第51話 後悔はない

 次に目が覚めた時、空雄はてっきり息を吹き返したのかと思った。切り落とされたはずの左腕は戻り、他の傷もきれいになくなっていた。午前0時を迎えたのだ。一気に全身から力が抜ける。


 目と鼻の先に、流太の姿があった。記憶が曖昧だが、徐々に思い出してきた。確か、道夫の胸を拳で貫いた。その後、流太のそばにはいずっていったはずだ。


 空雄はゴクリと唾をのみ流太の体を見た。真っ二つに切られた体はつながり、顔色も良くなっている。しかも、途中で消えたはずの猫耳としっぽもあった。安心してため息がもれた。近くに倒れている悟郎と鈴音も、条作も目を覚まさないものの息を吹き返していた。あれだけ悲惨な状況を見た後では、地獄からはい上がった気分だった。


 近くに道夫の姿はなかった。夢でも見ていたのかと思うくらい辺りは静かで、セピア色の結界封鎖も解除されていた。最後、道夫がどうなったのかを知る前に意識を失ったせいで、今どんな状況なのか理解するのに時間がかかった。


「流太さん」


 体を揺すると流太はむにゃむにゃ言って寝返りを打った。ただ生きているだけなのに涙腺が緩くなった。ちゃんと生きている。息をしている。ただただ、それが無性にうれしかった。パチリと流太の目が開き、待ち望んだ視線が合う。


「空雄?」


 ぼんやりする流太を見て空雄は抱き着いた。体が真っ二つになった瞬間をこの目で見ていた。今でも頭の中から離れない。胸の奥がギュッと苦しくなり、空雄は震える声を押し殺した。


 ふっと流太の顔が緩み、彼もまた空雄の背中をさすった。


「先に死んで、ごめん」


 空雄は首を振り、しがみついた。流太は静かな草地を見渡して戦いが終わったことを察したのか肩から力を抜いた。


「道夫はどうした」


「俺……」


 流太は空雄の言葉を待っていてくれた。心の整理がようやくついて、空雄は顔をうずめたまま言葉を紡いだ。「心臓を、貫きました」


 流太は数秒固まった。


「もう1回、言ってくれ」


 半分信じていない口調。


「心臓を貫きました。勝ちました」


 空雄はもう一度、今度ははっきりと言った。流太はポカンと口を開け、放心状態になっていた。空雄は自分で繰り返すうち、間違いなく道夫を滅ぼしたのだという実感が湧いた。


 流太はポンと空雄の頭に手をのせた。


「そうか」


 かみしめるように、やっと出た言葉。流太は言葉を探していた。


「やってくれたのか」


「でも俺、一人も救えなかった。守れなかった。死なせてしまった!」


「いいんだ」


「でも――」


 流太は空雄の口を手でふさいだ。


「いいんだよ。最後まで信じて戦った。あんたはすごいやつだ」


 真っすぐ真剣な目で流太は言った。


 2人の頭上を、小さな青白い光の粒が大量に通り過ぎていく。町中に張り巡らされた結界が光の粒となり消えていた。空雄と流太は光で染まる空を見上げていた。小さな光の粒は巨大な天の川を形成し、神社がある森の方に流れていた。空雄は視線を下げ、光に照らされた流太の横顔を見た。


「最後、黒い光が俺の拳にまとわりついたんです。力を託してくれたんですよね。じゃなきゃ俺――」


「なんの話だ」


「流太さんの体から、黒い光があふれたんです。まるで、黒丸の憑依体が俺に憑りついたみたいに。いつの日か、流太さん言いましたよね。俺たちになら、この長い戦いに終止符を打てるって。五大猫神使の二大頭である、引と斥の力を持った俺たちになら、道夫を滅ぼせると。その意味がやっと――分かりました」


 2人の背後で足音がした。振り返ると、傷だらけの服をまとった鈴音、条作、悟郎が立っていた。


「元気そうでなによりだ」


 流太はそう言って手を振った。沈んだ顔をしていた3人は、いつもと変わらない笑顔の流太を見て顔を緩めた。空雄もうれしかった。また、こうしてみんなと顔を合わせられたのだから。


「石井道夫は滅びた。空雄が最後まで戦い、勝った」


 流太は簡潔な言葉で3人に告げた。鈴音は目をうるませ、条作は驚きの余りしゃがみ込み、悟郎は黙っていた。そ

れぞれ心の整理をし、言葉では言い表せない解放感に浸っているのだ。


「自由、なんだね」


 鈴音はパッと両手を掲げると、草地でクルクル回ったり跳ねたりした。子どもみたいにカラコロ笑い、何にもしばられない笑顔で。


 ほほ笑ましくはしゃぐ鈴音を見ていると、隣に条作がやって来た。彼も鈴音を遠目に見ながら充足感に満ちた顔をしていた。


「俺は何の役にも立てなかった。目が覚めたらこの通り、全てが終わってたなんて、恥ずかしくてなんて言ったらいいのか」


「条作さんは――どうして草地にいたんですか?」


 聞いてみると条作は気恥ずかしそうに頰をかいて目を合わせてくれなかった。


「ここ、神社から近いし、よく訓練にも来るんだ。神社なんて狭くて窮屈だ。だからいつものように猫拳の訓練をここでしてた。気づいたら襲撃されて、死んでた。笑っちまうくらい弱いだろ? 俺。その辺は自負してる。戦うの得意じゃないし、空雄みたいに正義感に満ちていない。まぁ、自虐的な話はこのくらいにしておいてさ、礼を言うよ。本当に助けられた。ありがとう」


 ここにいる全員の変わり果てた姿を見た。だから空雄は、簡単にその言葉を受け取ることができなかった。誰も助けられなかった自分が、感謝されるなんて。


「自信もてよ」


 条作が空雄の腕に触れて言った。


「石井道夫を滅ぼした。そんなこと、誰にでもできることじゃない。それをやり遂げた空雄は、この先ちょっとした

ことじゃへこたれない」


 うだうだ考えていた空雄にとって、条作の言葉は新し風を浴びた気分だった。ふと隣を見ると、流太の姿がなかった。


「流太なら一足先に神社に戻った」


 答えたのは悟郎だった。


「俺たちも戻ろう」


 悟郎が言うと、鈴音と条作は顔を見合わせて笑った。悟郎に続いて鈴音と条作が歩いて行く中、空雄はとぼとぼ歩

く悟郎を呼び止めていた。ピタリと足を止めて、悟郎は振り返った。


「俺をかばって大けがを。以前戦った時も、俺の前に入って。俺はあなたに守られてばかりです。迷惑をかけて

――」


「安心しろ」


 悟郎はよどみのない声で言った。その顔は、朗らかでさえあった。


「迷惑をかけないやつなんていない。みんな、誰かに迷惑をかけているものだ」



 心が軽くなる言葉に胸をなでおろしていると、悟郎が突然背を向けてしゃがみ込んだ。驚いて駆け寄ると、彼の背中はかすかに震えていた。


「悟郎さん?」


「すまない」


 悟郎は立とうとするが、どうやら腰に力が入らないようだ。空雄が手を貸すと、悟郎はやっと顔を上げて目を合わせた。驚くことに、泣いていた。ボロボロと大粒の涙がこぼれていく。


「諦めなくてよかった」


 悟郎は言った。


「信じ続けてよかった。俺は今、信じられないくらいにうれしいんだ。こんな気持ちになれる日は、人生でそう何回も訪れるものじゃない。俺はお前に救われたんだ、空雄」


 目を細め、口角を上げ、悟郎は笑った。もう、後悔は何一つないのだと、そう言いたげに。


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