004.書斎でのお茶会

「ふぅ……。こんなものか」


 穏やかに風が吹き込む窓辺にて。

 パタン。と本を閉じる音が部屋に響く。


 小さな身体を器用に使い、座していた椅子からピョンと飛び降りると太陽の光が当たって思わず眉間にしわを寄せる。

 この部屋に来た時は太陽も高く、窓辺に寄らないと薄暗かったこの部屋。しかし気付けば光が部屋に入り込むまで没頭してしまったようだ。


 日本語ではない文字列が記された装丁を一撫でしてふと顔を上げると、窓向こうに見えるのはようやく見慣れてきた外の景色。

 外はもう夕焼け。手入れされた花咲き誇る庭の向こうには森が見え、鳥が群れになって飛び回っている。

 太陽の傾きも鳥の習性も、日本とこちらとを比べてほとんど変わりないようだ。


「そろそろかな……」


 時計を見ることなく太陽の位置で”そろそろ”とアタリを付けた俺は小さな手を窓に伸ばす。

 朝に比べて随分と暖かくなった昼下がり。この時間だとそろそろ”あの子”がやってくる頃か。そんな予測をしながら窓を閉じると、まるで待っていたかのように扉向こうからパタパタと人の近づく音の後にコンコンと控えめなノックが響き渡る。


「しつれ……します……っ!」


 こちらの返事を待つことなく小さな声を力いっぱい振り絞りながら部屋に入ってきたのは、小さな子供用の給仕服を身に纏った俺とそう変わらぬ少女だった。

 少女の手には紅茶セットを乗せられたお盆が握られており、カチャカチャと危なかしくとも確かな足取りでこちらへと歩み寄ってくる。


「ご、ご主人さま……。 お茶をお持ち……しました。 休憩にしませんか?」

「そうだね。 キリもいいし、お茶にしようか」


 緊張した面持ちで、こちらと紅茶セットの間を慌ただしく視線を動かす少女。

 そんな彼女に優しく微笑んで椅子に戻ると、彼女もついていくように「うんしょ」と声を上げて慣れない紅茶の準備を始める。


 その手つきはまさに不安そのもの。震えた手付きで今にもお湯や茶葉をこぼしてしまいそうだ。

 一生懸命ながらもハラハラドキドキ。見てるだけで内心手を出したくなるが、決して口や手を出すことはしない。彼女が頑張りが無駄になってしまうから。


「でっ!できました! ご主人さま……どうぞ!」


 表面は微笑みながら内心は応援団の如く声援を送っていると、なんとかできたようで湯気立つ香る紅茶とお菓子を机に差し出してきた。

 香りも申し分ない。華やかなハーブティーの香りだ。チラリと見た少女はお盆を胸に抱いて不安そうにしており、早々にカップを口元に持っていく。


「ん、美味しいよ。ありがとう。―――シエル」


 シエル。

 先日牢に囚われた少女。メイド服に身を包んだ彼女は一瞬だけ目を見開き、すぐに頬に赤みが灯る。


「……! そうですか!?よかったです……」


 手にしていたお盆から力が抜け、恥ずかしさを誤魔化すようにニヤニヤする口元を隠すも隠しきれない様子のシエル。

 彼女もこの数日で随分と変わったものだ。


「シエルもこの一週間で随分と仕事に慣れたみたいだね」

「いえっ、全然……まだまだ失敗ばかりで……」

「そんなことないよ。紅茶だって任せられるようになったんでしょう?」

「いえっ……その……はい」


 自らの成果が恥ずかしいのか顔を隠すようにお盆を持ち上げる少女。

 

 俺がこの屋敷で目覚めて、シエルをメイドに迎えてから早1週間の時が経過した。


 彼女は俺の要望もあってか有言実行の如く俺の専属メイドとなった。

 しかし、最初は酷いものだった。皿は割るわお湯はぶち撒けるわ。配膳を任されたケーキをパイ投げの要領で俺の顔面にシュートされた時なんか顔面蒼白になる彼女をよそに笑うしか無かった。


