I Wanna be With...

西野ゆう

 試験期間に入る直前、キャンパス内を歩いていると、同じ講義を受けている女の子からこんな問題を出題された。

「高校と大学の最大の違い、何かわかる?」

 なんて規模の大きな問題なのだろう。答えなんて出るわけない。

 学費も桁違いだし、制服だってない。いや、最近は制服のない高校も増えてきているか。

 そうそう、自由度は格段に上がっているよね。それでも、最大の違い? お手上げだよ。

「違いがありすぎてわかんないよ」

 私がそう言ってお手上げです、と両手をちょっとだけ上げると、彼女は私の後ろに回り込んで、腰に両手を回した。そして私の歩みを止めさせると、後ろから私の肩に細くとがった顎を乗せた。

 彼女の息が耳にかかってくすぐったい。

「答えはね、恋、だよ。大人同士の自由な恋」

「ひゃんっ!」

 耳元でささやかれて、私は変な声が出た。そのことに対する恥ずかしさに、顔が赤くなる。

「何? 真っ赤になっちゃって……。あ、もしかして、あたしのことが?」

 そう言って彼女は、わざとらしく口元に柔らかく握った両手を持ってきて上目遣い。首を小さく左右に振って、かるふわウェーブのセミロングの髪を揺らした。

「違うよ! もう、早く帰ってノート纏めたいから、またねっ!」

 私はそう言って彼女から逃げた。別に彼女のことを意識したからじゃない。

「大人の恋」という響きに心臓が高鳴りっぱなしなのだ。

 そんなことがあっても勉強が学生の本分。

 ひとりアパートに帰ってからは、勉強に集中した。こういうオンオフの切り替えがちゃんとできるようになったのも「大人」になった証拠だろう。

 そうやって、たまに、邪心に溺れそうになりつつも、無事に試験を終えた。

 正直、子供の恋もろくに経験してこなかった私に「大人の恋」なんて想像もつかないけどね。


 長かった。ほんとに長かった(気分的に)後期試験の最終日、いつものメンバー六人で、学食のテーブルを埋めて昼食を食べようとした時、彼が言った言葉が忘れられない。

「あれ? ひとりしかいない……」

 湯気を上げるラーメンを悲しそうに見つめる彼。

「早く食べて。熱いうちに僕を食べてって言ってるのに」

 器の周りをキョロキョロと見ながら、彼は実に悲しそうに、不思議そうにそう言っていた。

「おかしいなあ、ひとりしか連れてこなかったっけなあ?」

 いつまでもキョロキョロしている彼に、私は我慢できずに聞いた。

「いないって誰が? 誰がいないの?」

 私はそう聞いたものの、「誰か」を捜しているワケはない。こんな狭いお盆の上に乗れる人などいないのだから。仮になんとかお盆に人が乗ったとして、それを運ぶには相当な力が必要だもの。

 もしかして、彼が捜しているのは、あの有名な「小さいオッサン」だろうか。いいや、そんなはずはない。

「箸がね、ひとりしかいないんだよ」

 あたらずといえども遠からず。いや、やっぱり遠いか。

 それでも、飴玉も「飴ちゃん」なんて風に、なんでも擬人化する関西出身の彼らしい言葉だと思った。

「もうひとり連れてくる。みんな、先に食べてて」

 彼がそう言う前から、他のメンバーはそんな彼を気にすることなく、先に各々の昼食に箸やスプーンやフォークなんかを潜り込ませていた。私だけが「キノコと鮭のカルボナーラ」のシメジをフォークに刺したまま、ひと口も食べずに彼の探し物に付き合っていた。

 私は彼がカウンターに向かうのを見送って、ようやくキノコを口に運んだ。まったりした濃い味わいに、シャキッとしたキノコの食感。ああ、幸せ。

 カウンターに行った彼はというと、学食のおばさんと笑顔で何やら言葉を交わした後、「相方」を連れてきた。満面の笑みで椅子に座ると、一対になった箸に向かって「やっと会えたね」などと言いながら、箸の先を二度三度カチカチカチっと合わせて鳴らした。

