第6話

 6月に入り、長かった梅雨も明けた。


長袖だった制服のシャツがポロシャツに替わる。


蒸し暑さが一気に増した。


「外、暑っついね~」


「もうムリ。教室の外から出れない」


 昼休み、エアコンの効いた教室で、私は栄美ちゃんたちとおにぎりをかじりながら、スマホゲームをしていた。


直央くんとの繋がりを持つために始めたゲームだったけど、純粋に自分がハマってしまっている。


フレンド登録している広太くんがプレイを始めると、通知が飛んでくる。


添付のURLからログインすれば、すぐに同じチームで協力プレイが可能だ。


私は教室の隅っこで栄美ちゃんたちとランチをしていて、広太くんもやっぱり仲間の輪の中にいながらパンにかぶりつき、スマホをいじっている。


「あ~、うっ……。やった!」


「なに、彩亜はまたあのゲームやってんの」


「そ」


「好きだよね」


「ハマったね」


 ギリギリのところで、広太くんの一撃が決まった。


チラリと彼をのぞき見る。


うれしそうに笑っているけど、教室で実際にしゃべることはほとんどなかった。


チャットの定型文で『お疲れさまでした! またフレンドバトルよろしくお願いします!』と送っておく。


彼からも同じ定型文が送られてきたのを見てから、アプリを飛ばした。


チャイムが鳴る。


 席替えがあって、私は教室のど真ん中の席になった。


広太くんは廊下側の後ろの方で、直央くんは窓際の列の中央付近。


私の真横。


配置が悪い。


おかげで授業中に彼をチラ見することすら出来なくなってしまった。


 クラスメイトたちが戻ってきて、それぞれの席につく。


窓際最後尾になった慧ちゃんの席に集まっていた私たちの横を、どこからか戻ってきた直央くんが通り過ぎた。


直央くんとも、しゃべることはほとんどない。


掃除の班も係も委員会も日直も、全ての繋がりがなくなってしまった。


退屈な授業が始まって、先生は延々と何かを話し続けている。


「じゃ、次。長谷部さん読んで」


「はい。……。しばらくして海の中で起き上がるように姿勢を改めた先生は、もう帰りま……」


 直央くんのけだるそうな声が、静かな教室に響く。


「……これが私の口を出た先生という言葉の始まりである」


「はい。ありがとう」


 私はもうずっと、このままでいいの? 


