第6話「夏休みが始まるよ葵さん」


 終業式だ。課題はそれほど多くはないが、こまめにやらなければ絶対に詰む。

 全員が帰る準備をして教室を後にしていく。俺も流れに乗って帰ろうとした時だった。


「おーい、諸星。直帰する感じか?」


 真木がユニフォーム姿で廊下から呼んでいた。


「帰る。今日は午後からみたいアニメあるんだ。」


「あー、なんだっけ。武士が異世界に行くやつだろ?んなことよりさ、葵さんとこ行かないのか?」


 そう。今日は葵さんがいない。何故なら…。


「終業式バックレる人のところになんか行くか」


「ほんとやべーよな。麻里ちゃんブチ切れてたな。でもほら、机見てみろよ。」


 葵さんの机の中には今日渡された残りの課題が詰まっていた。ちなみに麻里ちゃんと呼んでいるのは担任の鈴木麻里先生のこと。童顔のため生徒には麻里ちゃんと呼ばれている。


「届けてやれよー!じゃ、俺部活行くわ!」


 真木を見送り、俺は葵さんの机を見た。


「嫌だね。長期休みという自由を得た葵さんの家に行ったらキモいことになるだろうが。」


 帰ろうと廊下に出ると、そわそわとしている女の子がいた。


「あ、早田さん。2年の教室まで来てどうした?」


「あっ、この間はお疲れ様でした。あの、佐久間葵先輩はいますか?今日まで貸し出しの本があるんですけど、返却されてなくて…。」


「いや、今日は学校に来てないな。はぁ〜、何してんだ葵さんは。仕方ない。葵さんに渡すものがあるから家に行くんだけど、一緒に来るか?」


「あ、ありがとうございます!」


「遺書は書いとけよ」


 俺は早田さんと歩きながら何気ない会話を楽しんでいたが、葵さんの話題となると彼女の目は怯えていた。


「だ、大丈夫か?この間無理矢理連れてこられたこと怖かったか?」


「あっ、いえ。別にあの時は大丈夫だったんです。あの、あのチョコなんですが…」


「何してるの?」


 振り向くとそこには葵さんがいた。ジャージにパーカーという究極のだらしなさとしっかりナチュラルメイクに顔立ちの良さが反してキモい。


「葵さん、学校サボるなよ。麻里ちゃん怒ってたぞ?学校から家に電話来なかったか?」


「来たわよ。来たけど無視したの。」


「もしかして具合悪かったか?」


「いいえ、庭で野良猫の交尾見てたの。そうしたら時間経ってた」


「馬鹿じゃないのか。あ、早田さんほら」


「あの、葵先輩。お貸ししてた本なんですが…」


「そうそう。これでしょ?思い出して返しに行くところだったのよ」


 そう言ってカバンから出てきたのは"世界寄生虫大図鑑"だった。


「うーわキモ」


「このまま私が本を預かりますね。えと、図書カード貸してください。」


「はい、カード。」


 早田さんは手慣れた様子ですぐにスタンプを押していた。スタンプ数はかなり多い。頻繁に本を借りてたんだな、なんてぼんやり見ていた。


「遅くなってごめんなさいね。お詫びにこれあげるから。」


 葵さんは申し訳なさそうにカバンから何か取り出した。キーホルダーだ。クリアなプラスチックには綺麗な砂金と不思議な紐のようなものが螺旋に入っている。


「そんな、返却は今日までですし大丈夫ですよ?」


「早田さん、ご自宅は別方向でしょ?手間賃よ。」


 葵さんはキモいことはするが、こういう優しいところもあって良い人だ。


「ありがとうございます。これ、綺麗ですね」


「ふふ、よかった。私の手作りなのよ」


 嫌な予感がした。


「葵さん、これ何でできてるんだ」


「思い出のアニサキスよ?」


 早田さんは倒れた。近くの公園まで運び、起きるまで待つことにした。


「葵さん、意地悪しすぎだ。かわいそうに」


 葵さんの膝の上でうなされている早田さん。その頭を優しく撫でる葵さんは優しく微笑んでいた。原因を作った本人がしていい顔じゃないけれど、綺麗だ。


「ふふ、可愛い子っていじわるしたくなっちゃうのよ。」


「ひねくれ者。明日から夏休みだけれど、葵さんはどうするんだ?」


「んー、彼氏。」


「え」


「彼氏できたら楽しいのかなぁと思ったのよ」


 なぜ俺の心臓が跳ねたのか、一瞬感じた心の奥で燻ったあの気持ちはなんなのか。俺は自分の気持ちを否定して、消し去るように立ち上がった。


「あ、暑いからそこの自販機で水買ってくる。葵さんはいるか?」


「ええ、おごりでよろしくね?」


 この夏休みは、きっと俺の心が折れるだろう。

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