第12話 6月7日
梅雨入りをしてもう何度目かの雨。
放課後の部室にはザーザーという雨音と、日捲さんがキーをタイプするカタカタという音だけが涼やかに響いている。
僕はノートにこれまで考えたキャラや設定、物語の種をまとめていたけど、その手を止めて物思いにふける。
一つ。
雨の日ってなんだか文芸日和だな。
一つ。
どうして雑音の多い場所の方が、静かな場所よりも静かに感じるのだろう。
一つ。
目を閉じて日捲さんのタイプ音に耳を澄ますと、雨音の中で機械仕掛けの人形がタップダンスを踊ってるみたいだ。
他愛もない思い付き。
本来なら日常の波に洗われるだけの無為な思考。
でも、僕達文芸部には無限の可能性を持つ物語の芽。
日捲さんが時々読ませてくれる小話も、そういった何気ない思い付きから生まれるのだと言っていた。僕は日捲さんの作る小話が好きだ。ものすごく文芸してる感じがしてかっこいい。中には意味が分からない物あるけど、それもまたいい。意味は分からなくても心に感じるものは確かにある。それは美味しいお菓子のように、心に栄養を与えてくれる。
僕は漫画みたいな話を書きたくて文芸部に入ったけど、最近は日捲さんの影響でそういった小話にも興味が出ていた。日捲さんも、小説の練習をするなら短編から入るといいって言ってたし。
いつまでもキャラクターの名前や設定ばかり考えていないで、そういうのにも挑戦してみようかな。
そんな事を脈絡なく考えながら、僕は携帯にメモを取る。雑多な思い付きは携帯に、まとめる時にはノートに書いている。本当は日捲さんみたいに執筆できるタブレットが欲しいけど、お小遣いの関係でまだそれは先になりそうだ。
気が付けば、タイプの音は止まっていた。
目を開けると、目の前にいたはずの日捲さんがいない。
僕は首の後ろに、生暖かな人の体温を感じた。
「ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……」
「うわぁ!?」
耳元で囁かれ、危うく僕は椅子から転げ落ちそうになる。
「日捲さん!? 脅かさないでよ!」
「あはははは。だって明日太君が居眠りしてるから、悪戯しちゃった」
日捲さんが無邪気に笑う。文芸の神様が宿ったような真剣な顔でキーを叩いていた日捲さんは影も形もない。その二面性、意外さが、僕は好きだった。
「居眠りじゃないよ! 考え事してたの! もう、折角の思い付き、忘れちゃったよ!」
「……ごめんなさい」
日捲さんがしゅんとして肩を落とす。当初は無口でクールな子だと思っていた日捲さんだけど、最近は全然イメージが違っている。悪戯好きで、恥ずかしがり屋で、調子に乗りやすくて、優しくて、真面目で、頑張り屋さんで……他にも色々、日捲さんは色んな姿を僕に見せてくれる。どれが本当の日捲さんなの? 勿論全部日捲さんだ。チーズやピーマン、玉ねぎや生地、それら一つ一つが合体してピザになるように。
雨のせいだろうか。今日の僕は、なんだかいつもより文芸している気がする。
「怒ってないよ。別に大した事じゃなかったし」
「そっか」
日捲さんも本気で落ち込んでいたわけじゃない。ケロッとして立ち直った。
そしておもむろに、パントマイムとファッションモデルが合体したような、奇妙なポーズをビシッと取る。
「バーン! 明日太君、今日、6月7日はなんの日でしょうか?」
ものすごいテンションだ。教室ではローテンションの日捲さんだけど、僕と二人でいる時はテンションの幅が凄い。上も下も、無限大に上下する。
「わかんないけど、さっきのゴゴゴとか、そのバーンっていうのとか、変なポーズがヒントなのかな」
「イェス! イェス! イェス!」
それにしたって今日の日捲さんはちょっと暴走している感じがするけど。それがまたいい。サイコロを振っているような、宝箱を開けるような、そんな楽しみがある。
「わかんない? 男の子なら、ピンとくると思うんだけど」
挑発するように流し目を向けながら、日捲さんが次々と奇怪なポーズを取る。腰に手を当てて胸を張った物凄いドヤァ! ポーズや、両腕を首の後ろに回したセクシーポーズ、アキレス健を伸ばすストレッチみたいなポーズ等々。そのどれもが、普段の日捲さんからは考えられない奇妙な迫力とアグレッシブさがあった。
「モデルの日かな? なんかどこかで見た事あるようなポーズな気もするんだけど」
真剣な表情でじっと見つめる僕に、日捲さんは戸惑うような顔になった。
「……もしかして明日太君、ジョジョ読んだ事ない?」
「ジョジョってアニメの? なんか絵が怖くて見てないんだ」
なんとなく、そういうタイトルのアニメやゲームがあるっていうのは知ってるけど、それだけだ。
その言葉に、日捲さんはテンションをトーンダウンさせ、顔を赤くした。
「……そうなんだ。えっと、アニメにもなってるけど、原作は漫画なの。今日、6月7日はジョジョの奇妙な冒険の作者の荒木飛呂彦先生の誕生日なんだよ」
「へー。そうなんだ。日捲さん、ジョジョ好きなの?」
わざわざ今日は何の日で紹介するくらいだからそうなんだろうけど。
僕の質問に、日捲さんはますます顔を赤くして、慌て始めた。
「その、お姉ちゃんの影響だよ! 面白いからって、無理やり読ませてきて、それでその、面白くて、男の子はみんなジョジョ好きだって言うから……それで……うぅ……」
日捲さんはどんどん赤くなりながら、涙目になって塩をかけられたナメクジみたいに小さくなる。
日捲さん、お姉さんの事嫌いみたいに言ってるけど、本当は仲良しなんじゃないかな?
