004.書斎でのお茶会
「ふぅ……。こんなものか」
パタン。
本を閉じる音とともにうんと伸びをすると、太陽の光が当たって思わず眉間にしわを寄せる。
この部屋に来た時は太陽もてっぺんにあって部屋に光が当たる状況じゃなかったはず。気付けば光が部屋に入り込むまで没頭してしまったか。
本を片付け窓に近づくと、窓向こうに見えるのはここ1週間毎日目にして見慣れてきた景色。
外はもう夕焼け。庭の向こうに見える森からは鳥が群れになって飛び回っている。
太陽の傾きも鳥の習性も、日本とこちらとを比べてもなんら変わりないようだ。
開けていた窓を閉じ、再度伸びをしたタイミングでコンコン……と控えめなノックの音が聞こえてきた。
時刻は……おやつの時間を少し過ぎた頃。タイミング的に彼女か。
「しつれ……します……っ!」
小さな声を力いっぱい振り絞りながら部屋に入ってきたのは、小さな子供用の給仕服を身に纏った俺とそう変わらぬ少女――――シエルだった。
彼女の手には紅茶セットが乗せられたお盆を握っており、カチャカチャと危なかしくとも確かな足取りで一歩……また一歩とこちらへと歩み寄ってくる。
「ご、ご主人さま……。 お茶をお持ち……しました。 休憩にしませんか?」
「そうだね。 キリもいいし、お茶にしようか」
さっきまで本を読んでいた席に戻ると、彼女は震えた手付きながらなんとか頑張って紅茶を入れようとしてくれる。
その光景を見るだけで内心随分とハラハラするが、決して口や手を出すことはしない。彼女が頑張りが無駄になってしまうから。
「でっ!できました! ご主人さま……どうぞ!」
だいぶおっかなびっくりな様子だったがなんとか出来上がった紅茶を目の前に出してくれるシエル。
香りは……うん、いい感じだ。そして味は…………
「ん、美味しいよ。ありがとう」
「……! そうですか!?よかったです……」
手にしていたお盆を胸に抱き、恥ずかしさを誤魔化すようにニヤニヤする口元を隠すも隠しきれない様子のシエル。
彼女もこの数日で随分と変わったものだ。
俺がこの屋敷で目覚めて、シエルをメイドに迎えてから早1週間の時が経過した。
専属メイドになってくれた彼女は何度も失敗を繰り返したが決して音を上げることはなく、今となっては紅茶淹れを一人で任せられるようになっている。
仕事ぶりだけじゃない。外見も、以前とは見違えるようになった。
バリアを形成するように伸び切った黒髪は短く切りそろえられ、ミディアムボブほどの長さへ。
どうも彼女は短くなるとほんの少し癖毛が出るらしく、ミディアムの髪はわずかにウェーブがかかっている。
そして栄養失調の象徴であった腹水も収まり、肌も見違えるほど血色が良くなった。
まんまるな目は損なわず、それでいて時々笑顔も見られるようになってきた。
まだまだ肉付きは足りないがこのまま行けばお人形さんのように可愛らしい女の子になっていくことだろう。そして年月を経ればかなりの美人さんへとなっていくかもしれない。
さて、俺はそんな可愛らしい彼女を眺めながら紅茶を嗜み――――おや?
