第十四話 魔女だってやる時はやる

「いよいよ今日ね」


 朝からうきうきした様子で朝食を食べるアイリは、嬉しそうにのぞみとじゃれていた。

 ただ、俺はそんな彼女に何か言う気にもなれず、ひっそりと牛乳を飲んでから、歯を磨いてさっさと家を出た。


 眠い。

 だけど眠れるような状態でもない。


 こんなに不安に襲われているのはいつぶりだろうか。

 多分、初めて冒険に出た時もこんなに不安にはならなかったはず。


 それくらい、マナを失うかもしれないという恐怖は俺の心を沈ませる。

 しかも相手が大精霊アイリスとかつての親友ロックだと知れば、俺の不安も倍増する。


 あの二人、昔からやることが無茶苦茶だった。

 ロックは完全な鉄砲玉。

 アイリが命じれば、触れたら死ぬという毒沼にでも突っ込んでいくような、そんな馬鹿。

 そしてアイリは、目的のためならそういうことを平気で人にやらせるクズ精霊。

 

 だから最後の方はあまり信用してなかった。

 あいつらの方が、魔女であるマナより数倍危険だから。


「マナ……」


 マナのマンションの前を通る時、思わず彼女の名前をつぶやいた。

 

 すると、


「なによ」


 後ろから声がした。


「……マナ?」

「朝から元気ないじゃない。どうしたのよそんなにクマ作って。まさかあの幼女と朝までいちゃついてたんじゃないでしょうね」


 いつもの調子のマナがいた。

 ちょっといらだった様子で相変わらず俺に説教じみたことを言ってくるマナを見て、俺はまた胸のあたりが苦しくなる。


「……いや、なんでもない。それより、なんでここに?」

「なんでって、ここ私の家の前だし。出てきたら偶然あんたを見かけただけよ」

「そっか」

「で、なんでそんなに落ち込んでるのかは聞かせてくれないの?」

「……それは」

「いいから聞かせなさいよ。あんたの湿っぽい顔、見てるとこっちまで気分が下がるのよ」


 マナは、下を向く俺の顔を覗き込むようにして聞いてくる。

 で、俺もいつまでもうじうじしてはいられないからと、マナの方を見る。


「……アイリが、勝手にマナに許嫁を作ろうとしてるんだ」

「は? なによそれ、どうやって?」

「相手はロックだよ。アイリの術を使って、マナの両親を洗脳しようとしてるみたいだ」

「え、なんでよりによってあの大男なの? 普通に嫌なんだけど」

「でも、いざとなればマナのことも洗脳する気だ。ああなったら、俺は止めようもない」

「……で、あきらめて勝手に絶望してるってこと?」

「まあ、そんなとこだ」


 アイリの術は、一度発動したらアイリ自身が解かなければ半永続的に続く。

 いくつか洗脳させるための条件ってのはあるが、一度術にかかってしまえば以前の記憶は完璧に書き換えられる。

 確かアイリ曰く、通用しないのは勇者だった俺だけだと。

 

「あの人の技は絶対だ。何回も見てきたけど、皆が皆、きれいに記憶操作されてしまう」

「ふーん、でもさ、それだったらなんでアイリスはアルトリア国王を洗脳して、あんたの処刑を止めなかったの? それに、絶対って言い切るけど何人くらいが洗脳されたのを見てきたの?」

「それは……いや、確かいくつか条件があるっていうのは聞いてたから、国王にはそれが通じなかったとか」

「だったらうちの両親だって通じるかどうかわかんないじゃん。第一、両親は今、ニューヨークにいるのよ」

「……いや、でももし、両親がこの人と結婚しろって言ってきたら、マナはどうする?」


 洗脳されるうんぬんより、一番聞きたくなかったのがそれだ。

 彼女は俺のことが好きなわけでもなんでもない。

 誰を選ぼうが俺に文句を言う筋合いはないのだけど。

 やっぱり俺以外のやつを選ぶ可能性なんてものを聞きたくはない。


 でも、聞かないと前に進めない。


 だから勇気を振り絞って、聞いたのだけど。


「は? そんなの断るに決まってるじゃん」

「……え?」

「バカね、そんなこと気にしてたの? 私だって、いくら両親にお世話になってても自分の意志くらいあるわよ。相手くらい、自分で探すわ」


 そう言ってから、俺の肩を軽くたたく。


「はい、これでいいかしら。あんたの不安って、それだったんでしょ?」

「ま、まあ、それはそう、だけど」

「ほんっと、昔っからせっかちよねあんたって。ちょっと落ち着いて考えたら私がどう考えてるかくらい、わからないもんかしら」

「……まあ、そうだよな。ごめん、勝手に不安になってた」

「でも、あの精霊が私を洗脳しようとしてることは容認できないわね。勝手に人の記憶をいじり倒されてたまるもんかって話よ。レイ、それは全力で阻止したいから、協力してくれる?」

