第十話 消えないもの

「ちょっとレイ、なんで今朝勝手に家出たのよ」


 マナと一緒に学校に着いたあと、各々荷物の整理なんかをしていたらアイリが息を切らしながら教室に飛び込んできた。


「別に、断る理由なんてないからですけど」

「何よ、開き直るつもり? そういう態度でくるなら、こっちだって考えがあるからね」

「のぞみに今更何言われても俺は構いませんけど」

「ちっ、なんかムカつくわねその態度。私、一応あなたの上司的立場だったの覚えてる?」

「大精霊が勇者の上司かどうかは知りませんけど。一応敬意は示して敬語で話してますが」

「……覚えてなさいよ、レイ」


 動揺しない俺の態度に、アイリはふてくされたように後ろの席に座る。

 

 隣のマナは相変わらず知らんふりだ。

 まあ、それがいい。多分二人が絡むとろくなことにならないし。


 アイリに余計なことを言われても困る。


 アイリ、というか大精霊アイリスは俺がマナに施したすべてを知っているはず。


 あの日、世界消滅の日にマナの魂を俺が浄化させて、転生の術を使ったことも。

 マナは、どうして自分が滅んだかについてはどうやら覚えていないようだし、アイリが余計なことを口走らなければいいんだが。


「……好きなのに。こんなに好きなのに、わからずや。レイのバカ、あほ、好き」

「……」


 まあ、後ろでそんな愚痴をこぼしてる幼女を見てる限り、そんな心配はなさそうだけど。

 時々、頭が切れるからまだ油断はできない。

 あの日のことは、俺の中で終わらせたいんだ。

 理由はどうあれ、マナをあの世界から追いやったのは俺なんだし。

 あんまり思い出したくもないな、ほんと。


「はーい、みんなホームルーム始めるわよ」


 担任が来て、騒がしかった教室はピタリと静まり返る。


 で、俺はそのまま机に肘をついて目を閉じて。


 三十歳独身女性の愚痴のようなスピーチを子守歌に、少し眠りにつく。



「レイ様、どうしてあのような邪悪に魅入られてしまったのですか」


 また、夢だ。

 授業中の居眠りで昔の夢を見るなんて珍しい。

 最近、昔の知り合いとの再会が増えたせいだろうか。


 この声は……姫か。


「姫。私は決して幻術にかかっているわけではありません。マナは私にとって尊い唯一無二の存在。ですから、どうかこの気持ちをわかってください」

「レイ様……しかしかの魔女は近く滅びる運命です。どうあろうとレイ様と結ばれることはあり得ませんし、このままでは誰も幸せになど、なれませぬ。どうかお考え直してください」

「姫、マナの背負った宿命は私も知っております。世界を滅ぼす装置、それがマナです。彼女を滅ぼすか、彼女と共に世界が滅びるか、それしか道がないともわかっています。ですが、わかっているうえで好きなのです。この気持ちだけはどうしようもありませぬ」

「……では、あの魔女を見逃して、世界消滅を望むと」

「いえ、この世界は必ず守り通します。ですが、マナのいない世界になっても、私はマナのことだけを想い、やがてこの生涯を終えるでしょう」

「……そう、ですか。わかりました、どうかご武運を」


 泣いている姫の顔を見るのは、辛かったな。

 アルトリア国王の一人娘、エレーナ姫。


 気品高く、清楚な顔だちと真っ黒な長髪、ドレス姿でもはっきりわかる絶妙なバランスのスタイル。

 アルトリアの生ける宝石、この世の奇跡とも称された美貌を持つ彼女とは、俺が城に召喚された日に知り合った。


 そして彼女はずいぶんと俺のことを気に入ってくれてて、英雄になるであろう俺との縁談を、父であるアルトリア王も望んでいた。


 もちろん俺は、断っていたけど。

 処刑の原因はそれもあるんだろうな。


 娘をかどわかしておいて、魔女に惚れるなんて何事だと。

 言いたくなるあの父親の気持ちはわからなくもない。


 まあ、今頃どうしてるのかは知らないけど。

 姫には、幸せになっていてもらいたいものだ。


 

「……ん」


 ぼんやりと、夢から覚めた。

 もう、ホームルームは終わっているようで、教室はがやがやと騒がしい。


「ふう」

「何よため息なんて、らしくないわね」


 夢のことを思い出して少し深めに息を吐いた時、マナが相変わらずつまらなさそうな顔でこっちにしゃべりかけてきた。


「まあ、変な夢みたんだよ」

「ふーん。あっちの世界の記憶?」

「うん、たまにな。マナは思い出したりしないのか?」

「……しないようにしてる。いい思い出なんて、ないから」

「あ、いやすまん。別にそういう意味じゃ」

「いいの、わかってるから。でも、あんたこそ向こうに残してきた人らのこと思い出したら辛いんじゃないの?」

「そりゃあ、まあ。でも、今となれば昔の思い出って感じだよ。過去は所詮過去、気にしても仕方ないって」


 そんな話をしていると、後ろから「過去は決して消えないものよ」と。

 アイリが口をはさんできた。


「あんたたちが思うほど、過去はそんなに軽視していいものじゃない。いつまでも覚えてる人からしてみれば、辛い過去なんて、変えることも消すこともできないただの絶望の記憶。それをなかったことになんてならないから」


 珍しく真顔で、まっすぐこっちを見るアイリは姿こそ幼女のままだが、昔の大精霊さながらのオーラを纏っていた。


「……言いたいことはわかりますけど、そんなこと言ってたらいつまでも前に進めませんから」


 俺は思わぬ反論に、そう返した。

 すると、アイリは小さな声で「前に進む権利なんて、ないのよ」と。


 マナの方を見ながらつぶやいた後で、席を離れてどこかに消えた。


「なんなんだよ、いったい」

「……」

「マナ、あの人の言ってることなんて気にしなくていいから。俺がそっけないから嫌味言いたいだけなんだよ」

「でも、言ってることは間違いじゃないものね」

「いや、間違ってるよ。過去に振り回される人生なんて、するべきじゃないし。誰だって前を向く権利はある」

「……そ、かな」


 いつになく、暗い様子でぽそりと呟いたマナは、「お昼、今日はやっぱり一人にさせて」と。


 俺はそれに対してなにも言わなかった。

 言えなかった。


 転生しても、別世界にきても、決して消えることのない過去。


 そんなものに俺たちはいつまで振り回されたらいいのだろうと。


 その答えが見つからないまま、逃げるように視線を窓の外に向けた。


 

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