焼き鳥

 「蛍の光」も流れ終わり、店内は数人を残すだけだ。

 ミッドナイトラジオからの「トロイメライ」に麦茶を傾ける女、カウンター席で秘め事に笑う男たち。服装はバラバラで、時代も季節も様式も重なる所がない。

 カウンターの奥ですっかり金を数え終わった黒ずくめの店員が、出入口に歩いていく。花添は、煙の臭いが薄まるのをきいて「ああ、もうそんな時間なのか」と笑った。


「みなさま、今日まで本当にお疲れさまでした」


 店員のおじぎに「チワーッス!」とグラスを上げた子どもは多分、中学生に満たない。秘密を囁き合っていた男たちは「こんな時間かぁ」と笑い、麦茶を傾けていた女はチラと視線だけを投げた。川のように流れていた髪が、苛立ち混じりに掻き上げられる。


「河を渡っていただいた後は、魂をお清めし、職員の案内に従って進んでください」

「一つ質問」


 女はキュッと眉根を寄せる。

 真っすぐそろえた手を下ろし、女は少し強張った表情で店員の言葉を待っている。鮮やかな髪が濡れたように光る。店員の声は平淡で、中性的だ。


「どうかしましたか?」

「魂をきよめるって、具体的には? ……その、引かれること承知で言うけどさ、かなりあくどいことしたっていうか」

「左様でしたか」


 花添は『落ち着いて質問を聞いている自分』を以外に思った。

 女は決まり悪そうに店内を見渡す。店員は「そうですね」と前置きをして、やはり平淡に話す。女にまとわりつくのは、白檀や沈香の香りではないようだ。


「まず感情をお清めします。例えば『仇と相打ちで亡くなられた』方がいるとしましょう。理由あれど、食事目的以外での殺生は罪です。一方で、生物にとって感情はもっとも乗り越え難いものです。『憎い相手を殺した罪』を償いことは難しい。なので、贖いの妨げになる怒り、悲しみ、恨み、嘆き、嫉み、その他の感情は取り除きます」


 花添の前に「サービスです」と言って、皿が出された。5つの具が連なった焼き鳥だ。


「生物の感情や思考は焼き鳥の串です。思想も、思考も、行動も、感情の快・不快を軸にしていることが多い」


 言って、店員は串を抜いた。

 よく焼けたネギも、軟骨も、歯ごたえのありそうな肝も、つみれも、甘辛いタレをまとったモモ肉も、宙ぶらりんに泳ぎ出す。


「軸がなければ、ぶつかることもありません。『ああそうか』と受け入れて、それきりです」

「愛は?」


 囁くような震え声が尋ねた。

 店員はやはり平淡に「凶行に走らせた原因にもよりますが、おおむね清められます」と言った。女は背中を丸めて、膝がしらに額を押し当てる。

 店員が話を打ち切りそうな予感がして、花添は慌てて言葉をひねり出した。


「ちなみに案内ってどんなのがあるん?」

「様々です。就職する方もいます。別な世界に生まれかわることもあります。珍しいパターンですが、記憶を持って生まれることもあります」

「へぇ」


 浮いたネギを口に入れる。少し寂しくなった。

 囁き合っていた男たちが肩をすくめる。


「記憶なんて持ってたって、助手みたいなものですよ」

「そーそ、精霊様はお忙しい」


 笑い声を背中で聞いて、中学生にも満たないだろう子どもは退屈そうに机に伸びていた。口を尖らせたまま、何を話すつもりもないようだ。


「境遇は境遇、罪は罪です。分けて考え、清めた後に償いのため生まれるのか、使命を持って生きるのか、職員が話し合い決定します。……そろそろ、岸につきます。どうぞ、よい来世を」


 店員の姿が掻き消える。店も、引き戸の音がしたかと思えば消えていた。

 花添の視界では、白砂がどこまでも続く。空は墨を塗ったように暗く、星も見えない。

 けれど、全員が同じではないようだ。

 中学生未満の子どもは「わぁ! 真っ青!」と歓声を上げる。囁き合っていた男たちは慣れた様子で歩き出す。


「はー…まぁた助手だったらどうしよ。……や、別にいーんだけどさ、知り合いに会うと気まずいんだよ。ほら最初とか特に!」

「最初、最初……ああ、確かに。わたしたちキメラだったっけ」

「それそれ。羽がないの、違和感すごくてさぁ」


 かしましい話声は遠く、白い丘に消えていく。

 追いかけるのがいいのか、待つのがいいのか。迷う間に、二つの影は丘を越えた。多分、もう会うこともないだろう。


「□□□ちゃん」


 聞こえた声はノイズが走って、花添が振り向いてもそこに誰かの姿はない。

 強い反応を示したのは、麦茶の女だった。三文字の短い呼びかけだけで走っていく。「止めれなくてごめん」と涙に濡れた声だけ残して、女の姿は掻き消える。


「いいなぁ」


 砂を蹴飛ばして、子どもが俯いた。


「どうする? 職員さん、待つん?」

「別に。歩き回ったら迷惑になる」

「早く……迎えに来てもらえたらええな」

「来てもらえるわけないじゃん」


 子どもはズボンの太ももに皺を作って、目に涙をためた。一文字になった唇からもう一度「来るわけない」と泣き声が落ちる。


「そりゃまた、なんで」

「なんでって……多分僕、石つみとかしなきゃいけないよ。子どもだし」

「ここ石ないけどなぁ」

「だから誰もこない。来るような物好き、いるわけない」


 断言して子どもがしゃがむ。

 『これはどうしようか』と花添が左右を見る。遠い空が、青く光っていた。


「なぁ、あれ見える?」


 子どもはしゃがんだ腕の隙間で少しだけ顔を動かした。

 すぐに二度見して、弾かれたように走りだす。「じぃちゃん!」と声が反響し、霞がかって消えていく。背中を見送って、花添は長い息を吐いた。


「今日、これで全員?」

「はい。あとはあなただけです」


 店員が、花添の後ろにいた。花添は喉の奥で笑い「冗談」と言う。


「職員になる言うとるやん」

「認可が下りていません」

「ケチンボ。子を心配する親心や」

「心配する必要はありません」

「いんや、ある」


 花添は立ち上がり、店員の隣を通り過ぎる。

 暖簾を掻き分けて、タレと肉のにおいが染みついた室内に立つ。浮かぶモモ肉をパクンと飲み、塩辛く笑った。


「まだ、百年早い」

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