第2話 5月28日
「川縁を、歩いて歌う、五七五」
「………………そんな土曜も、たまにはいいよね!」
日捲さんの上の句を受け、僕は腕組みをしてう~んと呻る。
少しして、頭に浮かんだ下の句を元気いっぱいに返した。
「おぉ~」
日捲さんは感嘆の声をあげると、大きな胸元でパチパチと手を叩いた。
そういうわけで翌日。
学校がお休みの僕達は、短歌ごっこをする為に二人で近くの河川敷をぶらぶらしていた。
言い出したのは日捲さん。昨日百人一首について二人で調べたから興味が湧いたみたい。
部活が終わった帰り際に、文芸部の活動の一環としてそんなのもどうかと誘われた。
「……その、明日太君がよかったらだけど。折角のお休みに部活なんか、嫌かな?」
「全然! どうせ家に居てもゲームするだけだし! 行こう行こう!」
という感じで、僕は二つ返事で飛び付いた。
本当なら休みの日は家でごろごろしてたいし、短歌もそんなに興味はなかったけど、日捲さんと休日にお出かけ出来るなら喜んで! ってわけ。
「明日太君も、随分慣れて来たね」
「えへへ。日捲さんのアドバイスのおかげだよ。それに、日捲さんの上の句は分かりやすくて、下の句を考えやすいし。やっぱり経験者は違うなぁ~」
「……えーと、その」
僕の発言に、日捲さんが胸元で指をちょんちょんする。
「私もその、こういうのは初めてで。経験者ってわけじゃ……」
「本当!? だったらもっとすごいよ! やっぱり文芸部に入るような人は違うなぁ!」
僕なんか、上の句が全然思いつかなくて下の句ばかりだし、返すまでに結構時間がかかる。それに比べて日捲さんは、空中から歌を掴み取るみたいにポンと出しちゃうんだから。かっこいいよね~。
「そ、そんな事ないよ。私の歌なんか、全然素人だし。明日太君の方こそ、私には思いつかないような返しで、羨ましいもん……」
日捲さんは真っ赤になって、ふるふると小さく頭を横に振る。
「それじゃあ僕達、二人とも天才だね!」
なんて言いながら、僕は密かに日捲さんの私服姿に見惚れていた。
ふんわりとした白いワンピースに大きな水色のシャツを羽織って大人っぽい。
対する僕はウニクロのパーカーとジーンズ。う~ん、地味だ。
次回があるかわからないけど、今度はもうちょっとかっこいい服を用意しておきたい。
「そ……そうだね……」
はふはふと息をして、照れた感じで日捲さんは言う。普段教室にいる時はクールな感じなんだけど、実は日捲さんは照れ屋さんらしい。二人で話していると、よくこんな感じになる。僕だけが知っている……は言い過ぎかもしれないけど、ちょっとした秘密。
そうなると日捲さんはしばらくクールダウンが必要になるから、僕は慌てず騒がず落ち着いて、のんびり日捲さんの隣を歩いた。
もうすぐ梅雨だけど、今日は快晴。真っすぐ伸びた河川敷はのどかなもので、今年最高の春がほんわかと気持ち良い。
僕達は土手の上の方を歩いていて、下の方では小さな子供と父さんが自転車の練習をしていたり、大学生くらいのカップルがバドミントンをしていたり。少し先の方は丸いグラウンドになっていて、大人達が草野球をやっている。
なんだかすごく幸せで、ずっとこうして歩いていたい気分だ。
「……ねぇ、明日太君。今日、五月二八日は三千本の日なんだって」
ぼんやりグラウンドを眺めていたら、日捲さんがぽつりと言った。
なんだかこっちを見てって言われているような気がして、僕はちょっとくすぐったい気持ちになる。勿論そんな事はないんだろうけど。あくまでも僕達は、同じ夢を志す文芸部の同志なのだ。でも、夢見るくらいはいいでしょ?
「三千本の日? それってどんな日なの?」
向き直って僕は尋ねた。昨日の百人一首の日と比べたら、随分ヘンテコな日だ。
「どんな日でしょうか。当ててみて?」
少し照れくさそうにはにかんで、日捲さんが悪戯っぽく告げる。
なんて可愛いんだろう! と思いながら、僕はう~んと腕組みをする。
「三千本、三千本……三千本と言ったら、やっぱりバラかな?」
「バラって、お花のバラ?」
ぱちぱちと、日捲さんの長い睫毛が二度揺れた。
「そうだけど、その反応を見るに不正解かな」
「うん、でも、なんでそう思ったの?」
日捲さんが興味深そうに僕を見つめる。星の輝く夜空を閉じ込めたようなきれいな瞳に、僕は吸い込まれそうな気分になった。
「なんとなくだけど……あれかな? バラの花束を贈る時、本数で意味が変わるって話を聞いた事があるから、そのせいかも」
「そうなんだ。知らなかった」
日捲さんは感心したみたいだった。僕は気分がよくなって、聞きかじりの雑学を披露する。
「例えばね、一本だと一目ぼれ、二本だとこの世界には僕と君の二人だけ、三本だと愛してる」
「……ッ」
照れ屋さんの日捲さんは、ゴクリと喉を鳴らして赤くなった。ほっぺが熱いのか、両手で頬を覆う。そんな姿が可愛くて、僕はさらに続けた。
「まだまだあるよ。十二本だと僕と付き合ってください、百八本だと結婚しよう――」
「けけけ、結婚!?」
「九九九本だと何度生まれ変わっても君を愛する、千本はたしか、一万年愛してるだったかな?」
「ぷしゅ~……」
湯気を上げて、日捲さんはその場にしゃがみ込んでしまった。
「日捲さん!? 大丈夫?」
「だ、だいじゅぶ、ちょっと、その、どきどきしちゃって……」
日捲さんはこれ以上ないくらい赤くなっていた。おめめもぐるぐるだ。
「結構歩いたし、疲れちゃったんだよ。ちょっと休もう!」
「でも……」
と、日捲さんは土手に生えている青々とした雑草をちらりと見た。日捲さんは真っ白いワンピースを着ているから、お尻が汚れるのを気にしているんだろう。
「大丈夫! こんな事もあろうかと、敷物を持ってきてるから!」
本当は、デートだと勘違いしたお母さんに無理やり持たされたんだけど。
僕は鞄から大き目の新聞紙くらいのレジャーシートを取り出して、道路と土手の間の平らな部分に広げた。
「明日太君……」
日捲さんがとろんとした顔で呟く。
そういうわけで、僕達は二人並んでレジャーシートに腰かけた。
「う~ん、もうちょっと大きいのにすればよかったかな。狭くてごめんね」
座ってみると意外に狭くて、お尻がはみ出さないようにすると肘がくっつくくらい密着してしまう。お母さん、さてはわざとだな? もう! グッジョブだけど!
