第6話 6月1日
今日も今日とて文芸部。
でも、僕の心はここにあらず。目の前で難しい顔をしてもぞもぞしている日捲さんが面白くて、さっきからずっと観察している。
お話を書いている時の日捲さんは、時々妙な行動を取ることがある。いきなりニコっと笑ってみたり、ウギー! って怒ってみたり、うっとりセクシーな顔になってみたり。そういう時は大体、その時書いてるキャラクターの感情とか表情について考えてるみたい。
同じように、身振り手振りで盆踊りみたいになってる時は、アクションシーンで悩んでる時。はてさて、日捲さんは今、どんなシーンを書いてるんだろう? 勝手にクイズの気分になり、僕は日捲さんを観察しているのだった。
「むー」
眉を寄せると、日捲さんが立ち上がる。文芸スイッチは完全にオンになっていて、自分の世界に入っているのが分かる。そういう時の日捲さんは、現実から解き放たれて、自分だけの物語の世界に没入している。
そういう時の日捲さんは、いつもに増して可愛くて綺麗でかっこいい。
いつか僕も、そんな風に文芸出来る日が来るんだろうか?
立ち上がった日捲さんは空中に手を伸ばし、見えない誰かの顎を右手でクイッとするような仕草をする。そして、違うんだよなぁって感じで自分でも首を捻り、壁に向かってドン、っと右手を着く。そしてまた、ちがうんだよなぁって首を捻る。
そんな感じの事を暫く繰り返すと、日捲さんはおもむろに僕を振り返った。
「ねぇ明日太君、ちょっとお願いしてもいいかな」
「もちろん! 日捲さんのお願いならなんでもこいだよ」
僕はすぐに立ち上がると、忠犬みたいに日捲さんの所に小走りで駆けていく。
夢の中にいるような日捲さんは、真剣な顔で部室の壁に背中をくっつけ、僕に言う。
「明日太君、ちょっと壁ドンしてくれる?」
「うん、わかった」
言われるがまま、僕は日捲さんの正面に立ち、右手をドンと壁に押し付けた。
「こんな感じ?」
「ううん。もっと乱暴で、嫌がる相手を無理やり捕まえる感じで」
「おっけー」
日捲さんのお願いだ。期待に応えたくて、僕も真面目に演技をする。ワルな感じでニヤリと笑い、さっきよりも乱暴に壁に手を着く。日捲さんとの顔の距離もずっと近くなった。
おい、待てよ! 心の中でそんな台詞を発する。
なんだか少女漫画のキャラクターになった気分でドキドキする。
日捲さんはそんな僕を真剣に見つめている。
僕は段々恥ずかしくなってきた。だって、日捲さんの顔が息がかかるくらい近いんだもん。
「えっと、もういいかな?」
「もうちょっとそのままで」
日捲さんは僕に壁ドンされたまま、視力検査でも受けてるみたいに目を細め、携帯を構えて画像を撮りだした。資料に使うのかな?
「そのままの恰好で少し下がってくれる?」
「う、うん」
言われるがまま僕は下がる。腕の中から抜け出した日捲さんは、僕の周りを回りながらパシャパシャと画像を撮った。
携帯をじっと見て、うんと頷く。
「ありがとう。おかげでイメージが……」
にっこり笑ってお礼を言う日捲さん。そこで文芸スイッチが切れたみたい。
不意に言葉を失うと、頬を引き攣らせて赤くなった。
「あぁ!? ご、ごめんね明日太君! 私その、夢中になっちゃって!? な、なにやってるんだろ!? 今のは全然、変な意味じゃないの! いつもお姉ちゃんにやらされてるから、つい真似しちゃって、それで……」
限界まで赤くなると、日捲さんは涙目になって顔を覆った。
「僕は全然気にしないよ? どんなシーンだったのかは気になるけど」
「うっ。それはその……内緒……」
「え~。笑わったりしないから、教えてよ~」
「絶対駄目! 恥ずかしいから!」
日捲さんが激しく首を横に振る。
日捲さんは恥ずかしがり屋さんだから、どんな話を書いているのか教えてくれない。ジャンルやあらすじ、ヒントすらも。でも毎回じゃなくて、時々は教えてくれたり、読ませてくれる事もある。普通によく出来た小話とかで、恥ずかしがる要素なんか全くないと思うんだけど、日捲さんが言うには、見せても恥ずかしくない話の時だけ見せてくれているらしい。
今日は恥ずかしいお話の日みたいだけど、恥ずかしがる日捲さんが可愛くて、僕はちょっと意地悪をしたくなってしまった。
「どうしてもだめ?」
胸元で手を合わせ、きゅるるんと目を輝かせて、ぶりっ子でお願いしてみる。
日捲さんはこういうのに弱いのだ。
「はぅっ」
日捲さんは見えない矢で射抜かれたみたいに胸を押さえて後退る。
