第14話
グリニッド王国へは初めてのレイモンドは、右も左もわからない。
叔母上が嫁いだとされる、パメル伯爵領がどこにあるかすらわからない。
侯爵家から嫁いだのだ、伯爵とは言え王都にタウンハウスを持つほどであろうと読み、まずは王都へと向かう事にした。
途中休みながら二日をかけての旅路。着いた頃には夜になっていた。
グリニッド王国はバトラン王国に比べていくらか国土は狭い。しかし、特産物も多く名所も多いことから観光で潤っていると聞く。
見ればその通り、王都の街並みはバトラン王国よりも栄え華やかだった。
陽も落ち、夜になってもまだ街並みは賑やかで店も開き、人々の足は止まらない。
まるで眠らない街のように明るく、好奇心を駆り立てるようだった。
しかし今のレイモンドも、共に走りぬいてくれた馬にも休息が必要で、目に止まった宿の門をくぐりその日は泥のように眠った。
翌朝、階下からの朝食の匂いで目が覚めると、自分の腹が減っていることに気が付いた。
腹が減るのは人間である証拠だ。とばかりに、軽く身支度を整え階下の食堂へと向かう。
朝食を食べ終わると、店主にパメル伯爵家について聞く。やはり、ここ王都にタウンハウスを持っているらしい。
パメル伯爵家は南の位置に領土を置き、穀物や果実、豊富な実りをもたらす領土に加え、近年では温泉が湧き出たことから、温泉を目当てにした観光でも潤っているらしかった。
温泉があるのなら、病気療養を名目にしたアリシアがこの地に滞在しても何ら不思議ではない。
レイモンドは、身支度を整えるとパメル伯爵家のタウンハウスを目指した。
昨日、夜の王都に着いた時には驚くほどの華やかさであったが、朝を迎えたその姿は、人々の生活を潤す街へと変貌していた。
街に並ぶ店は、美味しそうな匂いをさせながら食欲を満たす店。
人の姿を輝かせ美しく、凛々しく纏わせる店たち。
好奇心をくすぐり笑いや涙を誘う大道芸人たち。
そこかしこで人々が集い、語らう姿は、見ている方も心を温かくするようだった。
『きっと、この町は本当の幸せを知っているのだろう』レイモンドはふと、そんな気がした。
バトラン王国ではこんな風に、気軽に街を歩いたことがなかったと気が付いた。気がついてしまったら、あとは行動あるのみ。出店でパンを買うとそれを食べながら、人に聞きつつ探すことに決めた。
ふらふらと街を散策し、街の人たちと話をしながら歩きパメル伯爵家へと到着した。
王都の中心部からいくらか離れた立地に立つものの、立派な門構えと横に伸びる屋敷は、敷地面積を贅沢に使った館で、気品に溢れていた。
何の前触れもなく、ましてや他国の人間が押しかけても門前払いを食うだけだ。
それでも、ここまで来たのだからと意を決し、門番へと要件と名を告げた。
すると、門番が屋敷に確認を取りに戻ると、なぜか何も聞かれぬうちに屋敷に案内をされてしまった。一体どういうことだ?と悩むも、生来の楽天な考えですぐに『なるようになる』と切り替えることにした。
通された応接間は品の良い調度品が飾られ、主の趣味の良さを伺い知ることができる。
客間で出された茶が熱い間に、伯爵夫人が姿を見せた。そう、アリシアが頼りにしたという叔母上だ。
伯爵は仕事で王宮に赴いているため、夫人が相手をしてくれるという。
最初レイモンドはそれが本人だとはわからなかった。まさか本人だとは思いもせずに、どこから説明をしたものかと、しどろもどろで説明をしかけた時、
「実は、実家であるバルジット家から使いがありましたの。近いうちに騎士隊副隊長様がお見えになるだろうから、失礼のないようにと。兄からの依頼でしたわ。でも、思っていた以上に時間がかかりましたのね」
「侯爵殿が?」
「ええ。あなた様は相当兄に気に入られておいでのようですわね。しかしながら、一足違いでした。アリシアはもうここにはおりません」
「え? アリシア様が? ここにはいないという事は、以前はやはりおいでだったのですか? アリシア様はお元気でしょうか? それだけが気がかりで……」
「…? ちょっとお待ちになって。あなた様とアリシアは、その。恋仲ではありませんの?」
「え?! 私とアリシア様が恋仲? そんな、とんでもありません。私のような者が相手など、アリシア様に申し訳ありません。決してそのようなことはありません。
そ、そうなれば良いとは心から思ってはおりますが。まだ……」
レイモンドは首と手を大きく振りながら、慌てて否定した。
それを見た夫人は「はぁー」と、深いため息を吐き額に手を当てた。
「何やら兄の早とちりのようですわね。兄はすっかりあなた達が想いあっていると思っているようですわ。アリシアもはっきりと口にはしませんでしたが、想う人がいるようなことは話してくれていたから、てっきりあなたのことかと? そうですか、それは失礼をしました。お許しくださいね」
「いえ、そのような。私にとっては大変光栄なことです。たとえ勘違いでもアリシア様の想い人だと思ってもらえるなど、幸せすぎますから」