「カワイイ」なんて、声に出して言いやしない。きっとわたしの感覚は人とずれている。そんな自覚がある。

 そう。何を隠そう、私はそんな彼に惹かれている。「惹かれている」なんて気取った言い方かもしれない。でも、まだ「好き」とか、ましてや「愛している」なんて言えない。そんな感情じゃない。多分。

 人間としてか、異性としてか、とにかく目が離せない。まさに惹かれているとしか言いようがないのだ。だが、彼はそんな人だから、そんな彼だからこそ、私から誘わないと何もしない。そこで、のんびりとしたある冬の午後、私は思い切って彼を誘ってみた。

 私は果たして彼を好きなのか。「大人の恋」に発展するのか。その実験をするようなウキウキした気分だった。

「急なんだけどね、私の部屋で鍋パーティーしようと思って。六人でさ」

 彼がひとりになったところを狙って声をかける。心臓はドキドキ、バクバク。喉はカラカラ。悪いことしているわけじゃないのに、なんだろう、コレは。……いや、ちょっと悪いことしてるかも。

「いいね。ちょうど鍋とか食べたいなって思ってたから。子供のころから大好きだなんだよね、鍋。で、どんな鍋にするの? キムチ鍋とか、水炊き辺りがいいかな。比較的安上がりで美味しいし」

 第一段階クリア。彼は「六人」が誰だか考える素振りも見せない。いつもの「六人」だって思っている。

 というか、食いつきすぎじゃない? 鍋に。そりゃあ私も好きだけどさ。

「まだ鍋の種類も決めてないから、今からスーパーに行こうよ。他の人たちは別の役目があるから」

「そっか。じゃあ、今から行く?」

 第二段階も問題なくクリアした。でも、逆に私は少し心配になった。彼の素直さが。いや、もうここまでくると愚直っていってもいいくらいじゃない?

 そんなことを心配していた私だけれど、ふたりであれこれ相談しながら買い物かごに食材を入れていく作業に、どんどん楽しさとして上書きされていった。

 これは、なんだろうか?

「好き」ってことなんだろうか? いやいや、まだわからない。まだこれから先、段階を踏んでいくのだから。

 早合点の早忘れ。すぐに好きになると、その気持ちもすぐに薄まるんだから。

 ん? ちょっと使い方違うかな?

 まあいいや。そんなことよりも、第三段階。

 彼はまだ「六人」の正体に気付いていないし、気にしてもいない。私は私なりに緊張しながら、自室の玄関を開けた。掃除は完璧だから心配してないけど、やっぱりドキドキする。

「ちょっと狭いと思うけど、入って」

 彼が持つ買い物袋の中には、沢山の具材が入っている。

 作戦上仕方なく必要以上に買ってしまった具材たちには申し訳ないけど、後でちゃんと全部食べるから。そう心の中でお詫びを申し上げつつ、私は黙々と鍋の用意を始めた。

「みんなには集合時間は何時って言ってあるの? 材料は切るだけにしとく?」

 野菜を切り始めた私の隣で、彼が腕まくりをしながらそう聞いてきた。

 きたよ。きました。いよいよ作戦の最終段階ですよ。

 私は深く深呼吸をして、用意していた、なんなら何回か練習したセリフを言った。

「はい。このふたりがあなたので、私のはこのふたり」

 昨日ひとりで選んだ一組の夫婦めおとばしを、私は彼の前に出した。「ふたり」とはもちろん二本の箸のことだ。

「私とあなたと、お箸が四人で、合わせて六人。ね?」

 一瞬目を丸くして、「ふたりきり」であることが分かった彼も、すぐにいつもの優しい笑顔を浮かべてくれた。

「そっか。初めまして。今日からよろしくお願いします」

 彼は私にではなく、私から受け取った箸に向かってそう頭を下げた。まったく、カワイイにも程がある。それでも私は、「今日は」ではなく「今日から」と彼が言ったのを聞き逃さなかった。

 私は、心の中で小さく(本当は飛び跳ねるように大きく)ガッツポーズをして、切った具材の入ったボールを右手に、彼の手を左手に取って、こたつの上で待つ土鍋という宇宙に向かって行進した。

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