昔途中まで書いたもの+@
海がよく似合う男だった。
毎日飽きもせず水面に漂い、時たま思い出したように波間を滑る。
紺碧の髪を、いくら陽を浴びても青白いままの肌に張り付けて、男は海に潜る事を繰り返した。
町の人たちは、男のことを放っておいた。
どうやってかは知らないが、ひとまず『まとも』な生活をしているようだったし、機嫌がいい時には潮の様子を当てて見せたから。―――海に惹かれすぎる癖さえ除けば、男は一般的な良識の持ち主に見えた。誰かに近寄ることもなく、ただ海にいた。子どもらの中には彼に泳ぎを教わった者もいた。嵐の中、海や川に落ちたものを救えるのは男しかいなかった。
だから、町は男の癖を黙認した。
男の存在ごと、見ないふりをした。
薬草を砕いていた手をユウキは止めた。
玄関の戸が開く音と、水を吸った
「リオン、大分遅かったな」
ユウキが手ぬぐいを投げると、嫌そうな顔をしながら海好きの友人は手ぬぐいをつかみ取る。髪から垂れる水分を拭い、深海を映す瞳がユウキを見る。
相も変わらず、温度を感じない目。
けれど目を向けるだけ、リオンは心を許しているのだ。ユウキはリオンの目を見る度安堵する。薬草を手早く包みに移して立ち上がる。
「メシは炊けてる。適当な野菜でいいか?」
リオンは無言で頷いた。
*
リオンは昔からどこかずれていた。
涼やかな美少年の面はいつも笑っていたが、人間味がなかった。例えば人形が笑っているのと同じだった。生きた人間のはずなのに、不気味の谷の中に落ちていきそうな顔をしていた。四六時中そうだったから、クラスの誰もが遠巻きに眺めて、気にしていないふりをした。ユウキは、気に入らなかった。
リオンの態度も、周囲のありようも、気に入らなかった。
だから、波打ち際から今まさに海へ入ろうとするリオンを呼び止めた。
『お前なんで、海が好きなの』
リオンは焦点の合わぬ目で山の方へ斜めに向いて、こてりと首を傾けた。
お前はどうして好きな物が好きなんだ、と尋ねられているようだと思った。『たとえば』とユウキは水平線に浮かぶ雲を見た。
『俺が理科好きなのは、なんかわかることがうれしくって、100点取ったら新しい本買ってくれるってのがいいなって思うからだ。お前は?』
リオンの目が、初めてユウキを認識したのはその時だと思う。
『かあさんにだっこされてる』
薄く笑った表情は、今までのリオンより微かに人間くささを感じた。以来、ユウキは空いている時間にリオンの世話を焼く。
心配した級友や両親や近所の気のいいじいさまばあさまに色々と噂を聞かされもした。
例えば、リオンの両親が海で死んだこと。
例えば、リオンが海への散骨を夢見ているらしいこと。
例えば、リオンは人魚だということ。
全部をあいまいに笑って流して、ユウキは今日もリオンの生活を見る。飯を作り、洗濯をし、掃除をし、とりあえず人が暮らせるくらいに家を整える。
リオンが自分から話すまで、ユウキは何も聞かない。知らない。
ただ傍にいて、紺碧の髪を海に混ぜる友人を眺め続ける。
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