直央くんと色違いのシャーペンを握りしめる。


カノジョとはどうなっているんだろう。


 放課後になった。


ホームルームも掃除も終わった教室で、直央くんは教科書とノートを広げる。


期末試験が近いから、勉強してるのかな。


それまでは教室の外で出待ちしてたけど、そんなことすら出来なくなっていた。


私はそんな彼を横目にしながら廊下に出る。


さすがの私でも、勉強の邪魔はしにくいな。


昇降口から外にでると、すぐ目の前に一本の木が立っている。


その周囲は円形の花壇のようになって保護されていて、いつもそこに広太くんが座っていた。


誰を待ってるんだろう。


スマホをいじっているか、どこかをぼーっと眺めていて、話しかけてもいいんだけど、特に用もないから素通りする。


今日は直央くんの声が聞けたな。


国語の本読み当てられたのだけだけど。


 教室を見上げる。


窓際に座る直央くんの姿が見えた。


ちょうど広太くんの座っているくらいの位置からなら、もっとよく見えるだろうな。


なんとなく、その彼を振り返る。


広太くんと目が合った。


あまり長く見つめ合うのも失礼だから、サッと視線をそらす。


今日はもう帰ろう。


明日からは、もうちょっと何とか考えないとな……。


 一晩考えて、今の私に出来る精一杯の作戦を思いついた。


こんなにも放課後の来るのが待ち遠しくも恐ろしいなんて、初めてかも。


いつものように、直央くんは自分の席で教科書を広げる。


私は机の中を整理するフリをしながら、教室から人がいなくなるのを待っていた。


窓から差し込む光に、彼の姿が浮かび上がる。


胸の鼓動はずっとバクバクしていて、このままいつ倒れても不思議じゃない。


自分の全身が心臓になったみたい。


教室に残っている人数が、4人にまで減った。


私は立ち上がる。


どんなに変に思われたって、ウザがられたって、不自然でカッコ悪くたって、これだけは声をかけて逃げだそう。


そう覚悟を決めていた。


「なんの勉強してるの?」


 精一杯の演技で、彼のノートに視線を動かす。


「私も中間あんまりよくなかったから、勉強しなくちゃなーって思ってて……」


 直央くんの視線が、私を追っている。


ガチガチの関節を無理矢理動かして、前の席に座った。


視線がぶつかる。


「……。あっ、ゴメン、『私も』って、『私は』だよね。直央くんの成績は関係なか……」


「いや、いいよ」


 彼は恥ずかしそうに横を向いた。


頬杖をついた手で口元を隠し、照れるその姿にきゅんとする。


「大丈夫。そんなんじゃないから……」


 直央くんの視線の先を追いかけた。


裏門前の広場と靴箱前の植木、部活棟とグランドの一部が見える。


また広太くんが座ってる。


私は机に視線を戻した。


「なにやってんの? あ、数学かぁ~!」


「今日はね、たまたま……」


 直央くんに嫌がる様子はみられない。


私はもうちょっと、ここに居ていいのかな。


「私もやんないとなー」


「宿題くらい学校で済ませてから帰ろうかなーって。家帰るとやる気なくなるし……」


 彼は教科書のページをはらりとめくった。


そんな呑気なこと言ってると、もっと欲を出しちゃうよ?


「あー、分かるそれ。私も学校でやって行こうかな」


「一緒にやる?」


「……。え、いいの?」


「いいよ」


 本気で言ってる? 


マジで? 


