倒するだろうな。

 一日一殴りすらない日々を送っているのが俺にとって奇跡だ。



「――――ごちそうさま。 スタン、父さんはもう仕事に戻るからな」

「え? うん」

 

 彼の懐の深さに父親の姿について再確認していると、テーブルのお皿を空にした彼が立ち上がって部屋を出ようとしていた。

 その後姿を見送るも、彼の足はその部屋を出ること無く、直前で「あっ!」と言葉を漏らして、ふとこちらに視線を向けてきた。


「あぁそうだ。 そういえば2つ、スタンに言わなきゃならないことがあったんだ」

「言わなきゃならないこと?」

「あぁ。 まず1つ目として、母さんから連絡あってな。あと1週間ほどで帰るようだ」

「う、うん……」


 母さん……このスタンの母親。

 そういえばこっちに来てから一度もその姿を見ていなかった。

 気になりはしたが、もし他界しているなど地雷を踏み抜いてしまう可能性も考慮して聞けずじまいたった。

 でもそっか……生きてるんだ。帰るということは、どこか遠くに行っているのだろう。


「そして2つ目。3日後、マティナールちゃんが来るみたいだぞ」

「マティナール……? ……誰?」


 知らない名前が出てきて思わず言葉が漏れてしまった。

 マティちゃん?この身体の知り合いだろうか。


「おいおい、それも忘れたのか? 大事な幼なじみを忘れたなんて知ったらあの子も悲しむぞ。当日までには思い出しておくように。それじゃ」

「えっ……ちょ……!」


 ……いっちゃった。

 彼はそれだけを言い残してこちらの返事を聞く間もなく去っていった。

 マティナール……幼なじみ……3日後……本当に誰なんだ……?



 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――



「ご主人さま……何か、ありましたか?」

「えっ?」


 夜。

 真っ暗な部屋の中でシエルの可愛らしい声がすぐ隣から聞こえてくる。

 その声色は心配そのもので、顔を向けると不安そうな顔がすぐ近くに見えた。


「なんだか……いつも以上に難しい顔をして……。何かありました……か?」


 いつも以上って、そんなに難しい顔をしていただろうか、俺は。



 日も沈み切り、夕食を終えてしばらく経った頃。

 俺は専属メイドであるシエルとともに一緒のベッドに横になっていた。


 一人で寝るには広すぎる、キングサイズをも越えるベッド。

 そこに彼女を迎え入れたその日から共に眠っている。


 その理由もただただ単純、彼女が寂しそうにしていたから。

 別に高校入る直前だった俺にとって小学校入るかどうかの子と一緒に寝るくらい何の問題もない。

 むしろ迎え入れた責任を取るため、こうして彼女が慣れるまで一緒に眠っているというわけだ。



「ちょっと……数日後お客様が来るみたいでね。どうしたものかなって……」


 考えていたのは先程言われたこと。

 どうもマティナールという幼なじみらしい人物が訪ねて来るらしい。

 人格が変わり、以前の自分の記憶が全くない俺にとっては完全に初対面だ。

 お父さんには事故のドタバタもあって受け入れてくれたが、無事切り抜けることができるだろうか。


 幼なじみということは随分と親しい存在だ。もしかしたら真っ先に俺がスタンで無いと見抜かれてそれを広められるかも――――


「だっ……大丈夫、ですっ!」


 再び思考の海に沈みかけていると、励ましの声が聞こえてくる。

 彼女は力いっぱい握りこぶしを作ってまんまるな目をこちらに向け、真剣な表情をしていた。


「シエル……」

「ご主人さまなら大丈夫……です! だってご主人さまですから……!」

「――――」


 あまりの言葉に俺も言葉を失ってしまう。

 なんだその理由は。何の根拠もなくて理論もない。

 もはやただの感情論。神山家なら一蹴されることが確定だろう。


 ――しかし、彼女の真っ直ぐなその言葉に、その心が伝わってきて思わず笑みがこぼれてしまう


「………ふふ」

「ご主人さま……?」

「ありがとう、シエル。元気出たよ」

「――――! はいっ!」


 そんな彼女の綺麗な髪を撫でて微笑みかけると、シエルも嬉しそうに顔を綻ばせて俺の胸に潜り込んできた。


 胸元で小さく丸まる幼い少女。

 まぁ、今考えても仕方ないよね。なるようになるよ。


 俺も彼女の背中に手を回してゆっくりと目を閉じる。

 ありがとうシエル。ちょっとだけ、元気出た。

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