日捲さんの今日は何の日?

斜偲泳(ななしの えい)

第1話 5月27日

 僕の名前は花村明日太はなむら あすた。 

 小説家を夢見る高校一年生。

 文芸部に所属していて、今まさに、放課後の部室で文芸に勤しんでいる。


 具体的には、部室にあったネーミング辞典と睨めっこしながら、僕の考えた最強の主人公に似合うかっこいい名前を考えていた。

 かれこれ一時間はそうしている。


「ねぇ明日太君。今日が何の日か知ってる?」


 突然話しかけられて僕はドキッとした。

 言ったのは、長テーブルを挟んで正面に座っている日捲ひめくりさんだ。

 僕と同じ一年生で、クラスも同じ。教室では席も隣だ。


 実を言うと、僕が文芸部に入ったのは日捲さんに誘われたからだった。

 なんでも他に部員がいないらしく、一人では寂しいという。

 それで休み時間にウェブ小説を読んで暇を潰していた僕を誘ってくれたみたい。


 それまで僕は読むばかりで、自分でお話を書くなんて考えもしなかったけど、いい機会だと思って二つ返事で入部した。


 別に日捲さんが黒髪ロングで色白のミステリアスな巨乳美少女だからじゃない。


 本当に! そういう不純な理由で入部したわけじゃないって事だけは強く言っておくよ!


 そんなのは、日捲さんにも文芸に対しても失礼だからね!


「ごめんなさい、邪魔しちゃった?」


 日捲さんが不安そうに謝ってきた。

 僕が日捲さんにドキドキして黙っていたから勘違いさせてしまったみたい。

 僕は慌てて首を勢いよく横に振る。


「全然! でも、どうして急に?」


 さっきまで、日捲さんは真剣な顔でカタカタと、タブレットと繋いだキーボードをリズミカルに叩いていたのに。


「明日太君、煮詰まってるみたいだから。そういう時は関係のない話をして、気分転換をした方がいいかなって」

「僕の為に? そんな、悪いよ!」

「いいの。私もきりがいい所まで書けたし。明日太君とお喋りしたかったから」


 明日太君とお喋りしたかったから……。

 明日太君とお喋りしたかったから……。

 明日太君とお喋りしたかったから……。


 日捲さんの台詞がエコー付きで頭の中を反響する。


「ぼ、僕もだよ! それでえっと、今日が何の日かだよね? う~ん」


 日捲さんの手前、一応考えるふりなんかしてみるけど、こんなの考えたってわかるはずない! いや待てよ? わざわざ日捲さんがそんな事を聞くって事は……。


「わかった、日捲さんの誕生日だ!」


 パチンと指を鳴らして、僕はドヤ顔で言った。


「も~! 言ってくれればプレゼント用意したのに! なにかあるかな? ちょっと待ってね! 探してみるから!」


 大慌てで僕は制服のポケットや鞄の中を漁ってみた。食べかけのお菓子と読みかけのジャンプくらいしか入ってない。でも、ないよりはマシかな?


 そんな僕を、日捲さんは口元を隠して上品に笑った。


「ううん。残念だけど、不正解。私の誕生日は十二月三日だよ。カレンダーの日なの。だから暦」

「へー! そうなんだ!」


 日捲さんの誕生日は十二月三日。

 日捲さんの誕生日は十二月三日。

 日捲さんの誕生日は十二月三日。


 あとで携帯のカレンダーにも登録しておこう!

 ちなみに、暦というのは日捲さんの下の名前。

 日捲暦ひめくり こよみさんというのがフルネームだ。

 日捲さんらしいお洒落な名前だ。

 僕ももっと主人公みたいな苗字がよかったな。


「でも、誕生日でないとすると……だめだ、全然わかんないや。なんの日なの?」

「百人一首の日なんだって」

「百人一首の日……」


 難しそうな気配に僕はちょっと怖気てしまう。


「百人一首って確か、小学校で習った奴だよね?」

「うん。その百人一首」

「ふ~む……」

「……あんまり興味なかった?」


 不安そうな顔をする日捲さんに、僕は全力で首を横に振る。


「ううん! そうじゃなくて! なになにの日って語呂合わせが多いイメージだったから、五月二十七日が百人一首の日ってなんか不思議だなって。百月一日ならわかるけど」

「ぷふっ!」


 日捲さんは吹き出して、慌てて口元を隠した。


「うふ、ふふ、ごめんなさい、あふ、その、ふふふ――」


 ツボに入ったのか、日捲さんは笑いが止まらず、両手で顔を隠したままぺたんとテーブルに突っ伏した。


「ふぐ、うふふ、あははは――」


 そのまま暫く、日捲さんは声を殺して笑いながら、ぴくぴくと震えていた。

 そんな所もチャーミング!

