第5話
郊外学習当日の朝は、私服での現地集合になっていた。
私は時間よりも少し早めに指定の駅へ向かう。
「おはよー」
いつもとは別の路線、違う駅だ。
構内に先生の姿を見つけてホッとする。
「彩亜の服、かわいー!」
「ほんとだぁ~」
だって、今日のために新しく買いに行ったもんね。
チェックの膝上グレーの巻きスカートに、白いキャンディースリーブのブラウス。
黒のショートブーツはまだ履ける季節。
「ありがとう。栄美ちゃんと慧ちゃんもかわいいよ」
「ふふ」
2人は顔を見合わせた。
耳元でささやく。
「彩亜、気合い入ってるね」
「頑張れ。応援してるよ」
そんな言葉に、耳まで赤くなる。
「あ、ありがとう。気合い入り過ぎて、ヘンとかじゃないかな? バレすぎ?」
「大丈夫!」
「しっかり!」
改札から出てくる直央くんの姿が見えた。
黒めのスキニーに白シャツ、ベージュのマウンテンパーカーを羽織っている。
黒髪のままのスポーツ刈りを合わせて、清涼感がハンパない。
「か、カッコいい……」
「ほら、行っといで!」
友人二人に背中を押され、よろよろと前に出る。
「お、おはよう……」
「あぁ、彩亜ちゃん? わー、私服だと随分感じが違うね」
「え? そ、そうかな……」
「うん。似合ってる。可愛い可愛い」
そんなコト言われたらもうダメ、倒れそう。
ありがとうございました。
今日はまだ始まったばかりだけど、いい一日だったよ。
京也くんと隆史くんも合流して、メンバーが揃った。
「じゃあ、行って来ます」
先生のチェックを受け、いざ出発!
改札口には、同じ学年の見知った顔であふれていた。
「結局、全員で同じ場所回る感じか」
「まぁ時間指定場所していだから、そうなっちゃうよねー」
博物館もギャラリーも、まだ開店時間になっていない。
観光横町に入り、チェックポイントになっているお寺までゆっくり歩く。
狭い路地に、小さな商店が建ち並んでいた。
店先にならぶショーケースには、焼きたての餅や団子、土産物が並ぶ。
「あ、この招き猫かわいい」
「あっちで、でっかい海老せんべい売ってるよ」
駄菓子屋に入った。
店頭に設置された鉄板に卵が落とされる。
大きなおせんべいにソースを塗って、目玉焼きを挟んだ。
他クラスの生徒たちも見え始める。
「うまいな」
「やだ、おせんべいが変な割れ方したー」
パリパリとした食感が楽しい。
路地の隅っこで立ち止まり、同じものを食べている。
直央くんのすぐ真横に居られるだけで幸せ。
ふと彼を見上げると、その人の視線は私とは全く違うものを探していた。
「あー、とりあえずさっさとお寺行っちゃう? それから海の方へ回ってみようよ」
早くここから離れたい。
もうきっと私より先に、見つけてしまっている。
カノジョはいつも下ろしている真っ直ぐな長い黒髪を、ふんわりと編み込んでいた。
デニムの上にシンプルな白シャツ、白スニーカー。
黒の柔らかなスプリングコートで、カジュアルだけど大人っぽい雰囲気。
こんなコーデ、スラリとした背の高い美人じゃないと出来ないヤツじゃん。
「お寺に行っちゃえばさ、あとはお昼まで比較的自由に過ごせるし。ちょっと遠回りしてみてもいいんじゃないのかな」
通りの向こうから近づいてくるカノジョを、直央くんに見つけてほしくない。
そう願っているのに、彼の足は動いた。
「ちょっと、あっち見てきてもいい?」
私より背の高い、ベージュのマウンテンパーカーが離れてゆく。