「そう言えば、不破君とかクラスの男子がジョジョの話とかジョジョごっこしてるかも。ジョジョ立ちっていうんだっけ?」
「ぅん。独特のポーズとか、セリフ回しとか、擬音の使い方とか、キャラクター造形とか、色々面白くて……そう! 小説を書く上でも色々勉強になると思うから、それで紹介したの!」
もごもごと歯切れ悪く言う日捲さんは、途中でハッとして言った。
「ほんとかなぁ?」
「ほんとだもん! 私は別に、普段はそんなに、漫画とか読まないし……」
日捲さんの視線が下がり、左右に揺れる。
「別に僕は日捲さんが漫画好きでもいいと思うけど」
「……もし仮に、明日太君が思ってるよりも、百倍漫画読んでるとしても、引かない?」
「読書家だなとは思うけど、引いたりはしないかな」
そんなに漫画を読めるのって、すごい事だと思う。
「読書家って……漫画だよ?」
「漫画も本でしょ?」
本屋さんで売ってるし、本以外のなんでもないと思うんだけど。
日捲さんは予想外の言葉を聞いたみたいに目をキョトンとさせた。
「……明日太君が気にしないんならいいんだけど」
どこか嬉しそうに呟く。
「気にはなるよ。日捲さんがそんなにハマってるジョジョ、僕も読んでみたいな」
「じゃあ読んでみる? 私のタブレットに入ってるから……」
嬉しそうに言ってから、日捲さんの頬がしまったという感じで引き攣った。
「ぁ、でも、その、やっぱり今のナシで」
「えー! なんでー! 僕もジョジョ読みたいよ!」
「ぁぅ、ぁぅ、その、あんまり見せられない本もあるっていうか……」
意味が分からず、僕は首を傾げる。
「その、あの……そう! 本棚を見られるのって、自分の部屋を見られてるみたいで恥ずかしいでしょ? そういう事!」
「僕は別に、自分の部屋を見られても恥ずかしくないよ?」
「女の子は恥ずかしいの!」
「じゃあ、他の本は見ないようにするからさ。僕も日捲さんとジョジョの話で盛り上がりたいよ。だめ?」
「うっ」
うるうる攻撃でお願いすると、日捲さんは胸を押さえてたじろいだ。
「じゃあ、一緒に読もう。変な所触ったらだめだからね?」
「それ、なんかエッチだね」
「明日太君!?」
「あははははは」
大袈裟に照れる日捲さんがおかしくて、僕は笑った。
日捲さんが椅子を持って隣に並ぶ。僕から見えないようにタブレットを操作して、電子書籍を開いた。
「途中から読むの?」
古臭いヤンキー漫画みたいな表紙を見て僕は言う。
単行本のナンバリングがかなり進んでいた。
「ジョジョは途中で何度も主人公が変わって新しいお話になるの。だから、途中から読んでも大丈夫なんだよ。今回は、初心者でも入りやすい四部から」
「何部まであるの?」
「今は八部までかな。他にもスピンオフなんかも出てるんだよ? 映画やドラマになったり、有名な小説家さんがノベライズしたりもしてるんだから」
「すごいね」
「そう、すごいの! 明日太君も絶対ハマると思う!」
そういうわけで僕達は、残り時間を二人並んでジョジョを読んだ。わからない所は全部日捲さんが解説してくれるし、何も言わなくても全自動で隅から隅まで解説してくれる。
「今の日捲さん、僕のスタンドみたいだね」
「スタンドだったら、どんな名前かな?」
ノリノリで日捲さんが聞いてくる。
「音楽の曲名が多いんだよね?」
「うん。洋楽とか。でも最近は、日本の曲が出て来る事もあるかな」
それを聞いて僕はホッとした。洋楽なんか全然わかんない。
「それなら、日捲さんにぴったりのがあるよ。元ネタは知らないけど、歌ってみたで聞いた事がある奴」
「なんて曲?」
「カレンダーガール」
それを聞いて、日捲さんの目が輝いた。
「知ってる。私、その曲すごく好き!」
「いい曲だよね」
「うん。すごくいい曲」
そんな話をしている間に、あっと言う間に帰りの時間になってしまった。
日捲さんと友達になってから、毎日があっと言う間だ。
雨の中、二人並んで傘をさし、ジョジョの感想を言い合いながら一緒に帰る。
残りはアニメで見るよって言ったら、日捲さんが漫画を貸してくれる事になった。
お姉さんの持ち物で、全巻揃っているらしい。
帰り道が一緒なのは途中までだから、僕達はそこで別れた。
日捲さんがいなくなると、途端に世界は静かになる。
まるでお祭りの後の帰り道みたいに僕は寂しい気分になった。
大粒の雨が傘を叩く音が煩くて、この傘の内側が世界の全てみたいだ。
楽しい事が終わった後って、どうしてこんなに哀しくなるんだろう。
そんな事を考えていると、携帯が震えた。
僕は哀しくなくなって、家に着くまでずっと携帯を弄っていた。
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