第21話 桜の木

 そろそろ切り上げようかという時、廊下からにゃーにゃー騒がしい鳴き声が聞こえてきた。悟郎が柄も様々な猫たちに引っ付かれながら居間にやってきた。彼は普段居間にいない人間を見つけた途端、素通りして裏口から出て行こうとした。


「待て」


 笑顔で流太が引き止め、悟郎は引き戻された。


「彼は同じ猫戦士の悟郎だ」


「か、かわい――」


 横でポヤーッとする小春の口を空雄は手で封じた。母と父は丁寧にあいさつした。悟郎は誰に対しても素っ気なく、あいさつが終わるやいなやさっさと部屋を後にした。


「そろそろ行きますね。お邪魔しました」


 母が立ち上がり、父と小春も玄関に向かって歩きだした。空雄は何げなく窓の外を見た。あれ? 誰だろう。カーテンをめくって外を見ると、悟郎が外で猫たちにご飯をあげていた。そのまなざしは、人間に向けられるものよりはるかに穏やかで優しいものだった。


 3カ月もたつと猫拳のこつがつかめてきて、瓦を3枚重ねて割ることができるようになった。この成長もこつだけでつかんだのだと思えばすごいとしか言いようがない。体は一日でリセットされても、体で経験し、頭に記憶することで多くを学び次へ生かすことができる。まさに流太の言う通りだった。


 特に、猫拳のこつは極めてシンプルだった。拳の中にたまったエネルギーを外へ放出する、という基本さえ押さえていれば、あとは磨き上げていくだけ。驚いたことがあるとすれば、エネルギーの放出と同時に出現する”光”だ。空雄の場合は白く、エネルギーをためている間にぐんぐん大きくなり、拳にまとわりついていく。もちろん、エネルギーは無限にためられるわけではない。ある程度たまると耐えきれなくなって暴発する。その前に放たなければいけなかった。


 ささいではあるが、気付きもあった。引の原理を持つ空雄の白い光は、エネルギーを出現させた時に風を巻き起こす。風は体に向かって引き寄せられ、光も目に見えて同じ方向に進んでいる。つまり、引の原理がエネルギーの方向に作用しているということだ。


 一方人化と猫化のこつはつかめないままだった。猫になりたいとは思わなかったが、耳としっぽが隠せる人化くらいは習得したい。とはいえ、そううまくはいかない。一層のこと、人化ボタンが体についていたらいいのにと思った。


 町の木々が紅葉し、枝だけのさみしい季節になった。人々は秋用のコートを身に着けるようになったが、空雄はにゃんこ様からもらった着物のおかげで寒さを感じることはなかった。いつもはパーカーにこの着物を羽織うというスタイルだ。


 空雄には決まって行く場所があった。猫屋敷から50メートルくらい離れた場所に立つ立派な桜の木だ。ちょうど町の全景が見える位置にあり、何も考えずぼーっとするには最高の場所だった。ここに来た時はすでに葉桜になっていたので、まだ満開の姿を見たことはない。きっときれいなんだろうな、とたびたび桃色の絶景に思いをはせた。


 ある日中、流太が桜の木に座っていた。空雄は食べようと持ってきていた猫缶を抱えたまま彼の隣に飛び乗った。猫戦士の身体能力を生かした跳躍のこつをつかんでいた空雄にとって、木の上に跳躍することくらい、もう簡単なことだった。


「食べますか? 茂和さんがまた、お供え物をお裾分けしてくれたんですよ」


 2人は猫缶のふたを開け、乾杯するみたいに缶をぶつけた。とはいえ、ちゃんと小さなスプーンを使って人間らしく食べる。


「俺、この桜の木が好きなんです。だって、周りは竹だらけだし、桜の木なんて一本も生えていませんから。なんだか特別な感じがします」


「この桜の木は、大昔植えられたものなんだ」


 流太は昔話でも始めるみたいに語り始めた。


「200年くらい前、身よりのない男がこの神社に流れ着いた。性格は粗暴で、すぐに癇癪を起こすようなどうしようもない荒れくれ者で、友達もいない。そんな男を変えたのが1人の女だった。女は毎日のように話し掛けた。男は毎日のように女を罵った。話し掛けるな、消えろ、邪魔だ――と。どんな暴言を吐かれても、女は決して怒らなかった。けど、唯一許せない言葉があった」


 流太は顔を上げて言った。


「死ね――と言ったんだ。女は怒り、もう話し掛けてこなかった。自分の中の苛立ちを彼女にぶつけていたのだと気付いた時には、もう女はそばにいなかった。男は何度も謝り続けた。何年も、何年も。でも、女は許してくれなかった。それでも男は謝り続け、ある時、ようやく許してくれた。それから2人は仲直りして、桜の木を植えたんだ」


「最後は、どうなったんですか?」


 流太はほほ笑んだ。


「幸せに暮らしたよ」


 全国津々浦々、説話というものはあるが、もちろんハッピーエンドで終わる話ばかりではない。流太が話してくれた一本の桜にまつわる話も、この地に伝わる民話なのかもしれないが、最後は幸せに暮らしたのだと分かり安心した。

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