見たくもないのに、どうしても視線は彼を追う。
カノジョと目が合った。
「わー、こんなところにいたー」
その視界を塞いだのは、広太くんだった。
天パだという緩やかな明るい髪色が、私をのぞき込む。
「え、何食ってんの? 玉せん?」
すぐに京也くんや隆史くんと絡み始める。
落ち着いた赤のフライトジャケットに黒いワイドパンツ。
広太くんのところの班は、すでに崩壊して完全な自由行動になっているみたいだ。
「みんなから離れちゃっていいの?」
直央くんの後を追いかけたい。
カッコ悪いとかみっともないとか、そんなこと分かってる。
恥ずかしいし、なんで私がこんなことをって、誰よりも自分でそう思ってる。
だけど、そうせずにはいられない。
「そういう自分だって、離れていってますけど」
「小学生じゃあるまいし、もういいでしょ」
人混みの中に、直央くんの背中が見える。
その向こうにはカノジョがいるのかと思うと、やってらんない。
「私もあっち見に行ってみようかなぁ」
「あ、待って待って」
広太くんは、スマホのカメラをこっちに向けた。
「ね、みんなで写真撮ろ」
彼のくわえたえびせんが、いまにも口から落っこちそう。
それでもレンズを向けられたら、みんなで集まるより仕方がない。
「はーい。おっけー」
彼は楽しそうに笑った。
「俺も撮ってよ」
「ちょっと小山くん、なにやってんのー!」
そんなことをいいながら、彼のグループだった男女も混ざり込んできた。
もうぐちゃぐちゃだ。
「さっさとお寺行って、チェック受けて解放されようぜ」
「それいい」
「行こう、行こう!」
全員で歩き出す。
私は背後のカレとカノジョが気になって仕方がない。
集団から徐々に遅れ始めた。
「はい。お茶」
そんな私に、広太くんはペットボトルのお茶を差し出した。
「飲んだら?」
「え、なんで」
「こないだジュースもらったから、そのお返し」
そんなこと、気にしなくてもよかったのに……。
「いいよ。自分の持ってるから」
「いやいや。そういうワケには……。ね、一緒に回ろ」
そう言って彼は横顔を向けた。
何だか少し照れてるみたいだ。
私の班は直央くんが抜け、混ざってきた広太くんの班の半分、さらにまた別の班も合流して、なんだかんだの団体行動になってしまっている。
人数多い方が楽しいし、これは自然現象ってやつで、仕方ないのかな。
お土産横町を歩きながら、私はあの人の姿を探している。
だけど、どこにも見当たらない。
完全に見失ってしまった。
「あ~ぁ……」
「うん? どうした?」
仲間とはしゃいでいた広太くんが笑った。
彼はとても人懐っこい性格で、誰とでもすぐに打ち解け合う。
「なんでもない!」
直央くんとは離れてしまったけど、せっかくの郊外学習を楽しまないのはもったいない。
「ね、私も写真撮るー」
広太くんが自分のスマホを掲げた。
ソフトクリームを持った私は、そのフレームの中に収まる。
ツーショットだ。
「後で送って」
「んー」
食べ終わったお団子の串をくわえたまま、広太くんは笑った。
お寺で先生のチェックを受け、近くの海岸へ移動する。
砂浜で一通りはしゃいだ後、地元で人気だというハンバーガーをみんなで買って、並んで食べた。
学校名入りの腕章をつけたカメラマンがやって来て、何枚か写真を撮る。
先生がやって来て「固まるな、散れ!」とか言ってきたけど、あんまり意味ないよね。
突然始まった「高鬼」に、夢中になってる。
流木とか小石の上でもOKなんて、ひどくない?