「シエル、どうしたの?」
「えっ……えっと……その……」
ふと気付けばなにやら言いたげに口をモゴモゴしている彼女。
何かと思って問いかけてみるもしきりに視線を動かしているだけでうまく言葉にできそうもないらしい。
はて、一体彼女は何を言いたげに…………おや、よく見れば慌ただしい視線はいつもとある場所を見つめているようだ。
それはテーブルに置かれたティーセット。その内の1つである使われていないカップ。これはもしや――――
「シエルも一緒に飲まない?」
「っ……! いいんですか!?」
「もちろん。 1人よりも2人で飲んだほうが楽しいしさ」
よかった。予想は当たってたようだ。
前のめりになりつつ饒舌に問い返してくる彼女は、明らかに紅茶を飲みたげな様子。
誘いを受けたシエルはこれ以上ない動きで空のカップに紅茶を注ぎ、向かい側の椅子へ。そして小さな口でちょっとだけ飲むとホワッとした顔を見せつけてくるものだから、ついつい俺も笑みがこぼれてしまう。
「……ふふっ」
「ふぇ? どうしましたご主人さま。そんなジッと見て」
「あぁいや、随分リラックスしてる表情だったから。 メイド長が見たら怒りそうなくらいに」
「っ―――! す、すみません!ご主人さまをリラックスさせるはずが勝手に……!」
「いいのいいの。2人だけなんだしゆっくりしてもらえれば」
慌てたように姿勢を正し始める彼女をなだめると、恥ずかしそうにこちらを見つめてくる。
彼女は現在、メイド長による直接指導を受けている。
目覚めた時に真っ先に心配してくれた、あの壮年の女性だ。
シエルも大分頑張っているが、ちょっとしたミスで何度も叱責を受けているのを見たことがある。
何度か口出ししようと思ったが、シエルもめげないからこちらからも何も言えない。
メイド長も愛のある鞭なのはわかっているが、見守るだけというのも難しいものだ。
「むぅ……。 それよりご主人さま、ここにいっぱいあった本がなくなってますが、調べ物は終わったのですか?」
「うん。この1週間ずっと読みふけってたからね」
目覚めてから1週間。俺は現状を認識するためこの書斎に籠もって本の虫となっていた。
その際テーブルの上に山積みになった本を目にしていたから彼女も気になったのだろう。
さっき読み終わったのが最後の本。目ぼしいものは全て見終えた俺は、ようやくここでの調べ物を終えたのだ。
結論から言うと、ここは以前いた日本とは全くの別世界だということが判明した。
何と此処は剣も魔法も魔物も存在する世界。しかし、肝心の『魔王』は存在しなかった。
正確には存在しないと言うより滅ぼされた世界。どうも『魔王』が討たれて平和になった世界だそうだ。
『魔王』が消え去ったことでこの世界から『魔』の力が弱まり、魔法を使える人が激減したらしい、
しかし魔法使いが減ったとしても魔道具だけは未だ現役で、人々の生活に深く根ざし、発展したようだ。
更に驚くことに、昔は何人もの日本人がこの世界へ『魔王』を滅ぼすため転生してきたのだ。
その結果、無事に魔王討伐成功。そして副次的な作用として技術革新まで起こってしまった。
車や鉄道など蒸気革命は起こらなかったものの、より生活に密着する物は魔道具によって蒸気革命すら越えてしまっている。
お風呂やシャワー、水洗トイレなんかがいい例だ。どうも歪ながらこの世界は中世と現代日本が組み合わさっていた。
そして俺自身のことだが、帰る方法は残念ながら見つけられなかった。
日本と繋がりがあったのは昔の話。今現在は転生した例が無いためだ。
本来なら悲しむところだろうが、まだ調べたのはこの家の書斎だけ。他にも手がかりがあるかもしれないからいちいち悲しんでいられない。
付け加えればこの家は親に殴られる心配が無いから、それも余裕の理由かもしれない。
突然死んでしまった神山 慶一郎。
高校入試とか妹のこととか気になる点も多いが、なるようになる、だ。
「……ご主人さまは、消えたり……しないですよね……」
「えっ――――?」
ふとその不安げな声に顔を上げてみれば、シエルが寂しそうな顔でジッとこちらを見つめていた。
消える……?向こうの世界に戻ることか?俺がこの世界と異世界について調べていたなんて説明してないはずだけど……。
「調べ物しているご主人さまは、ずっと切羽詰まっている様子でしたので……。それに夜も、知らない人の名前を呼んでました……」
「あぁ…………」
そっか。知らないうちにそんな事を口にしちゃっていたのか。
この屋敷に居ない人の名前を呼んでたら、消えてしまうんじゃないかと不安になる気持ちも湧いてくるだろう。それがこの世界の住民だとしても、だ。
また調べ物が終わったとなればタイムリミットが来たのだと思われたのかもしれない。
俺はテーブルに身体を乗り上げ、そっと彼女の頬に手を触れ髪を撫でる。
最初はビクンと身体を大きく震わせた彼女だったが、すぐに身を委ねてくれたのか大人しく撫でられてくれた。
「消えたりなんかしないよ。ちゃんとシエルの側に居るから」
「本当……ですよね?」
「ホントホント」
今はまだ、帰る方法も分からないし手段も無いから消えることはないだろう。
しかしもし、見つかってしまったら?その時はわからない。嬉々として帰るかも知れないし拒否するかもしれない。
また、もしも突然戻ってしまったらどうなるだろう。このパターンが一番未知数だ。まるで蜃気楼のように俺がこの世界から消えてしまい、日本に戻ってしまったら。
身体ごと消えるかも、元の人格に戻るかもわからない。
そうなってしまっても良いように、彼女は自立させておく必要がある。
そしてこのことは決して彼女に告げることもない。心配させたくないから。
俺は彼女を安心させつつ再び2人でのティータイムを過ごしていく。
そんな穏やかな時間は、太陽が沈み切るまで続くのであった。
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