言いながらレイモンドは、目の周りを少し赤く染め始めた。
それを見た夫人は「なるほど、そういうことね」と、納得したように扇子の下でほほ笑んでみせた。
辺境地と言う騎士の男社会で育ったレイモンドにとって、色事に関する知識などは皆無にちかい。ましてや女性の気持ちを汲み取る力など持ち合わせてはいなかったのだ。
アリシアの想い人に勘違いされ呆けているレイモンドに喝を入れるべく、夫人はきっぱりとした口調で告げた。
「アリシアを守る気がおありなら、ここからが正念場ですわよ。あなたにその覚悟がおあり? 全てを無くすかもわかりません。それでもアリシアは手に入らないかもしれない。それでも、前に進む覚悟はありますか?」
夫人の真剣な表情を汲み取り大体の察しはついた。だが、当に覚悟は決めてある。この命、アリシアに捧げるとすでに決めた以上、前に進むことしか考えてはいないのだから。
「アリシア様が領地に向かうと言われた日に、私の心は決まっています。何があろうと、私の心はアリシア様の物であると。たとえ嫌がられても、この想いが消えることはありません。
アリシア様の幸せな姿を見ることが出来れば、それだけで私は幸せです」
「そうですか、それほどまでに……。兄と同じく、私もあなたを信じることにいたします。
今までのことをお話ししますわね」
そう言うと、夫人は今までのことを丁寧に話して聞かせてくれた。
アリシアがアーサーから婚約破棄をされた後、確かにバルジット家の領地に籠るつもりでいたらしい。しかし、領地からの報告で王都同様にアーサーの手の者が領地内にいると知り、いつ何どきその手がアリシアに向くかもしれない。安心して過ごせる環境ではないと判断した侯爵は、隣国に嫁いだ妹にしばらくの間匿ってくれるように打診をした。
伯爵家はその申し出を快く受け入れ、領地には温泉施設もあることから、病気療養には良い隠れ蓑になるだろうと考えた。
そして、まずはグリニッド王国の王都にあるタウンハウスにアリシアを迎え、時期を見て領地に向かう算段をしていた時に、バトラン王国から突然使いの者が現れたのだ。
第二王子の名で記された書状には婚約解消時点での話し合いの中、病気療養を名目に領地に籠るとの約束であったと。そのような人間が隣国に足を運ぶには些か無理がある。
王家と侯爵家の体面の為の処遇を、一方的に反故にすることは許されざる行為である。
故に即刻バトラン王国に戻り、最初の約束通りバルジット家領地内で療養するようにとの内容だったらしい。
使いの者はその書状を読み上げるとすぐに自らの懐に仕舞い、結局誰一人としてその書状を見た者はいない。
あまりにも突然で理不尽な内容であり、しかもその書状すら見せてはもらえないとすれば、それが正式な物かどうかすら確認が取れない以上、それに従うことは出来ないと突っぱねた。
すると、「バトラン王国第二王子アーサー殿下は、大変悲しんでおられます。たとえ一時でも婚約者として過ごされたお方からの、このような仕打ち。殿下のお情けがあるうちに、約束を果たされた方がよろしいかと」
使いの者がアリシアを覗き込むように見つめるその目に、居合わせた者皆、背筋に冷たいものが流れるようだった。
その言葉にアリシアは、迷惑はかけられないからと了承するほかなかった。
帰国までには準備に時間がかかる。出立までの約束の期限を決め、一先ずは引き取らせた。
しかし、使いの者はしかとアリシアが出立し、無事にバルジット領地に入るまでは監視をすると明言を残し、その場を後にしたのだった。
「叔母様、こんなことに巻き込んでしまい、申し訳ありません。すぐにでも領地へ戻ります」
「アリシア。あなたは病気なのでしょう?だったら、大事を取ってしばらくここに居ればいいのよ。急に具合が悪くなったことにすればいいわ。上手く話を合わせてくれる医者くらい、いくらでも用意はできるわ」
「叔母様。お気持ちは嬉しいけど、あの方を、アーサー殿下を怒らせてはいけない気がするんです。あの方は何をするかわからない、得体のしれない怖さがあるお方。もし、迷惑をかけることになったら、私も父も二度と顔向けができません。大丈夫、まだ諦めたわけではないから。あの方の自由にはさせません」
「アリシア。あなたは昔からそうだった。誰よりも誇り高く、気高い子。それに、その度胸と勇気は女には勿体ないほどよ。でもね、それは自分を守る武器にもなるけれど、同じように傷つける凶器にもなるの。どうか気をつけてちょうだい」
「叔母様、ありがとう。いつだって叔母さまは私に強さをくれるわ。どうか、見守っていてください」
そうして、約束の期限内にアリシアはグリニッド王国を後にした。目指すはバルジット侯爵領地。そしてそのそばには、アーサーの使いの者が付かず離れずの距離を保ち、見張るように同行していた。
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