平たくて丸い石の上に、広太くんと一緒に乗っかった。
落ちそうになって、彼のフライトジャケットを掴む。
支えてくれようとしてたけど、広太くんの方が落ちて鬼にタッチされちゃった。
「きゃー。広太くん、ごめ~ん!」
「くっそ、あいつ許さん!」
鬼になった彼は、タッチしていった大樹くんをそのまま追いかけてる。
大樹くんは別の男の子の乗っていた流木に無理矢理上った。
押し出された京也くんは、文句言いながら逃げ出して、それを見てまたみんなで笑っている。
「逃げろ、逃げろ!」
「うっそ、やだ来ないでー」
「京也、こっち!」
「あはは」
楽しい。
もしここに直央くんがいたら、こんなにも素直には楽しめなかったかもしれないな。
色々気にしちゃうから。
砂浜の向こうに、キラキラと海が光る。
なんだか色んなことから、解放されたみたいだ。
帰宅時間が近づいて、その場に残っていたメンバーで多数決をとる。
博物館はスルーして、ギャラリーで開催されている地元写真家の作品だけは見て帰ろうということになった。
ぞろぞろと移動を始めたところで、広太くんが隣に並ぶ。
「お茶あげる」
「まだ言ってたの?」
つい可笑しくなって、笑ってしまった。
「いいよ、気にしなくて」
「気にする」
「じゃあ、それを広太くんにあげるよ」
「……。わかった。後でなんかおごる」
「はは、やったね」
駅近くの大通り沿いに、そのギャラリーはあった。
雑居ビルの一階がガラス張りになっていて、専用の展示場になっている。
「こういう雰囲気のところ、初めてかも……」
受付を済ませ、迷路のように真っ白く細い通路に従って歩く。
突然、大きな空間に出た。
ところどころにパネルが立てられ、ベンチも置かれている。
外光とは違う柔らかなライティングが部屋全体を覆い、真っ白な空間にモノクロの写真が飾られていた。
「わー。なんか、かっこいい……」
砂浜からやって来たメンバーの輪がほぐれる。
会場にいるのは、ほとんどがうちの生徒だ。
さっきまで、みんなではしゃいでいた海岸からの風景がモノクロの画像に変換され、全く違った風景に見えている。
「凄いね。こんな風に世界が変わって見えるものな……」
パネルの向こうに、直央くんとカノジョの姿を見つけた。
楽しそうに笑いながら話すカノジョの隣に、当たり前のように彼が立つ。
赤いフライトジャケットが視界を遮った。
「これ、さっきまで遊んでたとこ?」
「あ、あぁ。そうみたいだね」
広太くんが何かをしゃべっている。
だけど、私の頭はもう何にも理解出来なくなっていて、白と黒のパネルがぐるぐると渦をまいている。
広太くんは私に身を寄せた。
それに気づいて顔を上げる。
「あっちも見に行こう」
「う、うん」
促され、歩き出す。
やっぱり私の耳には、彼が何を言っているのか聞き取れない。
ふと我に返って顔だけを上に向けた。
「……。くち、半開きだけど……」
恥ずかしくなって、口元を拭う。
「ね、見終わったらさ、外出ようよ。おごるって言ってたの、今朝見てた招き猫でもいいし。後でちょっと戻って……」
「広太! やっと見つけたぁ~」
カノジョだ。
広太くんに駆け寄り、赤いフライトジャケットの袖をつかむ。
「もう。ずっとどこ行ってたの? 探しても見つからなくて、すっごい心配してたんだから」
「は? 誰が?」
「わたしが!」
もの凄く親しげな雰囲気に、その場を離れる。
直央くんがいる。
ここで合流した他のメンバーも一緒だ。
フラフラとそっちに身が引き寄せられる。
ようやく声が出せた。
「やっと会えたね」
「え? なにが」
「……朝ぶり」
「なにそれ」
そう言って直央くんは笑う。
あぁ、そうか。
1年の時に仲良かった男子メンバーが、今はみんなカノジョと同じクラスだもんね。
そっちと合流したってことだったんだ。
「色々、見て回れた?」
「うん。それなりに楽しかったよ」
そっか。ならよかった。
そうだよね、私は私で楽しんでたように、直央くんは直央くんで楽しんでたんだ。
そんなの当たり前だ。