「もちろんだ。どうやって術を使うのかは知らないが、俺がなんとしてもそうはさせない」

「頼りにしてる。じゃ、学校行くわよ」

「ああ」


 なんか急に気が抜けた。

 最近、アイリに色々言われたり、昔を思い出すことが多かったせいで心が病んでいたのだろう。

 だからマナのことを思うほどに不安が増して、勝手にダメだと決めつけて落ち込んで。

 やってることがメンヘラみたいだな、ほんと。


 勇者の面影もない。


 そんな自分が嫌で、せっかくマナと一緒に登校できたのに、俺はそのあとはほとんど無言だった。


 そして教室に着くと、俺はいよいよ眠気が限界に達してか、机に突っ伏して目を閉じる。


 やがて、意識が遠くなっていった。



「さてと、魔女さん。ちょうどレイも眠ってるしいいかしら」


 席に座って本を読んでいると、登校してきたアイリスが私のところにやってきた。


 警戒はしている。

 なにせ、この幼女はどうやってか私のことを洗脳しようとしてるみたいだし。


「……なんの用かしら」


 だから目を合わさず、返事だけ。


「あら、ずいぶん嫌われたものね。ま、そのままでいいから聞きなさい。私の言うとおりにしてくれたら、あなた、向こうの世界での辛い過去が全部忘れられるって言ったら、どうする?」

「……え?」


 思わず、声が出てしまった。

 そして慌てて口を塞ぐと、アイリスは得意げに話を続ける。


「あなた、向こうではずっと迫害されてきたでしょ? 狭く暗い城でずっと一人で、毎晩のように泣いてたのも私は知ってる。で、最後は世界に憎まれながら消えていった。そんな辛い日々を、今でも思い出して辛いでしょ? だから忘れさせてあげるの。私の術にかかれば、嫌なことは全部忘れられる。どうかしら、悪くない話だと思うけど?」

「……それは」


 私にとってのトラウマ。

 それは前世を生きた世界のほとんどだといっても過言ではない。


 かつての両親も、住んでいた町の人々もみんな。

 レイはああやって言ってくれてたけど、私のことをみんな、のけ者にしてた。


 魔女だからって。

 早く消えろって。

 死ねって。

 言ってた人が大勢いたのを知ってたし、唯一の肉親は私のことを道具としか思ってないことも知ってた。


 思い出すのは、暗い城でいつも一人ぼっちで閉じこもっていたあの日々。


 その過去はずっと、私の忘れたいけど忘れさせてくれないトラウマ。


 それが全部消えるんだったら……。


「……ううん、違うわね」

「なによ、そんなに私の術に落ちるのがいやなの? そんなの、かかったあとは覚えてもいないわよ」

「それもあるけど、それだけじゃない。私、別にあの世界のこと、忘れたくないから」


 辛いことがほとんどだったけど。


 いいことだって、あった。


 寂しいなって思った時、いつも会いに来てくれるバカがいて。

 孤独に押しつぶされそうになっていた時、しつこく言い寄ってくるバカがやってきてくれて。


 みんな、私のことなんか嫌いだって言ってたのに、一人だけほんと馬鹿みたいに好きって言ってくれる彼が。


 レイが、いた。

 レイと、過ごした日々があった。

 あの過去を、私は忘れたいなんて思わない。


「……私、そこで寝てるバカとの昔を忘れたくない。だから無駄よ。どうせあんたの洗脳術って、人の心の隙間に入り込めないと効かない類のやつでしょ?」

「むっ……で、でも、ほんとにそれでいいの? いくらいいことがあったって、辛い過去がなくなるわけじゃ」

「あら、大精霊様は辛い過去がないから知らないのかもしれないけどね、嬉しいことがあると、辛い悩みなんて吹っ飛ぶのよ……って、いつもレイが言ってくれてた。ふふっ、そういうわけだからあきらめてね。あと、両親に何言われても、私は勝手に婚約とかしないし」

「……それって、レイのことが好きって認めるわけ?」

「……そうね」


 ちらっと、横の席で眠るバカを見る。

 多分、昔から私の気持ちはずっと変わってない。

 気づかないふりをして、ごまかして、そうじゃないって言い聞かせてきたつもりだけど。


 こうやって昔を振り返ったら、もう自分に嘘はつけないって気づいた。


「私は……魔女の頃からずっと、レイのことが好きよ」


 ようやく、その一言が言えた。

 もっとも、肝心の本人は寝てるけど。


「ふーん、そうなんだ。ま、潔く認めたから今回は引き下がってあげるけど。でも、私はあなたとレイのこと、認めてないから」

「それはどうも。まあ、やっと認められただけで、伝える勇気はまだ、どうかなってとこだけど」

「ふうん、ずいぶんと余裕なのね。ま、その余裕が命取りにならないようにせいぜい気をつけなさい」


 そのまま、アイリスは教室を出て行った。


 そして、まだ呑気に寝ているバカ勇者は、幸せそうな寝顔をこっちに向けている。


 ほんと、幸せな男。


「……ばーか、さっさと告白してこい」

 

 こんなにあんたの告白を待ってる女がいるんだから。

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