夜伽

十坂真黑

夜伽

「俺、最近JKにストーカーされてるんだよね」


 瑞希はブレンドコーヒーをカップに注ぐと、カウンター越しの藤井に、「何かの間違いじゃないの」と訊き返した。


「いや、ほんとに。なんか視線を感じると思ったら、いつも同じ子がいんの」


 藤井は淹れられたばかりのコーヒーを啜ると、

 この時間、客の姿は藤井だけだった。

 瑞希は洗い作業をしながらその言葉に耳を傾ける。

 藤井はここ一年ほど定期的に足を運んでくれる常連客だ。瑞希と恋人関係になってからは半年が経つ。

 カラン、と控えめなウェルカムベルが鳴り響き、入店客の存在を告げる。

 今は仕事中。常時閑古鳥の鳴く喫茶店だからこそこうして藤井の雑談に付き合ってやれるが、客があればそうはいかない。

 いらっしゃいませ、と口の先で言い、瑞希は顔を上げた。


 入り口を見ると、見知らぬ女子高生が立っている。


「来た」カウンター越し、藤井がにやりと笑う。「ストーカー」

 少女は瑞希には目もくれず藤井の元へやってくると、カウンターテーブルの端にある胡椒ビンを手に取る。

 躊躇する様子もなく、少女は湯気を立てるコーヒーに瓶の中身をぶちまけた。

 呆然とする二人を尻目に、少女は無言で店を後にした。


「やばいな、あれ」


 しばらく呆然とした後、淹れ直したコーヒーを啜りながら、藤井は苦い顔を作った。

 

 その後しばらく居座った藤井の雑談の相手をしたのち、少ない来客に給仕をしていると閉店時間の夜十時を過ぎた。

 ほかのスタッフと共に閉店作業を行い、レジ清算を終え、店先に掲示しているその日のおすすめメニューを手書きした黒板をしまう。

  制服から私服へと着替え、帰宅しようと店を出た時だった。


「お姉さん。あんなの、やめた方がいいですよ」


 先ほどの少女だ。


「どんな男かここ数日後付けてたんです。クズです。毎日違う女の子と遊んでて」


 突然現れそんなことをまくしたてる少女に、瑞希は困惑する。


「あたし、お姉さんのことが好き。だからあんな奴とは別れてください」


 少女は頬を上気させ、瞳を輝かせた。


 少女が再び瑞希の前に現れたのはその翌日のことだった。

 この日は友人を連れていた。

 二人はカウンター席の端に座ったが、着いてしばらくは注文もせずこそこそと話している。

 友人の方が棘のある口調で言う。


「梓、いい加減にしてよ」

「なにが」

「なにがって、うちが先輩と付き合いだしてからずっと不機嫌じゃん。抜け駆けしたのが気に食わないんなら、梓もちゃんと彼氏作ってさ」


 聞く気はなかったが、偶然聞こえてしまった。

 ストーカーの少女は梓というらしい。


「よっち。ちゃんとって何?」

 梓が不意に顔を上げ、友人に言った。


「彼氏作ることがちゃんとすることなの? 女の子が好きでも?」


 梓の言葉に、”よっち”の顔が、みるみるうちに青ざめていく。


「うそでしょ」


「嘘じゃないよ。ずっと好きだった。よっちのこと。文化祭の時お化け屋敷回ったじゃん。手、つないだでしょ。あたしその時手汗やばかったじゃん。

 その日家に帰ってからも、ずっとドキドキしてた」


「だってそれ、やばいよ。超きもい」


 ”よっち”は引きつった顔を隠そうともせず、鞄を掴むと、逃げるように店を飛び出した。


 それから何時間も、梓はカウンターテーブルに突っ伏していた。

 「大丈夫?」と見かねて瑞希が声をかけると、カウンター越しにぐっと手を掴まれた。熱を持った掌だった。

 その手は震えていた。

 結局閉店までの間、梓は隅の席を占領し続けていた。



 近くの自販機で缶コーヒーを買って戻ってくると、梓は公園のベンチに座り、膝の上でノートを広げている。

 閉店が迫ってもなお動かない少女を放っておくこともできず、とりあえず近所の公園に連れて行った。このまま帰るわけにもいかず、今に至る。


「ののくらあずさ」と梓が呟く。

 街灯の下、ノートに書かれた『野々倉梓』の文字が見える。

 丸っこい、女の子らしい筆跡だ。


「あたしの名前。自己紹介してなかったから」


 ペンとノートを瑞希に差し出す。


「お姉さんの番」


 言われるがまま、『新井瑞希』と書いた。

 梓とは違い、角ばった筆跡。無意識に飛び跳ねが徹底され、印字のようにも見える。 「上手だね」と褒められることは多いが、瑞希は自分の書いた文字があまり好きではなかった。

 生真面目な瑞希の性質が文字にもよく表れている。


「やっぱりよっちと字が似てる」


 梓はノートを覗き込み、うっとりした声で呟く。


「あの黒板、書いてるのお姉さんでしょ。不器用だけど優しい人の字だよ。よっちと同じ」


 梓はぽつりと言う。


「だから好きになったのかな」


 コーヒーを飲み終えると、梓はベンチの背もたれによりかかり、大きく伸びをした。


「でも今日はすっきりした。入試終わったくらいの解放感。みっきーのおかげだよ」


 いつの間にか呼び方がみっきーに変わっていた。


「私は何もしてないよ」 


「そんなことないよ。見ててくれた。あたしの恋が死ぬところ」


 と、思わずどきりとするような、妖艶な笑みを浮かべる。

 瑞希は緩く弧を描くその唇から慌てて目を逸らした。


「どしてみっきーはあの男と付き合ったの?」

 

 それは……。


 半年前、店で藤井と話した時のことが蘇る。

『瑞希ちゃん、なんで恋人作んないの?』

 昔から恋愛に興味がなく、男の人は苦手だった。そう告げると、

『じゃあ女の子が好きってこと? 勿体ないなそれ』

 その言葉がなぜかぐさりと胸に突き刺さった。

 違います、と反射的に口をついていた。

 藤井は安堵したように微笑む。

『だよね。じゃあ俺と付き合ってよ』


 気付いたら頷いていた。


 きっとあの時の選択は正しくはなかったのだろう、と今の瑞希は思う。


 遠くの空が白み始めている。

 ベンチで梓は瑞稀の肩にもたれ、愛らしい寝息を立てている。

 こんなところで朝を迎えるのは初めてだった。

 瑞希は眠れず、ぼうっと景色を眺めていた。

 公園の前には横断歩道があり、信号待ちの人々が見える。

 信号は赤だった。車が何台も通り過ぎていく。


 鳩が信号待ちをしていた。


 といっても鳩が自分の意思で信号が青に変わるのを待っているわけではない。

 車の往来のある中、向こう側へ渡るタイミングつかめず往生しているだけだ。


 飛べばいいのに。

 律儀の青を待つ鳥が、自分に重なった。


「人の作ったルールなんか、守んな!」


 いつの間にか目を覚ましたのか、梓はそう叫ぶと、鳩に向かって足元の小石を投げた。

 緩やかな軌道を描き、小石が道路の方へ吸い込まれていく。

 鳩は驚いたのか、飛びあがり、そのまま大空へ消えて見えなくなった。

 そうだ、飛び去ってしまえ。

 胸がすっとした。

 楽しそうに笑う梓を見て、瑞希はほんの少し、自分の体温が上がったのを感じた。

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夜伽 十坂真黑 @marakon

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