 日捲さんの意外な一面を見る事が出来て僕も大満足だ。


「ご、ごめんね。変な所見せちゃって」


 顔を上げた日捲さんは耳まで真っ赤になっている。


「ううん。僕の方こそ変な事言っちゃってごめんね」

「そんな事ないよ。百月一日なんて発想……ぷふっ。私じゃ絶対出てこないから。明日太君を誘って正解だった。やっぱり、誰かと一緒だと刺激になるね」


 ぴくぴくと、思い出し笑いを噛み殺しながら日捲さんが言う。


「本当? 日捲さんの役に立てたなら、僕も本望だよ!」


 明日太君を誘って正解だった。

 この言葉を聞けただけでも文芸部に入った甲斐があるってものだ。


「それで結局、なんで五月二十七日が百人一首の日なの?」

「えっとね……あ、そっか」


 言いかけて、日捲さんはポンと手を叩いた。


「そういう意味では、明日太君の推理は惜しかったかも」

「そうなの?」

「そうなの。五月二十七日は、百人一首の誕生日だから。約八百年前のこの日に、藤原定家っていう人が小倉百人一首っていう、一番最初の百人一首を完成させたんだって。つまり、誕生日って事でしょう?」

「なるほど。百人一首にも誕生日があるんだね。って、当たり前か」


 そりゃ、なんにだって生まれた日はあるんだろうけど。

 なんか不思議な感じ。


「さっき明日太君、なになにの日は語呂合わせが多いイメージだって言ってたけど、こういう誕生日系も多いんだよ?」

「確かに、考えてみたらそっちの方が語呂合わせより簡単だもんね」


 僕の言葉に日捲さんは小さく「ん」と頷く。日捲さんはすらりとして姿勢もいいから、普段はなんとなく大きく見えるけど、そういう控え目なリアクションを見ていると小動物みたいで可愛らしい。


「ていうか日捲さん、そんな事よく知ってるね! やっぱり文芸部に入るような人は物知りなんだなぁ。僕ももっと色々勉強しないと!」


 拳を握って決意すると、日捲さんは胸元で指を弄ってもじもじした。


「えーと、その……」

「どうしたの?」

「……私も知ってたわけじゃなくて。明日太君とお喋りする話題にならないかと思って、さっきタブレットで調べたの」


 ほのかに顔を赤くして、日捲さんの切れ長の目が申し訳なさそうにちらちらと僕を見る。


「……がっかりさせちゃった?」

「とんでもない! わざわざ調べてくれて嬉しいし! 勉強になったから、そういうのまた教えて欲しいな!」


 そしたら僕も、日捲さんと自然な感じで沢山お喋り出来るし。

 勿論それは下心なんかじゃなくて、えーと、アレ! 日捲さんが言ってたように、お互いに刺激になるかもしれないし。文芸部員同士の健全な交流って奴!


「……うん!」


 日捲さんはぱぁ~! っと眩しい笑顔を浮かべて頷いた。


 その後僕達は、日捲さんのタブレットを使って百人一首について色々調べた。

 その中にちょっと面白いエピソードがあったから紹介しよう!


 カルタの百人一首では、小野小町さんだけ後ろを向いて顔が見えないようになってるんだって。


 その理由は二つの説があって、ひとつは百人一首のカルタが流行っていた江戸時代の中頃は、江戸の女の人が美人に厳しかったから、反感を買わないように顔を隠したんだって説。


 もう一つは、小野小町さんは日本一の美人だって事になってるから、顔を見せない方が想像出来て楽しいからって説。


 みんなはどう思う?


 僕は、カルタの絵を描いたイラストレーターさんが日本一の美女の絵なんか描けない! って言ったからなんじゃないかと思うけど、そんな事言ったら怒られちゃうかな?


 それで僕は思いついた。


 主人公の名前をあえて出さないってのはどうだろう! 最強の主人公は名無しの男で、みんなが好き勝手に呼ぶからかっこいい通り名が沢山あるんだ!


 やばい、僕って天才?


 それもあるけど、この閃きは日捲さんのおかげでもある。

 これが日捲さんの言う、刺激って奴なんだろうな。

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