第20話「巫女姫、衛士の部隊を指揮する」
──数時間後、鬼門に向かう街道で──
「……つまらぬな、現れた
兵士長は周囲を見て、笑った。
夕方から始まった
兵士長が村の者たちに『
その後、兵士長と兵たちは、街道周辺の魔獣を狩り続けた。
だが、現れたのは弱い者ばかり。
狼型の魔獣【クロヨウカミ】さえも現れない。
出現したのは子犬くらいの大きさで、
もちろん【オオヤミネズミ】も放置しておいていいものではない。
その
また、堂々と食料を食い荒らす害獣でもある。
ただし
そのため、兵士たちでも楽に倒せる相手だった。
「あまり鬼門の関所に近づくべきではないな。そろそろ引き返すとしよう」
「……あの……兵士長」
不意に、兵士のひとりが声をあげた。
彼は兵士長の怒りを恐れるように、小声で、
「我々は……やはり杏樹さまの護衛を続けるべきではないでしょうか」
──そんなことを言った。
他の兵士たちも、じっと兵士長を見ている。
声が上がる。
──せめて鬼門の関所までお送りするべき。
──我々が倒したのは、弱い魔獣だけ。先に進めば強い魔獣も現れる。
──杏樹さまを危険にさらすのはお気の毒。
そんなことを、兵士たちは語り始める。
だが、彼らを見据えて、兵士長は、
「お前たちは、命令を聞いていなかったのか?」
つまらなそうに、肩をすくめてみせた。
「紫堂杏樹とは、鬼門の関所に近づく前にお別れする。それが州候代理のご命令だ」
「ですが、あまりに
「それでは、儀式が意味をなさぬ」
ささやくように、兵士長は言った。
口の中で、誰にも聞こえないように。
「……そんなことをしては、
「……兵士長? 今、なんと?」
「なんでもない。ただ、いずれ鬼門には文字通りの『鬼』が現れるかもしれぬ。訓練は欠かせぬ。それだけだ」
兵士長は兵士たちを見据えて、告げる。
「村へ戻る! 荷物をまとめ、州都へ向かう準備をしておけ」
「兵士長!!」
「くどい!」
「そうではありません! 山の方から……
言われて振り返る。
西側の山。暮れかけた山の斜面に、人影があった。
「──違う。あれは……人ではない」
人間はあれほど大きくはない。
人にしては手が長すぎる。目が多すぎる。動きが速すぎる。
その生物は長い腕で木々を伝いながら、まるで飛ぶように山を降りてくる。
あれは──
「
「──げえっ!」
【黒い】【
魔獣の危険度では、上位に位置するものだ。
力が強い。動きが速い。なにより、知恵が回る。
体長は7尺 (2メートルと少し)。
額にある第三の目は、霊力の流れを読むと言われている。
その【コクエンコウ】が群れをなし、山を駆け下りてくる。
「兵士長! 鬼門の関所まで走りましょう。関所の兵と合流すれば──」
「駄目だ!」
兵士長は首を横に振った。
鬼門の関所に行くことは許されていない。
それは、州候代理による絶対命令だ。
「ここで迎え撃つ! 倒せるだけ倒して、村へ逃げ込むのだ」
「しかし、それでは村を巻き込むことに……」
「鬼門近くの魔獣が、村を襲った例はない!」
──少なくとも、これまでは。
そう自分に言い聞かせて、兵士長は指示を出す。
「我らは
「「「は、はい!!」」」
「槍、構え!! 迎え撃て──っ!!」
戦闘が始まった。
山から駆け下りてくる大猿【コクエンコウ】に向かい、兵士たちは槍を構える。
紫州の正規兵は、全員が霊力持ちだ。
【コクエンコウ】の邪気がいくら強くとも、
『『『キキ────ィ。キィィ──ッ!』』』
巨大な
漆黒の身体を
濃密な邪気は硬い『
おまけに【コクエンコウ】の腕は長く、力強い。
奴らはその腕を
それが【コクエンコウ】だ。
けれど、勝てない相手ではない。
槍の間合いは、【コクエンコウ】の腕より長い。
紫州の正規兵なら、戦えるはずだ。
(……だが、どうして【コクエンコウ】が、こんなところに)
兵士長の背中を冷や汗が伝う。
(
浮かんだ考えを、兵士長は
今は目の前の魔獣を倒すのが先だ。
「今だ!! 魔獣どもを攻撃しろ────っ!!」
「「「おおおおおおおおおっ!!」」」
駆け寄ってくる【コクエンコウ】に、兵士たちが槍を突き出す。
訓練は十分。霊力は
霊力の光を帯びた
勝利を確信した兵士たちの表情が──
手応えが、おかしかった。
槍は邪気を貫いた。
だが、【コクエンコウ】の身体を貫けてはいない。
槍が刺さっているのは、
魔獣がまとう邪気の衣のせいで、さっきまでは見えなかった。
黒い霧の向こうにうっすらと見えるのは、関所の兵がつけていた
「まさか、関所の兵から奪ったのか!? 関所はすでにこいつらに襲われて……!?」
