第5話 5月31日

「ねぇ明日太君。今日、5月31日は世界保健機関が制定した世界禁煙デーなんだよ」


 放課後、文芸部の部室でかっこいいライバルキャラについて考えていると、日捲さんが言ってきた。


「世界保健機関!? なにそれ、かっこよさそう!」


 禁煙デーよりも、そっちの方が僕は気になってしまった。

 世界~~機関って、それだけでもうかっこいいよね!


「えーと……WHOの事なんだけど……」

「あぁ、WHOね」


 気まずそうな顔をする日捲さんに、僕は澄まし顔で言った。

 WHOなら僕も知っている。ニュースとかでよく聞くし、授業でも習った気がする。それが世界保健機構の略称である事は、すっかり忘れていたけど。


「明日太君は煙草って興味ある?」

「ん~、難しい質問だなぁ」


 思わず僕は呻ってしまった。

 あると言えばあるし、ないと言えばない。


「ここだけの話だよ。誰にも言ったりしないから」


 日捲さんは悪戯っぽく微笑んで、口元に人差し指を当てた。


「別に吸ってみたいとかそういうんじゃないんだ。ただ、漫画とかアニメに出て来る煙草を吸ってるキャラってなんかかっこよく見えるから、そういう意味では興味あるかも」

「それ、わかる!」


 身を乗り出して日捲さんが食いついてきた。

 教室にいる時は大人しい日捲さんだけど、僕と二人で文芸部の部室にいる時は、結構はしゃぐ事もある。


「海賊のコックさんとか、新選組の副長さんとか、銃で戦うお坊さんとか!」


 興奮した日捲さんが目をキラキラさせて例を挙げる。他にも宇宙をまたにかける賞金稼ぎとか、中身は子供の名探偵を助けてくれるFBIのスナイパーとか、邪眼を持つ奪還屋等々。

 知らないキャラも結構多くて、僕は改めて日捲さんの知識量に感心する。


「よく知ってるね。日捲さん、アニメとか漫画、結構好きなの?」

「ぁぅ」


 日捲さんはしまったという顔をして、あわあわと視線を彷徨わせた。


「えっと、その、私はそんなにでもないんだけど、お姉ちゃんがすごいオタクで、嫌でも覚えちゃうって言うか……」


 胸元で指をちょんちょんする日捲さん。


「日捲さん、お姉さんがいるんだ! 日捲さんのお姉さんなら、きっと綺麗な人なんだろうなぁ!」

「え、えへへへ……」


 日捲さんは赤くなって照れると、ハッとしてぶるぶると首を横に振った。


「お姉ちゃんは私とは全然似てないよ。意地悪だし、自己中だし、下品だもん。しょっちゅう酔っぱらって絡んでくるから、嫌になっちゃう!」


 それを聞いて、僕は思わず笑ってしまった。


「なにがおかしいの?」

「ごめんごめん。なんか、大人になった日捲さんが暴れてる所想像しちゃって、面白くなっちゃった」

「明日太君!? 私は全然そんな事ないんだよ!?」


 意地になって否定する日捲さんが面白い。

 それにしても、日捲さんのお姉さんか。いつか僕も会ってみたいな。

 そこでふと、僕は思いつく。


「そうだ。折角だし、主人公のライバルに煙草を吸わせようかな。なんか、いかにもワルって感じがしない?」

「いいじゃないかな。主人公が喫煙者だと、色々大変みたいだし」

「そうなの?」

「そうみたいだよ? 世界禁煙デーなんてあるくらいだし。それにほら、主人公が煙草のポイ捨てとかしちゃまずいでしょ? でも、一々携帯灰皿取り出してたらちょっとマヌケだし」

「確かに! そういう問題もあるんだね!」


 流石は日捲さん、よく知ってるなぁ。


「他にもね、煙草って色々大変なんだよ? 例えば、日本の作品が海外でアニメになる時、規制がかかって煙草が飴に変えられたりとかあるみたい」

「えぇ!? 煙草が飴って、全然違うじゃん!」

「ね! シリアスなシーンで渋くてかっこいいおじさんが格好つけて飴咥えだしたら絶対変だよね!」


 日捲さんがさっき例に挙げた中にも、そういう規制にあったキャラがいるみたい。


「それにね、煙草の値段ってここ数年でものすごく上ってるんだって」

「そうなんだ?」

「そうなの! 折角だから煙草について色々調べてみたんだけど、びっくりしちゃった! 突然ですがここで問題です。今、煙草一箱は幾らで買えるでしょうか?」

「う~ん、三百円くらい?」


 うちはお父さんもお母さんも煙草は吸わないし、僕も吸おうと思ったことがないから全然わからない。でも、自動販売機で売ってるし、なんか小さいから、それくらいなんじゃないかと思う。


「ブブー! それがね、物にもよるみたいだけど、五、六百円くらいなんだって!」

「そんなにするの!?」


 びっくりした。煙草って高いんだ!


「でね、その話をパパにしたら、パパが若い頃は二百円ちょっとで買えたんだって。二十年位前の話だよ?」

「三倍じゃん!」


 またまたびっくり。そんなに値上がりする事ってある?


