第31話 現れた脅威

 こうして母と小春、流太と花火大会に出掛けることになった。思い返せば、猫戦士になってから祭りに行くのは初めてだった。見回りを許される前は神社にいることがほとんどだったし、祭りに行こうという気持ちにもならなかった。


 花火は河川敷で打ち上げられるため、多くの出店は川沿いに並んでいた。町はどこも祭り一色で、道行く人は浴衣を着たり、仮装をしたりしている人もいた。周りがいつもより派手なので、パーカーに着物姿の空雄はまだ地味な方だったし、流太に至っては人化しているので普通の人間にしか見えない。


 母は河川敷でレジャーシートを広げ、小春に5千円を渡した。


「お母さんここにいるから、好きなもの買っておいで。何かあれば連絡ちょうだい」


「分かった。お母さんの分も買ってくるけど、何食べたい?」


「じゃあ、焼きそばをお願い」


「分かった。じゃあ、行って来るね。お兄ちゃんたちも、早く行こう」


 空雄たちは坂道を下りて屋台を回った。歩くだけで人にぶつかりそうな混み具合だった。チョコバナナに焼きそば、ヨーヨー、クレープ、大学芋、わたあめ、冷やしパイン、お好み焼き、たこ焼き、牛串……どれも魅惑的だ。小春は焼きそばの列に並ぶと言うので、後で合流することにした。


「俺たちも行きますか」


「食べられるの、あんまないね」


「うーん、冷やしパインとかどうですか?」


「そうしよう」


 冷やしパインは行列ができるお好み焼き屋の隣にあり、待ち時間なしで買えた。


「これ、面白そうだ」


「ヨーヨーすくいって、案外子どもっぽいの好きなんですね」


 からかってやろうと思ったのに、流太はいたって真面目な顔でプールに流れるヨーヨーを見ていた。空雄はおこちゃまだなぁと思ったが、数分後にはプールを占領し、ヨーヨーがつれる数を競い合っていた。


 両手にわんさかヨーヨーを抱え、空雄は猫のお面、流太はキツネのお面を着け、射的ゲームやくじ引き、気付けば花火大会そっちのけで屋台を満喫していた。


「ねぇ、あれ――空雄じゃない?」


「え? ちがうって」


 背後から聞こえた声に空雄はギクリとした。少しだけ振り返ると、同級生の女子2人がこちらを見てヒソヒソ話していた。


「ほら、ちがう」


「えー。でも、似てるけど。ねぇ、隣にいる人誰? めっちゃかっこよくない?」


 空雄は流太を引っ張ってこの場から退散した。


「嫌な人にでも出くわした?」


 空雄は何も言い返さなかった。ただ、この姿では名乗れない。それだけだ。じゃなきゃ逃げてなんていない。空雄はトボトボ歩きながら頭を抱えた。こうなることくらい、予想できていたじゃないか。狭い町の花火大会。同級生や近所の人だって来ている。空雄は小春にメールをして、最初に別れた屋台の前で落ち合った。小春は両手いっぱいの袋を抱え、2人を見るなりパッと顔を輝かせた。


「お兄ちゃんたち、何買ったの? ヨーヨーにお面、景品。あ! 冷やしパインまで! 私も買いたいの買えたから、戻ろっか!」


 空雄たちは来た道を戻った。母、小春、空雄、流太の順で横に並び、ご飯を食べ、のんびり話しているうちに会場のアナウンスが鳴った。ほどなくして、開会ののろしが上がり、空に強烈な破裂音が響いた。


「今のは耳にこたえる音ですね」


 空雄は流太と苦笑いした。


 しかし、夜空に桃色の大輪が咲いた瞬間、そんなことはどうでもよくなった。今のを皮切りに、次々とカラフルな花火が打ち上がっていく。母と小春は楽しそうに空を指さし、流太は穏やかな顔で花火を見ていた。周囲の人たちもみんな幸せそうで、いつまでもこんな時が続けばいいのにと思った。職人がこの日のために丹精込めて作った花火玉。同じ時の中、たくさんの人たちが見ている。上空は宝石箱のようで、空雄は夢見心地でまばたきさえ忘れていた。


 だから目の前がセピア色に染まった時は、何が起こったのか理解できなかった。辺りは無音に閉ざされ、防音室の中にいるみたいになった。空雄は隣を見た。流太は動いている。しかし、景色と同化した小春と母は空を見上げたまま止まっていた。体に触れると体温を感じず、石みたいにびくともしなかった。今この空間で、動いているのは空雄と流太だけだった。


「結界閉鎖だ」


 空雄はすぐに鈴音が以前言っていた言葉であることを思い出した。


「結界封鎖が使われたということは、すぐ近くに石井道夫が現れたということだ」


 流太は立ち上がると猫戦士の姿に戻り、観客の合間を縫うように走りだした。母と小春をこの場に残していいのか? 空雄は迷ったが、意を決して流太の後を追った。


 空気を切り裂くようなごう音がした。河川敷で土煙と赤色の光が巨大な渦を巻いている。徐々に引いていく煙の合間から、見覚えのあるオレンジ色の髪が見えた。悟郎だ。たった今猫拳を使ったばかりなのか、彼の手からはまだ赤色の光がにじみ出ていた。


 悟郎の奥に、鮮烈に記憶した1人の男がいた。害がなさそうな柔らかい表情をたたえてはいるが、空雄は知っている。その下にある狂気を。猫を石に変え続けてきた邪の存在、石井道夫。空雄は一瞬にして、鳥居の前で初めて会った時のことを思い出した。


 道夫は落ち着いた目で辺りを見渡すと、視界に入った空雄にほほ笑み掛けた。


「久しぶりだね、白丸」


 自分を石にしようとした男の声は、あまりにのんきだった。そう、彼は猫戦士のことを人間の名前で呼ばない。憑依した猫の名前で呼ぶのだ。

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