第14話 猫拳
「この手袋は、猫戦士が石男と対峙する時に使う道具だ。手に着ければ、猫拳(びょうけん)を使うことができる」
「びょ、びょう、何ですか?」
「猫に拳と書いてびょうけんと読む。どれ、試しに着けてみるといい」
あまり気は乗らなかったが、空雄は何とか体を起こし両手に手袋を着けた。革に似てしっとりした手触りで、サイズ感もちょうどよかった。見た目は普通の手袋なので、戦う道具と言われてもピンとこなかった。
「握ってごらん」
言われた通り拳を握ってみると、手の内がぽーっと熱くなる感覚がした。パッと拳を解くと、手のひらがじんわり白く光っていた。
「おぬしに憑依した白丸の力が光となり現れた。この力を使いこなせば、石男とも対等に渡り合うことができる。理論上はな」
次に、にゃんこ様は折り畳まれていた白い着物を広げた。桐箱の底には青色の首輪もあった。
「この着物は猫戦士のためにつくったもの。寒い時も暑い時も、これ一枚あれば最適の温度に保たれる。そして、この首輪は首を守る防具。道夫が猫や猫戦士を石にできる条件は、首に長時間触れること。だからこれで首を隠せ。手袋の使い方なら流太がよく知っている」
にゃんこ様が部屋を出ていった後、流太は自分の部屋に戻った。気を使ってくれたのか、ふすまを一枚分開けてたびたび声を掛けてくれた。何時間も布団の上で横になっていると、いつの間にか眠りに落ちていた。しかし、人間だった頃と違って小さな物音でも目が覚める。誰かの声で耳が反応した。
「ねぇ、見て。かわいい」
聞いたことのない女の声。
「あんま大声出すな」
こっちも聞いたことがない男の声。空雄はむくりと起きて、見知らぬ男女に心臓をドキリとさせた。黒白のブチ柄をした髪で、庇護欲を刺激する困り眉に、ガラス玉みたいにキラキラした黒い瞳。女はにっこり笑った。
「ほら、起きちまっただろ」
「だって、かわいいんだもん」
男の方は小柄で、三毛猫そっくりの髪に、小さな鈴を両耳に着けていた。いかにも自由奔放そうな笑みが顔に染みついている。女は黒の、男は緑の首輪を着けていた。空雄は2人の猫耳を見て、同じ猫戦士なのだと理解した。
「ごめんな、起こしちまって」
「君が空雄くんね」
空雄は「はい」と答え姿勢を正した。
「私は清水鈴音(すずね)。この人は島田条作(じょうさく)。よろしくね」
差し出されたきれいな白い手を握り返しながら、空雄は笑顔でうなずいた。
「条作さんと鈴音さんも、五大猫神使の猫戦士なんですか?」
「うん。憑依した猫は、私の方がブチ猫のごまで、彼は三毛猫の三毛男」
「新しい猫戦士が入ったって聞いたから、どんなやつかと思って来てみれば、なんだ、いいやつそうじゃん」
仲よさそうに笑う2人を見て、空雄の心は穏やかになった。
「やっぱりかわいい!」
「あんましつこくすると嫌われるぞ」
「だって、かわいいんだもん」
空雄は鈴音にぎゅうっと抱き締められていた。頰をすりすりされ、マシュマロみたいに柔らかい体が当たる。急激に恥ずかしくなって、空雄の顔は噴火した火山みたいに赤くなった。そんな空雄たちの前に、隣の部屋から流太がやってきた。
「おっ、流太お疲れ」
条作は手を上げて気さくに声を掛けた。
「あんたたち、にゃんこ様から聞かされてない?」
流太の言葉にきょとんとする2人。
「石井道夫が鳥居の前に現れた」
場の空気ががらりと変わった。さっきまで気の抜けた顔をしていた2人は、笑顔をなくし真剣な顔で流太を見返した。
「何も知らない空雄が狙われた。幸い首を少し触られた程度で済んだけど、お土産とばかりに6体の石像を置いていった」
鈴音も条作も驚いて空雄を見た。
「あの、俺はこの通り大丈夫ですから。流太さんに助けてもらったおかげで」
「こんな近くまで来るなんて」
条作は笑みを消して言った。
「白丸の憑依体が現れることを分かっていたようなタイミングね」
鈴音はショックを受けた顔で言い、すぐさま空雄に詰め寄った。
「本当に大丈夫なの? けがは?」
「体が重いくらいです」
「フンッ」つまらなそうに条作は鼻を鳴らした。「あの石野郎、からかうのが好きなのは変わってないな。それで、戦ったのか」
「撤退した」
「なんだと?」
「手袋をしていなかった」
条作は眉をひそめた。
「肌身離さず持ってろよ」
道夫の話が出てから重たい空気だったが、晩ご飯の話になってからは、たちまちみんなの顔が明るくなった。条作は「ちょっと待ってろ」と言って台所から刺し身を持ってきた。スーパーで買ったらしく、賞味期限は新しい。空雄は大好物のサーモンにありつけて大満足だったが、驚いたことに刺し身のうま味は猫になってからも変わらなかった。しょうゆをつけずともパクパクおいしく食べられる。一方流太はマグロしか食べなかった。
「条作さん、スーパーに行くんですね」
「猫戦士は意外と現代的だ。スマホだって持ってるし、買い物だって行く」
「耳とかしっぽはどうしているんですか?」
「心配ない」
意味ありげな顔で言うので空雄は気になって仕方なかった。やる気満々、腕まくりをして条作は少し離れた場所に立つ。固唾をのんで見守っていると、彼は自分の首輪を少しずらし首に触れた。思いのほか地味な演出に沈黙していると、条作の耳としっぽがきれいになくなり、髪色や少しつんとした猫っぽい鼻を除いてただの人間になった。
「すごい!」
空雄は鼻息を荒くして言った。耳もしっぽも隠せると道夫は言っていたが、まさか本当だったとは。しかも、ただ首に触れるだけで。
「それから、こんなこともできる」
続けざまに条作は自分の舌をかんだ。今度は瞬く間に三毛猫へ姿を変えた。え? え? え? 動揺が押し寄せる。耳としっぽはまだ分かる。けど、完全な猫に? まったく理解が追いつかない。三毛猫になった条作は空雄の膝に乗って、のんきそうに毛づくろいした。
「猫戦士は、人間と猫の中間的存在。だから人化することも猫化することもできる。まぁ、体力を使うから一時的なものだし、戦うには役に立たないけど」
「その状態で話せるんですね」
空雄は小さな口を一生懸命動かして話す猫の条作に言った。しかも猫語じゃない、ちゃんとした日本語だ。
「猫戦士同士なら普通に会話できる」
条作は再び舌をかんで人間の姿に変わった。どうやら、首に触れれば人化できて、舌をかめば猫化できるらしい。自分にもそんなことができるのか、と思い空雄は好奇心に駆られ自分の首を触ってみた。しかし、何も起こらない。
「そんなすぐにはできないよ。俺だって人化に2年、猫化に3年かかった。空雄も練習して感覚をつかめばできるようになる」
そんなに時間がかかるのか。簡単そうな動作からは想像もつかなかった。
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