『キィ──────ィアアアアアアアア!!』
が、ごん。
【コクエンコウ】が振り回した腕が、兵士の身体を吹き飛ばした。
「こ、こんなことが……ど、どうして……」
兵士長の頭が真っ白になった。
槍は魔獣の
こちらの動きが止まった
奴らに知恵があるのはわかっていた。
けれど、ここまでとは思わなかったのだ。
「鬼門の兵から武装を奪い……それを邪気で隠すとは……魔獣が、こんな!」
「ひるむな! 鎧を着けているなら手足を、首を狙え!!」
頼りにならない兵士長を無視して、兵士たちは太刀を抜く。
槍は防がれた。だが、まだ勝機はあるのだ。
「そ、そうだ! 戦え! 州候代理の名のもとに──」
どがっ。
大声を出した兵士長の腹に、魔獣の拳が突き刺さった。
後ろに向かって吹き飛びながら兵士長は、少し前のことを思い出していた。
1ヶ月と少し前──杏樹の父が倒れてすぐの頃、
秘密の訪問だった。
このことを知る者は、州候代理である副堂勇作と、その娘の沙緒里。
兵士長と、数名の兵士。
それと、州候代理が連れて来た、ふたりの神官だけだ。
そして
神官の補助を受けてのことだった。
儀式の名前は『
『
その目的は、
けれど、沙緒里が行った儀式は、少し違うものだ。
(……確か……鬼に見立てた特定の者を……紫州から追い払う儀式……だと)
【
その鬼を追い払いたい者に、取り
儀式の対象となるのは、
それは紫州を、州候代理の一派が手に入れるためのものだったはずが──
(どうして、こうなったのだ……)
そんなことを考えながら、兵士長は意識を失ったのだった。
「残りの【コクエンコウ】は!?」
「まだ10匹以上いる。兵士たちのうち、無傷なのは3名だけだ!」
「軽傷の者は、重傷者を守れ。なんとしても血路を開く!」
兵士長が倒れて、
すぐに別の者が部隊の指揮を引き継ぎ、
だが、怪我人が多すぎた。
意識を失っているものもいる。彼らを置いていくわけにはいかない。
倒せた【コクエンコウ】も数体だけ。
残りはじわじわと、兵士たちを倒しにかかっている。
彼らは決して、無理な戦いはしない。
囲みを狭めて、兵士たちに一撃を与える。そこで反撃を受ければ、距離を取る。
けれど、決して包囲を解くことはしない。
【コクエンコウ】は、そういう戦いを行っていた。
【コクエンコウ】が攻めてくるたびに、兵士たちは出血を強いられる。
村に
動きは【コクエンコウ】の方が速い。途中で追いつかれるだろう。
だが、このままでは被害が大きすぎる。
じわじわと出血を強いられて、やがては全員が動けなくなる。
──犠牲を承知で、包囲を突破するしかない。
兵士たちが必死の覚悟を決めたとき──
ふわり。
兵士たちのまわりに、光の球体が浮かび上がった。
「これは……1文字の精霊。『
彼らも、精霊のことは知っている。
霊獣と比べれば数が多く、それほど珍しいものではない。
けれど、数が多すぎた。
「なんだ、これは。まるで、光の野原にいるような……」
「これだけの精霊が……どこから」
「我々を助けに来てくれたのか? でも……誰が」
周囲に浮かぶのは、まるで
まるで兵士たちに希望を示すように、夕暮れの街道を照らし出している。
『──グア? アァン?』
突然の変化に、【コクエンコウ】が動きを止める。
兵士たちと精霊たちから、距離を取る。
そして、次の瞬間──
「紫州兵に告げます。全員、伏せなさい!!」
街道に、杏樹の声が響き渡った。
反射的に兵たちは声の方に視線を向けた。
街道の先──村の方向に、紫堂杏樹がいた。
彼女のまわりにいるのは『
彼らの足元では炎がゆらめいている。
その炎のせいで、杏樹と衛士たちの姿が浮かび上がって見える。
淡い
それに照らされた衛士たちは、全員が
彼らの姿を見た兵士たちの表情が固まる。
救援に来てくれたのは嬉しい。
けれど、
銃弾では、魔獣の『
銃声で
火縄の音などでひるんだりはしない。むしろ興奮させるだけだ。
「逃げてください! 杏樹さま!!」
「我々のために危険を侵すことはありません!!」
「あなたは……ご無事で……」
兵士たちが口々に叫ぶ。
だが、その声は杏樹には届かなかった。
一斉に発射された銃声が、彼らの声をかき消したからだ。
そして──
『『『ギィ!? ギィアアアアアアア────!!』』』
兵士たちのが見ている前で──銃弾に貫かれた【コクエンコウ】たちが、血をまき散らしながら倒れたのだった。
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