第20話 戦いへの決意
通りを歩く2人の前を、ちょうど1匹の茶トラ猫が横切っていった。
「あの猫、流太さんのお知り合いですか?」
「いくら猫戦士だからって、猫と知り合いなんてことはありえない。人間とチンパンジーくらいの違いだ。俺たちが会話できるのは、あくまで人間と猫戦士、にゃんこ様くらい」
仕事帰りのサラリーマンが2人のすぐ横を通り、空雄はフードを目深にかぶり頭を下げた。幸い気付いていないみたいだ。耳に当たってわずらわしいが、フードというのは姿を隠すのにちょうどいい。違和感もない。
猫屋敷に戻ると、玄関に1足だけ靴があった。
「悟郎が帰ってきてるみたい。おいで」
流太に連れられ廊下を進んでいくと、1カ所部屋に明かりがついていた。
「悟郎、入るよ」
ふすまを開けると、そこは広々とした畳の部屋で、真ん中に正座する男がいた。首にはオレンジ色の首輪。茶トラを思わせる赤みを帯びたオレンジ色の髪を一つに結んでいる。垂れ目のせいか、常時やる気のなさそうな、覇気のない雰囲気。彼が猫戦士であることは、大きく突き出た柔らかそうな猫耳と、フサフサした長いしっぽが証明していた。
「悟郎、きょうオフの日だっけ?」
「シフト見ろ、シフト」
シフト? なんだその勤怠システム。空雄は驚愕の会話内容に耳を疑った。
「用は?」
「新しく入った子を紹介したくて。この子が奥山空雄だ」
悟郎に猛禽類みたいな目を向けられ、空雄は緊張感で身がすくむ思いだった。条作や鈴音とはまた違う冷たい印象。明るくきらびやかなオレンジ色の髪とは異なり、その態度はいてつく氷のようだった。
「石井道夫に遭遇したそうだな」
世間話をするでもなく、悟郎は唐突に言った。空雄はやや反応が遅れて「はい」とだけ答えた。悟郎はドギマギする空雄を見たまま身動き一つしなかった。
「猫戦士に選ばれたのには理由がある。己の悲運を嘆き呪うか、宿命と受け入れるか、判断一つで未来は変わっていく。お前はどっちだ」
何回も、自分の中で葛藤してきた大きな課題を突き付けられ、空雄は返答に時間を要した。以前の自分なら、自信なくうつむいていただろう。けど、もう視線をそらさない。受け入れる。この不条理な世界を。そして認める。自分は人間ではなくなったけど、元に戻るために最善を尽くすと。空雄は右拳を自分の胸に当て、一歩踏み出した。
「逃げません。戦います」
悟郎の目がゆっくり細まっていく。この男の目は、恐怖を試すものだ。恐怖を知っている者の目だ。静かに、ほんの少し頭を動かし悟郎はうなずいた。
翌朝、空雄は流太とずっと部屋でぐだぐだしていた。日が暮れる頃になってようやく行動を開始し、この日も猫拳(びょうけん)の訓練を受けることになった。なにせ、猫戦士になってまだ日が浅い。1人で町に出て見回りに出ることも許されていない。
「脇をしめろ」
猫拳の対人訓練を始めて2時間が過ぎ、空雄は何度目か分からない指摘を受けた。一つ直したら、今度は別のところで気が緩み駄目になる。運動部に所属していなかった空雄にとって、誰かから運動の指導を受けるというのは慣れないものだった。
「猫拳で重要なのは、相手の動きを予測し先回りすること。当たりをつけるんだ。それには観察眼も必要だ」
空雄は汗でぬれた手袋を外し、そばにあった岩に腰掛けた。訓練はまだまだ続きそうだ。早く覚えて、みんなの役に立てるようにならなくては。気持ちばかりが先走り、体が追いついていかない。
目の前に水筒を差し出され、空雄はガブガブ飲んだ。
「悟郎さんたちは、交代制で町に出ているんですね」
「うん。道夫がいそうな所を主に探している。町には猫の縄張りというのがあってね、ある程度区画ごとに猫がいる場所は決まっているんだ。やつが現れるのは、そういった猫たちが集う場所。運よく首根っこをつかまえられればいいんだけど、向こうも逃げ足が早い上になかなか現れない」
この日から怒涛の訓練が始まった。与えられた基本的な訓練の他に、瞬発力のこつをつかむための石段往復100回、竹から竹へ飛び回る訓練、猫の身体能力を生かせそうなことならなんでもやった。
1週間後、夕方に訓練していると父と母、小春が神社を訪ねてきた。前日メールで来ることは知らされていたが、家族が神社に来るのは初めてだった。この日に限ってにゃんこ様は見当たらなかったので、猫屋敷に上がってもらった。母は大量の猫専用お菓子を差し入れてくれて、部屋の中は急に華やかになった。
「えぇっ? 瓦割りに石段の往復? お兄ちゃん、随分とスパルタなことやってるんだね。無部なのに」
「無部で悪かったな」
「あんまり根詰めないで、他のことをしたっていいんでしょ? ほら、お母さん、勉強道具とか漫画本とか、ゲーム機とか、いろいろ持ってきたよ」
母が取り出した紙袋の中には、大量の漫画本や雑誌、ゲーム機、高校の教科書などがぎっしり詰まっていた。全部空雄の部屋にあったものだ。
「次はいつ帰ってくるんだ?」
気が早い父は部屋にあるカレンダーを見て言った。
「週末には」
「じゃあ、また晩ご飯食べていって。流太さんも、ね?」
母の言葉に流太は苦笑いし、自分のことを指さしながら首をかしげた。
「流太さん、遠慮しないでうちに来て! なんなら泊まっていってもいいから!」
小春は笑って言った。
「じゃあ、お言葉に甘えるよ」
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