 そんな失敗続きのシエルだったが決して音を上げることはなく、今となっては紅茶淹れを一人で任せられるようになった。

 仕事ぶりだけじゃない。外見も、以前とは見違えるようになった。


 悪い言い方をすれば妖怪。自らの心のバリアを形成かのように伸び切った黒髪は短く切りそろえられミディアムボブほどの長さへ。

 どうも彼女は短くなるとほんの少し癖毛が出るらしく、軽くウェーブのかかった髪が揺れる身体とともに踊っている。

 そして栄養失調の象徴であった腹水も収まり、肌も見違えるほど血色が良くなった。


 まんまるな目は損なわず、それでいて時々笑顔も見られるようになってきた。

 まだまだ肉付きは足りないがこのまま行けばお人形さんのように可愛らしい女の子になっていくことだろう。そして年月を経ればかなりの美人さんへとなっていくかもしれない。



 小学校低学年前後でもわかる将来有望さ。そんな可愛らしい彼女を眺めながら紅茶を嗜んでいると、ふと彼女の様子がおかしいことに気づいた。


「シエル、どうしたの?」

「えっ……えっと……その……」


 思わず声をかけるも返事はたどたどしい。

 さっきからなにやら言いたげに口をモゴモゴしている彼女。

 問いかけてみるもしきりに視線を動かしているだけでうまく言葉にできそうもないらしい。


 しかし、目は口ほどのものを言う。よくよくその姿を見ていれば視線はとある方向にのみ向けられている事に気づいた。

 口元や手は慌ただしく所在なく動き回っている。しかし視線だけは俺の手元をジッと見つめていた。

 正確にはテーブルに置かれたティーセット。その内の1つである使われていないカップ。これはもしや――――


「シエル、よかったら一緒にお茶しない?」

「っ……!そ、それはいけません……!私はメイド……お仕事中、ですから……!」


 言いたかったことを見抜かれたのに驚いたのだろう。

 一瞬だけ驚きに目を見開いた彼女だったがすぐさま顔を覆ってテーブルの上の紅茶とお菓子を見ないようにしている。けれど悲しいかな、指の隙間から除いているのが丸見えだ。


「そんな事言わないで。ボクが一緒に飲みたいんだから」

「……いいんですか!?」

「もちろん。 1人よりも2人で飲んだほうが楽しいしさ」


 そこまで言われちゃ彼女としても断りきれないと判断したのだろう。

 と誘いを受けたシエルはぱぁっ!と明るい顔に早変わりし、これ以上ない動きで空のカップに紅茶を注いで向かい側の椅子へ。小さな口でちょっとだけ飲むとホワッとした顔を見せつけてくるものだから、ついつい俺も笑みがこぼれてしまう。


