第43話 たった1人

 自分は何を言わせている。まただ。自分はまた、守られようとしている。死にかけの仲間に、立ち向かい続ける仲間に。麗羅は逃げていいと言った。戦いから目を背けることを責めずに許してくれた。それを言い訳に、鈴音は逃げ続けた。


 鈴音はゆっくり立ち上がり前を向いた。


「もう、逃げないよ」


 みんなと過ごしてきた日々を思い出す。こんな世界でも、みんなは自分に優しかった。戦えと言わなかった。でも、現実には逃げることなどできないと、分かっていた。自分の代わりに戦う誰かが傷ついて、消えない傷を重ねる。


 このとき、道夫の爪は空雄の首に切りかかろうと空を滑っていた。そこへ流太が盾となり、同時に2人は吹き飛ばされた。


 空雄は見ていた。煙を切り、地を駆ける鈴音の姿を。流太は彼女を見て目の色を変え、すぐさま体勢を立て直そうとした。足をくじいたのか一瞬顔を苦痛にゆがめ、鈴音の元へ飛んで行こうと――


 鈴音は道夫との距離を詰めながら飛んだ。もう逃げない、強い意志を目に浮かべ。


 しかし、空雄には彼女の意図が見えなかった。両手は握られているが、エネルギーがたくわえられている気配がない。普通は光が目に見える形で現れるはずなのに。空雄は鈴音が猫拳を使う姿を見たことがない。流太や悟郎と同じように、光を使って戦うと想像していただけに、虚を突かれた。しかも、鈴音は構わず拳を振り上げていた。


 爪と拳が激突する。防がれればまた責める。鈴音は間髪いれず連撃を繰り出した。息を吸って吐く時間さえも相手の行動についていっている。


 鈴音は心の中で時間を数えていた。空雄が引、流太が斥と力の性質が異なるように、鈴音にも彼らとは違う力の形がある。目には見えないが、拳の内側でむくむくと力が大きくなっていく感覚、それが鈴音にとってエネルギーがたまっている証しだった。ためればためるほど、放出した時の勢いに比例する。それが、鈴音の持つ五大原理”爆”の力。 


 極限までためろ。例えこの身を滅ぼそうとも、ここで勝つために。


「鈴音!」


 流太の声が響いた。鈴音は耐えきれないほどいっぱいになった力を拳の内側に感じ、振り返らず両拳を合わせていた。黒い爪が、左右から襲ってくる。鈴音はそのまま一つになった拳をなぎ払うように、


「黒白猫拳(こくびゃくびょうけん)、両極拳!」


 振り切った。


 拳が爪に触れた瞬間、チカッと灰色の光がまたたいた。目にも追えない速度で爆発が起こる。空雄は飛ばされ全てを見失った。体が浮くほどの爆風を起こしたのは、紛れもない鈴音だった。


 辺りが静まり、空雄は手をつきながら体を起こした。土煙のせいでむせ返る。封鎖された空間では自然の風が吹かない。そのため煙もはけず視界は悪かった。


「流太さん。鈴音さん」


 警戒しながら呼び掛けるも返事はない。視界が開けるようになって、遠くに立つ道夫の姿が見えた。彼の左腕は――吹き飛んでいた。


 だが、次に見たものに、空雄は大きなショックを受けた。ボロボロになった鈴音が、道夫の足に敷かれていたのだ。


 空雄は叫んだ。


「一点に集中する、すさまじい威力。だが同時に、一度の消耗が激しく身を滅ぼすものでもある。だから彼女は恐れていた。自分の力で自分が傷つくことを。死ぬことを。でも実践した。勝つために、身を投げうっても構わないと。だが、それも取るに足らないことだった。私の腕一本、それで命絶えた」


 煙を振り払い、流太が道夫の前に立った。


 目には殺意が、強烈な怒りが浮かんでいた。


「その汚い足を」


 流太は道夫の足元に蹴りを入れ、拳を縦に突き上げた。


「どけろ!」


 道夫は体勢を崩し、背中から地面に落下した。もはや彼には受け身を取る左腕が存在しない。右手は防御に使っている。流太は一時の隙も与えはしないと左右の拳を振り下ろした。黒い光が立ち、炎のように広がっていく。反撃はこない。道夫は右の手で防ごうとするも、容赦なく襲い掛かる二つの拳になすすべはなかった。流太の拳が、ここで初めて道夫の胸に届いた。ずしりと響く鈍い音。拳で心臓を貫けば、流太の、鈴音たちの勝ちだ。とどめを刺せる。


 流太たちが猫戦士になってからずっと、決して届かなかった目的が、終わりに近づいている。流太は空雄がつけ入る隙もないくらい速く、強く拳を振り続けた。その目には、一人間では想像もつかないほどの執念が浮かんでいた。


 勝てる。


 目の前に見えた勝機に空雄は武者震いし、構えた。両拳をギュッと強く握る。走りだそうとした時、一瞬空気に亀裂が走った。


 宙に浮かぶ細かな埃が、横一線に細い何かで切られた。妙な違和感に勢いをなくし、空雄は目の前にある流太の背中を見て夢でも見ているのかと思った。彼の背中、ちょうどへその位置を横一線、赤々とした血がじわじわ広がっていた。


 流太は倒れた。


 あまりの衝撃に言葉が出ない。流太の体は腹部から横真っ二つに切断されていた。一瞬にして意識がなくなったのか、目は開かれたままピクリとも動かない。


「1人になってしまったね」


 血だまりを踏み、流太を越え、進んでくる男。残された右手から生える5本の指は一つに融合し、黒く鋭い剣のようになっていた。


 頭の中が真っ白になった。すぐ近くには、ぼろぼろになった鈴音。遠くには、既に息絶えた条作と瀕死の悟郎。もう、誰も立つことができない。目の前に転がる、一瞬にして変わり果てた流太。これまで彼と過ごしてきた時間が思い出される。親しい友達、時には家族のように。ぶつかり合い、いがみ合ったこともあった。そのたびに、また一つ新しいことが知れたと思ってきた。


 道夫は空雄の前で笑みを浮かべた。絶望と恐怖で死んだ目をする空雄を見下ろし、同情さえする目で。


「選択肢をやろう」


 今度は笑顔を消して言った。


「自ら首輪を外し、石にされるか。ここで死ぬか」


 道夫は空雄の耳元でささやいた。


「つらいだろう、苦しいだろう。でも、石になれば全て忘れられる。有能な君になら分かるはずだ。どちらを選べばいいのか。もし石になると約束すれば、仲間を二度と殺さないと誓おう」


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