第32話 執念

「俺より先に、一歩も出るな」


 流太は空雄を一べつして言った。空雄は踏み出そうとした足を止めた。


「どうして!」


「口答えは許さない」


 強い言葉にかぶせられ、空雄は尻込みした。あの流太の声が、目が、いつもとぜんぜん違う。殺気と怒りを感じる。


「前に鈴音が教えてやれと言っていた術が、この結界閉鎖。結界の一定範囲を封鎖して相手を逃げられないようにするためのものだ。ただ、知らせるよりも先に出たということは、よほど余裕がなかったと見えるが」


 流太は肩で息をする悟郎を見て言った。空雄は悟郎の左腕を見て絶句した。肘から下を切断され、大量の血が流れていたからだ。すぐさま脳裏に浮かんだのは条作が見せてくれた一つの石。機械でもあんなきれいには切れない。石井道夫の黒い爪に切られたからだ。硬い石でさえ簡単に切断する、怖ろしい爪に。道夫が初めて空雄の前に姿を現した時、その手は普通だった。しかし、今は違う。10本ある爪は全て漆黒に染まり、長く鋭くなっていた。


「いい機会だ、空雄。あんたが滅ぼすべき相手がどういう存在なのか、今ここで、その目に焼き付けろ」


「流太さん! 鈴音さんと条作さんを呼びましょう」


「封鎖中は誰であろうと外部からは入れない。ここは別空間、時が止まって見えるが、実際は現実世界で時間が過ぎている。人も、物も、動いている。一度でも封鎖を解けば、やつは砂となり逃げるだろう。だから俺は今ここで戦う。悟郎、あんたが張った封鎖、解くなよ」


 どすの効いた声で最後に「いいな」と言うと、


「流――」


 空雄が呼ぶ前に、流太は河川敷の坂を跳躍していた。手はすでに硬く握られ、黒い光が風に揺れていた。一瞬でも黒い爪にやられれば、流太の体はバラバラになるだろう。あの黒い爪から身を守るには、猫拳で硬化した拳で防御を取るしかない。


 突き出された流太の拳と道夫の黒い爪がぶつかった。流太の拳からエネルギーがすさまじい勢いで放出されていく。2人を中心に強烈な風が巻き起こり、空雄はあまりの風圧に立っていられなくなった。少し目を離した隙に、爪が流太の首すれすれをかすめる。


 猫拳はエネルギーをためなければ威力のある突きは出せない。その時間が猫戦士の弱点だと知っているのか、道夫は隙を与えず両手両脚さえ使って攻めを続けていた。


 2人の力は拮抗している。空雄は互角にやり合う流太と道夫の攻防に息をのんでいた。


”一歩も出るな”


 流太の言葉が足かせとなり、動けなかった。空雄は自分の膝をたたいた。なんのために訓練をしてきた? 自分に問い掛ける。一日で再生される体を持ち、感覚とこつのみで成長を重ねてきた、これまでの努力は、なんのためにある? 戦うためじゃないのか。全ては、石井道夫を滅ぼすための……


 道夫の爪が流太の頰を裂いた。血が垂れ、一瞬ひるんだところをさらに次の爪が迫る。硬化した拳で爪を押さえ込めても、生身の足や腕では受け止めきれない。流太は姿勢を低くし道夫の腹部に蹴りを入れた。実際には、腹ではなかった。道夫も蹴りを入れたからだ。足がぶつかり合い、2人の体は左右に土煙を巻き上げ吹き飛んだ。静寂の後、土を踏みしめる音とともに道夫が現れた。流太は倒れていた。


「流太さん!」


 駆け寄ろうとした空雄に、今度は悟郎が手のひらを向けて制した。今のお前は道夫とやり合えない、そう言われた気がした。


「誰がこの私にとどめを刺せる?」


 道夫は膝を立てる流太に歩み寄りながら言った。


「誰も救えない。大切な友達も、愛する女も。本当のことを、君の友達に話してあげようか」


 道夫は空雄に視線を移した。


「白丸。この男は、数えきれないほど、死んできたんだ」


 思考が止まった。死んできた? 数えきれないほど? 言葉は分かっても、意味が理解できない。


「猫戦士は、普通の人間と同じように大量の血を流せば失血死する。殴れば脳震盪を起こして死ぬ。黒丸は、この男は、何度もこの私に殺され、そして生き返ってきた。君は今、互角にやり合っていると思っただろう。確かに張り合えるようにはなった。だが、彼は今よりずっと、弱かった。何度も死に直面するたびに学び、こうしてやっと、戦えるようになった」


 空雄は血の気が引ける思いで流太を見た。何度も殺されてきた。言うだけ簡単なことだ。でも、想像を絶する。


「私に殺され続ける。それが君たちの宿命だ。だが、あの女はちがった。自ら石になることを願った。それなのに、君たちは戦う道を選んだ。石になれば、苦しみも悲しみも全て忘れられる。死に続けることもない。率先していばらの道を歩んだのは君たちだ」


 流太は前に進み拳を握った。


「俺たちの宿命を、あんたの一存で決めるな。言っただろ。あんたが敗北するまで、俺たちは何度だって生き返る。殺しにやってくる。その心臓を貫く日まで、この拳が下りることはない」


「私は自分の執念以上に怖ろしいものはないと思っていたが、どうやら間違っていたようだ。君の執念だよ」

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