「びっくりでしょ? でも、もっとびっくりな話があるの。その話をしてたらね、おじいちゃんが、自分の頃は五十円で買えたって言うの!」

「え~!」


 もう、びっくりのオンパレード。


「他にもね、パパが子供の頃とか、おじいちゃんが若い頃は、どこでも煙草を吸えるのが当たり前だったんだって。普通にみんな歩きたばこしてて、会議室なんか煙草の煙で真っ白だったって」

「それはなんか危なそうだし、普通に身体に悪そうだね」

「その頃は副流煙とか誰も気にしてなかったって言ってたよ」

「なるほどな~。じゃあ、昔の人からしたら今はものすごい禁煙世界なんだね」

「そうみたい。外国だと完全禁煙の国とかも出て来てるみたいだし、日本もどんどん厳しくなってるんだって」


 それを聞いて、僕はふと思いついた。


「それじゃあさ、禁煙に反対する人達が世界喫煙機関とか作ってもおかしくなさそうじゃない? 再び世界に煙草を広める為に暗躍する悪の秘密組織! で、主人公は喫煙マナーを守る正義の喫煙者なの」

「対比だね。それなら主人公が携帯灰皿を持っててもおかしくないし。煙草を吸わない人からしたらどっちも喫煙者だから嫌われるし、同じ喫煙者からも裏切り者って言われるから、孤高のヒーローって感じがしていいかも。これは結構メッセージ性のある深い作品になるんじゃ……」


 日捲さんは唇に指を当てて、真剣な顔で呟いた。

 どうやら文芸スイッチがオンになったみたい。


「やっぱり明日太君はすごいね。発想が面白いもん」

「そんな事ないよ。適当に言っただけで、そこまで深く考えてなかったし」


 その後も日捲さんの煙草の話はしばらく続いた。

 煙草って一口に言っても色々銘柄があって、それによってかっこいいとか悪そうとか、キザっぽいとか年寄り臭いみたいなイメージがあるらしい。

 勉強になるなぁ。煙草キャラを出すならその辺は押さえておかないとね!


「ところでさ、日捲さんはどうなの? 煙草、吸ってみたいって思う?」

「私?」


 キョトンとして、日捲さんは自分の顔を指さした。

 そして、恥ずかしそうにもぞもぞすると、僕の耳に顔を近づけ、内緒話でもするように言ってきた。


「お勉強として、一回くらいは吸ってみたいかも。でも、一回だけだよ。一本だけ、ちゃんと二十歳になったらね」

「それまでに、日本が完全禁煙にならないといいね」


 冗談で言ったけど、このままどんどん世の中が禁煙の方向に進んだら、いつかはそういう事になるかもしれない。

 そうしたらみんな、煙草なんか忘れられちゃって、煙草を吸うキャラがかっこいいって思うこの感覚もなくなっちゃうのかな。

 それはなんか寂しい気がする。


「そうだね。なくなっちゃうのは寂しいよね」


 僕の話に、日捲さんが神妙な顔で頷く。

 ふと思いついて、僕は鞄の中を漁ってみた。


「それじゃあちょっと背伸びして、吸ってみる?」

「え!? 明日太君!? 煙草吸うの!?」


 ぎょっとして言うと、日捲さんは慌てて自分の口を手で塞いだ。


「だ、だめだよ、そんなの! よくないよ、不良になっちゃうよ?」

「じゃじゃ~ん!」


 僕が取り出したのは、中までぎっしりチョコが詰まっているスティック状のお菓子だ。

 それを半分にぱきっと折って口に咥える。


「すー、はー。ん~、チョコの香りだね」


 煙草を吸う真似をして、日捲さんに片目を瞑る。


「……びっくりした。脅かさないでよ!」

「あはは、ごめんごめん。でもこれ、結構面白いよ? 日捲さんもやってみてよ」


 そう言って、僕は残った半分を日捲さんに差し出す。

 日捲さんはそれを見て、ゴクリと喉を鳴らした。


「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて」


 受け取ると、人差し指と中指の第一関節の辺りで軽く挟む。


「……こほん」


 日捲さんは恥ずかしそうに咳ばらいをすると、不意に目を細めて俯き、口元を覆うようにお菓子の端を口元に当てると、見えないライターで着火した。

 スゥーッと息を吸い込んで。


「フゥー……」


 顔を上げて、どこか遠い所を見るような表情で細く息を吐く。

 やさぐれた仕草が大人っぽくて、なんだか僕は見惚れてしまった。


「なんちゃって。お姉ちゃんの真似なんだけどね」


 照れ笑いをして、日捲さんが頬を掻いた。


「かっこいー! 大人の女の人みたい! ねぇ日捲さん、もう一回! もう一回やって見せて!」

「えぇ? い、いいけど……」


 照れながら、日捲さんが同じ動作を繰り返す。


「なるほどなぁ」


 しっかり目に焼き付けて、僕も真似してみた。


「ぷひゃ~。どう、かっこよかった? って、日捲さん?」


 日捲さんは長テーブルに突っ伏して、ひくひくと肩を震わせていた。


「どうしたの?」

「だ、だって、はふ、ふふふ、あふ、ぷひゃ~って、ぷひゃ~って言うんだもん! 明日太君、それじゃ温泉で気持ちよくなってる人だよ、ふふ、あふ、あはははは」


 突っ伏したまま、日捲さんが堪えきれずに笑い出した。


「え~! じゃあもう一回やってよ! 僕も日捲さんみたいにかっこよく吸えるようになりたい!」

「ぐふ、あふ、ははは、こほん。それじゃあ、もう一回やるね」


 落ち着くと、日捲さんは僕の為に何度でも手本を見せてくれた。

 それを見本に僕も真似するんだけど、何度やっても日捲さんを笑わせてしまう。

 結局その日は、帰る時間になるまで二人で煙草を吸う真似をして過ごした。

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