どうしよう。


どんな顔をしていいのか分からない。


「あ、イヤ、別に……。彩亜ちゃんが嫌なら、俺なんかとか全然一緒じゃなくても……」


「ううん。いいよ! 一緒にやる! てゆーか、本当に私と一緒でいいの?」


「え? なんで? 俺は全然いいよ。迷惑じゃなかったら……」


「一緒にやる」


 すぐに机を動かした。


直央くんの前の机を動かして、向かい合わせにくっつける。


鞄を置くと、同じ教科書を広げた。


「今日の宿題、これだけだったっけ……」


 そんなことを言いながら、さりげなく色違いのシャーペンを出してみる。


「あ、同じの使ってる。ほら」


 彼はそのシャーペンを私に見せた。


「ホントだ。凄いね」


「うん。このシャーペン、いいよね」


「いい」


 顔を見合わせる。


私たちは同時にくすくすと笑った。


「数学の河野さ、滑舌悪すぎてたまになに言ってんのか分かんないよね」


「そうそう。だけどまぁ可愛いから許せるけどね」


「あ、女子もそんな感じ」


「うん。私は好きだよ」


「俺も」


 夢みたい。


勇気を出して声かけてよかった。


「ここってさ、どうしてこうなんの?」


「あー、ここは……」


 直央くんの声が、私にだけ向かって発せられている。


説明してるペン先の動きまでかわいい。


「あ、なるほど。そういうことか」


「分かった?」


「分かった分かった。直央くん教えるの上手だね」


 帰る頃には、すっかり日が傾いていた。


昇降口から出ると、まだ広太くんが座っていて、それに直央くんも気づいたみたいだけど、あえて声はかけずに通り過ぎる。


「広太は、誰か待ってんのかな」


「さぁ……」


 なんで直央くんがそんなこと気にするんだろ。


お友達だったのかな。


そんなに仲いい印象はなかったけど……。


「ね、明日も一緒に宿題やっていい?」


 彼の横顔をそっと見上げる。


「俺は別にいいけど……」


「ホント? やったね。助かる~」


 よかった。


強引だったかもしれないけど、そうとは思われないように笑顔を向ける。


その日の夜は誰からも邪魔されることなく、すんなりベッドに入って眠れた。


 直央くんは毎日のように、放課後の窓際で宿題をする。


私はそれに便乗して、だけど邪魔はしないように、そこに座らせてもらう。


彼には嫌がる素振りは全くなくて、むしろ「今日も一緒にやる?」とか聞いてきてくれるようになった。


自然と会話も増え、今では普通にしゃべれる。


きっと「友達」にはなれたんだと思う。


「今日はどうする? 日本史の小テスト対策する?」


「あぁ、暗記物だもんな。問題の出し合いとかする?」


「いいねー」


 ホームルームが終わったら、私はすぐに彼の元に駆け寄る。


最近は他のクラスメイトも気にしてないみたい。


だけど「付き合ってんの?」とかは聞かれたりしないから、そういうことなんだと思う。


日本史の教科書を広げた。


「室町時代ねー。北山文化と、東山文化……」


「能と、書院造……。雪舟か。この辺り覚えとけば大丈夫?」


「じゃあ、制限時間10分で覚えよう」


「OK。じゃあタイマーセットするね」


 直央くんがスマホを取り出す。


彼のロック画面が解かれた。


その画像は人気ボカロPのサムネ画像配布でもらったもの。


もちろん私もチャンネル登録した。


 澄み切った放課後の、その特有の喧噪が聞こえる。


サッカー部のかけ声と吹奏楽部のトランペット。


ランニングのかけ声は、文化部でも運動部でも同じなのがちょっと面白い。


「今の日本文化がさ、この時代から受け継がれてるのって、ちょっとすご……い、よね……」


 直央くんの視線が、校庭を彷徨う。


時々そうしていることには気づいていた。


彼は教科書を広げ、私がこうやって見ていることにも気づいていない。


その視線の先を追いかけ、窓の外をのぞき込んだ。


「……。千香ちゃんたちか……」


 靴箱を出たすぐの植え込みに、千香ちゃんと広太くんがいる。


だらっと座っている広太くんの横で、カノジョはピカピカのフルートを練習していた。


「千香ちゃん、フルートやってたんだ。すごいね」


「あ……、いや。別に、ずっと見てたわけじゃないよ……」


「かっこいい。背も高いし、似合うよね」


「……。うん。似合う。かっこいい……」


 頬杖をついた彼は、真っ赤な顔をしてカノジョを見下ろす。


そっか。


私からは振り向くようにしないと見えないから、気づかなかった。


目の前に私がいるのに、視線が合わないのはただの常識的なものかと思ってた。


いつかその視線の角度が、ほんのわずかでもこちらに傾いたらいいのになんて、そんなことは起こるはずもなかったんだ。


「かわいいもんね。あ、カッコいいか。直央くん、千香ちゃん好きなんだ」


 ムカついて、ついそんなことを口走る。


それは絶対言っちゃダメって、分かってるのに。


「うん。好き。やっぱ分かる?」


「はは。うん、分かるよ」


 誰よりも直央くんを見てきたって、自信がある。


だから彼が誰を見ているかも、私にはよく分かる。


「いつからだっけ? 去年辺りからだよね」


「え? なんで?」


「体育祭の時、委員やってたでしょ、一緒に。千香ちゃんは隣のクラスだったけど」


「そう! その時に知って……って、なんで知ってんの?」


「私も手伝ってあげてたのに、全然覚えてないの?」


 怒ったような顔をして、わざとらしく声のトーンを上げてみる。


彼は慌てて否定を始めた。


「いやいや、それはちゃんと覚えてるって!」


「本当に? うわ~、ショックだわー」


「覚えてるってば」


 テントを組み立てる彼の体操服姿に、私は一目惚れしたんだ。


体育係でもないのに、椅子を並べたりポンポン運んだりして手伝った。


体育祭当日も、ずっとずっと追いかけて話しかけ、笑顔を振りまいて……。


「楽しかったよね、体育祭」


「うん。高校の体育祭って、中学までと全然違ってて。大変だったけど、楽しかった」


 私は泣きそうになっているのを、教科書で隠す。


彼はそんなことに気がつきもしないで、窓の外のカノジョを見つめる。


「あれから、『友達』にはなれたと思うんだ」


 告白してフラれたのに? 


「そっか。じゃあこれからだね」


「うー……ん……。そうなんだけどね……」


「なになに、どうした?」


 頬を赤らめ、恥ずかしそうにしている彼の顔をのぞき込む。


「その『友達以上』ってのが、難しいよね」


「あ~。そうだよねぇ……」


 ため息をついた彼の視線が、また窓の外に向けられる。


私は意を決して振り返った。


植木の縁に、広太くんとアノ子が並んでいる。


立ったまま演奏しているカノジョは、隣でのんびり座っている広太くんに、何かを話しかけていた。


フルートを下ろしたカノジョが、こっちを見上げる。


これだけ距離が離れているのに、なんだか目があったような気がした。


ふいに、私たちに気づいた広太くんが、こっちに向かって手を振った。


思わず振り返した私に、カノジョも手を振る。なんだコレ。


「あは。千香ちゃん、手を振ってくれたよ」


「それは彩亜ちゃんがいたからだと思う」


 セットしていた携帯のアラームが鳴る。


10分の暗記時間なんて、どんな意味がある?


「ね、勉強やめて、下行ってみる?」


「え、それはいいよ」


「どうして?」


「なんか、邪魔しちゃ悪いし……」


 誰が? カノジョが? 


今でも十分、邪魔されてるんですけど。


「でもなんか、もう勉強っていう気分でもなくない?」


 私は開いていた日本史の教科書を閉じた。


とてもじゃないけど、そんな気分じゃない。


「千香ちゃんは、広太が……」


「なに?」


「いや、何でもない」


 直央くんはもう一度、教科書を開き直す。


「ねぇ、真面目にテスト勉強しよ! 俺はこっちも本気だから」


 そんなの照れ隠しだって、ちゃんと分かってるのに、私だって自分の本音を悟られたくはない。


「分かった、分かった。ちゃんと勉強しよ」


 そんな彼に、精一杯の笑顔で応える。


それが今の私に出来る限界だ。


日本史の問題を何回か直央くんと出し合って、教室を出た。


昇降口を出た植え込みに、広太くんたちが待ってるかなって思ったけど、薄暗くなったその円形の縁には、もう誰もいなかった。


「待ってなかったね」


「そんなもんだよ」


「そっか」


 よかった。


いなくって。


私は歩き始めた彼の背を追いかけた。

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