いけそうな気配に、僕は目力を強めた。
「どうしても~、だめぇ~?」
「う、ぅぅ、ぁぅ、ぁぅ……」
あと一歩という所で、追い詰められた日捲さんが必殺技を繰り出した。
「そ、そういえば、今日、6月1日はチーズの日なんだよ?」
「…………」
ジト目をする僕に、日捲さんが不安そうに尋ねてくる。
「……興味ない?」
「ないわけないじゃん! どうしてチーズの日なの? 教えて教えて!」
食いつく僕に、日捲さんはホッと胸を撫でおろした。
「それはね、6月1日が写真の日だからだよ」
「えぇ、どういう事?」
写真の日だからチーズの日? 今までにないパターンに、僕は混乱する。
そんな僕を面白そうに見つめて、日捲さんはおもむろに携帯を構えた。
「はい、チーズ」
パシャ、っと写真を撮る。
反射的に僕は笑顔を作った。
「1841年の6月1日は、日本人が初めて写真を撮った日っていう事で、日本写真協会の中の写真の日制定委員会って組織が写真の日に決めたの。で、写真を撮る時ははいチーズって言うから、写真の日制定委員会がついでにチーズの日にしちゃったんだって」
「え~! 写真業界の人がチーズの日を決めちゃったの!?」
「そうなの。面白いでしょう?」
「面白いけど、なんかそんなのあり? って感じだね。チーズ業界の人とか、文句言わなかったのかな?」
「むふー、それがね?」
良い質問だと言いたげに、日捲さんがニンマリする。
「実は、チーズの日は二つあるの。一つは写真の日制定委員会が決めた6月1日で、もう一つは日本輸入チーズ普及協会とチーズ普及協議会が決めた11月11日。大昔の日本には
「ほえ~。やっぱりちゃんとチーズ業界の人が決めたチーズの日があるんだね」
ていうか、そんな昔の日本にチーズがあったのも驚きだけど。
「一応、6月1日のチーズの日の方が歴史は古いんだけど、チーズの日としてメジャーなのは11月11日の方みたい」
「まぁ、そうなるよね」
「ちなみに、1841年の6月1日は日本人が最初に写真を撮った日ってさっき言ったけど、その後で本当は1857年の9月17日だった事がわかったの。でも、一度決めちゃったからそのまま6月1日を写真の日にしてるみたい」
「え~、なんだか適当だね」
「5月29日をエスニックって読ませちゃうくらいだし。記念日って結構そんなもんだよ」
「それもそっか」
納得すると、僕はおもむろに携帯を取り出して日捲さんに向けた。
「はい、チーズ」
「ぇ」
カシャ。
日捲さんは反応出来ず、ちょっと変な顔で写真に収まる。
「あははは、面白い顔が撮れちゃった」
「や、だめ! 消して!」
日捲さんは恥ずかしがって僕に言う。
「え~、日捲さんだって僕の写真撮ったよ?」
「そうだけど、絶対変な顔してたもん! ちゃんとした顔なら撮っていいから、今のは消して!」
「これも可愛いと思うんだけどなぁ」
でも、日捲さんが嫌なら仕方ない。渋々消して、僕は再び携帯を構える。
「それじゃあいくよ、はいチーズ」
カシャ。
ぎこちない笑みを浮かべていた日捲さんが急いで写真を確認しに戻る。
「どう?」
「だめ! 全然可愛くないよ! 目が笑ってないし!」
「そう? 僕は可愛いと思うけど」
「もう一回! 笑顔の練習するから、ちょっと待って!」
日捲さんは鞄から取り出した鏡と睨めっこして、両手を使って顔をこねこねし始めた。
その後は帰る時間になるまで、日捲さんの撮影会。
結局日捲さんの満足する写真は撮れなかったけど。
あーあ。僕も日捲さんの写真欲しかったなぁ。
なんて思っていると。
『……これで勘弁してください』
というメッセージと共に、夜中に日捲さんからの画像が届いた。
どうやら家に帰ってから必死に自撮りの練習をしていたらしく、加工アプリで別人みたいになった画像が送られてきた。
確かに可愛いけど、僕的にはそのまんまの日捲さんがよかったな。
でも、日捲さんは恥ずかしがり屋さんだから、それで僕も満足しておいた。
というか、僕はとっくに満足していた。
実は僕は、笑顔の練習をする日捲さんの画像をこっそり撮っていたのだ。
やっぱりちょっと変な顔だけど、一生懸命笑顔の練習をする日捲さんは、頑張り屋さんな所が出ていて、すごく可愛い。
日捲さんに見つかったら怒られちゃうから、ここだけの秘密だよ?
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