「ううん、そんな事ないよ。私こそ、お尻が大きくてごめんね……」
申し訳なさそうにお尻をもぞもぞさせると、日捲さんははっとして顔を覆った。
「わ、私、なに言ってるんだろ」
「そんな事ないと思うけど?」
「よく見ないで!? 本当に大きいから!?」
覗きこもうとしたわけじゃないけど、日捲さんはビクッとして、僕の顔を押さえて正面に固定した。
そんな風に慌てる日捲さんは初めてで、意外だけど、すごく可愛い。
なんだか胸が暖かくなって、僕はあはははって笑った。
「それで、正解はなんだったの?」
「え?」
「三千本の日だよ。忘れちゃった?」
日捲さんは恥ずかしそうにこくりと頷き、草野球をしている大人達に視線を向けた。
「一九八〇年のこの日、ロッテオリオンズって球団の
「ほえ~」
野球なんか全然見ないから、全くピンとこない。
「日捲さん、野球好きなの?」
「……ううん。百人一首と同じで、ネットで調べたの……」
日捲さんはちょっとバツが悪そうに言って、上目遣いに僕を見た。
「明日太君は?」
「全然」
「そうだよね……。ごめんね、どうせ調べるなら、もっと面白そうなのにすればよかった」
つまらない事を言ってしまったとでも言うように、日捲さんはしょんぼりと肩をすくめた。
「そんな事ないよ。日捲さんが教えてくれたら、知らない事でも興味出るし。むしろ、知らない事を知られてお得って感じ!」
「そう?」
「そうだよ! それにさ、三千本って凄くない? 一年って三六五日しかないんだよ? 野球はよくわかんないけど、そんなにしょっちゅう試合してるわけじゃないと思うし。きっとその張本さんって選手、ものすごいスター選手だったんじゃないかな?」
「記念日になるくらいだし、そうなんだろうね」
ホッとしたように、日捲さんが言葉を繋ぐ。
その直後、カキーン! と気持ちのいい音がグラウンドの方から響いてきた。
「ホームランかな?」
「どうだろ。草野球にもホームランってあるのかな?」
「わかんないけど、休憩がてら野球観戦してみない?」
「……うん、それもいいね」
日捲さんが控え目に笑い、おずおずと鞄を広げた。
「その、実は私、お弁当作ってきたの。よかったら、一緒に食べない?」
取り出したのは四角いバスケット。中にはぎっしり、美味しそうなサンドイッチが詰まっている。
「うわぁあああ! 美味しそう! これ、食べてもいいの!?」
「うん。お休みの日に部活に誘っちゃったし、付き合ってくれたお礼」
恥ずかしそうにちらちらと視線を外しながら日捲さんは言う。あぁ、なんていい子なんだろう! 危うく僕は、日捲さんが僕の事を好きなんじゃないかって勘違いしそうになる。勿論、日捲さんは優しいだけで、そんなわけはないんだけど。
「ありがとう! それじゃあ僕は、お菓子係って事で」
ごそごそと鞄を漁り、おやつ用に用意しておいた駄菓子を膝の上に広げる。
それで僕達は、サンドイッチとお菓子を食べながら、知らない大人達の草野球を応援した。ルールなんか全然分かんないけど、見てると意外に面白い。投手がボールを投げる度、打たれるんじゃないかってヒヤヒヤするし、打たれたら打たれたで、打ち上ったボールがどうなるか、ランナーが間に合うかどうか、とにかくずっとヒヤヒヤする。ギリギリでホームベースに滑り込んだ時なんか、思わずガッツポーズを取ってしまった。
「野球って、意外に面白いね」
「うん。こんなにハラハラするスポーツだなんて知らなかった」
いつしか日捲さんも、真剣な目をして草野球に見入っていた。
そんな横顔に見惚れつつ、僕はふと呟いた。
「休日の、川辺で眺める、草野球」
「……君の隣で、手に汗握る」
一呼吸を置いて、日捲さんは恥ずかしそうにそう返した。
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