「……ふふっ」

「ふぇ? どうしましたご主人さま。そんなジッと見て」

「あぁいや、随分リラックスしてる表情だったから。 メイド長が見たら怒りそうなくらいに」

「っ―――! す、すみません!ご主人さまをリラックスさせるはずが勝手に……!」

「いいのいいの。2人だけなんだしゆっくりしてもらえれば」


 慌てたように姿勢を正し始める彼女をなだめるも、恥ずかしそうにこちらを見つめてくる。


 彼女は現在、メイド長による直接指導を受けている。

 目覚めた時に真っ先に心配してくれた、あの壮年の女性だ。

 シエルも大分頑張っているが、ちょっとしたミスで何度も叱責を受けているのを見たことがある。

 何度か口出ししようと思ったが、シエルもめげないからこちらからも何も言えない。

 メイド長も愛のある鞭なのはわかっているが、見守るだけというのも難しいものだ。


「むぅ……。 それよりご主人さま、ここにいっぱいあった本がなくなってますが、調べ物は終わったのですか?」

「うん。この1週間ずっと読みふけってたからね」


 俺は目覚めてから1週間。ずっとこの部屋に引きこもっていた。

 言うなれば本の虫。現状を認識するためこの書斎に籠もって情報収集に励んでいたのだ。

 その際テーブルの上に山積みになった本を目にしていたから彼女も気になったのだろう。

 さっき読み終わったのが最後の本。目ぼしいものは全て見終えた俺は、ようやくここでの調べ物を終えたのだ。


 情報は武器になる。ココがどこかも自分が何者かもわからないとなればなおさらだ。

 この家に情報源となる本が大量にあったのは幸いだろう。貴族というからには相当いいところに違いない。


 サラリと脇に置いた本に手を触れる。この世界の歴史書。主に近代について書かれた興味深い本だった。

 結論から言うと、ここは以前いた日本とは全くの別世界だということが判明した。

 しかも驚くべきことに剣も魔法も魔物も存在する世界。まさにゲームのような異世界。


 ゲームのようではあるが、しかし肝心の『魔王』は存在しなかった。

 正確には”存在しない”と言うより”滅ぼされた”世界。どうも『魔王』が討たれて平和になった世界らしい。

 『魔王』が消え去ったことでこの世界から『魔』の力が弱まり、魔法を使ってももとの1割以下の出力に鳴ってしまったらしい。

 結果多くの魔法使いは杖を置き、代わりと言わんばかりに魔道具が台頭してきた。


 更に驚くことに、当時は何人もの日本人がこの世界へ『魔王』を滅ぼすため転生してきたというのだ。

 意気揚々と魔王へ突撃しては敗れ、次の日本人が向かっては敗れ幾星霜。記録では1000年も前から転生が行われてきたらしい。


 長きにわたる『魔王』と人との争い。

 幾度挑んでも『魔王』を討つことは叶わずもはや無駄死にかと人類が諦めたその時、30年ほど前にとある日本人が無事に魔王討伐成功したというのだ。


 当時は世界が大いに湧いた。三日三晩宴に盛り上がったとも書かれている。魔王を討った勇者の素性ついては一切文献が見当たらなかったものの功績は数多く残されており、勇者が持つ豊富な知識量から世界の技術発展にも大きく寄与したと称えられていた。


 まさに偉人の所業。この功績は後世にまで残されるべきとも記されていた。

 そんな勇者による技術発展に最も貢献したものこそが魔道具。魔法が使いにくくなって平和になった世界でも魔道具は安全にかつ問題なく使えることを発見して以来、世界は魔道具研究に躍起になり、今では生活に密着する物は蒸気革命すら越えてしまっていた。

 お風呂やシャワー、ライトなどがいい例だ。蛇口を捻れば水が出て、スイッチを押せばライトが点灯する。どうも歪ながらこの世界は中世と現代日本が組み合わさった世界らしい。



 そして俺自身のことだが、帰る方法は残念ながら見つけられなかった。

 日本と繋がりがあったのは昔の話。魔王が打倒されて以降転生した例が無いためだ。

 本来なら悲しむところだろうが、まだ調べたのはこの家の書斎だけ。他にも手がかりがあるかもしれないからいちいち悲しんでいられない。

 付け加えればこの家は親に殴られる心配が無いから、それも余裕の理由かもしれない。


 突然死んでしまった神山 慶一郎。

 高校入試とか妹のこととか元の世界への気がかりも多いが”常に冷静に”、だ。



「……ご主人さま」

「ん、なぁに、シエル?」


 ふと外を見ながらボーっとしていると、正面のシエルに話しかけられていることに気がついた。

 しまった、すっかり意識をどこか遠くにやっていた。なにか話している最中だっただろうか。


「ご主人さまは、消えたり……しないですよね……」

「えっ――――」


 シエルが寂しそうな顔。ジッとこちらを見つめながら問いかけてきた言葉に、思わず心臓が飛び跳ねるほど驚いた。

 確かに今もとの世界に帰る算段について考えていた。もしかしたら考えが見抜かれたのだろうか。

 ふと背中にイヤな汗が流れる。どこまで見抜かれているのか。返事を返すことなくジッとその目を見つめながら喉を鳴らすと、彼女は視線を手元に下げポツリと言葉をこぼす。


「調べ物しているご主人さまは、ずっと切羽詰まっている様子でしたので……。それに夜も、知らない人の名前を呼んでました。『帰りたい』って」

「……あぁ」


 ――――そういうことだったか。

 彼女の言葉を聞いてふと腹に落ちるものを感じた。

 無意識ではあるがそんなことを口に出していたのかと。そして自分でも帰りたがっているんだなと。


 正直向こうの家はつらいことばかりだった。理不尽と不条理だらけだった。

 それでも『帰りたい』と呟くのはそれでもやはり、心残りがあるからか。


 彼女からすればそんな言葉を耳にしてしまえば、消えてしまうんじゃないかと不安になる気持ちも湧いてくるだろう。自分だけ残されるのかと思ったのかもしれない。

 調べ物が終わったとなればタイムリミットが来たのだと思われたのだろう。


 俺はテーブルに身体を乗り上げ、そっと彼女の頬に手を触れ髪を撫でる。

 最初はビクンと大きく震わせた彼女だったが、すぐに身を委ねてくれたのか大人しく撫でられてくれた。


「消えたりなんかしないよ。ちゃんとシエルの側に居るから」

「本当……ですよね?」

「あぁ、本当だ」


 今はまだ、帰る方法も分からないし手段も無いから消えることはないだろう。

 しかしもし、見つかってしまったら?その時はわからない。嬉々として帰るかも知れないし拒否するかもしれない。


 また、もしも突然この世界から消えるように戻ってしまったらどうなるだろう。このパターンが一番未知数だ。まるで蜃気楼のように俺がこの世界から消えてしまい、日本に戻ってしまったら。

 身体ごと消えるかも、元の人格に戻るかもわからない。


 そうなってしまっても良いように、彼女は自立させておく必要がある。

 俺は今にも泣きそうな彼女を安心させつつ再びティータイムを過ごしていく。

 2人の穏やかな時間は、太陽が沈み切るまで続くのであった。

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