「班がバラバラになっちゃったから、帰りのチェックどうするんだろうって、思ってた」
「そんなこと心配してたの?」
直央くんは何でもないことのように笑う。
「自由解散でしょ。途中で消えても朝だけ確認出来てたら、問題ないよ」
今日のイベントは終わり。
もうお終いだ。
せっかくのおしゃれも、このためだったのにな。
直央くんは、合流した京也くんや隆史くんと、どこで何食べたとか、そんな話しをしている。
「直央はもう、ここの写真全部見たの?」
「うん。もう帰る」
「あ、じゃあ俺らも帰ろうか」
なぜだかカノジョが気になって、視線を向ける。
このまま直央くんはカノジョを誘って、一緒に帰るのかな……。
「わ、私はまだ、全部見てないから、残るね」
「そう?」
「う、うん」
「じゃ、お先に」
男子軍団と一緒に、直央くんは出て行く。
広太くんがカノジョと話している横をチラリと見てから、通り過ぎて行った。
私はモノクロの写真に視線を移す。
もう何が写っているのかも分からなかった。
どうしよう。追いかけていっても……、ムリだよね。
泣きそうになって、鼻水をすする。
だけど、こんな所で泣くわけにはいかない。
大きく息を吸って吐き出す。
もう一度展示写真を見上げた。
「あー、彩亜ちゃん。もう全部見ちゃった?」
広太くんが戻ってきた。
隣にはカノジョがいる。
「こんにちは!」
「こんにちは」
挨拶され、私も笑顔で返す。
「見終わったんなら、一緒に出よー」
「なにそれ! じゃあ私も出る」
カノジョは広太くんに絡みながら、無邪気にそう答える。
すっごいフクザツ。
すっごいイヤ。
こんな状況でそんな普通の顔してカノジョに見られても、行けるわけないし……。
「いや、いいよ。私はもうちょっと、ゆっくり見てから帰るから」
「じゃ、俺も」
「私も」
何なの?
とは思うけど、どうすることも出来ないから、3人で見ているフリをしながら、さりげなく栄美ちゃんと慧ちゃんのところへ合流した。
結局5人で最後まで見て回る。
「楽しかったねー」
「うん」
ギャラリーを出て、駅までの道をやっぱり5人で歩く。
カノジョの名前は和泉千香ちゃん。
広太くんとは、小学校の時からの幼なじみなんだって。
「千香ちゃんは、今日はどの辺りを回ってたの?」
「えっと、最初に横町通りに入って、それから博物館に行ってた」
「そうなんだ」
「彩亜ちゃんたちは、博物館へはこなかったんだね」
「うん。もういいよねって話になって……」
そっか。
直央くんは、あれから博物館の方へ行ったんだ。
「そっからお寺でチェック受けて、カフェでずっとお茶してた」
「あー。そういうのでもよかったかも」
「限定スイーツ美味しかったよ」
「あはは、いーなぁ~」
早くこの場から離れたい。
自分は何でこんなところでこんなヒトとしゃべってるんだろう。
ようやく改札が見えた。
「じゃあね~」
私は広太くんと千香ちゃんに向かって手を振る。
「いや、私たちも同じ電車だから」
「あ、そっか」
カノジョは呆れたような顔をこっちに向けた。
その何気ない表情にすら、何かをえぐり取られる。
あー、本当に私ってバカだ。
だからダメなんだ。
電車に乗ってから、ようやく女の子3人と広太くん千香ちゃんの2人に別れた。
帰宅ラッシュが始まっている車内で、私は栄美ちゃんたちと今日の楽しかった思い出を振り返る。
広太くんはつり革につかまったまま横を向いていて、こっちの話しを聞いているのか聞いていないのか分からない。
ずっと窓の上辺りを見てる。
初対面のカノジョは私たちの会話に入ってこれるはずもなくて、だけどあえて話題を振ることもしなくて、申し訳ないなとは思うけど、こんなところに来たアンタも悪いしとか思ってる。
そんな自分もイヤ。
家に帰ったら、広太くんからスマホへ写真が送られて来ていた。
私はお礼を打ってから、その画像を削除した。
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