第41話 死闘

 言葉が遅れて心に染みわたっていく。


 そうだ。今はもう、燃えちゃいない。たった一つ、燃えているものがあるとすれば、それは心だ。


 過去に戻って変えられることがあるとしたら、変えたいことは数えきれない。でも、変えることはできない。失ったものを取り戻すことも、二度とかなわない。だからこそ、前を向く。今なら変えられると、知っているからだ。


 流太は指をゆっくり内側に折り込み、すっと息を吸い、閉じていた目を開けた。


「これだから持ちたくないんだ。大切なものは」


 流太は黒い光を巻き上げながら言った。空雄には、流太が今なにを言ったのか聞き取れなかった。でも、次に言う言葉ははっきり聞き取れた。


「でも、持ったからには引くつもりはない。失うものがないやつは、確かに最強だ。無敵だ。でも、もっと強いやつがいる。もう一度、守るものもったやつだよ。あんたははい上がったことがあるか」


 流太はゆっくり前に進みながら言った。ピタリと足を止め、道夫を見上げる。


「血だまりの池、屍、炭と灰の中から。俺はあるぞ。地獄ってやつからな」


 最大限までためた黒猫拳が右拳から突き出される。道夫は左右の爪を交差して盾をつくった。しかし、押し出す斥のエネルギーはすさまじく、道夫は木々をなぎ倒し、数十メートル土煙を上げ飛ばされていた。


 パラパラと木くずが落ちる。煙が漂う中に流太は立っていた。彼はこちらを見て、手を差し出す。穏やかに笑んでおり、目は優しい。空雄は流太の手を取った。


 2人はえぐれた地面を沿って真っすぐ走ったが、跡は森の中腹で途絶えていた。そのまま森の中を突っ切り外に出た。遮るものが何もないなだらかな草地で、夜風が背の低い草を揺らしていた。灰色の雲がうっすら月を覆っている。 空雄は森の中から草地に目を凝らした。


「さっき鈴音たちに連絡した。じきに応援が来る」


 いつの間に。空雄は流太の行動の速さに驚いた。それにしても、交代に来る条作の姿が見当たらない。


「流太さ……」


 言いかけて、空雄は言葉をのんだ。流太の視線の先を目で追って、全身の毛がぶわっと逆立った。草地にあるくぼみの近くに、小さな黒い影が見えた。見覚えのある着物の柄。オレンジ色に白い髪。空雄は夢中で駆けていた。


「条作さん!」


 空雄は動かない条作のそばに寄った。首がすっぱり切られている。辛うじてつながってはいるが、深いところまで切られ既に息は止まっていた。血の凝固具合を見れば、死後数時間はたっている。見回りに行っている間、一瞬たりとも気付けなかった。条作はなぜ、見回りでもない時間帯にこんな草地に? どうして、知らせてくれなかった? 


 疑問が浮かんでは消えていく。何度も見てきた、ひょうきんで優しい笑顔、気さくで話しやすい雰囲気の条作。でも、今目の前にいるのは、生気のない亡骸。開かれた目には光がなく、顔は青白くなっていた。


 この時、空雄は強く確信した。石井道夫は偶然現れたわけではないと。確実に、猫戦士を殺すために現れたのだと。


「次は、どちらが私に殺される」


 背後から道夫の声がして、空雄はゆっくり振り返った。あの男はただ、愉快な笑みを浮かべて立っていた。怒りに煮えたぎる。感情の抑制が利かない。そんな空雄の肩に流太が手を置いた。


「大丈夫」


 ハッとした。流太は異様に冷静だった。


 数秒後、目に見える全ての景色がセピア色に変わった。結界封鎖。流太も空雄も発動していない。草地の向こうから歩いてくる二つの影が見えた。悟郎と鈴音。2人は条作を見つけ、目にありとあらゆる感情を浮かべた。鈴音は叫び、駆け寄った。


 石井道夫は両手を掲げ、高笑いした。音のしない、すべてが止まった空間の中で不気味に響き渡る声。ここで決着を着けなくては、貴重な機会を逃すことになる。3年という制限が過ぎれば、にゃんこ様は消滅するのだ。空雄たちは人間に戻れるが、石井道夫が滅びることはない。ここにいるのは、戦うと決めた者たちだけだ。



 すっと流太の手が肩から離れた。それが開幕の合図だった。強く地を蹴り、空雄は駆けた。最初の左拳は道夫の右爪に当たった。最初にくるのは……


 空雄は限界に達するまで頭をフル回転させ考えた。


 左の蹴り、正解だ。


 次。


 左の爪、正解だ。


 空雄は道夫が次に何を繰り出すのか読み、その全てを的確にしのいでいった。あの、夏祭りの河川敷で道夫の動きを見て感じた違和感。それが今、こうして向き合い拳をぶつける中で確信に変わった。


 言葉では教えてくれなかった。でも、行動で教えてくれた。これまでの訓練、どんなささいな行動でさえ、流太の動きは石井道夫そのものを映し出していたのだ。力の程度は違えど、染みついた行動の癖、パターンまでは変えられない。本人ですら気付かないものであれば、なおさら。


 流太は何度もこの男に敗北してきた。でも、負けるたび、勝つための方法を考えてきたはずだ。強敵を倒すためには、相手をよく知ること。その上で、さらに先へ行く。負け、考え尽くされてきた攻撃の全てを、流太が生きてきた時を、空雄は数年でたたき込まれた。そう、全てはともに戦い、勝つために。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る