第十三話 精霊が本気出す

そういえば、マナと知り合ってからは長いけどこうして二人で遊んだことなんて、当然だけどなかった。


 歌声だって、聞いたこともない。


「さーて、歌うわよ。レイは結構カラオケとか来るの?」

「まあ、みんなで騒ぐ時なんて大概カラオケだからな」

「ふーん、それじゃゆゆちゃんとかともよく来るんだ」

「別に二人で、とかはないけど。そういうマナは?」

「私、この前初めて行ったんだけど結構気に入っちゃって。先に歌うわね」


 それにこんなふうに楽しそうなマナも、初めて見る。

 我先にとデンモクを触る彼女を見ていると、俺はマナのことを知ったつもりになってたなと思わされる。

 

 旧知だから、これ以上知ることも知ってもらうこともないと思っていたけど。

 それは以前の世界での話。

 今の彼女はどんな趣味があるのか、どんなテレビを見るのか、どんな曲を聴くのか。

 何も知らない。

 もちろん、知って幻滅することなんて何もないだろうけど。


 もっと知りたい。

 今の想いが魔女だった頃のマナへの気持ちの名残ではなく、一人の人間としてそこにいる篠崎真奈へ向けられるように。


「すうー」


 聴きなれた、最近はやりの曲の前奏が流れ出したあと。

 大きく息を吸い込んでから、マナはマイクに向かって大きく声を発する。


「お」


 思わず俺は変な声を出してしまった。

 というのも、マナの透き通った歌声に驚かされたから。


 張りのある、それでいて決してうるさくもない、ずっと聴いていたくなるような澄んだ歌声。


 画面を見ながら、涼しい顔をして歌う彼女の横顔とその歌声に、俺はそのあと言葉を失って、呼吸すら忘れてしまいそうなまま呆然と彼女に見惚れていて。


 気が付けば曲が終わった。


「ふう。どうだった、私の歌?」

「……あ、ああ。すごいよ、めちゃくちゃうまいじゃん」

「ふふっ、それはどうも。次はあんたの番よ」

「い、いやお前の後は歌いづらいだろ」

「何言ってんのよ。別に歌手になるわけでもないんだし、下手でもなんでもいいでしょ」

「……まあ、別に下手じゃないけどさ」

「それに今更かっこつけることある? あんたの歌がうまくても下手でも、そんなことどっちでもいいんだって」

「どっちでも……まあ、そうだな。よし、歌うよ」


 いちいち、マナの言葉を深く考えてしまう。

 俺の歌がどうあろうと、結局俺の評価は変わらないってことなんだろうけど。


 それはいいことなのか悪いことなのか。

 どうアピールしたって、マナに俺の気持ちは届かないってことなのか。

 それとも、どんな俺であってもマナはちゃんと俺を見てくれてるってことなのか。


 考えても仕方ない女々しいことをずっと頭の中に巡らせながら。

 ぼんやりと歌詞を追いかけて歌っていると、やがて曲が終わった。


「ふう」

「なによ、あんたも上手じゃんか」

「そ、そうか? ちょっと緊張したけど」

「なにそれ、私がいたらプレッシャーなの? 失礼ね」

「そ、そうじゃないけど。わかるだろ」

「……次、私の番だから」


 この後も、マナは淡々と、それでいて気持ちよさそうに歌っていた。

 俺は相変わらず緊張しっぱなしで、気の利いたこともろくにしゃべれないまま、せっかくの二人っきりの時間はあっという間に過ぎて行った。


「あー、よく歌ったわ。ありがとね、付き合ってくれて」

「いや、俺の方こそ。でもさ、なんかあったのか?」


 店を出る時、すっきりした表情で間延びするマナに聞いた。

 

「別に。なにかなかったらカラオケ誘っちゃダメなの?」

「そ、そうじゃないけど。ストレス溜まってるのかなって」

「一人暮らしだと、色々大変だからさ。たまの息抜きもないと、ね」

「まあ、それもそうか」

「うん。さてと、買い物行くけど、どうする?」

「マナがいいなら、一緒に行くよ」

「じゃ、また荷物持ち頼もうかな」

「はいはい、頼ってくれよ」


 この後は、一緒に買い物に行って、マナの荷物を持ちながら彼女を送っていった。


 ただ、それだけのことだったのだけど、俺にとっては夢のような時間。


 マナを見送った後で家に帰るころにはもう、すっかり日が暮れていた。



「遅い!」


 浮かれ気分も帰宅するとすぐに冷める。

 

 玄関先に仁王立ちする幼女ことアイリを見て、ほんとうんざりする。


「はあ……」

「ちょっと、人を見てため息とは何よ」

「せっかく楽しかったのに。アイリのせいで気分台無しですよ」

「あら、魔女と随分仲良くしてるんだ。でも、それも今日までよ」

「……どういうことですか?」

「何のためにロックを召喚したと思ってるのよ。彼、明日からあの魔女と同棲させようかなって思ってるわけ」

「……は?」

「私の術でね、あの魔女のこっちの両親を言いくるめて、ロックといいなずけにしちゃおうかなって。そうなれば、さすがにレイも手は出せなくなるものね。人のものは取ったらダメって、向こうもこっちもそれは一緒だもんねー」


 にやりと。

 アイリは白い歯を見せながら笑ったあとで指をパチンと鳴らす。


 すると、


「というわけだ、レイ。お前には悪いと思っているが俺はあの魔女と結婚する」


 ロックが後ろから現れてきた。

 ていうかなんで勝手にうちにいるんだよ、こいつ。


「ふざけるなよ。マナが望まない結婚をさせられるなんて俺は断じて許さない」

「でもあの子、今の両親にはすっごく恩があるのよねえ。だから一度も逆らったことないみたいだし、親が決めた相手なら案外受け入れるんじゃないのー?」

「だ、だとしても……そ、それはさすがに」

「あの子が決めることなんだからいいじゃない別に。それとも、勝手にあの魔女があんたのものだとでも思ってたの?」

「……それは」

「ふふっ、明日が楽しみね。どうしても無理なら最悪、あの魔女も洗脳しちゃえばいいし。ロック、うまく行ったらそのあと私が天界に連れて行ってあげるからね」

「はっ、ありがたき幸せにございますアイリス様」

「じゃあそういうことだから。レイ、お風呂でも入ってきたら?」


 そう言い残して、アイリとロックは玄関から出て行った。


 静かな玄関先で、俺は呆然として動けなかった。


 アイリは、多分本気だ。

 そしてロックもまた、アイリのためならなんでもやる男。


 嘘、だよな。

 せっかく生まれ変わって、好きな人と奇跡の再会を果たしたっていうのに。


 その子が、かつての親友に寝取られるところを見届けるのが結末、だと?


「マナ……」


 アイリを説得することもロックを説き伏せることも、こうなったら無理だ。

 二人は本気だし、今の俺にあの二人を止める力はない。

 どうしようもない絶望と不安に包まれながら、夜を過ごすことになってしまった。


 真っ暗な部屋の中で一人、ずっと壁を見つめて寝ころんだまま。


 マナは、両親が選んだ相手となら、やっぱり一緒になる道を選ぶんだろうか。

 もし、マナが洗脳されてしまったら、そのままロックと結ばれてしまうのだろうか。

 そんな不安で、俺は押しつぶされそうになりながら。


 それでも、今日は一睡もできなかった。


 

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